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被害妄想
被害妄想を根底からなくしたいです 主治医から妄想の正体は実はシンプルで妄想の逆のことが無意識で起こってるといわれました 見られてるとかバカにされているとかの裏 にはどういう深層心理があると思いますか? 自分は女性が怖いというのもあります
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- kabenimeary
- ベストアンサー率48% (64/133)
問題は自分に自信が持ててないことだと。 基本的に人間は集団で生活する動物ですから、コミュニティ形成を無意識で行おうとします。 よく社会は家庭から始まると言いますが、まずは類似した遺伝子と考え方をする人間と暮らすことで自分自身の核のようなものが固まります。家庭もそもそも社会の一部ですので、学校をはじめ地域住民と生活を共にすることで自然とコミュニティでの処世術を習得していきます。 簡単に言えば、こんな過程を経て人は社会に溶け込んで行くのですが、まずは家庭において自分の行動や考え方の善し悪しを自己確立できない場合は、家庭外にそれを求めるしかありません。 あなたの場合もそのような状態で、自己確立を社会に求めている状態だと考えられます。 ですから、他人の意見や評価を無意識で求めていて、その情報に対して自分で考えた事や行動の善し悪しを他人の評価により確認し確立しようとしている状態であると考えられます。 しかし、前述したように家庭は自分に近い人間の集まりで自己形成しやすいのに対して、社会は多種多様な思想が存在し自分との相違点が多く、なかなか自分の核となる部分が形成しづらいのものです。 自己の核がおおよそ出来上がっていれば、他人の助言や意見を取り入れ、自己形成に磨きをかけることになりますが、しっかり定まっていない場合は、評価に過敏になり左右されたり傷つきやすく不安定になりやすいでしょう。 自分と他人を比較して自分が未熟であると感じ、「自分はダメだ」とコンプレックスを抱き「周りもそう思っているだろう」と思い込んでしまうスパイラルが被害妄想の根源だと考えられます。 同様に女性が怖いと言うのも、思春期を過ぎて異性が気になってきているが、自分自身に自信がないので評価されることが怖いと言う心理だと思われます。 どうすれば良いか。自己形成が難しい家庭で育った場合は一生ダメかと言うと、そうではなく、そういう人は得られなかったものを与えてくれる人を強く求めているので、自ずと家庭代わりになる人を見つけられます。「この人は自分の母親代わりの人だ」と勝手に思ったり「この家族は自分の第2の家族」などと考えるのは自由です。 しばらくは少し辛いのですが人との出会いを避けては成長できません。また、しばらくして自分に自信が持てたり、自分の道を歩けるようになれば、その家族も必ずしも必要ではなくなっていきます。心の中でいつでも通じていると感じるだけでいいのです。 今は上手くいかなくても「まだ成長中」と考え、自分を傷つける言葉や行為は出来るだけ思い出さないようにし、とにかく「自分は自分」と繰り返して自分に自信を持てる何かを習得することだけを考えましょう。
- karamanai
- ベストアンサー率26% (12/45)
>無駄なプライドあります >しかし、それを捨てきれません >辛いです >こんな自分が嫌です No.2,No.4です。 プライドなんですから、捨てなくてもいいのでは? 重要なのは、そういった感情が自分の中にあることを否定しないことだと思います。 自分を理解して、すべてが自分であると納得すれば、葛藤から解放されると思います。 質問者の感じている恐怖や、抱えている無駄なプライドや嫌悪感は、多かれ少なかれ、誰でも持っているものです。 それらコンプレックスと対峙して克服した人ばかりではありません。 見ないふりをして生きている人も大勢います。 自分の嫌いな部分と向き合った質問者は、今から悟るチャンスがあると思うのです。 主治医から言われた言葉を出発に、自分の深層心理に興味を持てた質問者は、この先強く生きてゆけると思いますよ?
- neruran
- ベストアンサー率16% (2/12)
NO、3です。 >それも関係ありますか? 関係が有ると言うより、恐らく全ての原因がそこにあると思いますよ。 先日読んだ本の抜書きです。 出産後の母子関係は人間にとって、どの様な意味持っているのでしょう? それは「社会性」の原点であり、全ての感情や感覚の原点なのです。 社会性は他人を信頼する事で成り立っています。 その信頼は、親子の間の「愛着」を他人に応用した物なのです。 親子間で愛着が育まれていなければ、応用すべき愛着が無い為、社会性を持てません。 その愛着の原点が、母子関係にあるのです。まれたばかりの赤ちゃんは、目も見えず、手足も思うように動かせない無防備な存在です。 もし貴方が、気が付いたら何処とも知れない所に手足を縛られ、目隠しをされて転がっていたら、不安でたまらないと思います。 生まれたばかりの赤ちゃんは正にその状態です。 自分では何も出来ない赤ちゃんを、安心させる為にはどうすれば良いのでしょう? それは、母体の中で聞きなれた声、嗅ぎ慣れた懐かしい臭いのする母親に抱きかかえられる事です。 母親に抱かれた赤ちゃんは、安心して眠ってしまいますよね。 その「安心感」こそが、社会性の原点なのです。 少し付け加えるなら「守られている安心感」です。 それが愛着の源泉なのです。 愛着は一人との関係を他者へと広げていきます。 母親への愛着を父親や兄妹へと広げ、それを他人へと応用して社会性になるのです。 その最初の一人との愛着がしっかりとした物ならば、他者への愛着もしっかりとした物になりますが、最初の一人との愛着が不完全な物であれば、他者との愛着も不完全な物になってしまい、不完全な愛着を不完全なまま他者へと広げてしまうのです。子供は2~3歳頃になると、家事の真似事など親の模倣をし、親と一緒に家事をしたり家業を手伝ったりしながら、親と共に行動する事によって信頼関係を深めて、共同作業に喜びを覚えて行きます。 子供は共同作業の中で「任す」「任される」と言う協力関係や信頼関係を学び、協力は一方通行ではなく、自分からも協力を求める事が出来る事を知るのです。 この「任す」「任される」の関係は「交代の概念」と基を同じくします。 それは「助ける」「助けられる」「求める」「求められる」等の相互関係に応用されて行くので、とても大切な事なのです。 気を付けなければならないのは、一方通行にならない事です。例えば、親が家事をする時、子供がお手伝いをしたいと言っても親が手伝わせなった時、子供はどう思うでしょうか? 子供の気持ちになって考えて見ましょう。 何故、子供はお手伝いをしたいと言ったのでしょう? 「何かを一緒にしたい」「興味を引かれた」「面白そう」「楽しそう」など色々な気持ちが有ると思います。 そのシチュエーションは、楽しく遊んでいる子供達を見て「仲間に入れて」と言うのと同じなのです。 子供がお手伝いしようとした時に、親が手伝わせなければ「受け入れてもらえない」と言う感情を抱いてしまいます。 言葉を変えると「仲間に入れて」と言って「拒否」されたと言う構図になります。 家庭の中での「一緒にやらせて」は、友達を作る為の予行演習にもなっているのです。 親が手伝わせないと言う事は、子供に「あんたが仲間になりたいと言っても、仲間にしてもらえない」と言っているのと同じ事です。 また、親のお手伝いをして、楽しい時間を過ごす事で「共同作業」の楽しさを学ぶのです。 家族の中で学べなければ、他人に適用させる事も困難になってしまいます。 この様に書かれていました。 子供は母親に甘える物、そして母親はそれを受け入れる物です。 そうした関係を構築していなければ、母親やそれに変わる存在との間に、愛着関係を築けません。 母親若しくは母親に変わる人との間に愛着関係が築かれていなければ、本能と言うか無意識世界で他人を信じる事が出来ません。 他人を信じられないのが、被害妄想の原因ですので、他人を信じられるようになれば、被害妄想はなくなると思います。 但し、意識世界ではなく無意識世界で信じられるようになる事です。 女性に対する恐れと、女性に馬鹿にされたいという相反するような感情も、恐らくそこから来ていると思いますよ。 恐らく貴方は馬鹿にされたいのでは無く、甘えたいのだと思います。 動物のコミュニケーションの誘いは、擬似攻撃なのです。 それは人間も同じです。 馬鹿にされたいと言うのは、コミュニケーションに誘われたいとの思いではないでしょうか? その根底に有るのは、母親に甘えたいと言う願望だと思われます。 しかし母親の代わりの祖母は、甘えさせてくれなかった為、受け入れて貰えないと言う恐れが、女性に対する恐れとなって現れているのではないでしょうか?
- karamanai
- ベストアンサー率26% (12/45)
No.2です。 >自分は女性にバカにされたいとの願望がありますがこれも何か関係ありますか? とのことですが、願望があるのに被害妄想で女性が怖いのでしょうか? 矛盾がありますね。 バカにされたいとのではなく、「バカにされてるほうが楽」と云う事ではないでしょうか? 自分は人より優れているという願望→(変換)→他人は自分より下のはずだ→ →しかし現実は違う→むしろバカにされているかもしれない不安 私の先の回答は、このような解釈でした。 それに付け加えます。 思うように自分を偉く見せられない→絶望→理想と現実の葛藤→どーせ自分なんか→ →みんな俺を馬鹿にすればいい→他人を馬鹿にするやつは人間性が悪いやつ→人間性の悪いやつは俺より下 つまり、他人(女性)が自分を馬鹿にすれば、自分は人を馬鹿にするその相手よりも高尚な生き物だと感じることができ、自分のプライドを満足させることができる仕組みです。 ご不満かもしれませんが、私は、質問者の悩みの根底には、無駄なプライドがあるように思います。
お礼
無駄なプライドあります しかし、それを捨てきれません 辛いです こんな自分が嫌です
- neruran
- ベストアンサー率16% (2/12)
逆の事と言うのは、妄想は願望の裏返しなのです。 見られてるとかバカにされているとかの逆は、注目されたい賞賛を浴びたいと言う事でしょうね。 もっと根本的な所では、他人を信じられるか信じられないかと言う所でしょうね。 先日読んだ本にこんな事が書いてありました。 例えば「誰かが見ている」と言う事象が有るとすると、他人を信じられる人は「見守り」に感じ、他人を信じられない人は「監視」と感じる。 事象としては「誰かが見ている」だけですが、その人の主観によって「見守り」にもなれば「監視」にもなるんですね。 気遣いや思いやりも他人を信じられない人には、ハラスメントに映るとも書いてありました。 また、他人を信じられない人の原因は、親子関係に有るそうです。 女性が怖いと言うのは、知らない物に対する不安とか、自分が傷付く事に対する不安とか、女性に対するトラウマが有ったとか、私には女性に対する恐れは母親に対する恐れのようにも思えます。
補足
ありがとうございます 確かに自分には母親がいませんでした 祖母に身の回りをしてもらっていたのですがとにかく仲が悪かっです いつも叱られていました そして甘えられませんでした それも関係ありますか?
- karamanai
- ベストアンサー率26% (12/45)
私の職場に、自分に対して強く出る女性を異常に避けるくせに、何故か女性を蔑む発言をする男性がいます。 好みの女性は「頭のいい女性」と言いながら、自分よりも高い学歴を持つ女性は敬遠します。 質問内容を見て、ふと、彼を思い出し、それをふまえて回答いたします。 >主治医から妄想の正体は実はシンプルで妄想の逆のことが無意識で起こってるといわれました >見られてるとかバカにされているとかの裏にはどういう深層心理があると思いますか? >自分は女性が怖いというのもあります 自分が馬鹿にされている妄想の逆というのは、実は、「自分が他人を(特に女性を)馬鹿にしている」、あるいは、「人より上に立ちたい」「よく見られたい」という感情があるのではないでしょうか? 女性が怖いというのは、「自分は彼女より上であると思うが、自信がなく、蔑まれているかもしれない恐怖」「女性から立派に見られたいがそう思われなかったらどうしよう=怖い」はどうでしょうか? 誰でも、人より良く思われたい、頭がいいと思われたい、という感情はあります。 そして、劣等感もあります。 他人を賞賛しなくてもいいし、蔑まなくてもいい。ただ、自分も他人も同等だ、と悟ることができれば、被害妄想から解放されるかもしれません。
補足
ありがとうございます 自分は女性にバカにされたいとの願望がありますがこれも何か関係ありますか? すいませんこんな質問
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
自分で自分をバカにしてるってことだと思います。 自信があれば周りのことは気にならないし、 自分の信念に基づいてやるべきことをやるだけですから。 自信があれば日々充実しているはずです。
お礼
確かに自分で自分を馬鹿にしてます どうしたらこの負のスパイラルから抜け出せるのでしょう
お礼
回答ありがとうございます 確かに甘えたいです しかし、それが出来ません 辛いです 苦しいです