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谷川俊太郎の文章「五月に」

秋晴れはその自体で充足していて、あとにはもう何も残っていない。からっと晴れあがったという、そのからっぽな感じにむしろすがすがしさがあるのだが、五月ばれにはそういう底が抜けたような安心がない。かすかな苛立ちといわれのない希望がある。梅雨という薄暗い季節を抜けて、その先に夏がある。そのことへの期待や希望がそんな感情を呼び覚ますのは確かであるが、同時にその苛立ちや希望は、もっと形のないものにも向かっていると私は思う。 質問1 「抜けて」という単語はここでの意味は何の意    味ですか。「過ぎる」という意味ですか。 質問2 「そのことへ」の中の「その」なにを指すので    すか。 質問3 「形のないものにも向かっていると私は思う」    という中の「形のない」は何のいみですか。」

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  • ベストアンサー
  • gekkamuka
  • ベストアンサー率44% (138/309)
回答No.2

>質問1 「抜けて」という単語はここでの意味は何の意味ですか。「過ぎる」という意味ですか。  ジメジメとして薄暗い、この梅雨どきから「抜け出して」とか「逃れ出て」という意味です。 >質問2 「そのことへ」の中の「その」なにを指すのですか。  「その」は狭めれば「夏」、「そのこと」は「その先に夏がある」つまり「夏の到来」を指すといえます。 >質問3 「形のないものにも向かっていると私は思う」という中の「形のない」は何のいみですか。」  形のあるものは目で見えます。形のないものとは目で見えないもの。すなわち「想像力を働かせ」なければ捉えることのできない何物か何事か。 >補足質問1.同情」という単語の意味は「思いやり」の意味ですか? … このセンテンスの中の「それ」という単語は何を指すのですか。  この場合の「同情」は、優位な立場の者が劣った立場の者に憐憫を施す類いの、何ら想像力を必要としない<安易な>ものとしてであり、その意味での<一方的な>「思いやり」でもありましょう。  「それ」が指すものは、想像力です。ひたすら己のエゴイズムを直視し突き詰める覚悟によって培わられる想像力であればこそ、遠方の見ず知らずの他者における生命慾への「欲望と欲望のせめぎあう人間地獄」を見詰める眼差しとしての想像力ともなり、そしてそこにおいてこそ、彼もまたまた吾なりと「感じる」想像力なのだと。 >補足質問2.自分は感じないのは何を指すのですか。  「すでに自分で感じない」の意味でしたら、「感じる想像力」の欠如を指しているでしょう。

fenglianyang
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。 すごく役立ちました。いい勉強になって感謝の気持ちはいっぱいです。

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その他の回答 (1)

  • chilldie
  • ベストアンサー率28% (87/304)
回答No.1

回答1 「底が抜ける」限度が無くなる、きりが無くなるという意味で、この場合五月晴れは、秋晴れほどスッキリしていないという感じだと思います。 回答2 「そのこと」は「梅雨という薄暗い季節を抜けて、その先に夏がある」を指しているのでしょう。 回答3 「形のない」は多分いろいろな感情や雰囲気、季節感を意味しているのではないでしょうか?確信はありません。 最後にアドバイスを、日本語を勉強するテキストに詩はあまり適切ではないと思います。 何故なら、詩は読む人によってさまざまな解釈ができますし、物によっては、あえて日本語の文法を無視した表現をしているものもあり、日本人にも意味が分からないものもあります。 出来れば、現代の短編小説などを読まれてはいかがでしょうか?

fenglianyang
質問者

お礼

早い回答どうもありがとうございました。 私は日本語教師です。私の仕事にほんとうに役立ちました。感謝の気持ちはいっぱいです。 ほんとうにありがとうございます。助かりました。

fenglianyang
質問者

補足

早い回答ありがとうございました。私は日本語の教師です。現代短編小説を読むのが大好きです。読みやすくて分かりやすいですから。「五月に」という文章は勉強しなければならない文章です。私が担当している日本語の授業のある文章です。勉強させられた文章ですよ。いくら読んでも分からないところがたくさんあります。こんど教えていただきましてほんとうにありがとうございました。感謝の気持ちはいっぱいです。ほんとうに助かりましたよ。 また分からないところがありますがまた教えていただきたいとおもいますけど。ご迷惑をおかけしてぜひお願いいたします。 だからこそ、我々には他人に対して想像力を働かせる必要があるのである。とくに遠い他人に対してそれよりほかに結ばれようはない。そしてそのためには、われわれは自分のエゴイズムをできる限り深くつきつめるしかない。自分の生命力とまったく均しい生命欲を、他人の中に認めるしかない。想像力によって呼び覚まされるものは、安易な同情ではない。それは欲望と欲望のせめぎあう人間地獄なのである。現代の都会に住む人間にとっては、季節感などないに等しいという意見がある。かつてそう思ったこともあったが、今は信じない。街に一本の街路樹がある限り、季節はわれわれについて回り、我々に新たな感ずることを強いる。季節は移り、季節はまた来るとしか感じないのは、すでに自分で感じないのは、すでに自分で感じていない証拠ではないか。 質問1.同情」という単語の意味は 「思いやり」の意味ですか?なぜ、それは欲望と欲望のせめぎあう人間地獄なのであるか。このセンテンスの中の「それ」という単語は何を指すのですか。 質問2.自分は感じないのは何を指すのですか。       

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