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母親とケンカしました

うちの家ではある宗教をやっています。 宗教関係での知り合いは基本的にいい人なのですが、うちの母親だけ自分の中で歪というか理解できません。 成績のことで悩んでいて、結果が出るまでの間、両親のすすめで少なくとも宗教便りでやってきました(祈祷のようなものをやっていました)。やっていた間母親は満足そうにしていたのですが、結果があまりにも悪くてこの間、その宗教関連でけんかをしました。 内容は全然何も変わらない今の現状についてのもので無意味じゃないのか?といったところ感情むき出しで怒られました。 自分自身発言が感情の勢いで行ってしまったところがあったのですが、その際にやれ祈祷のやり方が真面目じゃない、姿勢がなってない、態度がなってないといわれました。 さらに、そのあとむりやり一緒に祈祷させられやっていくと少ししたら嬉しそうに気分がよくなってきたでしょ。これが正しいやり方なの?みたいなことを言われまったく良くならない、といったところまた、前述の姿勢が悪い、態度が悪いと怒られました。 宗教どうこう以前に母親の態度が非常に気に食わないのですが宗教をやっている家庭の母親としては当然の反応なのでしょうか? 少なくとも、結果が出てから真面目にやってきた人のことを真面目じゃないと評価するのは卑怯に感じるのですがどうなのでしょうか。 もともとあまり母親と仲が良くないというのもあるので、偏見やらがあるかもしれませんがご意見おきかせください。 読みにくかったらすみません。

みんなの回答

  • tobirisu
  • ベストアンサー率40% (199/489)
回答No.6

あなたがいくつか解りませんが、 宗教の基本的な考え方、というか、いわゆる信心をする人の「ご利益」についての考え方はこうです。 良い結果が出た時は、「信心のおかげ、神様のおかげ」 悪い結果が出た時は、「信心が足りない、自分が悪い」 あなたのお母さんの考え方もこれですね。 で、信じている人は、自分がよく信心している、と思うと、「きっとうまくいく」とポジティブな気持ちになるので、実際に気分が良くなってくるのです。 だから、お母さんが >気分がよくなってきたでしょ。 というのも、「ちゃんと正しい姿勢で真面目にやっていれば、気分が良くなる。 気分が良くならないのは、姿勢が正しくない、真面目にやってない」と自分で思っているからです。 なにしろ、「神様は絶対に悪くない」、のだから、「悪いことはすべて自分が悪いから」、と考えるしかないのです。 そこのところにあなたがカチンとくるんですよね。 信心のない人間にとっては、 うまくいっても自分の努力とかを全部否定されて、神様に勝利を横取りされたような気分になるし、 うまくいかない時は、ええーっ!神さま、何にもしてくれてないじゃない!って気分になりますよね。 そこのところが、信じている人と信じない人のちがいです。 でも、信じるということは個人の自由なので、お母さんが何を信じていようとお母さんの心の自由です。 お金を宗教に貢いで、他の家族に迷惑をかける、とかでなければ、許容範囲ないでしょう。 あなたが信じないのもあなたの自由です。 ただ、一緒に暮らしていて、お母さんは、あなたにとってもよいのだと信じてやっていることです。 「私は一緒に祈祷はしませんが、私のために祈って下さるのは、私のためを思ってのことだから嬉しいです。 もしも私が一緒にやらないために、私の人生がうまくいかなくなっても、全部自分の責任です。 お母さんのことも、神様のことも恨んだりしません。 もしも、うまくいったときは、自分の努力もあるけど、お母さんが祈ってくれたおかげだと感謝します。」 多少不本意でも、↑のようなことを言って、なんとか丸く収めてください。 私も、信心をしていて、そのうえ、方角占いに凝っていた祖母と、そういう言葉でなんとか折り合いをつけてやり過ごしていました。 おフダとか何度も貰いました。ちゃんとバッグとかに入れておきました。 神様と争っても勝てませんからね。 学生や社会人になったら、家を出れば、それでおわりです。 それまではうまくやり過ごしてください。

  • mugen93s
  • ベストアンサー率19% (14/72)
回答No.5

親はこの世の怖さを嫌というほど知っていられるのでしょう。だから、あなたに強制的に加入させようとした。 しかし、あなたの母のしている事は、いわゆる、子供の自由という権利を奪う憲法違反に該当します。 私なりに察するに、あなたの母はどことなく、幼い頃から自分の家と社会のルールが違う温度差のようなものを体験されたのではないでしょうか?そして、愕然とされた。 気付けば、あなたの母は宗教さえ信じれば自分で決めるという恐怖から、あるいは不安から解放される事を経験したと考えました。 前の方とも被りますが、宗教を信じるとは自分の心にある不安からの逃げは逃げなのですが。信仰心を盾にした逃げは、少し普通の逃避と心理学的に違います。 宗教とは、いわゆる人間関係の教科書のようなものにもなり。人間関係で不安を抱く人間にとっては、宗教を信じる事で、良い悪いを判断する材料にもなるからです。 本人からしたら気持ちが楽になったのでしょう。能動的な人生から解放され、受動的に宗教によって自己肯定感が保てる訳です。 しかし、心理学の立場からすると、宗教は一時的な安息を与えるものの、気付けば自分で勝負した人生でないといえます。 気付けば、付き合う男女関係、交友関係、社会接点まで全て宗教判断に身を委ね、どこにも自分の人生を踏み歩いた痕跡がないからです。 しかし、今、あなたの母は宗教でしか自分の存在を肯定できない。もし、あなたが宗教をマジメにしなければ、あなたの母は自分を否定されている様な感覚になるのでしょう。 ひとまず、親だからという理由で信じるフリをしましょう。それから、なるべく早く自分の力で生きていけるように自立されてみてはどうでしょう。 社会には、モラルハラスメントを筆頭に、自分にとって味方な様で牙を隠した人間が一杯います。 そういう世界と触れ合う事で、少しは親の気持ちも理解でき、親は親。自分は自分という「個人主義」的な考え、大人となるための一歩を踏み出せるのではないでしょうか。 自己肯定に関しての親との対立は、甘えからの脱却には必要なものです。親、子供、共に苦しいことでしょう。 なぜなら、親はあなたを自分の子供だからと自分の考え、評価こそ、全知全能であると教えたいからです。自分の考えの誤りを認めることは、親としては身を引き裂かれるような思いになります。 しかし、それは愛情という仮面を被った支配なのです。心理学の世界では、これを超自我といい、いつの間にか自分の評価基準を支配されています。 一生、支配されている人もいます。しかし、親の価値観、社会観が子供の価値観になって子供の人生が報われるとも限りません。 社会や時代は変化し、その変化に適応できたものだけが生き残れるからです。人間関係も同じでしょう。親の時代の常識が通用するほど、この逆ピラミッドど少子高齢化社会が同じはずがありません。 形あるもの、いつかは崩れる。それは、明日の日本、社会常識の可能性だって否定できない。なぜなら、似たような歴史、人間関係はあっても、全く同じ時代、環境は二つとないからです。 今後のあなたの人生で、大人とは何か?この人生の最大の命題に何らかの答えを掴むヒントになればと思い、長文失礼しました。 私も昔は、色々ありました身なので、少しばかりでもお役に立てれば幸いです。

  • ojory
  • ベストアンサー率30% (103/341)
回答No.4

宗教に頼りすぎると言うのは単なる精神的な逃げです。 お母様は宗教の依存症ですね。 祈祷している間に勉強した方が良いに決まっています。 漢字の練習をしないで祈祷をしたら漢字を覚えられる、なんてこと、あるわけありません。 脳みそは繰り返し脳みそを動かすことを体験していくことで活性化するんです。 私に言わせれば、祈祷をしてお湯が沸くか!という感じです。 学校にスクールカウンセラーはいませんか? もしいたら相談した方が良いと思います。 もしスクールカウンセラーがいなかったら児童相談所など、相談するところはたくさんあります。 あなたはそのような環境で育ってしまったので、何が正しいのか判断できない状況に陥っていると思われます。 非常に危険な状態だと思われます。 出来るだけ早く頼れる第三者に相談してください。 是非、正しい道に引っ張って行ってくれる大人に出会えますようお祈りします。←これが祈りの正しい使用法です

  • taka-aki
  • ベストアンサー率12% (748/6126)
回答No.3

宗教やってる人の目的は他の人も宗教狂いにすることですから、 あなたの成績のこと自体はそのためのただのこじつけにすぎないのでしょう。 宗教をもっとやらせることがまず目的であって、 その他のことはそこに引き込むためのネタでしかない。

  • nooooo
  • ベストアンサー率18% (78/413)
回答No.2

大変ですねぇ。宗教にすがりたい人の気持ちも尊重しますが、あなたのように必要としてない人には、その強要はきついだろうなあと想像します。お母さんが生きていくには今それが必要なのだろうから、それを変えることは難しい。自活できるなら、親元を離れるのが一番だと思うけど、無理なら、とりあえず切り離して考えるようにするしかないのでは。

  • marbleshit
  • ベストアンサー率49% (5033/10253)
回答No.1

一口に宗教と言っても様々あります。 少なくともお母さんのなさっている宗教はたかが知れたものと言わざるを得ません。 何故ならば、娘であるあなたと仲良くも出来ない独善的態度をもたらすのが その祈祷に噛り付いた結果であるとするならば、百害あって一利なしです。 宗教をやっていない人間が、なるほどあなたがやっているのだから、 さぞかし素晴らしい宗教なのでしょうね。 こう言われて初めて、その宗教の価値と意義が生まれるわけです。 自分さえ良ければ、他人など関係ないなどという態度は、最も宗教の名に値しません。 何れにせよ母親に止めて貰うか、あなたが縁を切ってしまうかになることでしょう。

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