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中秋の名月 ススキはまだ

瀬戸内地方ですが、毎年、中秋の名月の時点ではとてもじゃないがススキの穂が出ていません。ススキの穂が出るのは10月後半以降です。 お月見は、もっと寒い地方の風習なのでしょうか。

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noname#224207
noname#224207
回答No.2

>お月見は、もっと寒い地方の風習なのでしょうか。 お月見というのは、中国から入ってきた習慣です。 日本では平安時代から朝廷で盛んに行われていました。 庶民にまで広がったのは室町時代以降です。 ススキとお月見との関係ですが、理由が分かるような定かな記録はありません。 習慣として古くから飾られていたことは分かっています。 従いまして以下は推論となります。 奈良時代以降平安時代にはススキは秋の七草の一つとして数えられていました。 萩 尾花 葛花 撫子 女郎 藤袴 朝顔・・・この尾花がススキです。 仲秋の名月のころというのは刈入時です。 ここで、お月見の際の飾りとして秋の七草を飾ったことと、ススキを稲穂と見立てたのではないかという説がでてきます。 あるいは、ススキは稲穂の代わりだったのではないのかとも考えられます。 それにしても時期が合わないではないかということについては歴史気象学とよばれる分野にヒントがあるかと思います。 古文書や寺院や遺跡などで見つかる古い木材に残されて年輪や地層に残された花粉などから、昔の気候を推定する学問です。 これによると、室町時代から江戸時代にかけては小氷期(小氷河期)と呼ばれています。 現在よりも寒冷だったと言われています。 現在とでは年間平均で2℃ほど低かったようです。 江戸時代の浮世絵などにも、江戸の街に雪が降り積もった絵が沢山あります。 東海道の雪景色もあります。 これからしますと、寒い地方というよりも日本全体が寒かったと言えます。 おそらくススキの穂がでるのも早かったでしょう。 現在も志賀高原などの冷涼な高地では、早くからススキの穂が出そろいます。 瀬戸内地方でも大山や剣山の中腹あたりでは早いのではありませんか。 仲秋の名月も今年は9月8日ですが来年は9月27日です。 これは、現在の太陽暦と太陰暦(旧暦)の差です。 いずれにしても現在の9月中旬の行事です。 江戸時代までは、温暖な瀬戸内地方でも、多少高いところへいけば仲秋でもススキが手に入ったのではないのでしょうか。

noname#215107
質問者

お礼

回答有難うございます。 なるほど、当時は寒かったのですね。 そういえば、30年以上前は、瀬戸内沿岸でも1年間に5~6回は、雪ダルマが作れるほど雪が降っていたのですが、今では1回あるかないかです。私の家の近くの川が凍って、上に乗って遊べるくらい厚い氷が張ったこともあったのですが、今では考えられません。 大山や剣山は瀬戸内地方ではありませんが、標高の高いところへ行けば今でも見つかりそうですね。

その他の回答 (1)

回答No.1

いわゆる15夜ってのは 要するに満月のことなので 毎月見れます 別に9月じゃなくても 中秋の名月ってのは単に9月の満月が綺麗だっていう清少納言が枕草子に書いた妄想です だからお月見は10月でも良い

noname#215107
質問者

お礼

回答有難うございます。 10月にススキを飾る地方もあるということでしょうか。

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