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愛を与える・受け取るとは?
- 愛を与える・受け取るとは、自分自身の受け取り方に問題があることを認識し、愛を受け止める能力を身に付けることです。
- 愛を与えるには、相手の悩みに寄り添い聞き、喜びに一緒になることが大切です。
- しかし、愛を感じない原因は自分の受け取り方にあるため、どうすれば愛を受け止められるか考える必要があります。
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「愛」なんて根拠のないものは 信じるか信じないかだけだと思うんです あなたと同じ状況でも あなたよりひどい状況でも 愛がある と思える人もいるし あなたより恵まれている人でも 愛はない と思っている人もいるので それは どれだけ信じるか ということですよね >悩みがあれば聞きますし、良いことがあれば一緒に喜びます。笑顔になってもらえるのが嬉しいです。そういうのじゃダメなのでしょうか。 そういうものだと思います^^ あるのに「ない」と思っているだけです 近くにあっても 「ない」と思っていると 見えないのです。 それを愛の一部だと感じれるか感じとれないか ということだと思います。 受け取り方に問題がある といえば そうかもしれません どんなに よくしてもらっても 要らぬお節介 と受け取ることも 偽善者 と受け取ることも 私のことを気にかけてくれてありがたいな と受け取ることも どちらも可能です 自分が何を選択するか ということだけだと思います。 探し物 というのは 不思議なもので 探していると見つからないものですよね どうして見つからないかというと 探す という行為が 「今 目の前にない」ということが前提だからです だから 探す=ない なのです 人は あると思っているものを探さないでしょ >また、欲しい欲しいと言えば言うほど、失っているような気もします 欲しい欲しい と言うのは 「ない ない」と言ってるのと同じですから 望めば望むほど 「わたしは 持っていない」ということを証明してしまうのです >どうしたら愛を受け止められる人間になれるでしょうか。 あなたは何かで(幼い頃の体験なのか 生きていく中での体験なのか)傷ついて もうこれ以上傷つきたくない という気持ちがあるのではないでしょうか 人を信じることが 怖いだけだと思うんです。 心理学的には 人を信じれない というのは 自分自身を信じられない ということでもあるのです あなたが 周りを裏切っているから 人を信じられないのです この場合の 裏切っている というのは心の中で ということです やさしくされても 心の中で拒否してしまう ということも相手の気持ちに対する裏切りと言えます 受け取ることができない=愛がない なのです 受け取らなければ それは 存在しないのですから これを変えていくには 自分自身を大切にすることが一番の近道だったりします 自分が 今まで やりたくないのにやっていたことを やめてみる 自分が 今まで やりたいのにやっていなかったことを やってみる 言いたくても 言えなかったことを言ってみる 人に甘えてみる 人に頼ってみる そんなことを少しづつためしてみてください 自分自身に厳しくしすぎないで 人との関係の中で 頼りあって助け合って生きていくのが人間です あなたが 人を信じたい と思うのは 本当は 自分自身を信じたいのです あなたが このままでは 周りを傷つける と思ってしまうのは 自分が自分自身を傷つけているからです あなたが あなた自身を もっと認めてあげて受け入れてあげたら あなたは きっとあなたの中にある「愛」を受け入れることができると思います 自分に優しくしてみてください 不思議なことに そうすると 周りの人の優しさに気づくものですよ 人は 自分の鏡でもあるのですから
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- ROKABAURA
- ベストアンサー率35% (513/1452)
2度目のROKABAURAです。 >私は自分で自分の存在意義がわかりません。 真の意味でわかってる人は・・多分いない。 動物も虫も植物も そしてもちろん人間も そのものなりに精一杯生きてるのが存在の主張で意義と思う。 「こうなりたい こう在りたい こう残したい」と。 >私が大好きな皆がいなくなったら…考えたこともありませんでした。 それで「寂しい」と思うような人からは愛を貰っている。 >いつも自分がいなくなることは考え、私がいなくなっても誰も何も変わらないだろうなとは思ってました。 世界にある空気の一分子だって突然消えたりはしないし突然どこかへ飛び出したりしない。必ずそこにある。 歩けば足跡を残し息を吸えばそこに生命が関与する。 いつかいかなる命も終焉を迎える。それはこの宇宙でさえも。 無限に近い時の中で人の一生など生物の一生などほんの僅かな点にさえならないだろう。 だからといって無意味などではない。 その中で絶えず「少しでも善く」しようとする願いと行動こそがこの世界を喜びにあふれたものに変える唯一のものだから。 いなくなった分は間違いなくその力が減る。 まあ逆に世の中を悪くしようとする者はぜひ改めて欲しいものだ。 >存在を認めるとは、自分自身のでしょうか。 悩む自分もまたいて良い。 周りの者達もまたいて良い。 良いのだよ。 「在りたい」と願うのであれば。 >頭では分かってても気持ちがついていかないです。 自分のほんのわずかな過去にとらわれないこと。 愚者は経験に学び 賢者は歴史に学ぶ。 そういう時こそ多くの賢人の知恵を知り行動を知り 人が辛い時で尚 諦めない心に思い至るべきだ。
お礼
遅くなりました。 もう最近はいつ死んでもいいかな~と思うんですよね。
- 783KAITOU
- ベストアンサー率43% (1758/4022)
あなたの愛情に対する認識も他者に差し出す愛情の表し方も間違いではありません。なのにどうして、あなたは他者からの愛情を感じないのか、です。それはあなたの受け取り方に問題があるのか。と、お尋ねです。 愛情というのは既にご存じの通り、相手(対象・物も含む)との関係でなりたつ愛しいという気持ちでもあります。そして、その対象のことを詳しく知り、理解して同じ考えになりたい、という心的な了解の欲求のことです。心の中に愛情を抱く対象をイメージすれば安心が得られ、気持ちが安定するという心の状態が生まれます。 このように愛(愛情)について考えてみると、愛情を掛けたり掛けられたりの場面は大きく分けると、家の中と家の外の社会性の世界の2つに分けられることが分かります。家の中の愛とか愛情は親から子どもに掛けられ、やがて子どもが家の外の世界と関わる様になると親から教わった通りに相手に愛情表現をします。そして、相手からの愛情のある言動に愛情のこもった言葉とか態度で応えます。 あなたのお書きになっている愛情を発揮されたり受け取られたりする場面は、家の外の世界です。そこであなたはご自分でお考えになった、又は学習された方法でもって可能な限りの愛情表現をされています。この家の外の社会性の世界は、ルール・秩序で成り立っている世界でもあります。一方、愛とか愛情というものは「気持ち中心」で対象と関わる際の、個人の気持ちに根拠を置くものです。 何を言いたいのかというと、家の外の世界では、決まりの通りに、ルールに反しない程度に行っておれば良いのです。更にそれ以上にあなたは愛情の交換をされているようですが、それには限界があります。どういう限界かというと、本来家の中で身につけているべきである、生育過程における自然な愛情の表し方、受け取り方が欠損していたか何かの事情でそういうことを感じないまま大人になったので、愛とか愛情を表しながらの受け答えの基本というか、何となくというメタファ(ぼんやりとした愛情というものを感じて落ち着く)というのが身についていなかったのではないでしょうか。 従いまして、あなたは五感覚のどれかを窓口にして、愛情を吸収したいと欲求する、愛情に対する明確な物を求めるという関係意識を差し出されているので、それに誰も何もが応えてくれていない。と、いうところで「愛を感じない」というように仰っているのでしょうね。愛情を感じる感じないというのは「気持ちの中の衝動」の働きですので、人によってまちまちです。 こういう事をいわれたから、こういう事をされたから全員が愛情を感じるものではありません。愛情を感じるにはそれなりのベースが必要です。ありのままに対象の言動を受け入れる。と、いう自然性です。この自然性の幅が広いほど気持ちが安定している。と、いえます。気持ちが安定しているほど愛情も受け入れやすいのです。 あなたは、受け取り方に問題があるのではありません。自分の気持ちを如何にいつも安心状態に保てているかの問題です。何気ない人の喜ぶ姿であるとか他者の会話の中でのやりとりを見聞きしていると参考になります。いつも心身をリラックスな状態に置いておくことが大切です。イヤなことはすぐに処理する。と、いう様にしてです。頑張る方向が間違っていると全くの無駄になりますのでよく考えて行動しましょう。いつもリラックスな状態でいられるようにしましょう。
お礼
私、実は親(母しかいませんが)と、ずっと上手くいってません。 そこに何か原因があるのではないかということも、何となく感じています。 そしてまた、いつも緊張状態です。 嫌われるのではないかと、いつも不安です。 だまされてるのでは、影で笑い者にされているのでは、本当は私なんて嫌い…と思ってます。 何でこんな風にしか思えないのか、自分で悲しいです。
- clarion3
- ベストアンサー率29% (7/24)
「愛情を感じない」←感じなくても今のままで宜しい 愛は 見えないからこそ 感じ取る必要が無いのです ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ これでは あなたに通じないので ちょっとだけ例として・・ 震災で 日本に各国から 多くの義援金が届けられましたよね・・でも それを送った贈り主は 「私が贈った」等言う人は少ない・・ 愛があるから贈って来た・・見返り等期待して無いから名乗らない・・それこそが本物の愛なのです
お礼
愛が見えないからこそ 言葉や物、態度で測ろうとするんですよね。 だから余計に分からなくなるのかもしれません。 そこには愛以外の色んな感情も渦巻いてますから…。 愛が見えたらいいのにな。
- ROKABAURA
- ベストアンサー率35% (513/1452)
周りの人を傷つける人は周りのことなど心配しないんだよ。 愛はまず存在を認めることが最初だよ。 「存在していいよ 存在して欲しいよ 一緒に存在しようよ」の順で。 あとは笑顔や言葉や仕事やスキンシップとなる。 愛されていると感じるのは難しくない。 自分が愛している者達が全ていなくなった世界を想像すると良い。 その寂しさがわかれば今のありがたさが分かる。 人は小さな恩には報いるが大きな恩は無視するもの。 常日頃から在るものはなかなか大切さに気づかない。 だからそう表立って言われることはまずありえない。 「愛してるよ」「大切だよ」「最高だよ」「もう君なしではいられないよ」 言葉は簡単に心を惑わすけどそれは上っ面で口当たりの良い清涼飲料水のようなもの。 気持ちは良いけど体の役に立つ栄養はない。 そして実は依存性があって害があることだって珍しくはないんだ。 まあたまにそういうのも欲しくなるのは仕方がないけどね。
お礼
優しいお言葉に感謝します。 私は自分で自分の存在意義がわかりません。 私が大好きな皆がいなくなったら…考えたこともありませんでした。 いつも自分がいなくなることは考え、私がいなくなっても誰も何も変わらないだろうなとは思ってました。 存在を認めるとは、自分自身のでしょうか。 頭では分かってても気持ちがついていかないです。 少しずつでも認めていけたらなと思います。
お礼
自分自身を信じてないとはよく感じます。 やりたかったのにやってないこともたくさんあるはず。 しかし、今はそれすらおもいつきません。 思ってることを言い、やりたいことをやれば、やれワガママだの何だの言われます。 …と、ここまで書いて気がつきましたが ワガママ=嫌われるのではないのかも? その人はワガママなところも、丸ごと愛せれば良いのかも。 人には優しくしてきましたが、自分には…。 そこにヒントがありそうです。