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「愛は素晴らしいものだが、強過ぎる愛は毒になる」という考え方について

タイトルの様な考え方もあるそうですが、どう思われますか? 一方で「恋は自分のため、愛は相手のため」という言葉(格言?)もあるそうですが、これが正しいなら相手のためになるのなら毒になることなどあり得ないとも思うのですが、どう思われますか? ご自身の経験や、周囲の方から伺ったケースなど、具体的な事例を挙げてご説明頂けるとなお有難いです。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kicca
  • ベストアンサー率23% (81/338)
回答No.3

私の友人男性が先日結婚したのですけども、奥様の嫉妬と束縛に早くも疲弊しきっています。 奥様から言わせれば「愛ゆえに」ってことなのでしょうけど、携帯のメールを見たり、異性のメモリを消去したり、その男性の友人である私の立場から言わせれば迷惑以外の何物でもないですし、男性も心底うんざりしているようで、会社からこっそりメールくれたりしてます。 強すぎる愛というものが相手や周囲に迷惑がかからないもの、例えば毎日お弁当を作ってあげるだとか、腕によりをかけた食事を作るですとか、お風呂で背中を流してあげるとか、肩もみをしてあげるとか・・そういったことで尽くすのなら別でしょうけど、嫉妬から悪い意味で色んなことをされるのは迷惑はなはだしいですよね。

maria_sharapova
質問者

お礼

愛は嫉妬、束縛といった独占欲とも結び付き易いということですね。そういうケースなら私も聞いたことがあります。何かそれははき違えているんじゃないかという気がするんですが…。ご回答ありがとうございます。

その他の回答 (5)

回答No.6

どういう”愛”を言うのだろうか. 私自身は"愛”という言葉はよく解らないが どちらかといえば”慈悲”もしくは”慈愛”という言葉のほうが 人を愛する気持ちを表している気がするが どういう愛を言うのだろう.  

maria_sharapova
質問者

お礼

確かに難しいですね。このカテで質問したからには、想定しているのは男女の愛のつもりでしたが、そうおっしゃられると答えに窮します。ありがとうございました。

回答No.5

こんにちは。 この質問面白いですね。 他の方と違う観点ですが、私はこう思います。 「全てを受け入れられること」じゃないかなと。 恋は自分のためであり、愛は相手のため。 ならば、恋とは自己満足であり、愛とは相手を受け入れることかなと。 相手の嫌な部分が受け入れられないのは恋に多いですね。 ちょっと違う部分が見えたら、嫌になったとか。 愛は、こういうとこともあるんだと、受け入れる。 愛が強すぎると、本人の尊重を重視して、どんなに悪いことでも、受け入れてしまう。 つまり、これが強すぎる愛は毒になるということに繋がるように思います。 嫉妬や束縛は、果たして強い愛か。。。私には判りませんが、ちょっと違うかなという気もします。 人によるのでしょうが。 結果、強すぎる愛は、相手の全てを受け入れることにより、毒にもなる、と思います。 いかがでしょうか★

maria_sharapova
質問者

お礼

面白い観点ですね。愛が強過ぎると、相手のどんなに悪いことでも受け入れてしまう、そして2人ともズルズルと悪い方へと坂道を転げ落ちていき、ついには破滅してしまう、と…。ご回答ありがとうございます。

  • Mirac830
  • ベストアンサー率31% (31/100)
回答No.4

こんばんは。 >具体的な事例を挙げてご説明頂けると 以前ここでも相談したんですが、別れた彼の今の彼女のことです。(私は元彼女) 彼女は彼を愛するあまり、彼を束縛して、 彼の周囲の人にまで危害を加えかねないほど、嫉妬に狂っています。 もともとそれは彼への愛情の裏返しだ、と思っていたのですが、 直接元カノの私の所まで電話、家まで押しかけて来たときは「毒」に変わったな、と思いましたよ。 もちろん相思相愛で、愛の大きさが一方通行になっていないのなら良いんです。 でも、片方だけが行きすぎると毒になる。言動の一つ一つの裏を読むようになり、 疑うことしか知らなくなり、被害妄想の末、他人に危害を加える。 ストーカーまがいの被害を受けた私は、本当に彼のことを愛するゆえの行動なのか、 ただの私への嫌がらせなのかわからなくなりました。実際警察にも相談しています。 でも、彼女の異常な行動を起こさせたのは、結局彼への愛情だったのかと。 そう思えば、心も身体も満たされているうちの愛は、幸せなものだなと。 行きすぎて、深みにはまり、抜け出せなくなるような愛は、毒だなと。 No.3さんが仰るように、お互いにとってプラスになる愛のうちは、素晴らしいものだと思います。 でも、一歩間違えば、お互いだけでなく、周囲の人まで傷つける毒になる。 なんだか何を書いてるんだか、何が言いたいんだか 自分でもわからなくなってきましたが、具体的な事例を挙げてみました。。 御参考までに。

maria_sharapova
質問者

お礼

具体的な事例を挙げて頂き、ありがとうございます。コメントは#3さんへのものと同様ですので割愛させて頂きます。

  • tukimayu
  • ベストアンサー率14% (189/1345)
回答No.2

相手のための愛というのは、自己満足ではない愛のことです。与える行為を愛というけど、それを相手がなんのためらいもなく受け止め、きちんと受け入れられる状態ならば「相手のための愛」ですが、「愛を与えているという自己満足」は愛ではないでしょう? 愛とは名ばかりの毒があふれている気がします。 「母の愛」の例が一番わかりやすいかも? 母の愛は無償といいますが、だからって与えすぎてばかりいると子供は自分では何もできなくなります。 ニートが増えているのはこの辺も一因ではないかと思うことがあります。 男女間ではかなわぬ恋(不倫など)のときなど「真剣に愛している」と言ったりしますが、結局これは自分のわがままを押し通すために都合よく「愛」という言葉を使っていますよね。 よく考えると本当に相手を思うなら、不倫の恋に足を踏み入れないことこそ「愛」ではないでしょうか? その他、ストーカーも「愛の毒」の最たるものではないかと。 愛とは与える人がいて、それを正しく受け止める人がいてこそ成り立つものです。 愛と言ってさえいれば、自分の気持ちやわがままを押し通していいということではないと思います。

maria_sharapova
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。おっしゃること、とてもよく理解できました。

noname#11721
noname#11721
回答No.1

 この言葉じたいの由来は知りませんし、もともと当事者がどういう意味で使いはじめたのかもしりません。  個人的には強すぎる愛とは、嫉妬のことだと思います。あるいは相手にとって、逆につらくなる。そういった意味ではないでしょうか?  誰かを愛しすぎると逆に相手を拘束してしまい、愛本来の美徳が損なわれる、それはあると思います。

maria_sharapova
質問者

お礼

早速のご回答、ありがとうございます。おっしゃる通り、確かにそういう意味だということはとてもよく理解できます。

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