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最近辛いことはありましたか・・・・
こんにちは。 最近辛いことはありましたか・・・ 私のことで言えば一昨日、一葉の葉書をいただき、 んッと、裏面を眺めれば今までは友人の名前であったはずが、 奥様の名前に変わっておりました・・・。 文面は読むまでもありません、 私はまた一人友を亡くしたのです。 昨日は高倉健さんの訃報・・・これもまた私には辛いことでした。 大袈裟な言い様に聞こえるかも知れませんが、 私の青春と高倉健と言う俳優は切り離すことが出来ませんでしたし。 最近の辛かったこと、 併せで高倉健と言う役者の思い出でもありましたら・・・
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こんにちは^^ 高倉健さんの訃報には、驚きました。 とても残念、という思いで一杯です。 高倉健さんの出演なさった映画で、 ほんとうにたくさん有りますでしょうが、私は、 「遥かなる山の呼び声」が、とても好きです。 こちらも倍賞千恵子さんとの共演でしたね。 高倉さんと、倍賞さんの演じる「お二人」は、どれも とても魅力的な雰囲気でしたね。 中でも、「遥かなる~」が何故か、私には、 胸に残る男女の姿でした。 相手に対する誠意というものが、美しく描かれていました。 最後の方で、高倉さんが移送される列車に、倍賞さんが来るシーンでも 気持ちが温まる思いでした。 私自身、映画好きな事もあり、 古い邦画や、任侠なども好きで、子供の時分から興味を持って見ていました。 いくつか見た映画の、少ない場面でしか「高倉健」さんを知りませんので、 語れるような身分でも有りませんが、 素敵な俳優さんが、また一人遠くにいってしまったという残念な気持ちであります。 最後になってしまいましたが、ご質問の、最近辛かった事。 私の古くからの友人が、去年、高倉さんと同じ病気になりました。 今年の初めまで治療に専念していましたが、 現在は、職場に復帰いたしました。 本人は、「あとは再発しない事を祈るだけ」と言っています。 病気を知った時、闘病中の友人に会った時、とても辛かったです。 また、 何もしてあげられず、ただ遠くから見ているだけしか出来なかったのも辛かったです。 食事制限などしている姿も、見ていて辛く、 せめてもの思いで、友人の治療中に、 私もコッソリと大好きな甘い物を絶って、願をかけていました。 このまま、元気になってくれると嬉しいのですが・・・。
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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#2 いえいえ、お気遣いありがとうございます 今年の風邪はうっとうしいそうです オヤジに「鼻うがいしなよ」っていわれてやったけど変わらず さて、また寝ます おやすみなさいzzzZZZ
お礼
こんばんは。 大丈夫? 横になってね体を楽にすること・・・ 分かった?
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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夫の事故による障害(治る可能性のない病気)・・・高齢ではありません。 少し前になりますが、一人息子が死亡 仲の良かった従兄弟の急死 従兄弟はかつて甲子園球児でした。滅多に会わない人なのに 死ぬ1ヶ月前に偶然街で会い3時間ほど話しました。 その後 急に入院し 3回見舞いに行き 久しぶりにあった時から、1ヶ月後に帰らぬ人となりました。 波乱万丈の私の人生は まだまだ続きそうです。
お礼
こんばんは。 どうもお礼が遅くなり申し訳ありません・ 直接お話するのは初めてでしょうか・・・? 以前、お話したようにも思うのですが、最近は記憶がもう・・・ ただ、先日のisokenさんへの回答は良く覚えております。 私は言葉もありません・・・・ 辛い想いをされた。 軽々に慰めのことを言えることでもありません。 はて?私も何を言えば良いものか・・・? 一つ言えば私の好きな言葉に「明けぬ夜はない」 どうぞ頑張ってくださいな! お名前記憶しました・・・・ またお話しましょう、本当にありがとうございました。
- isoken
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kamejrou さん、こんにちは。 ところで先日の件に関しては、大変申し訳なく思っております。 実は Marennes さんから賜ったアドバイスに従い、運営サイドに回答復活の御願いをしましたが、大変残念ながら却下という返答でした。 但し決して紋切型且つ木で鼻を括ったという訳ではなく、その文章を拝見する限り熟慮・推敲頂いた末での判断という印象でして、まあ仰る通りルールは尊重せねばならないし、ジャッジメントには従わねばならない。 貴兄に気安くさせて頂いたあまり、脱線気味の回答・お礼が常態化するに至った殆ど全ての責任を感じる私にとっては大いなる反省材料でありまして、これに懲りずにまたお付き合い願いたいと存じます。 さてタクシーのラジオで聞いた 「 健さん逝く 」 の一報、その刹那は何だか現実とは思えず、こみ上げて来る悲しみも無かったというのが正直なところ。 ところがその何分か後に通り掛かった築地にて、タクシーのウインドウ越しに偶然加山雄三さんを御見掛けして ( 恐らく TV のグルメ番組の一コマだったのでしょうが ) 、ああ往年の若大将・この人も歳を取ったなぁと・・、確か 「 八甲田山 」 で健さんとで共演していたはず・・、そう思うと何故か無性に・・。 思えば場末の映画館のオールナイトで痺れた 「 死んで貰います 」、そして花田秀次郎に魅せられた中坊時代から既に40年、 リアルタイムで 「 網走番外地 」 そして 「 昭和残侠伝 」 シリーズに間に合わなかったという忸怩たる思いはあるのですが、それこそ私にとっては永遠の憧れであり且つ別格の存在でした。 ただ本音を申し上げると、「 鉄道員 ( ぽっぽや ) 」を含むそれ以降の作品は私にとっては正直付け足しというかつまらなかった、「 健さん!、貴方が主役を張ってなければ多分観ていないでしょう。 」 北国4部作とでもいうべき 「 幸せの黄色いハンカチ 」 「 駅 」 「 居酒屋兆治 」 「 夜叉 」 が私にとっての高倉健最後の輝き、無論映画の素人が感じた率直な感想でありまして、評論家諸氏に於ける評価はまた異なるのでしょうが・・。 その一方で女性にモテた映画俳優はそれこそ山ほどいた事でしょう、ただ同性からの熱烈支持となればこの人をおいて他にない、そう考えます。 正直高倉健がいない日本映画界には最早何の興味も無い、今後映画館に出掛ける事は恐らくないでしょう、ただただ思い出のスクリーンに縋るのみかも知れません。 ところで浅草・今戸橋にはお出掛けになりましたでしょうか? うろ覚えでしたので、或いは位置関係が誤りではなかったか、気になっておりました。 では・・。
お礼
こんにちはisokenさん。 別にあなたが謝ることではない。 ただこの度私が分かったことは若い会社で若い人の集まりと言うこと・・・ 人から指摘されて簡単に判断を変える・・・・ ここの社長と言う人が私に聞いてくださいと言ってるようですから、 その内に聞いてやりましょうと思っている・・・ お宅の社員は「惻隠の情」と言う言葉の意味すら分からぬ若造ばかりかと(笑) さてお話しましょう。 先日、isokenさんと黒縁の葉書の話しをしましたが、 私が消えた魔球の話しを日でしたから月曜日? よもまさかと思いながら、まことに暗澹たる思い・・・ それに健さんの訃報が重なる・・・ ソファに横になり鬱々としておりましたが、少し話でもしてみようか・・・? 健さん、 私にmarcさんと言うお知り合いがいる。 彼がこう言う。 「日本人としての彼に献杯!」 なるほど、これこそが健さんを送る言葉にふさわしい。 その同じ回答欄でこんなことを言われる人もいた。 「自分は映画俳優であります」 健さん何処かで言ったらしい・・・・ 回答者の彼は、何故そんなことを言う? 皆、評価しているのに・・・それがマイナスポイント! 彼はなんにも知らない。 出雲阿国の昔から、この役者と言うものは下卑た人なのです。 江戸に入ってからも「河原乞食」と言われた・・・ 健さんはね、こう言ったのです。 自分はこんな卑しい職業で飯を食ってるつまらない人間ですと・・・ 何やら少し熱く語りましたかね(笑) 「今戸橋」の話しはまたいずれ・・・
- hazar
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kamejrou 様 こんばんは … 一昨日は、白山のお寺で 母の一周忌に お経を上げて いただいておりました … … そして昨日、役員が目の前を通り掛かられた際、上司が夕刊を手渡され、あっ と 言われたのに 目を上げると、見つめられていたのは、健 さん の訃報でした … 健 さん は 健 さん としか お呼びすることが できません … 寅 さん も そうでした … kamejrou 様 のこと、そして marc 様 の ことが 思い浮かびました … 親と同じで、同じ時、同じ処で、同じ苦難を、その大きな背で 後に続く 者を 庇いながら 進んで行かれた御姿は、いつまでも 我慢強く 自らの痛みや 悲しみは 一言も 洩らされず、人の為に 憤り 涙を 暗い暗い瞳の蔭に隠し、また 破顔一笑されて、決して もう 居なく ならてしまう ことなど ないのだと … 辛いのは きっと亡くなられた方のほうで、その想像を絶する 寂滅への道すじに、思い出と 生命と 後に遺す者を思う 気持ちが はらはらと 散り敷いていき … 自分が ここから ふいに 姿を消したようになった 昨年の初め、後で 読み返させていただきますと ほんとうに あちこちで turukamejirou 様 が 私の身を気遣われ、不安に御身をさいなまれるように されて 親しい皆様に御声をかけていただき、ご心配戴いたことが、本当に ありがたく、支えと なり、今日に 至っており … これからもずっと 支えられて参ることかと 存じます … 母にも ずっと 心配をかけ、母の病気がわかった夜、母がそれでも笑顔で言ったのは、あなたの幸せを 見届け たかった … 幸せだよ、お母さんが 元気で ずっと一緒にいられたら … 馬鹿野郎、ありがとう、 ごめんなさい、だろ … 毎日 朝晩 線香を上げるとき、遅きに失した それしか 言うことが できません … 健 さん の 思い出ですが、 『八甲田山』 です … 忘れられぬ 御話を 伺いました … … どうか くれぐれも お身体をおいたわりになられつつ、また、ごゆるりと お話をお聴かせください … ほんとうに いつも どうも ありがとうございます
お礼
こんにちはhazarさん。 ああ、そう。 お母様の一周忌無事に終わられた・・・ 私はね、少し気になっておりました。 別に毎日とは言わない・・・ 月に一度でも仏壇に向かいお母様と話しをしてくださいな。 私は月に一度、家内を後ろに座らせて「般若心経」を唱える・・・ 母親と父親と家内の両親と話をする。 何やら最近はそのせいか、夢にまで出る・・・ 早くこっちに来いと言われているような(笑) そう言うお母さんの言葉、止めてくれません・・・ 私は直ぐこうして泣く・・・・ 「八甲田山」? 私ねぇ、もう随分昔だけど十和田を旅した時に、 ホテルに生き残った方々の写真が展示されてあってまあ悲惨なものでしたよ。 映画を観てから新田次郎さんの原作を読んだのかな? 月に一度と言いましたが、 お母さんとは毎日お話するように・・・ 話すことは何でもいい、 私は毎日そうしている。 またお話しましょう。 ありがとうございました。
ふたたび、こんにちは(^-^) お礼、ありがとうございました。 時間がなくて書けなかった 高倉健さんのことを・・。 他の方の質問への回答でも書いたのですが、 私が高倉健さんの映画をはじめて観たのは 高校生のとき、体育館で授業の一環としてでした。 ずっと健さんみたいな 無口で、男気のある人と 結婚したいなぁって思っていました。 多感な?頃に観た映画の影響は大きいですねぇ。 質問者様、元気を出してくださいね。 (余計なことかもしれませんけど・・)
お礼
こんにちはcoffee-beanさん。 お礼が遅れまして、最近はどうもいけない・・・ 質問をしなければ良いようなものですが、 何やらこう誰かと話したくなる・・・・ それでこうして、あなたを始め話していると、 鬱々とした気分が少しは晴れる・・・・ はい。 ありがとうございます。 余計なことではありません。 また普段に戻れるかな? 何とはなしに質問してみましたが嬉しく思っております・・・ 本当にありがとうございました・・・また。 これから寒さも本番です。 健康には十分気をつけられて・・・。
- からあげ ミームン(@marc2bolanti)
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今日は。 アデルさんも、有難う御座います。 健さんの任侠映画、その切込み場面は祭禮! なのだと思い当たりました。それも血祭り。古来より供儀には血の犠牲が付き物、滾る血の喧嘩祭り。 「侠客伝, 血斗,神田祭り」と云うのも御座いました。都会では参加する機会が殆ど無い祭。映画館から出て来た客が肩で風を切ってた、というのも幾分 高揚してたからでしょう? 例の小説東映,によると、愁いのあった,鶴田浩二さんから 健さんにチェンジした,岡田茂はそのヤサグレ度に掛けたんだ、との事。しかし陰りは無い。炭坑夫の息子であり、戦後の焼跡,闇市から高度経済成長に向かった日本の象徴。 時代のアイコン、背中の唐獅子牡丹は聖痕ですね。 左右両翼から支持されたと聞いてます。だから東大駒場闘争のポスタアにも成った。その事を熟知してた三島由紀夫は「天皇とさえ言ってくれれば君達を支持する!」と。左右どちらでも良かったのですね。 健さんは,長嶋茂雄さんと良く食事されたそうですが、この御二方を措いて昭和は語れませんね。其処に三島は入れなかった。望んでも択ばれてないのですから。其れが彼の悲劇だったのでしょう。 長島引退が、'73年でしたか? オイルショックの年、 72年、笠原和夫=深作欣二のコンビは「関東緋桜一家(マキノ監督」で打ち止め。東映任侠には見切りを付け、実録路線へ移行。殺伐としますね、正に,仁義なき,です。 健さんは山田洋次や降旗の人情路線へ。 同時期、鈴木清順は干され、ゴダールは沈黙し、ロックは死に、マイルス・デイビスは一時引退、。世界的空白期です。 その頃,代わって登場したのが、松田優作だと思う。此処からは私も知ってる。彼が80年代を用意した。丁度、清順の復帰がチゴイネルワイゼンと優作の陽炎座,でした。タケシとかの登場も。パルコとか日本初の消費文化が花開いた。そしてバブル。冷戦集結。その時が丁度、 健さん優作,共演のブラックレイン。その後は其の侭。もはや義理も人情も仁義も無い、金融市場の独り勝ち、政治そのものが負けた。保革もヘッタクレモ無い。 今こそ、任侠の健さんとマルクスに復権して貰いましょうか(^^?。市場原理が跋扈する世界では、至る所で移民排斥起きてます、感情だけで隣国を口汚くヘイトする。あんなのは右翼とは言えませんね。 仁義が消えたのです。新しく来る若者は何も知りませんから。健さんの任侠映画は怖がられて観られてない! ヤクザでは無く、木場人夫や沖仲仕や火消の労務者の組" の話なんですがね。 それにあれ、我慢を重ねて,先ず和平を手打ちを模索しますね。でも最後は刃の,武力行使だ。平和憲法と安保・軍隊の両輪で繁栄した日本を象徴してると思います。 あるいは,大石内蔵助、臥薪嘗胆。その果ての、。日本精神。 健さんは四十七士ではなく、池部良さんか大木実さんと二人の討入りでしょうが、。健さんの忠臣蔵(市川崑)も在りました。 御質問お待ちしてました。 弔い合戦ですぜ、事が事だけに長文ご容赦下さいまし。未だ言い足らねえ!^^)。
お礼
こんにちは。 また直ぐそう言う面倒なことを言う! 私はねぇ、あなたの言葉で好きで名言と思うのは、 「簡単なことは難しく 難しいことはより難しく・・・」 私はあれには大笑いした。(笑) 映画館から出て風切る? そうかな? 私はそんなこともなかった・・・ ただ、満足感と脱力感のようなものはあった。 当時は池袋でしてね、文芸座?と言ったのかなぁ・・・・ 始発の電車に間に合うようにローテーションを組んである。 良く朝、目をこすりながら通ったものですよ。 それでね、 今度はそのまま新宿に行く! 今は思い出横丁と言うらしいが、当時は小便横丁! 朝の5時くらいからやっておりましたからね・・・ つまみにべーコンやらモツ煮を頼んで、日本酒やらビールで、 あれはいけない、これは良かったとか騒いでおりましたが、 その彼ももういなくなってしまいました・・・・。 んっ? 健さんの「忠臣蔵」、さあどうだろう・・・ 私の個人的評価で言えばあまり面白いとも思わない。 ここいらで・・・
- adele24
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こんにちわ。 今ご質問を拝見し、慌てて回答しています。締切早いですから・・汗 高倉健さんの訃報、私にも、なにかグラッと崩れるようなショックでした。 なぜか、高倉健は死なない、と思ってたような・・ もう、日本映画の、日本の文化の、一つの象徴のような存在でした。 これは本当に、こちらサイトでの、kamejrouさんとmarcさんの影響なのです。 私は実のところ、健さんの映画は、2本くらいしか観てません。(-_-;) しかし、お2人の以前からの、健さんや任侠・・についてのご質問、ご回答は、 とても興味深く拝見していました。 いつもお2人のやりとりが面白く、とても正しく思え、私も興味を持ちました。 marcさんのご質問に、kamejrouさんが、学生運動が盛んだった当時、映画館で、 任侠映画に掛け声を掛けてたのは、それはヤクザにエールを送ってたわけではない、 というようなことを仰ってたのが印象的で、それが確か最初で・・ marcさんは、お若いのにあまりにも詳しくて驚きますし、健さん愛も凄いですね。 殆ど映画を観てない私にとって、最近の健さんをTVで拝見する時、80才を過ぎて、 あまりの若々しさ、背筋がピーンと伸びた美しい佇まいに驚いていました。 色々エピソードなど語られてますが、本当にそのまま、正しい人だったのですね。 お薦めされてた映画、謹んで拝見したいと思います。。 慌てて回答してますので、マチガイなどありましたらすみません。
お礼
こんにちはadeleさん。 どうも最近はいけない・・・・ adeleさんなどは古いお知り合いですから分かるでしょうけど、 このくらいの回答数でしたら一日でお礼を書き終えたものでしたが、 最近はお一人にお礼を書くと、もう息も絶え絶えでソファに横になる有様・・・・ 私なども結構辛いですよ・・・ 友人の訃報と重なりましたからね。 それでも、このような質問をしてみたのは、 日頃、親しくお話している方と話してみたかったのかも知れない・・・ それでこの鬱々とした気分が晴れるわけでもないのですが、 なるほどそれでもこうしてadeleさんと話していると、 何やら、また元気が出てくるようにも思います。 marcさんとは久しぶりに話しをしましたね・・・ 再回答もあるようですからそちらでまた少しお話しましょう・ こうして古いお付き合いの方とお話出来るのはまことに嬉しい! 私とmarcさんの影響?アハハ そうねぇ、かも知れない・・・ そう!adeleさん良く覚えていること! 別にヤクザにエールを送った訳ではない! この体制と言うか権力に一人立ち向かって行く健さんに、 当時の我々若者は拍手喝采したのですよ。 もう40年以上昔の話です・・・ おそらくこれから特番が組まれるでしょう。 高倉健と言う役者を観てあげてくださいな・・・ ありがとうございました・・・また。
- sqqrcxvx
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再度こんにちは。 > そうねぇ・・・・ > 健さんの話しもしたいので少し置いておきましょう 回答文中のこれが気になりまして、止めておけばいいのに再登場しました。 これはあくまでユーザー全体に向かって仰ったのだな、とは思いましたが、私へのお返事の中でしたので。何となく落ち着けない気持ちにもなり・・・・ さてさて 遺作となってしまった「あなたへ」。実はこれまで気にもかけていなかった二人が気になりました。佐藤浩市とスマップの草薙。商品の巡回販売で各地を回るサラリ-マン役でしたが。彼らの若い頃から顔と名前は知っていましたが、それで・・?という存在でした。 その彼らが中年となり「あなたへ」では実にいい味を出している。時代は変わっていくんだなぁと感慨にふけりました。 同じ様に、役所広司の近作「山本五十六」では山本の副官役で吉田栄作、機動部隊付き参謀役で阿部寛が出ていて、特に吉田は若い頃の甘い二枚目役が、なんと渋い中年に変身していました。阿部もまた然り。両者ともに良い持ち味が出ていました。 それまでは任侠路線だった健さんが、降旗・木村コンビとの出会いで新境地を開いて行った。そういう事ですね。人は変わり時代も変わって流れて行く・・・。上記の40代4人を観てそんな事を感じました。彼らの今後に期待大です。 吉田も若い頃の二枚目役が行き詰ったら、それまでかなと思っていたのですが、人はそれぞれ努力しているのですね。 健さんも人には分からない所で随分努力したんでしょう。年代毎に微妙に役柄を変えて、それがまた時代にマッチしていましたから・・・。
お礼
はい、再度こんにちはsqさん。 別に外れてはおりませんよ・・・・ 私はあなたとの会話は楽しいし。 私はねぇ、「あなたえ」は全部観ていないのですよ・・・ 途中で止めてしまった! 健さんと言う人は滑舌の悪い人ではありませんでしたからね、 もう、観ているのが辛くて・・・・ 私が健さんの映画を途中で観るのを止めたのはあれだけでしょう。 そのうち特別番組で放映されるかも知れないが、 私で言えば、さあどうだろう?やはり観るかな? 役所広司の「山本五十六」? 映画は知りませんけど良い役者さんですね! 少し前に「最後の忠臣蔵」を観るともなしに眺めておりましたが、 上手なものです。 健さんと言う人は自分と言うものがありましたね。 まあ、この話しはまた何処かでしましょう。 ありがとうございました。 ところで何故SQでなくsqに?・・・・
- yotani0425
- ベストアンサー率30% (1185/3898)
こんにちは。 そうですね、今頃はそういう葉書が届く時期でもありますね。 それも、この歳になると友人や昔の先輩達が・・・・。 最近(といっても8月のことですが・・)私にとって辛かったのは、長年の友人のことです。 今年の8月に久しぶりに関東から夫婦でフェリーで帰省してきたのですが、奥さんが若年性の認知症にかかり・・・・「どんどんオレのことを忘れていくんだよ!!」 今回も、「すべて判らなくなる前にせめてもう一度だけ北海道を見せておきたかった」と・・・・これは聞いているほうが辛かったですね。 今も関東西部で二人暮らしです・・年賀状になんと書けば良いものか・・・・。 健さんですか・・・ 昨日の地元テレビで倉本聡さんが言っておられましたが、「健さんほど雪景色が似合う俳優は居なかった」と・・・夕張・増毛・幾寅・網走・稚内・・・。 本当にそう思います。
お礼
こんにちはyotaniさん。 どうもお礼が遅くなりまして・・・ その前に補足文なのですが何を勘違いしたものか? yotaniさんに対する言葉使いではありません、 申し訳ありません・・・・。 何やら私は鬱々としましてね・・・ 40年来の友人でした。 若い頃は随分二人で馬鹿なこともやっておりましたが、 互いに遠く離れれば、年始、暑中とそれくらいのことでしたけど、 今、こうしていなくなるとまことに辛い・・・・ 黙って考えていましてね・・・・ 私はまあ、気持ちの収まりところがなかったのでしょう・・・・ yotaniさんと話しでも出来るかな? ありがとうございました。 yotaniさんも健康には気をつけて、 sapporolvoさんはお元気なのでしょうか・・・・
補足
さすがにいかな私でももう無理! 頭の奥で鐘が鳴る・・・ お礼は明日に・・・
昨日、駅の売店で夕刊紙の見出しに高倉健逝くの文字を見たとたん。 はやくアンカテ読まなくちゃという思いに駆られました。もちろんkamejrouさんisokenさんの立てる質問に答えるためですが、待てど暮らせどご両人は登場せずしびれをきらしておりました。 追悼の意をこめて、私は周辺談を。 「とめてくれるな おっかさん 背中のいちょうが 泣いている 男東大どこへ行く」というポスターを橋本治が制作、マスコミ取り上げられ話題に。 http://livedoor.blogimg.jp/yousayplanet/imgs/c/5/c5c20ca6.jpg 1968年のこと。当時私は学園紛争も70年安保闘争も無縁の田舎の中学生でしたから 大学生がいかに任侠映画、とりわけ高倉健を愛していたか想像の域をでません。 ただ、横尾忠則を尊敬していた当時の私は健さんのポスターが1960年代後半の時代の背景として記憶にやきついています。 http://plginrt-project.com/adb/?p=12905 日和見という言葉は当時は学生用語で、状況の変化であっちについたりこっちについたりするご都合主義野郎を指す言葉。60年代の映画館で主人公が逡巡する場面で 大向こうから「日寄るな!」と声がかかる。直接そういう場面にでくわしたことはないのですが、ゴッドファーザーをみてアル・パチーノに掛け声かける洋画ファンはいません。当時の東映任侠映画と学生との関係は独特のものがあったのでしょう。 ジャズが、ぼくら1950年代生まれには直接の縁がないにも関わらず、植草甚一、油井正一などを通じてミンガスやコルトレーンが青春のヒーローであったように任侠映画も横尾忠則や橋本治という仲介者により青春の一場面を飾っていました。 それに幸福の黄色いハンカチ、遥かなる山の呼び声、あなたへなどの山田洋二作品の中での高倉健は、ハートォーミングな男の姿として心に残ります。 ヘンリー・フォンダが77歳で「黄昏」という作品を残した直後に亡くなったのに対し高倉健は81歳で日本を縦断するロードムービーを遺作として残しました。 あなたへ は劇場公開を見逃し、レンタルが出るまで待ち遠しかった作品です。 丹下健三は2005年91歳で亡くなりましたが、若い頃建築家を目指した一人として、心の支えが消えていくような思いでした。 先妻の父が63歳で心筋梗塞で逝き、会社の同僚も50代後半で幾人もなくなっています。ことに癌の治療に多額の出費を強いられ、葬儀がほんとうに倹しい雰囲気のなかでおこなわれたりするのを見るとそれだけで悲しくなりました。 50代を境にいろいろな人が世を去ります。60代で去る人、70半ばで亡くなる人。 80代では居てくれるだけでありがたいという人が次々に居なくなります。 ぽっかりと心に穴があいたような・・・そんな気持ちです。 時代が移っていくことをいやがうえにも思い知らされます。 そういえば鶴田浩二は27年も前に亡くなっているのですね。池辺良が92歳でなくなって もう4年。笠智衆なんてずいぶん昔に亡くなっているのに小津映画を見るたびに蘇ります。原節子だってまだ存命です。高倉健なんて池辺良くらいまでは生きてほしかったです。中学時代からの思い出の一コマというだけでなく、みんなが愛した「誇りに思える日本人」だったから。 あとの世代にも香川照之など演技派はいますけど、81歳まで主役を張れる役者はいるのかといわれると とてもつらさがつのります。 取り急ぎ乱文にて失礼いたします。
お礼
こんばんはEXさん。 もう私は明日倒れてもいい、今日のうちにお礼を書いてしまう! 健さんについては私はそうでもない・・・。 ああ、健さんも逝ったか・・・感慨はそのくらい。 EXさんなどは御存知だろうから、 常日頃からisokenさんと健さんの話しをしている私としては、 別に今だからと言う想いもないのです・・・。 ただまあ、しばらくは騒ぎも続くでしょう・・・ それが治まったあとに、高倉健と言う役者を偲んで、 少し話しでもしてみたいかな?そう思います。 健さんの思い出と言いながら矛盾のような・・・ 私は先日EXさんにお話した! 長く生きると言うこともこれで結構辛い・・・ 鬱々とした心持でおりましたが、 健さんの訃報を聞きましてね、誰かと話したくなった・・・・ 今回、回答いただいた方は私が好感を持っている人で、 何やら少し心が慰められるようで嬉しいのです・・・。 顔も見えないのですが、 気持ちは伝わる・・・ 映画の話はあなたの質問でもありましたら、したいと思います。 ありがとうございました・・・また。
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お礼
こんにちはsc010さん。 回答ありがとうございました。 はい・・・ 私は質問文の中にも書きましたが、私の青春と言うのか? 切り離せない俳優さんでした・・・ 古いことを言いますとね、当時学生運動の只中でした・・・。 私はまあ遠くから眺めておりましたが、 権力、いわゆる絶対権力と言うものに一人向かって行く・・・・ 当時、我々は若いでしたからねそれを自分に重ねたのでしょう。 ノンポリの私にしてもそれは例外ではなかった・・・ 時代の風とは常にそう言うものでしょう・・・ 私たち若者はそれを健さんにおのれを重ねたのでしょうね・・・ 私はねぇ・・・・ こう言う話しを聞くともう駄目で・・・・もう泣けましてね・・・ これを書いていてもPCが何やらにじむのですよ。 願をかけられたのでしたら想いは届きます! 良いことは全部想いからでしょうに・・・ またお話しましょう。 ありがとうございました。