※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:嘘牧師・・・慰安婦を騙る!カメラマンの写真なし証言)
嘘牧師が慰安婦を騙る!写真なし証言
このQ&Aのポイント
満州日本軍討伐隊カメラマンキム・ジェフンが慰安婦強制動員を証言
当時少女たちを乗せた軍用トラックが軍中に入る様子や、少女たちが恐怖でいっぱいで一日に40~50人の男性と関わっていたことを証言
アンジェラ・イがキムの証言を真実究明の資料として使用する予定
嘘牧師・・・慰安婦を騙る!カメラマンの写真なし証言
■満州日本軍討伐隊カメラマン出身のキム・ジェフンが慰安婦強制動員の実状を証言
“일제 위안소 참상, 지금도 눈에 생생”
http://www.koreatimes.com/article/890418
以下本文抜粋
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「今でも目に鮮やかです、朝鮮の幼い少女たちが苦痛の中に引きずられて行ったその場面です」
今年103才になった老翁は残酷だった日帝強制支配期を回想して歯ぎしりした。満州で日帝の蛮行が極に達した1930年代、日本軍のカメラマンとして現場をかけ回ったキム・ジェフン(仮名)は80年近く抱えてきた惨状を慎重に語り出した。
日本軍のために仕事をした過去の悔恨がまだ残っているとして身分を明らかにすることは避けた。12日、LAコリアタウンのあるカフェで会ったキムの証言は日本軍慰安婦真実究明と被害者助け合いに乗り出している‘蝶々USA LA’(会長:アンジェラ・イ)が後援者を通じて1年余り説得して可能になった。イも日本が慰安婦問題について歴史の前に偽りで一貫する姿勢をこれ以上見ていられないという考えで証言に臨んだ。
咸鏡南道(ハムギョンナムド)甲山の故郷からロサンゼルスに移住した引退牧師のキム氏は24才だった1935年当時、満州延辺図們(ともん)地域独島(ドクト、日本名:竹島)守備隊と呼ばれた日本軍討伐隊のカメラマンとして1年間働きながら現場で目撃したすべてを記憶している。
キムは「今は慰安婦という単語それ自体、変えられている。その当時は挺身隊、すなわち日本軍に身を捧げるものと呼ばれた」として「その当時、少女たちを乗せた軍用トラックは1カ月に4度、すなわち一週間に一度の割合で軍中に入った」と伝えた。
キム牧師は「討伐隊が討伐した後、いつも軍用トラックに20~30人余りの女の子たちが軍の中に入った。この中には15才の幼い少女たちもいたし、みな未婚の女の子たちだった。彼女たちは全部韓服を着ていたが派手ではなくあどけない田舎少女たちだった」と話した。引き続き「この少女たちは笑顔が全くなく恐怖でいっぱいで、下着をつけずに一枚のスカートだけ着て一日に40~50人余りの男性を相手にしてきた」と証言した。
キムはまた、当時、日本軍討伐隊が慰安婦動員はもちろん住民たちを対象にした放火、略奪もはばからなかったと伝えた。これは本当に涙なしでは見られない胸が痛む場面と話したキムは「強制的に連れられてきたことは明らかで、実際に見て体験した人々がいるのに真実を隠そうとしてはいけない」として「日本政府は真実を明らかにし被害者らに対する謝罪とともに補償をしなければならない」と強調した。
彼は「もうこれ以上このような人権じゅうりんが発生しないよう真実を究明しなければならない」として「私だけでなくその当時を証言できる人々が今はとても年を取り、正義を求める若い人々が最後までこの問題の真実が明らかになる時まで闘争するよう丁寧にお願いするばかり」と付け加えた。
一方蝶々USA LAはキムの証言を入れた映像を韓国挺身隊問題対策協議会と連帯して真実を究明する資料として使う予定だ。
<パク・ジュヨン記者>
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(1)そもそも従軍カメラマンは新聞社社員であり、軍人ではない。
(2)カメラマンというわりには、写真1枚の証拠もない。
(3)日本軍のために仕事をした・・・何の?
(4)満州に当時”満州延辺図們地域独島守備隊”なる奇妙な日本軍部隊は存在しない。
そもそも何から竹島を守るのか?しかもなんで独島?
(5)1935年に!とあるが、日中戦争勃発の盧溝橋事件が起きたのが1937年で。まだ慰安婦自体要請されていない。要請したのは北平戦線からの話。
(6)しかもアメリカに移住したのは1936年のこと。
(7)女子挺身隊を慰安婦だと捏造したのは、朝日新聞の植村記者の捏造。元々慰安婦。
(8)住民たちを対象にした放火、略奪もはばからなかった・・・当時朝鮮は”日本”なのでそんなことしません。
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どうでもいいですが、なんで103歳の認知症の爺さんまで出して、こんな嘘を捏造するのでしょうか?
この年で金目当てですかね?
お礼
ほんと・・・でも、これがアメリカなんですね。 回答ど~も