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霊って、現代の言葉で説明するとどうなるのでしょう?

霊って宗教とかスピリチュアルではよく聞きますが科学や哲学ではあまり聞かないようですねえ 「霊」を哲学や科学の言葉で言い換えるとどうなるのでしょうか? 精神って霊の一種でしょうか?(生霊)「魂」もついでにどう言い換えられるでしょうか? 性質と同じ質だと思ってはいますが どうでしょう?貴方の語感、認識ではどうでしょう? 教えて下さい。お願いします。

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回答No.12

「霊」、「魂」、「精神」、という言葉の由来と意味、それを現代の哲学・科学では何に言い換えられるか、ということですか? まず「魂」について。 アリストテレスに「魂について、デ・アニマ」という著作がありますが、古代ギリシャでは魂のことをプシュケーといい、息・呼吸の意味でした。 人間が死ぬと魂が幽体離脱して、天に昇り、永遠に生きる、不死であると言いましたが、そう言ったのはプラトンで師のソクラテスが死んだときに、それを悼んで「ソクラテスが死んでも、魂は永遠不滅です」と言ったのが、始まり。 それを批判するために書かれたのが、アリストテレスのその本で、アリストテレスにとって魂とは生命と同じような意味で、魂とはその生命の派生体、だから人間が死ねば魂も消滅すると考えました。 だいたい、魂とは近代以前の人間と自然が明確に分離されていなかったアニミズムの、物活論に基づく思想です。 近世になって、デカルトが心と身体を明確に分離してより、魂という言葉に代わって、心という言葉が使われるようになり、現代では魂という言葉は使われなくなりました。 つぎに、精神について。 ヘーゲルが「精神現象学」でいう精神は感性・悟性・理性の上にあり、感性・悟性・理性を包括する意味の概念、それも最高の概念のことです。 ヘーゲルはそれを帰納法の一種である弁証法により、個別的・具体的なものの対立から、その総合として、対立の克服として、種から類へと概念の階段を上って行き、最高の概念である精神に到達し、今度はその精神から類から種へと、概念の階段を逆に演繹的に下降してゆき、個別的・特殊的なものを導き出しました。 こうしてヘーゲルは精神をあたかも実在を生み出す最高で、もっとも普遍的な主体のように、創造者のようにみなすことになります。 プラトンの「イデア」が、もともと帰納的に推論して導き出された概念なのに、それをあたかも天にある神のような主体と言ったのと同じです。 おそらくデカルトのいう精神も、心と同じ意味で使っているのだと思いますが、心が実体と言っているのと同じで、精神も実体と考え、物質と並び立つ実体だとし、そして精神が物質に優位にあるものと考え、精神が物質を生み出す主体と考えていたのではないでしょうか? しかし、この心とか精神が実体だという考えはカントの「純粋理性批判」の実体論的誤謬推理の批判で、徹底的に批判されてからは心も精神も実体ではありえなくなったので、今では精神といえば、ただの概念、それも概念の複合物、概念の構成物だと私は思っています。 事実、戦前の日本では「日本精神」とか「大和魂」と言って、精神とか魂があり、精神とか魂があればアメリカの物量に対して勝利できると言われたりしましたが、戦争で敗北すると精神とか魂があっても戦争には勝てないことが分かって、今では「精神」とか「魂」ということを言う人はいなくなりました。 つぎに「霊」ですが。 これはキリスト教で「神と神の子と聖霊」と言ったように、神とイエスと一体なもの、不可分離なものです。 だから人間は「霊的な」存在だと思われていました。 日本でいうと「生霊」「死霊」と言って「魂」と同じものです。 人間が死ぬとリン酸ガスが発生し、それが「人魂」になって、湿気の多い夜なんかに空中を飛びまわったりしますが、それを「人魂」と言ったわけです。 単なる化学現象に過ぎないのですが。 平安時代には偉人が非業の死を遂げたりすると「霊」が祟ると言われたりして、除霊師が「魂鎮め」のお祓いをしたり、神社を作って祭ったり、火を焚いて祈祷したり、いろんなことをしました。 京都には「清明神社」というのがあります。 たぶん、長屋王を藤原氏が滅ぼした時に、藤原氏の4人兄弟が次々と謎の死を遂げたことから、「霊」が祟るということが言われ始めたんだろうと思います。 菅原道真も大宰府に送られ、非業の死を遂げて、それで祟りをおそれ、天神神社が各地に作られた。 「霊」「魂」「精神」という言葉は現代では、心という言葉に統一されて使われているんだと思います。 もっとも、心は、思考・意志・感情などの心的現象の総称で、心自体は存在しないと思います。 あなたは「霊」とか「精神」を「性質と同じ質だと思っていますが・・・・・」と言っていますが、質だということは量とは違うということ、つまり空間的ではないということでしたら、「霊」とか「精神」は、形も広がりも持たないものですから、空間的なものではないのは確かでしょうね。 だけど、それを何か実体だとか、実在するもの、主体のように考えるのはどうですかね? 派生体、随伴現象、でしょう。 何の派生体、何の随伴現象かといえば、脳の活動の派生体、脳の活動の随伴現象、脳が生み出すものです。 どこか、天国とか、神に由来するものではありません。

yuniko99
質問者

お礼

脳の活動の随伴現象でしょうね。概念と仰っておられますが 概念って何ですかねえ? 脳の伝達物質やホルモンや脳波や脳内モルヒネ?などが活動することによって その性質が複雑に反応し意味を持ち概念をなしている としか考えようがないんですよねえ それが確かだとは言いませんが 他に何かあるかと言えば・・・思いつかないです。 先生は日本の言葉にも通じていらっしゃいますが 西洋哲学がご専門かとお見受けします。 成る程非常に参考になりました。 どうも大変ありがとうございます。

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  • kurinal
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回答No.5

yuniko99様、こんばんは。 >「「霊」を哲学や科学の言葉で言い換えるとどうなるのでしょうか? 精神って霊の一種でしょうか?(生霊)「魂」もついでにどう言い換えられるでしょうか?」 宗教において、「信教の自由」を逸脱出来ません。 (多分に、信じるのは自由だが、他者に押し付けるのは不可)

yuniko99
質問者

お礼

いや 押し付けることはするつもりではなかったのですが そう感じたのならすみません。 信教の自由ですか・・・しかし最近宗教の働きがおかしいですねえ。 宗派は多岐に別れ 聖書に宣誓して軍を送ります。 この辺で宗教も理解してその働きを明らかにできると 光がある様な気もするのですが? どうもありがとうございます。

  • titelist1
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回答No.4

霊や魂は脳細胞の中の記憶物質だと思っています。脳の記憶物質の働きで表に現われてくるのです。死んだら無くなります。しかし自分が死んでも誰かの記憶の中で生き続けることができます。 親の霊や魂は子供の記憶の中で生き続けているのです。また夫の霊や魂は妻の記憶の中に生き続けているのです。妻子がいなければ兄弟や友人の記憶の中で行き続けるのです。自分を知っている者が死んでしまうと無くなってしまうでしょう。

yuniko99
質問者

お礼

子供や妻や兄弟姉妹、友達の記憶の中に生き続けると言うのは分かります その人たちが死んでも その影響は因果律の中に活かされていくのではないでしょうか? 記憶物質というのは? クオリア? ドーパミン? ホルモンや脳波?? 僕は性質の存在が気になるのですが・・・ どうもありがとうございます。

回答No.3

 次のように認識します。  《こころ・たましひ・霊》の三つについて定義をこころみます。互いに重なっているからです。  ○ 《たましひ》は   A. 感性   B. こころ   C. 霊  これらを表わします。  ○ 《こころ》は 次を表わします。   A. 感性 また 感情・気持ち    B. 世界にあってそれに相い対するときのみづからの向き あるいは 働きかけとしての意志(志向性)    B1. これを広げれば 身体を基礎とし身体に一般に呼応して動きを生じる精神    B2. この精神としてのこころには 《意志》の行為のための判断材料を提供する《知解》という行為能力もある。合理的な推論をとおして導き整合性をもたせた情報や知識を提供する能力行為。    B3. この知解は 精神の基層としてあってその秩序作用という能力行為でもある《記憶》からその知恵や知識を得てくる。   C. たましひ( soul )としての霊( spirit )。 霊としてのたましひ。  ○ 霊とは    C1. 身体(≒感性)および精神(記憶・知解・意志という三つの行為能力)を超えた領域を仮りに想定したもの   C2. 経験世界を超えたところのことである。つまり 何が何だか分からないもの。   C3. つまり 経験合理性にもとづく経験思考(一般に科学)によっては分かるか分からないかが分からない領域   C4. 《表象しえぬもの》・《無根拠》・《なぞ》    C5. けっきょく 《絶対》・《無限》・《真理》とも呼ばれるものである。   C6. それに色をつければ 《神》のこと。    (自然の現象や人間の心理作用を神格化したような――つまり一般に神話におけるところの――《かみがみ》のことではなく その背後の超自然・超経験の領域を言う)。   C7. ちなみに 従って 人間の――経験領域における――《精神》は 《霊》ではない。   C8. しかもこの超経験の《霊》の意味で たましひ・こころ・精神といったことばが使われることがある。区別するのが望ましい。いや特に精神となるとややこしいので区別すべきである。     よって一般的にこう言える。  ○ 《こころ》は 経験的である。つまり 身体(感性)につながっている。  ○ 経験的なこころが その伸び(志向性)として・こころの明け(超経験への窓)としてあるとき そこで同時に 超経験なる《霊》との接点が もしそうだとすれば 想定される。これを一般に 《たましひ》と言っている。  ○ たましひとは 非思考である。

yuniko99
質問者

お礼

すみません 大変お待たせしましたm(_ _)m 霊(spirit)と書かれてあるので スピリット→精神かと思いましたが 霊と精神は違うとのこと。難しかったですが読みました。 霊は経験世界を超えたところにある色をつければ神となるもの 精霊 聖霊 とも言いますからねえ。 魂とは精神と霊の間にある非思考のもの う~~ん成る程 確かにきちんと説明されてますねえ あとは言葉の問題かと思います。色々に使われてますからねえ。 どうも大変ありがとうございます。

yuniko99
質問者

補足

昨日 3.11の特集を見ていたら 余りにも多くの人の命が奪われたのだという事を再認識して 考え込んでしまいました。お礼コメントはは近々 今日にでもします よろしく。

回答No.2

人が、意識を物体の結果として従属させるところに、 その対照として霊が生じます。 有限な存在性が意識において派生(自我仮説(記憶= 時間の流れ)と空間仮説(予測=空間の広がり)の相補 分化)しているという量子論的世界像において、 宇宙自体が霊であって、あえて「霊」をどこかに 求める素朴唯物論者の姿勢は滑稽だ。

yuniko99
質問者

お礼

宇宙自体が霊だから・・・霊という言葉は今も使える? と言う事でしょうか? >人が、意識を物体の結果として従属させるところに、その対照として霊が生じます これもよく分かりませんねえ どうもありがとうございます。

noname#205551
noname#205551
回答No.1

どれでも お好きに・・・ だけど この先 必ず「無形実体」と言う様になります・・・

yuniko99
質問者

お礼

無形実体があれば 有形実体もあるのでしょうか? 「無形実体」では意味が判りにくいですねえ 形而上学みたいで。 どうもありがとうございます。