秩父困民党事件といわれています。
秩父地方は「かいこ」を飼い「まゆ」を作らせ
絹織物にする「養蚕 ようさん」が盛んでしたが、
明治初期絹の値段が大幅に下がり、ようさん農家
の収入が減り生活が苦しく、金を借りてやっと
暮らしていました。
政府に借金や税金をへらすよう頼みましたが、聞き
入れられず、農民たちは実力行動にでました。
これに強圧的政府に対し一般民衆の意見を聞くよう
働きかけていた政治家の一部が加わりました。
明治17年11月、三千人もが武器を持って、金貸
や警察、役所を遅い、証文を焼いたりしました。
明治政府は暴動とみなし、警察、軍隊を動員して
四日間にわたり力ずくで鎮圧しました。
指導者七人が死刑にされたほか、多くがつかまり
罰を受け騒動は成功しませんでした。
しかし今はその後の自由民権運動のさきがけの
一つと評価されています。