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教える必要のある道徳とは何ですか
学校に道徳の時間があり、2018年から道徳が教科になる見通しですが、教える必要のある道徳とは、具体的にどんなことであるべきですか。
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- hey_hey_11
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貴方の言っていることは全て屁理屈。 道徳の時間が無駄と言いたのかね。 所詮、ここで文句を言っても何もできないし、何もかわらない。
- hey_hey_11
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マナーと思いやりでしょう。 善と悪をきちんと理解させ、判断できるようにすることでしょう。
お礼
回答ありがとうございます。 マナーは国によって違います 西洋では食器を持たないマナーがあるし、 タイでは頭をなでてはいけないマナーがある。 東アフリカでは挨拶で唾をかけるマナーがあります。 そのような一派の知識を、学校で教える必要はありません。 道徳で善と悪を理解させることはできません。 善と悪の考えは、時代や国や人によって違います。 笑いながら詐欺をしたりレイプをしたりするのは、人によって良心が違うからです。 hey_hey_11さん、個人などの善と悪は、個性的なものなんですよ。
- jawoon
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人の道とも申しましょうか。 今の時代、個性重視で価値観の多様化、それに伴い 常識というのも人によってマチマチです。 これはとても良くないですね。 善悪の分別もしかり。 やはり基本となる方向は、しっかりと 統一すべきです。その辺りを道徳という教科で 指導して欲しいものです。 愛国心というのも大事だと私は思っています。
お礼
回答ありがとうございます。 常識とは一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。と辞書にありました。 常識は、人に共通、あるいは人がもつべきものなので、マチマチではありません。 善悪とは、小集団や、省庁の人間、一人の人間などで、決めれません。 善悪を決めるのは、より多くの人間です。 善悪を勉強したいなら、法律を勉強すればよいのです。 少数の人間が、善悪を道徳の教科書に載せるなどといったことは、宗教行為です。 このうえなく大切なものを守る時、人は自分を犠牲にしてでも、その大切なものを守ります。 従って、愛国心を強要する人は、人に自殺する心も強要しています。 愛とは心の動きであり、それは個人の自由であるべきです。
お礼
回答ありがとうございます。 法律の罪などにあたるわけでもないのに、家庭や学校あるいは職場で、「問題をかかえた個人」を法律を犯した場合同様に、強い調子で批判するのは、いじめです。 いじめとは、肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめることです。 問題をかかえた個人が自殺するのは、「苦しい」からです。 だから、個人の行動をしばる場合も、強い批判を行う場合も、「法律を犯す場合に限定」するのは、当然です。 道徳とは、人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすためのルール全体です。 憲法19条に思想・良心の自由とありますが、良心とは善悪を判断する心です。 従って、道徳を強制できませんし、守らない人を批判するのは間違っています。 だから、健康も安全も物や金銭を大切にすることも、身の回りを整えることも、わがままも、規則正しい生活も、個人の自由です。 しかし、文部科学省の道徳の学習指導要領に「健康や安全に気を付け,物や金銭を大切にし,身の回りを整え,わがままをしないで,規則正しい生活をする。」などとあります。 要するに、文部科学省は間違っているということです。 hey_hey_11さん、屁理屈とは筋道の通らない理屈のことです。 道徳で、マナーなどを教える必要がない理由は、No2で順序に明快に書かれています。 屁理屈とは、他人に「全て屁理屈」などといっておいて、説明が通っていない場合などに使います。 マナーが一派の知識であるというのは、屁理屈ではなく事実です。 道徳の時間は、無駄というよりいじめの原因となる、害悪です。 できるとか変わるかではなく、質問しているのです。