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彼岸とは何ですか?
春と、秋に彼岸があり、ご先祖が帰ってくるらしいですが、帰ってくるのは、お盆ですよね? 彼岸とは、仏教では何の意味を持ちますか?
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言葉では難しいです。 http://allabout.co.jp/gm/gc/220747/ ここの「お彼岸に何故お墓詣りをするの?」ぬ書いてあります。
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>故人になられた方に会える季節なんでしょうか。 故人ですか、困ったなぁ。 お爺ちゃんとお婆さんが生きていた時に死んだらあいにくるからねって話していたけど、 お爺ちゃんとお婆さんが亡くなって何年にもなるけど、まだ一度も会いに来てくれてないのです。 まっ、実際に個人に合う事は自分も亡くなっていることなので会うことだけは遠慮をしたいです。
- 177019
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宗派によってその意味、解釈が違うと思うのですが?私の宗派の教えから書いて見ました。「春のお彼岸」は春分の日に行われる先祖供養です。波羅蜜(はらみつ)という言葉がありますが、六種類の修行という意味の他に「完成」という意味があり、そこから仏様の成仏の境涯(命の状態)を指すこともあります。波羅蜜はインドの言葉でパーラミーターといいます。その意味は「成仏の岸に至る」「到彼岸」(とうひがん)です。いわゆる三途の河を渡ると言う事です。「三途の河はお葬式で渡ったんじゃないの?」という考えもあると思います。それは亡くなられた方の成仏を意味します。一般に「この娑婆世界は汚れていて、三途の川の向こう岸に渡ってこそ成仏」という発想から、亡くなった人を仏様と呼ぶ風習もあります。本来、仏教は「生きている人の悩みとの向き合い方」を説いた教えです。目指すところは「一生成仏」です。年がら年中、先祖を意識する事は難しいです。ですから、折に触れて御先祖への意識、感謝の気持ちを行動に表す事が大切です。もし、先祖の一人でも欠ければ今の自分という存在はあり得なくなります。幸も不幸も全て原因と結果があり、偶然は無いという因果の法則、仏法の基本を理屈だけでは無く、体で知りえるために先祖への供養があります。「先祖は自分の中で生きている」という人を見かけます。それは、その人の空想に過ぎません。実際、何代もの前の先祖まで覚えきれないでしょうし、大好きだった家族(故人)のことだけを思うのもその心中は察しますが客観的に見れば自己中心的な考え方でもあります。隔たり無く全ての先祖に感謝する事が大事です。「隔たり無く」と言う事をわきまえた上で、自分に近い(縁の深い)身内のために分けて供養する事は差し支えありません。遥か遠い先祖や自分の記憶にある身内の先祖が本当に三途の川を渡ったのかは、私たちの眼に見える事ではありません。しかし、眼に見えないからこそ見えない不知の事を怖れまた尊びそして施しをするのが波羅蜜という修行です。参考まで。
補足
難しいですね。 因果応報を悟るために、お墓参りに行く。 でももしかして、この季節が一番天候の良い時期なので、お墓に行きやすいからかもしれません。
春の彼岸 http://www.ohnoya.co.jp/faq/dictionary/ohigan/ 春の彼岸と秋の彼岸、お墓参りに行きたくても住んでいる地域から、 お墓のある場所まで約450キロ離れて居るから行けない。 なので私は新盆には里に帰ってからお墓参りをしています。 仏教で彼岸とされる意味合いは、仏様に挨拶と報告をする。 お祈りかな。
補足
故人になられた方に会える季節なんでしょうか?
- lucky1267
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補足いただきありがとうございます。 お墓参りは「絶対に」という訳ではないと思います。 それこそ気が向いた時でも良いとは思いますが、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」というように、一種のならわしのようなところがあるのかもしれませんね。 ちなみに自分は中日の土曜日に行く予定です。 ただ、お仏壇に(あればですが)お線香を、くらいはした方が良いかもしれません。
補足
そうですね、確かに最近、一気に暖かくなりました。 この曖昧な時期に、先祖がやってくるんでしょうか?
年に2度あるお彼岸は、亡くなれた家族と先祖を供養ためなのです。 新盆旧盆に先祖が帰って来た姿を見たことがないので分からんけど、 言われるがままにお盆のときには先祖を迎え入れています。
補足
秋の彼岸と、お盆は知ってますが、 春の彼岸は、初めて知りました。
補足
お彼岸にお墓参りするのは、絶対なんでしょうか? 忙しいと適当な季節におまいりしたいんですが。何故、 お彼岸というのにこだわるんでしょうか?