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八面六臂の活躍
【まえおき】 Web 上で「八面六臂」を検索すると、「八面六臂の活躍」といういいまわしは、おおくのかおとおおくのてをもった仏像のすがたからできたいいかたであるといったようなことをかいた page がいくつかみつかります。 三面六臂なら興福寺の阿修羅像が有名ですが、八面六臂のほとけさまというのをしらなかったので、2004年5月18日「八面六臂の仏像」という題名で質問を投稿しました。 こういうことは仏教美術にくわしいかたにきくのがいいだろうとおもって、「美術」のカテゴリに質問しました。 が、きょうにいたるまで、八面六臂の仏像の具体例はあがっていません。 そこで、八面六臂の仏像がこのよに存在しないことを前提に「八面六臂」の語源について質問します。 【質問】 1.「三面六臂の活躍」といういいまわしが仏像と関係あるとして、どうして3と6なのでしょうか。十一面観音や千手観音の方が有名だとおもうのですが。 2.「三面六臂の活躍」や「八面六臂の活躍」といういいまわしが仏像と関係ないとして、どうして8と6 (あるいは3と6) なのでしょうか。多数をあらわすのであれば、「七転八倒」や「ななころびやおき」のように、7と8のほうがいいとおもうのですが。 【仏教美術にくわしいかたへ】 八面六臂の仏像の実例がありましたら、美術のカテゴリの「八面六臂の仏像」に回答をください。
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No.3補足します。 断定は避けますが、顔の数の倍数が自然な姿でしょう。 臂とはひじつまり手の数を表すので一面につき二本が自然体です。しかし、数多くの仏の功徳を説明するために手の数がだんだんと増え遂に千手観音などが考案されたものと思われます。全ては衆生に仏の道を分かりやすく説いたり、不信人者を脅すために仏教関係者ヒンズー教の像を参考に考案したのでしょう。庶民に仏典で仏道の理解が出来ればあのようなややこしい仏像など不要で、仏陀像だけがあれば済むことです。 日本で普及(生き残った)した仏像は日本人の信仰心に 合ったもの、日本人の宇宙観、世界観に受け入れやすかったものだと思われます。仏教は当時の日本人にとって全く異国の教えですからね。 人間が出来ないことを行う能力がある神(仏)を象徴して三面六臂の像が作られても、しょせん理解力のない人間(庶民)は、もっと優れた仏なら4面、六面、八面とあっても良いだろう、その方があり難い、或いは恐ろしいと思うようになっても不思議ではありません。こうして理屈に合わない(面の倍数の手以上の手を持つ)仏像や表現が生まれたものと理解します。(罰が当たらないように正しい説明を坊さんに聞くことにします)。
仏教の仏様はヒンズー教の神々にその源があります。 ヒンズー教の神々はひとつの神が多くの化身を持ちその関係が複雑です。本来は化身の一つ一つを像とすることも出来たはずですが庶民に理解しやすくするために一体でその神の神性(化身)を表したものと思われます。 三面が具体的に何を表したものか分かりませんが、ヒンズー教と仏教の参考書を紐解けば判明するでしょう。手短に調べるためにはお近くのお寺でお坊さんに聞けば一発回答が得られるはずです。仏教で問題にするのは天、空、地又は地獄道、餓鬼道、畜生道などです。特に人間は後者の三悪道に陥るとされるのでそれを救済する仏を表しているのかも知れません。三つの神性、化身、相を もつ仏を一体にまとめたのであれば肩や手は6個となります。6には特に意味はないと思います。 八面六臂は後世の人が考えた表現だと思います。そのような仏像は見当たりません。
お礼
くわしい解説ありがとうございます。
補足
あげていただいた page をみました。 三面、四面、六面 四臂、六臂、八臂 といろいろな仏像があるなかで、 「三面八臂の活躍」とか「六面六臂の活躍」とかいわないのは、三面六臂の仏像がおおいせいでしょうか。 それとも、単に語呂のよさなのでしょうか。
#1です。 すでにご質問にもあるように「三面六臂」は阿修羅像のことですね。(私は十一面観音や千手観音よりこちらの方が有名だと思います。) それと#1のサイトの解説を読めば「八面六臂」はあくまでも語呂だけだと推察できたので挙げさせていただきました。(実在の仏像ははないということです。) ご希望の回答と違っていたようで失礼しました。
お礼
こちらこそよみがたらず、また、ことばたらずで失礼しました。 ありがとうございました。
こちらが参考になりませんか? http://www.yomiuri.co.jp/himekuri/030626.htm
お礼
情報をいただきありがとうございます。 残念ながら私にはこの page からは、仏像との関係の有無や、なぜ3と6なのかはよみとれませんでした。
お礼
御意見をいただきありがとうございました。