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失われた感受性とは
- 失われた感受性とは、年齢を重ねるにつれて映画や小説などの作品を薄っぺらく感じる現象のことを指します。
- 経験が豊富になるにつれて、現実に裏打ちされていない作品の舞台設定や登場人物の行動にゲンナリすることが多くなります。
- 若い人ほど感受性が強く、作品に感動しやすい傾向があります。感受性が失われると、人生がつまらなく感じるかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
僕は30そこそこの若造ですが、質問者さまと同じ思いを抱きながらここ数年すごしてきました。今、この質問タイトルを見て「そうそう!そうなんだよな!」と思って何気なくクリックし、拝見しました。 そして、質問・回答読んでふと思いました。 これってただ、 「事実は小説より奇なり」 なだけなんじゃじゃないかと。年とれば、それだけいろんなことを知りますし、ほんと複雑ですもん、社会って。いろんな関わりがありますし。 逆説ですが、小説を読んで泣くというのは、感受性の鈍い鋭いとは関係ないのかも、 と今ふと思いました。意外性・びっくりさに泣いているだけとか。 あと個人的に、泣くときというのは自分の過去の記憶・思い出とダブらせて泣くことが多いです。また、その記憶とのギャップがありすぎて情けなくて泣くとかですね。 質問者さんも、小説より奇な人生を今歩んでおられるということの表れではないでしょうか。誰か創作である、表面的なアクシデントに騙されないでください(笑)。 個人的な意見でした。 ノンフィクションとか実際のドキュメントとか面白いかもですよ。
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『失われた』のではなく、『眠ってる』だけなのかもしれませんね。 経験に裏打ちされてない、現実をちっとも反映してない物を「作り物」と感じる。ゲンナリする。 これもまた、人生の様々な経験を積み、苦難を乗り越えた人だけが持ち得る感性だろうと思います。 ただ、そこにはワクワクしたり、躍動するような感動はありませんよね。 私も以前、アンテナが折れてるんじゃないか?と思うほど、自分の感受性が鈍くなったと感じた時期がありました。 その際、人に勧められて「いいこと日記」を付けてみたんです。 毎日の生活の中で、ほんのチョッと嬉しくなるような「いいこと」を見つけて書き込んでいく日記です。 木漏れ日が暖かくて気持ちよかった。 今年の初トンボを見た! 雨上がりの軒先に垂れ下がる雫を、形を崩さずに指に乗せられた。 などなど、けっこう子供じみた内容になりました。 しばらくたった頃、周りから 「なんだか最近、少女みたい」 「ホント。子供みたいで、楽しそう!」 と、言われる機会が多くなりました。 どうやら若い頃を通り越して、子供の感性になっていたようです。 実際、小さな子供が喜ぶような些細なことで、感動できるようになっていました。 よく、認知症のお年寄りが「子供に還る」という話を聞きますが、知識や経験、利益、欲望、苦悩や葛藤、しがらみ、理性など、いろんなものを一時的に忘れたり手放すと、意外に子供の感受性が残るのかもしれません。 手放す、ということを覚えた後、嘘臭くて読めなくなっていた小説も、それはそれとして楽しめるようになりました。 最近は、経験を積んで分別をもった大人としての生活を送りつつ、時折、子供の感受性を引っ張り出して遊んでます。 やってみると、けっこう楽しいですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「いいこと日記」つけてみます。 最近あったいいこと(?)は、日本エレキテル連合のネタが心の底からおもしろいと思ったことです。とくに「仮出所妻さゆりちゃん」は秀逸です。 この感覚は子供の時に「ドリフ」や「オレたちひょうきん族」を観たときの感覚に近いです。 haruco08s様のご指摘の通り、「失われた」のではなく、「眠ってる」だけだったのかもしれません。
- sunsowl
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自分は自分、人は人ってことで解決しないんでしょうか。 いくら若い頃に尾崎豊に感銘を受けたからって、40過ぎても尾崎信者ってのは痛いと思いますし。 歳を取れば考えや感覚も変わるので、受け入れられるものも変化するのは自然かと思いますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。必要以上に自分自身に「ああ、どうしよう、人生残り少ないから早く感動しなきゃ・・・」とプレッシャーをかけ過ぎてたのかもしれませんね。でも、それってなんか、いい女とベッドインしたときに焦ってなかなか勃たないときの心理に似てるな。
むしろ、それほどいろんな人生を歩まれているのだから、 すごいなと思います。 ぼくもいろんな本を読んでは、感動したり、啓発されたりしてきましたが。 結局、一時の感情で人生を変えることはなかった。 現実を変えるのは結局は現実のきっかけ、行動です。 それに気づいてから、本もドラマもすごく冷めた目で見るようになった。 「こんなことで感動したところで、何かが変わるわけでもないし」って。 でも、これはこれで悪いことじゃない。 冷静に弱くて、現状維持を怖がって、変われない自分を客観視している。 もっとも、客観視したところですぐに変わるわけじゃない。 あなたほど天国も地獄も見てはいないでしょうから。 だから、冷める気持ちはよくわかるし、後は単純に憧れます。 ぼくもあなたぐらい冷めた目でバーチャルを見られるぐらい、 人生の荒波を越えてみたいなって。
お礼
ご回答ありがとうございます。こういうところに質問を投稿したのは生まれて初めてです。この調子でバンバン新しい世界に首をツッコンでみます。 また、自分の存在を認めてもらえた気がしてとてもいい気分です。 ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そういえばちょっと前に、『ワイルドスワン』というノンフィクション小説を読んだ時は、内容は難しかったし、歴史的に分からないことも多かったけど、つい夢中になり、ページをめくる手を止められなかった、という経験はあるなあー。 よし、ノンフィクション読もっ