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方言(特に岡山弁)は本当に必要だと思いますか?

こんにちは、今回は皆さまに方言(特に岡山弁)について質問したく投稿いたしました。 これを問いかけた主な理由としましては、私自身が岡山で生まれ育ち、日本国内外の様々な所でも生活した経験から、社会を発展させていく上で方言というものの必要性に大変興味を持ち始めたという経緯があります。 どんな意見でも構いませんので、何かお考えをお持ちの方はご自由にご返答していただければありがたいです。どうぞよろしくお願いします。

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  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.7

まあ現代社会では、ことコミュニケーションに限定すれば、方言はさほど重要では無いかも知れませんが・・。 そもそも方言や外国語など、言語の多様性は、風土などと密接な関係があります。 具体例で言いますと、日本語で一括りに「白(しろ)」と言う色でも、エスキモーは何通りもの表現があるそうです。 アラスカなどは白銀の世界ですから、「アッチの白いとこに白クマがいる!」なんて伝えても、危険は伝わりませんからね。 従い、日本語より多くの白を表現する必要性があるワケですが、日本の方言も、基本的には、その風土に適した発音,発生とか、表現になっていると考えられます。 それと「認識」「識別」の機能でしょうね。 現代社会でも、地元以外の地域で、地元の方言などを耳にすれば、瞬時に「同郷である」と認識が出来たり、親近感を覚える場合もあるかと思います。 実際にも戦国時代のスパイの識別方法などに、方言は利用されたそうですが、現在はさすがに他地域の方言を「敵」と認識する必要性は低いものの、仲間意識の形成とか、あるいは旅行などに際し、「他地域を訪れた」と言う認識を高めるなどに、一役買っているとは思いますよ。 一方で、日本では標準語とか、もっとダイナミックなエスペラント語みたいな、世界共通語なども取り組んではいますが、あまり流行ってませんしね。 人間が万物の霊長にまで進化した理由は、地球上の生物の中で、最も多様性に富み、それを好む生物であることも理由として挙げられます。 言い換えれば、画一的を嫌うワケで、たとえ「方言禁止!」なんて言う法律を作ったところで、本能的に受け入れられず、方言は生き残ると思いますよ。 「放送禁止用語」みたいな言葉狩りをやっても、水面下じゃしぶとく生き残ってますし。

Japarise777
質問者

お礼

key00001さん、ご丁寧にコメントありがとうございました。様々な視点から方言について説明していただき、とても勉強になりました。また別の機会にもご協力頂ければ、大変ありがたい次第であります。

その他の回答 (6)

  • Kon1701
  • ベストアンサー率24% (1445/5856)
回答No.6

方言は文化の一つだと思います。文化ですから、地域性があるものです。そして、その土地と深いつながりがあるものと思っています。その土地の特徴を知る上でも重要だと考えます。大阪の言葉は大阪であってこそのものだと思いますし、京都の言葉も京らしいですね。 そういう意味では必要となるでしょうね。

Japarise777
質問者

お礼

Kon1701さん、コメントありがとうございます。確かに方言には文化的な側面が大きな割合を占めているでしょうね。自分も個人的に大阪や京都の方々とお会いして、自分達の方言を強く誇りに思っている方が多いなという印象を受けました。

  • oo14
  • ベストアンサー率22% (1770/7943)
回答No.5

兵庫から岡山に行くときみんなからアドバイスを受けましたよ。 語尾を変えただけで、それらしく聞こえるから、心配しなくても大丈夫とかね。 たしかに広島弁とは違いますしね。 だだ、北海道では通じませんね。大阪弁には理解があっても。 岡山弁は好きですよ。残すべきと思います。

Japarise777
質問者

お礼

oo14さん、コメントありがとうございます。なるほど、そういう考え方もあるのですね。

  • plokij75
  • ベストアンサー率45% (716/1567)
回答No.4

学校教育やTVや新聞等で使われている標準語?ないしは共通語?でコミュニケション出来るでしょうから、方言が無くても生きて行く上では、支障はないでしょう。 でも、方言には、その地方に居ないと、或は、行ってみないとその言葉のニュアンスを理解出来ない言葉もあるのではないかと思います。 岡山弁は知らないですが、北海道の方言で、「しばれる」という言葉があります。 辞書で見ると、「きびしく冷え込む。また、凍る。」と載っています。 しかし、北海道で、「今日は、しばれるね。」と言う人の寒さの感覚としては、辞書に書いてある意味以上のものがあると思います。 空気が乾燥して、零下10度とか、零下20度と言うような気温の中で感じる寒さは、実感した人でなければ分らないのではないかと思います。 そうであれば、各地方に住む人が、その土地の気候や文化、歴史的伝統の中で経験して来た独特なものを言葉で表現する時に、標準語?ないしは共通語?では表現できないニュアンスを表現するための方言があっても良いでしょうし、その地方で生活している時には、必要であるとも言えるのではないでしょうか。 東京にも、江戸弁というのか、江戸っ子の流れをくむ人の中には、言葉や発音等に特徴のある人もいますよ。

Japarise777
質問者

お礼

plokij75さん、コメントありがとうございます。なるほど、北海道にはそんな方言があるんですね。興味深いです(^◇^)

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.3

>社会を発展させていく上で方言というものの必要性に その繋がりがよく分からん 社会の発展て何だろう? 経済が豊かになる? それとも、国際化? 或いは、文明開花? まぁこの様なモノに関しては必要ないだろう それと、要る要らない、伝える伝えない、というのは別の次元の話だろうから 昔からある地元の言葉って、標準語で言い表せない微妙なニュアンスがあったりするんだよなぁ

Japarise777
質問者

お礼

trajaaさん、コメントありがとうございます。確かに岡山弁を含めた方言には独特のニュアンスがありますね。ちなみに自分が考える社会の発展を言い換えると、人々が様々な方面(経済、精神、健康、文化など)で総合的により幸せになるということです。

  • tsumiwara
  • ベストアンサー率32% (88/271)
回答No.2

岡山に生まれ育ち、今は沖縄に住んでいます。 方言はコンプレックスで、東京に出てからは必死に直そうとしましたが、授業中に「先生」と言っただけで笑われてしまう始末です。 静岡からの方も結構なまっていたのに、笑われたのは私だけです。 逆に岡山に就職してからは、何で岡山弁使わんのみたいなプレッシャーを少し感じました。 アナウンサーのお子さんは子供の頃から標準語を使わされ、回りから距離を置かれていました。 やはりつきたい職業によって直すか直さないか決めなければなりません。 沖縄の職場でうっかり家族と電話するとやはり笑われてしまいます。 今はウケたと思うようにしています^^)。

Japarise777
質問者

お礼

tsumiwaraさん、お返事ありがとうございました。確かにどこに住んでいるかやどんな仕事をしているかによって話し方を変える必要はあるかもしれませんね。かく言う自分も、岡山を離れていた時はほとんど共通語で話していましたが、岡山に戻って来てからはある程度岡山弁も話す様になりました。

  • 1564oen
  • ベストアンサー率22% (21/92)
回答No.1

いるかいらんかといわれれば、イランといってもなくなる物じゃないから。 日本が藩に分かれて県になってはや数百年、そのまえから脈々と受け継いできたものですから 県の人間がほぼよそ者でもならない限り人から人への口伝いの言語は 要らなくてもなくなることはありません。絵の具を水で溶かすように薄くなっていくことはあっても まっさらの水にはなりません。 そのときには貴方の生まれ故郷はほとんど外人の住処となっているでしょう。

Japarise777
質問者

お礼

1564oenさん、お返事ありがとうございます。なるほど確かにそうかもしれませんね。

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