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自分の力の限界を感じるまで努力したことはありますか
自分の力の限界を感じるまで努力したことはありますか? そんな人は少数なのでしょうか?
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- gouzig
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No.17 gouzigです。 丁寧なお礼コメントを読みました。 「努力不足とか言われるのが気になります?・・・過剰に怯えすぎではないですか?」 →私は怯えるような年齢ではありません。 私が怯えているのではなく、努力を強いる人がとても多いと指摘しているのです。 「回答者様が放ったつもりの矢は全然違うとこに飛んでいってるように思いますよ」 →そのような言い方をしても何の効果もありません。 ただ、 「考えは意外と近いとこにいる気がしますが」 →そうであれば、お互いに喜ばしいですね。 このような問題は、サイトのやりとりでは限界がありますね。 ゆっくりと酒のグラスを傾けながら話し合えれば、すぐに合意するのでしょうね。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
No.14 gouziです。 お礼コメントを読みました。 「例えば仕事で、自分に知識がなくて取引相手にうまく説明できないとき、や、経験の浅い部署に異動になり、でわからないことが多くて会社に迷惑かけたりする問題があったときどうやって解決するのですか? 努力を強いるも何も…何も努力せずに解決できるなら私がやってみたいです」 →お互いに極論になってしまいましたね。 もちろん、その通りですね。 私は何ごとにも努力は必要ないとまでは思っていないのです。 努力信奉の人は何事にも努力に結論をもっていってしまうので困るのです。 人にはそれぞれの得意不得意があります。 ところが、努力信奉の人は何事にも努力に結論をもっていくのです。 学業や仕事などに特に多いのです。 反面、努力信奉の人でも、自分の不得意なことに関しては努力論を持ち出さないのです。 つまり自分勝手なのです。 ですから、努力信奉の人は卑怯だと書いたのです。
お礼
再度お返事いただきありがとうございます。 「私は何ごとにも努力は必要ないとまでは思っていないのです。」→でしょ?私もそう思います。だから「「努力に問題解決を求めていません」→これ言い過ぎではないですか?問題が起きたとき何にも努力しなくていいということになりません?」って書いたんです。 回答者様、ある、ないで答えになかったのはわざとで、実は覚えてるんですか?そんなに「努力不足」とか言われるのが気になります?(いや私言うつもりないですけど)持論に自信があるならそんな小細工せず堂々として何か言われても言い返したらいいのに…。過剰に怯えすぎではないですか? 「ある、ないではなく努力論に一矢を放ったのです。」とのことですが、回答者様が放ったつもりの矢は全然違うとこに飛んでいってるように思いますよ。 「何事にも努力に結論をもっていく」のは私もイヤです。もし他の回答者様へのお礼を読んでもらえたらわかると思うんですけどね…確かに私は回答者様に比べて努力を重視してはいるのでしょうが、考えは意外と近いとこにいる気がしますが。
- pct10968
- ベストアンサー率21% (641/2971)
じじいです。 そりゃあ有りましたよ。 製造業で、ラインに組み込む機械が納期に遅れればペナルティを食らうので、納期に間に合わせるために数日泊まり込みなど幾度となく有りました。 納期直前には、意識が朦朧として倒れながら、それでも頑張り通しましたよ。 自分の限界まで働いたので今思えば、懐かしい思いもあります。 >そんな人は少数なのでしょうか? 職種と、状況に依るでしょうね。 私も、機械部品が指定納期に出来て来ていれば、最後で苦しまなくても済んでいたのですが私には、頑張る事しか出来ませんでした。
お礼
回答いただきありがとうございます。 すごい過酷さですね。従業員をそんなに酷使して従業員が倒れたら結局会社の損害なのに…。でも仕事だったら自分の力の限界がわかってもやめることはできませんよね。 先輩、お疲れ様でした。
- miru328
- ベストアンサー率30% (34/110)
ありますよ。今もそうです。 ちょっと個人的な話で申し訳ないですが、私は子供の頃から病気で悩んでいますが、それは医学的には死に直結するものではないとされているので国や県からなんらかの補助を受けられるものでもなく、それでいて日常を普通に送れるわけでもなく、もうひたすら何を恨んだらいいのかわからず、とにかくお金があればと進学校に進み、将来安定の大学に進み、学費と生活費を捻出するためにバイトバイトの日々。けれど大学のレベルが高すぎた故に勉強漬け。寝る時間も惜しみ生き続けましたが、結果なんにもなれてないのは、結局色々あったにしても努力が足りなかったのかなとも思いますが、10年経った今思っても、あれ以上は出来なかったと思えるくらい努力したと思っています。それを悔やんで人に話した時に、もしくは途中経過を知らない人に、努力したのか?本当に頑張ったのかなんて言われたら、心の底から憎いと思ってしまうほど努力しました。 ただ、やはり自分の限界を越えて努力をし続けた人は少数だと思います。 皆きっと、賢いんですね。 理想や現実、自分や環境を知り、その上で行ける道を選び出すことが出来るのも素晴らしいことかもしれません。
お礼
回答いただきありがとうございます。 大変だったんですね。とかいう言葉で片付けられないくらい過酷だったんですね。 「途中経過を知らない人に、努力したのか?本当に頑張ったのかなんて言われたら、心の底から憎いと思ってしまうほど努力しました。」→よくわかります。しかしこんなこと簡単に言う人がいるのが現状ですよね。 「理想や現実、自分や環境を知り、その上で行ける道を選び出すことが出来るのも素晴らしいことかもしれません。」→そうですね。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
No.10 gouzigです。 丁寧なお礼コメントを読みました。 「持論に自信があるなら胸を張って答えたらよいのに。私は「ない」人を批判するつもりがないのに」 と書いていますね。 しかし、最後に「努力に問題解決を求めていません」→これ言い過ぎではないですか?問題が起きたとき何にも努力しなくていいということになりません?」 と書かれていますね。 やはり、最初の質問で感じた通りでした。 本心は伝統的な努力信奉なのですね。 そういう意図が想像できたので、ある、ないではなく努力論に一矢を放ったのです。 努力は自分の中で行われるものです。 他人が努力をいう場合は、どうしても努力に問題解決をもっていってしまいのです。 つまり、「もっと努力しなさい」となってしまうのです。 努力を強いるということは、とても卑怯なのですよ。 無責任といってもいいかもしれません。
お礼
えーそうですか? 例えば仕事で、自分に知識がなくて取引相手にうまく説明できないとき、や、経験の浅い部署に異動になり、でわからないことが多くて会社に迷惑かけたりする問題があったときどうやって解決するのですか? 努力を強いるも何も…何も努力せずに解決できるなら私がやってみたいです。
- MAROU2678
- ベストアンサー率13% (9/65)
若い頃は空手やって限界以上練習してカラダを壊しました 肉体的なモノは特に素質が有ると思いましたが手遅れでしたね
お礼
回答いただきありがとうございます。 なるほど、肉体的なものは特に素質がものをいうのですか。確かに、私の経験上も、運動より受験勉強の方が努力効率が良かった。自分の経験だけだとわかりませんが、こうして他の人から話を聞くと傾向がわかりますね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
"自分の力の限界を感じるまで努力したことはありますか?" ↑ あります。哀しかったですね。 俺の力はここまでか、と思い知らされました。 でも、直ぐに立ち直りました。 才能のある人の、二倍三倍頑張ればなんとか なるんじゃないのか、と自分に都合のよい解釈を しました。 ”そんな人は少数なのでしょうか?” ↑ 少数だとおもいます。それも極少数。 最近の風潮として、努力もしないで夢を追い続ける てのが増えたように感じます。
お礼
回答いただきありがとうございます。なんと質問にぴったり対応した回答ですね。 よくわかります。悲しいですよね。 2倍3倍頑張ればと言っても実際は1日24時間が限界だから現実的な想定ではないと思います。 「努力もしないで夢を追い続ける」という風潮を感じるのですか。私はわかりませんが、努力してもどうにもならないことが増えた世の中を反映しているのかもしれませんね。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11074/34517)
後々になって「ここが限界だったなあ」ってことに気づくことはあるかもしれませんね。回答者さんの中にも「体を壊した」という方がいますよね。そういう人は、体を壊したときに「ああ、ここが俺の限界だったんだ」って思ったのだと思います。体を壊す前に「ここが限界だな」とは気づかない。壊す前に「ここが限界」と気づく人はひょっとすると「自分で限界を決めている」人かもしれません。 スポーツやってて、「ここが自分の最高記録」なんてその場ではほとんどわからないですよ。テニスの錦織圭選手は今世界ランク5位というすごい位置にいますが、これが最高記録かもしれないし、3位とか、ひょっとすると1位にもなるかもしれない。少なくとも彼自身は1位を目指していると思います。なれなかったら、「ああ、あそこが俺の限界だったんだな」って後から分かるのだと思います。 私も今から思うと、「あんときの俺ァ頑張ってたなァ」って思う時期がありました。限界まで努力したかどうかまではわかりませんが、できる努力の最大値に近かったと思います。でもその最中は「まだまだ俺は上を狙う」と思っていたし、今その時期を思い返しても「無我夢中だったけど、楽しかった」と思い出します。 なぜあそこが限界なのかと思うと、もうあのときほど若くはなくてあんな無理はできないなというのが大きいのと、もう一度ああいうことはできないなと思うからです。例えば新入社員研修をもう一度受けられるかというとちょっともう無理だよなあってのがあるでしょ?あれみたいなものです。
お礼
回答いただきありがとうございます。私は別に自分の力の限界が「その場でわかる」とは言ってませんよ。 質問の回答として、多分、回答者様は「ある」のだと思いますよ。当時できる努力の最大値に近かったと思うほどの努力をし、今は「あそこが限界」だったと思うのですから。 もしかしたら質問のとらえ方が微妙に違っているのかもしれません。(回答者様に限ったことではありません)質問は「自分の力の限界を感じる」まで努力したことがあるかどうかです。限界まで努力したかどうかではありません。 「体を壊す前に「ここが限界だな」とは気づかない。壊す前に「ここが限界」と気づく人はひょっとすると「自分で限界を決めている」人かもしれません。」とありますが、私はそうは思いません。体を壊して伸びなくなってしまうのは結果論からするとおそらく失敗です。挑戦するものにもよりますが、体を治して、今度は体を壊さないように努力して、さらに上に行くこともあり得ます。そんなスポーツ選手いるでしょう?逆に、体を壊さないように気をつけても伸びなくなり、試行錯誤して限界だと判断することもあり得ます。それはケースによると思いますね。
- gouzig
- ベストアンサー率25% (536/2078)
No.4 gouzigです。 「もしよろしければ質問の回答をいただけませんか」 →回答4の内容で類推できると思いました。 「自分の力の限界を感じるまで努力したこと」はあるのかなかったのかは覚えていませんね。 そのどちらでもいいことです。 努力に問題解決を求めていませんので。
お礼
回答いただきありがとうございます。 「覚えていません」ってそんなことがあるんですか! 多分回答者様は「ない」でしょう。「ある」だったら忘れる類のものではないと思いますから。 以下は回答と関係ありませんが、これまでいただいた回答を見ていると、私が思っていた以上に回答者様のおっしゃるとおりだと思いました。「日本では伝統的に努力と忍耐を重んじてきました。」っていうことです。この質問について「ある」人は割とストレートにそう答えています。しかし「ない」人はストレートに「ない」と答えません。代わりにそもそも努力は何たるかと持論を語っています。持論に自信があるなら胸を張って答えたらよいのに。私は「ない」人を批判するつもりがないのに。 「努力に問題解決を求めていません」→これ言い過ぎではないですか?問題が起きたとき何にも努力しなくていいということになりません?
- IXTYS
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こんにちは。 とても意味のある質問です。 私は七十代の男性で、四人の子供を育てました。 子供たちに次のふたつのことを勧めました。 (1) 辞書と仲良くなりなさい。 (2) 試験が三度の飯より好きになりなさい。 残念ながら、どの子も試験が三度の飯よりも好きにはなれませんでした。 私は受験浪人を一年経験して大学に進みました。 この浪人時代に試験が好きになりました。 好きになったと言うより、点数とか順位がまったく気にならなくなったと言う方が当たっています。 そのため、試験勉強に集中出来るようになりました。 気がついたら午前一時になっていた。 そろそろ寝ようか。 こんな調子でした。 限界までやるという人がかわいそう。 そんなことをすれば必ず潰れます。 それより学ぶことが好きになることです。 好きになれば努力することが負担にならなくなるからです。
お礼
「とても意味のある質問です。」→そうですか、ありがとうございます。 努力することが負担にならなくても、人間なので力の限界はあります。この質問は、その限界を感じるまで努力したことがあるかないかという単純な質問です。 もしよろしければ質問に回答していただけないでしょうか。
補足
もしよろしければ質問に回答していただけないでしょうか。まあ、別の回答者様みたいに類推しろと言われればできますが…
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お礼
再度お返事いただきありがとうございます。 失礼な言い方かと思いつつお礼文を書きました。すみません。 回答者様が気にしていらっしゃる質問の経緯?ですが、もともと、「努力したけど結果が出なかった」と話す人に対して「努力不足」「他人は誰にも気づかれないだけでもっと努力してる」「努力のやり方が間違っていただけ」などという人達がいるので、この人達は自分の力を見限るまで努力したことがないのだろうかと思ったのがきっかけです。 最後の一言のような言葉が出てくるところが、さすが人生の先輩だと思いました。