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人間関係での素敵な話ってありますか?。
生まれてこの方、人間関係といえば足の引っ張り合いや欲のぶつかり合い、いがみ合いなどの「負の感情」うずめく構図しか体験きませんでした。 テレビなどで人間関係での「心温まるいい話」みたいのが取り上げられていますが、本当にそんな事あるんでしょうか?。 あなたが体験した実話を教えてください。
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高校3年生のとき。 お受験でした。進学校だったので、 友達もみんな お受験モードでした。 私もお受験なフリをしていました。 実際大学に受かっても 通えるだけの学費がないこと そのときの 模擬試験のお金すらないこと 奨学金ではどうにかならないこと 色々考えると 進学は無理だとおもっていました。 夏休み以降、模試も受けなくなりました 先生に呼び出されて 理由を聞かれても 恥ずかしくて 言いたくありませんでした。 年も明け、いよいよ受験本番となったころ 受験も辞めようと思っていました 1年くらい本気で働いて、学費を貯めて それからなにかしたい事をしようと 自分なりに考えていました。 ところが。。 嘘のような本当の話、 クラスの担任の先生が、「出世払いやで。お前に融資するから」 とたった一言 受験料を渡されました。 涙が出るくらい、うれしかったです。 ちょっといい話でしょ(笑)
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- freallow
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僕もそう思った時期もありました。でも、そんなことないですよ。僕の体験談は、ぼくが彼女に振られたときのことです。まぁよりはもどったんですがね。 そのとき僕はまさに頭が真っ白でした。それまで親友と思ってはいてもどこか疑いをもっていました。もしかしたら自分がそう思ってるだけじゃないかと。でも、友達に電話で話しているうちに感情が抑えられなくなって、男泣きしてしまいました。友達はみな、泣いている僕をひたすらなだめてくれました。ふだんならいえないようなことも離してくれました。夜中だというのにとても真剣に話してくれて感動しました。そのあと彼女とよりが戻ったときのことなんですが、友達にその報告をしたんです。そしたら突然その友達の彼女が電話に出て、「○○は、○○さん(僕)の話を聞いてから、なんて言って元気付けてあげればいいのかって一晩中泣いていたんです。そんないい友達がいるんだから自信をもってください。」と言われました。正直今まで疑っていた自分が恥ずかしくなりました。
- kuropon
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自分が豊かでないことと、その状況から抜け出す勇気もなかったため、人を信用したり、どうしても差引勘定がぬぐえなかったりした人生を歩みました。 環境を自分の力でどうしようもないと思い込んでいましたが、今は自分で自分の人生を作っています。 過去のしがらみや、金や物が渦まく、心の介在しない環境に生まれながらにいて、、それが世の中のすべてだと思ってました。 外にでて、様々な人に心を開くことをしり、どのようなところにどのようなすばらしい人間がいるということも知りました。 幸せが寄ってくるものだと甘えていました。 今思えば自分が豊かでない時に、どんな幸せの話を聞いても、実感ではないのだなと思えます。 自分の力で、食事を出来ない、歩けない、生きる事がままならない人が沢山いることをしり、自分の悩みが恥ずかしくなりました。 己など「クソ」だと思うと同時に、逆境が現在の自分を作ってくれたことに感謝さえ覚え、金や物や名声を持っていても心や愛をしらない人間に哀れみさえ感じます。 これから自分は幸せになります。他人を幸せにするなんて大それたことはありませんが、自分を見た他人が、家族が、子供が、何かを感じ自分を一つでも豊かにしているんならば私の自己満足でそれはそれで私の幸せなのだなと思います。 人生は不公平だと思ってましたが、 それが案外、変われた自分を思ったり、何かに気づける自分になれただけで、そうでもないんだなぁーと思います。 くだらん環境や、人間など、相手にしない、振り返らない、問題にしない、血で血を争わない、居場所探しと自分の幸せを見つければ、プラスエネルギーにあふれた人生や人脈や運がほんのちょっとでも近づくと思います。 あなたが、病気だっり、生まれながらのハンデももっていたり、自分ではどうしようも出来ない状況の方でしたら、ごめんなさい。 私の奢りを文字にしてごめんなさい。 挫折や不運を知らない幸せな人間がいたとしたら 私のような楽観的な人間がいたとしたら、 あなたの状況などツユほども知らないから、 わからないから、 こんな幸せがあって、あなたも頑張ったらなんて 言いません。 「ノーテンキなヤツ」だなーと、参考程度に。
- Harley-1999
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こんにちわ。 人間関係とは、ちょっと違うかもしれませんが・・・。 私が中学生だった時、学校で挨拶運動が盛んで、登校中もすれ違う人に挨拶をしていました。 その中に、ほぼ毎日すれ違うおじちゃんがいたんですけど、いつもしかめっ面で、挨拶しても目もあわせずとおりすぎる人がいました。 友達と2人で登校していたので、毎日凝りもせず、そのおじちゃんに2人で挨拶していたんです。 子供ですから、ブスッとしていかれても、次の朝には忘れてまた挨拶しちゃってたんですね。 ある日、そのおじちゃんに挨拶をしたら、ニコッと照れくさそうに笑ってくれました。 嬉しかったです。 何日かはニコッが続いて、ある日、『アアアア』って言葉にならない挨拶を返してくれました。 その時に、話せない人なんだなって思ったんです。 だから、最初はブスっとしてたんだな・・・って。挨拶を返してもらって、本当に嬉しかったのを覚えています。 そして、しばらくおじちゃんを見ない日が続き、ちょっと心配をしていました。 1週間くらいたって、おじちゃんに会うと、おじちゃんは嬉しそうに私達を呼び止めて、お土産と手紙をくれました。 『僕は知っているとおもうけど、言葉が話せません。でも、毎日挨拶をしてくれて、本当に嬉しかったし、毎日元気をもらいました。これは、友達の所へ旅行へ行ったお土産です。みんなで食べてください。』 というようなことが書かれていて、友達と泣きながら登校しました。 当然、お菓子をもって登校した私達は、先生に怒られ没収されましたが、手紙はしばらく大切に持っていました。 たかが挨拶だけでも、これほどまでに人間関係が築けるのだと、今でもその感動は忘れません。 だから、どんな人でも挨拶だけは欠かしません。 長くなってしまいましたが、負の構図ばかりではありませんし、今でも人に感謝をすることは書ききれないほどあります。 悲しいことや、辛いことも多いですが、人生はそんなことばかりじゃありませんよ♪
- pandaco
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おはようございます。 私が体験したわけではないのですが、私の伯母さんのお話なんですが。 伯母さん(70過ぎ)の旦那さんは年をとってからは、一週間で3、4日家で過ごしたら、残りは病院で過ごす(家の人の負担にならないように)と言う生活をしていて、その頃伯母はまだ70前くらいだと思うのですが、旦那さんが家で過ごす時は、夫婦水入らずあまり人の手は借りず、看病していたある日の夜、旦那さんが奥さんである伯母に向かって「母ちゃんが神様に見えるよ・・・。」と言って静かに永遠の眠りについたそうです。 お葬式の後、少し照れくさそうに教えてくれた伯母を見て、2人共本当に幸せだったんだなと思えました。 なんか文章が下手であの時の感動(?心が温かくなる気持ち)があんまり表せなかったような・・・。
- anjash
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とにかく、父がヒス起こさない家庭って、奇跡に思いますね。 我が家は、セメント・鍬・チェーンソーなど、殺人死体遺棄用品が一式揃っていたんで、「父にか○わにされません様に!!」って、けっこう毎日、祈りながらの生活だったんで。 祖母が宗教家じゃない家庭にも憧れます。奇跡だ!! 親戚が沢口靖子や西島秀俊がいたらうれしいな。
- Chap-nap
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こんにちは。 とても、素敵な疑問だと思います。 テレビの心温まる話は、原作者や脚本家の理想や幻想から来るモノですよね。ドキュメンタリーなら、共感する人が、それを必死に集めて、発信しているのではないではないでしょうか…。それは、多分ポンコポンコさんの「いいなあ」と感じるものと同じ心理ではないでしょうか?私も良く思います。こんな人間関係、築けたらいいなあって。テレビででてくるそういう素敵な話は「自分は本当はこうありたいんだ」という集大成で、実際それがあるかないかは誰もわかりませんよね、、、、。ポンコポンコさんと同じモノを望んでいる人が、テレビを通じて、「みんな、こうありたいよね!」って、言っているんですよね、きっと。 私もテレビからとてもいい話を受信すると、それに憧れたり共感したりします。でも、じゃあそれが実際にあるかな?と思った時に、それを創り出すのはポンコポンコさん自身なんじゃないでしょうか? 「こうありたい」と思う人が、実際たくさんいる訳ですから、きっとそれは現実でも実現出来ますよ(^^)。
- kanakyu-
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こんにちは。 もしかしたら当たり前に思えるかもしれないけど、こんなことでもいいですか。 私の旦那は、あたたかい普通の家庭に育ちました。父と母はけんかすることはあっても仲が良く、生活は人並みに恵まれており、彼は、不自由なく育ち、学校も出してもらえ、子供のときは自分のこと以外何も心配する必要はありませんでした。 これ、荒んだ環境で育った私にすれば、涙が止まりません。私にとって、この世で一番心温まる、私の欲する平和な家庭像です。