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処女とは何か?その価値は?
- 処女・virginity、処女であることとは、いかなる価値を持つのか?文化的なものなのか、生物学的な要請なのか?
- ヨーロッパでは処女は忌まわしい存在として捉えられ、処女であることを重視する風習が存在した。一方、日本では性に対して極めておおらかであり、処女性は問題にはならない。
- 処女性や性的潔癖さを重視する理由には、宗教的な背景や文化的な側面が関与している可能性がある。しかし、その価値や美徳が具体的に何なのかは明確ではない。
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>これは文化的なものなのか、 ではなく、 生物学的な要請―――たとえば、生まれてくる子供は、パートナー(男)の子供である確率が高い―――なのか? 私は「処女性」について、ほぼすべて文化的な要請であると考えています。 そもそも、人間の性を考えると、明らかに文化的宗教的差異を見ることができます。その差異とは ・一神教が歴史的に普及している地域 ・一神教以外の歴史が長い地域(西洋の植民地支配以前は独自の宗教観があった地域) ・植民地支配の影響を受けていない地域 に分けることができます。 日本は三番目の「植民地支配の影響を受けなかった地域」であり、そのため神道や仏教の習合、各地独自の独特の風習(たとえば沖縄の男子禁制のウタキとか、奇祭として有名な男根祭りとか)があげられます。中国や東南アジア(インド以東)もある程度、影響を受けなかった(受けても軽微)と言っていいでしょう。特に中国の儒教は重要でしょう。 次に明らかに文化的な特性を持っているのは、ユダヤ・キリスト・イスラムというエホバ神を核とする一神教の地域です。この地域はもともと遊牧地域であり、牧畜を前提とした文化的影響が見て取れます。 最後は、西洋の(つまり一神教の)植民地支配以前は独自の宗教があった地域です。南米やアフリカなどはキリスト教やイスラム教などが普及しているとはいえ、独自の宗教感も残っています。 さて、処女性を考えるときに私が思い浮かぶのは、割礼と宦官です。いずれにしても牧畜文化の考え方を表しているといえます。放牧文化では優秀な種を持たない限り、去勢されたり屠殺されたりして、子孫を残すことができません。つまり「人間も家畜同様、主人の損得勘定によって扱われ方が決まる」というのが文化の基礎になっているのです。 日本人にはちょっと信じられませんが、先進国は別にしてもヨーロッパからアラブの牧畜文化の国では今でも「女の子は、嫁にやるときにお金になる」と考えられています。シリアなどで児童婚が問題になっていますが、その根底には「家畜と同様、娘を売れば利益が得られる」という牧畜的な考え(生き物を扱い、出産で増えることが利益を生む)があったわけです。 そのような視点から見れば、領主や聖職者がもっている「初夜権」は自分が囲っている(自分の領地にいる)女性を、特定の男性に譲り、その男性の妻となった女性が子供を生み育てて、家系が繁栄することに対する税というか利益の前払いであり、初夜権は事実上、その女性を娶る男性が、領主に金を払うことで買い取っていたわけですから、家畜のメスを売り払って利益を得るのと同等の行為であったと言えます。 牧畜文化においての処女の重要性は、お金に換えることができる資源(一人に1回しかない)として希少性があったのです。 また、牧畜文化は一神教文化でもあります。一神教の特徴として「禁欲」が挙げられます。モーゼの十戒は一神教すべてで有効な戒律であるといえます。 この中で「姦淫」は神との約束を破ることになります。逆をいえば、中世の魔女は神に背いた悪徳そのものですから、その魔女が神との約束を守って処女(姦淫をしていない)ではまずいわけです。 ですから、魔女狩りは「神との約束である戒律を破ったもの」非処女でなければならなかったわけです。 ジャンヌ・ダルクの例も裁判において「悪魔を呼び出し、悪魔と契約と交渉(つまり性行為)を行った」ことが「魔女である証拠」とされたようですから、処女性はむしろ善と見られていたと思われます。 また、処女を善とすることは、婚前交渉を減らすことになりますので「初夜権」を担保するのに十分な理由にもなります。 牧畜文化からくる処女の希少性(金銭価値)と一神教における禁欲の発露(姦淫の禁止)が、西洋での「処女の価値」そのものであるといえるでしょう。 では、同じように牧畜文化を持っていたアジアはどのようなものかというと、少し複雑であるといえます。まず、アジアにおいて「遊牧民族」というのは、純粋な漢民族ではなく元とも称されたモンゴル系の人々であり、明を後の清も同じようにモンゴル系であったといえます。 中国の歴史は、農耕民族である漢族と騎馬・放牧文化であるモンゴル系が中原の支配権を争ってきた歴史であるともいえるでしょう。 このときに漢族は春秋時代には孔子が出現し、体系としての儒教をまとめています。当然ながらそれ以前から儒教的な風習はあったでしょう。そして儒教は君主に対しては忠、父に対しては孝と、主君に忠義を尽くしながら先祖からの血筋を絶やさないのが孝徳である、という考え方ができてきました。 これの場合の女性の役割は「次の世代の子供を生み、血筋を絶やさない」ということにつきます。つまり子供を産めない女性はポンコツであり、その重要性は処女性よりも重要であったと言えます。 ということは「うちの娘はポンコツであるかないか」を場合によっては確かめる必要性もあったのでしょう。試し腹というのは「妊娠できる女性でなければ無価値」という考え方、つまりは「血筋を絶やしてはならない」という価値観から出発しているといえます。 そして、アジアには一神教の十戒のような禁忌はありませんでしたから、試し腹でもなんでもありえたといえるのでしょう。 さて、日本の話になりますが、日本は牧畜文化ということに関しては、非常にナイーブなところを見せます。たとえば大宝律令で律令制を中国から輸入したはずなのに、科挙と共に宦官も受け入れていません。また、元寇の際には牡馬の去勢も知られていたはずですし、遅くとも種子島以降には西洋人が去勢の知識をもたらしたはずなのに、それらを行うことをしていません。 日本の馬が去勢されるようになったのは、明治以降のことであり、日本に馬車が無かったのは「去勢されない雄馬の凶暴性」を制御できなかったからだとも言われいます。 日本は性については非常におおらかであり、性そのものに神秘性・宗教性を見出していた、ともいえます。 たとえば、江戸時代までの漁村では、妊娠している女性が神にささげた飯椀を蹴り倒し、遠くに飛べば飛ぶほどその年は豊漁である、と考えられたという祭りもありましたし、今でも一切表に出ませんが、神事=村総出の乱交パーティだった地域もあったと言われています。 これだけでなく夜這いで妊娠した娘は、夜這いした男性の中から伴侶を指名することができ、生まれた子供が指名された男性の子供でなくても「村の子」ということで、集落を上げて大切に育てられた、とも言われています。 つまり男女の性交渉そのものが、集落における摩擦の軽減に一役買っていた、という文化であるといえます。 実はこれとほぼ同じ文化はエスキモー文化に見ることができますし、ネイティブアメリカンの一部や南米の原住民の一部などにも見られる風習であったと言われています。 このような「性交渉により集団の摩擦を軽減する」という文化からすれば、処女は「性交渉への不参加」であり「集落への帰属意識の低下」を招きます。つまり、このような文化であれば処女は何の価値もない、ということになります。 ちなみに江戸時代までの日本では処女はおぼこ:未通娘とも呼ばれており、どちらかと言うと蔑称であったといえます。 古来の日本では処女の価値は無かった(というより処女と言う言葉自体が明治以降の西洋文化の翻訳語)といえます。 このように、各地域の特性・風習によって人々の役割やその存在価値も変わっていくといえます。ですので、各地域で「処女性」の価値に違いがあるのは当然であり、またそれは生物学的な要求と言うよりは、社会学的な要求であったといえます。
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- 日比野 暉彦(@bragelonne)
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No.3です。 聖書にも 女性蔑視の文章があると しばしば指摘され批難されている箇所をめぐって アウグスティヌスは 次のように論じています。男の側からの見方が現われていて 擁護しがたいかも知れません。わづかに考察を加えていく余地がある主題ではないかと考えています。 ▲ (アウグスティヌス:女も同じく歴史の共同相続人である ~~~~ 男が神の似像(にすがた)であり 栄光であるから 頭に蔽 いをかぶってはならない。しかし 女は 男の栄光である。 (パウロ:コリント前書2:7) [・・・]男は神の似像であり したがって 女には被るように勧めるその蔽いを 頭から 取り去るように〔使徒=パウロは〕語っている[・・・]。 精神は 永遠なものを志向すればするだけ 神の似像によって形成されるのであるから 自己を節制し 抑制するように引きとめられるべきではない。したがって 男は 頭に蔽いを被ってはならないのである。 しかし 物体的・時間的な事物に巻き込まれるあの理性的な行為にとって より低いものへ余りに突き進むのは 危険である。だから それは 頭の上に抑制されるべきものを意味表示する蔽いを示す権能を 持たなければならない。 [・・・]神は 時間によって 見たまうのではない。また 或るものが 時間的・暫定的に生じるとき 動物や人間の内的な感覚 また天使たちの天的な感覚さえも 影響されるのであるが そのように神の直視と知においては 新しいものが 生起するのではない。 [・・・] それでは 信仰篤い婦人は 身体の性を失ったのであろうか。 そうではない。かれら(かのじょら)は 神の似像――そこには性は存在しない――によって新しくされたゆえに 神の似像――そこには性は存在しない――によって 言い換えるとその精神の霊において人間が造られたのである。 それでは 男は神の似像であり栄光であるゆえに なぜ 頭に蔽いを被ってはならないのであろうか。またなぜ 女はあたかも創造主の似像にしたがって神の知識へと新しくされる その精神の霊によって新しくされないかのように 男の栄光であるゆえに頭に蔽いを被らなければならないのであろうか。 女は身体の性によって男と異なっているから その身体の蔽いによって宗教的な典礼で 時間的なものを管理するため下に向けられる理性の(*――理性の である――)あの部分を象徴し得たのである。 そのため 人間の精神が その部分から永遠の理性に固着し それを直視し それに訊ねることをしないなら 神の似像は 留まらない。この精神は 男のみならず 女も持つことは 明らかである。 だから 男と女の精神には明らかに共通の本性が認められる。[・・・] (アウグスティヌス:三位一体論12・7) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 《理性のあの部分》については 直接の解説はありません。《経験的な あるいはむしろ 経済的な ものごとを管理する知恵のはたらき》のようなことでしょうか。 《神の似像 あるいは 神の霊・精神の霊によってあたらしくされる》という言葉が分かりにくいので これを言いかえるなら けっきょくわれわれ人間なる存在にとっての《前史から後史への回心》と採ります。 では 《後史へ入った》なら どういう姿になるか? 次のように質問で問うたことがありますので これらを掲げます。 【Q:ザビーヌ事件について】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5548780.html 【Q:ザビーヌ事件について なぜそれを無効の行為だと判断してはならないか?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5724038.html ・ ▲ (ヰキぺ:ザビーヌ・ダルデンヌ) ~~~~~ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%8C ザビーヌは1996年5月28日、12歳のときに通学中に誘拐され、犯人の家の特製地下室(幅99cm・奥行き2m34cm)に80日間閉じ込められる。その間、小児性愛者である犯人から性的虐待を受け続けた。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ この体験は 蚊に刺されたに過ぎないという結論です。 【Q:ブッダターのハタラキとは・・・】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8637913.html ・ 『春香伝』の春香 / 山の井伝説:郡山安積の采女・春姫 【Q:情欲のない生殖とは どういうことか?】 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8541345.html
お礼
ご紹介いただいた、アウグスティヌスのこの文章は難しいですね~。 この文章を読み解くキーワードである、《髪の似姿》や《理性のあの部分》といった言葉の意味をとらえられないためだと思うんですが…。 ただ、 「物体的・時間的な事物に巻き込まれるあの理性的な行為にとって より低いものへ余りに突き進む」 という言葉にグノーシスの匂いを感じとるのは、私だけなのでしょうか。 グノーシスでは、《ソフィアの転落》というようなことを言いますし…。 回答、ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
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#5の者です。 >婚前の女性の処女性の重視や、処女神話が崩壊しつつあるように思え >ますが、これは、あるべき姿や、歴史・経済の必然性だと思いますか? 「婚前の処女性の重視」と、生物として重要な育児に関わる 「貞節」が必ずしも一致するものではないのは、先の書き込み にある通りです。 女性がしっかりし、男性が責任感があり、社会の子育て支援 が充分であるならば、婚前の自由な性行為は、相性を確認 するため、人生を楽しむために許されるべきでしょう。 望まずに(親になる心づもりなく)母親になったり、その結果 望まれない子供が生まれたり、しないようにした上で。 それが歴史の必然かといえば、違います。 それは、自己中心的な快楽主義が前提となっており、その 補完のための制度や資質があれば大丈夫、と言っているに 過ぎません。 もし、自己の生の社会生命的自覚による、「自律的生=生き る事自体による喜び」が実現されるなら、そこには次世代の 育成こそが生命の根幹である事が理解でき、性を独立した 快楽の源とは考えないはずです。 夫婦で分かりあう喜びが性の快楽を高め、親子で信じ合う 喜びが未来への希望となる時、処女性などどちらでも良い (快楽に流されて捨てるは愚か、こだわって真の愛を逸する も愚か)。
お礼
psytexさんのお考えがわかりました。 回答、ありがとうございました。
- 雪中庵(@psytex)
- ベストアンサー率21% (1064/5003)
処女性が忌避されるという文化は例外的であり、それを 一般化するのは無理です。 日本でも、古代は通い婚だったというのは、母系社会= 女性が家を継ぐ事により種が誰であれ問題ないだけで、 男性社会の視点からのフリーセックスとは異なります。 今も通い婚が息づいているブータンの田舎に3年暮した 僕ですが、同僚から「あの女はお前に『OKサイン』を 出しているから行け」と言われて、家の間取りまで描い てくれ、夜に彼女の家の前まで行ったものの、夜にこっ そり他人の家に忍び込む勇気が出ず、スゴスゴ帰って 同僚から笑いものになりました。 誰でも勝手に夜這いできる訳ではなく、女性のお眼鏡に かなった者だけが(これが阿吽の呼吸なのでヨソ者には 難しい)、侵入しても騒ぎにならないのです。 日本の田舎の風習で、村の重鎮が破瓜するというものが あるが、それは確立した地域コミュニティによる性教育 であって、やがて若衆宿で伴侶を見つけて婚礼をあげた 上は、貞節が求められるのです。 有性生殖は、見た目は区別できない単細胞生物でも性別 があり、異性間でしか遺伝子交配できず、遺伝子交配を しないで分裂生殖だけをしていると、分裂できなくなり 死んでしまいます。 それほど、有性生殖=遺伝子交配による多様性の創出に よる進化は、重要なものだったのです。 最初は、ランダムな接触や海水中に生殖細胞を放出する 交配方法だったのが、多細胞生物になって環境認識して 選択的に行動できるようになると、交配相手の選択にお いて、遺伝的多様性を生み出すだけでなく、強い個体の 遺伝子を残す機能も果たすようになり、ペアリングが 重要になってきました。 さらに環境への適応を、遺伝子の変異と自然淘汰という 遅い方法ではなく、脳の発達による環境認識での適応と いう早い方法をとったため、生後の経験による学習が 重要になり、固定的な夫婦による子育てが必要になった =貞節が求められるようになったのです。 この貞節と処女性は、母系社会では先述のように一致し ていませんでしたが、男性社会では男性の独占欲により 一致するようになり、工業化や国家体制の肥大化(男性 の役目であるマツリゴトが重要になった)世界の多くの 文化において婚前の処女性が重視されているのです。
お礼
~~~~~~ 僕ですが、同僚から「あの女はお前に『OKサイン』を 出しているから行け」と言われて、家の間取りまで描い てくれ、夜に彼女の家の前まで行ったものの、夜にこっ そり他人の家に忍び込む勇気が出ず、スゴスゴ帰って 同僚から笑いものになりました。 ~~~~~~ ほ~っ、 それは惜しいことをしましたね♪ ~~~~~~ 誰でも勝手に夜這いできる訳ではなく、女性のお眼鏡に かなった者だけが(これが阿吽の呼吸なのでヨソ者には 難しい)、侵入しても騒ぎにならないのです。 ~~~~~~ (古代)日本も、かつては、そうだったのですかね。 残されている文献資料は、どうしても(平安)貴族などのものになってしまい、その厳格な規則などに目がいってしまいますが…。 日本は、かなり儀式ばっていますよね。 夜、男は何日も女性のもとに通い、外からラブソングを歌ったりして、まず女性に気に入られないといけない。 そして、気に入られると、女性が父親などにそのことを報告し、承諾を得なければいけない。 その後、《三日夜》の儀式を経て、正式に結婚したとされる。 ───────── みか‐の‐もちい 〔‐もちひ〕 【三日の▽餅】 平安時代、婚礼後3日目の夜に、妻の家で新郎・新婦に食べさせた祝い餅(もち)。また、その儀式。三日夜(みかよ)のもち。 http://kotobank.jp/word/%E4%B8%89%E6%97%A5%E3%81%AE%E9%A4%85?dic=daijisen ───────── この《お試し結婚期間》というべき3日間の間に、男が来なくなるというのは、 お嫁さんの家族にとっては、一家に対しての最大の侮辱であり、同時に恥とされていたそうです。 ~~~~~~ この貞節と処女性は、母系社会では先述のように一致し ていませんでしたが、男性社会では男性の独占欲により 一致するようになり、工業化や国家体制の肥大化(男性 の役目であるマツリゴトが重要になった)世界の多くの 文化において婚前の処女性が重視されているのです。 ~~~~~~ No.3のbragelonneさんの回答に、 マルクスやエンゲルスの予想があげられ、 同時に、先進国の多くで、 婚前の女性の処女性の重視や、処女神話が崩壊しつつあるように思えますが、 これは、あるべき姿や、歴史・経済の必然性だと思いますか? よろしければ、 この点についてのお考えをお聞かせ願いませんでしょうか。 回答、ありがとうございました。
- titelist1
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No.1です。安堵と誇りの理由を言えとのきびしい追加質問がありました。 それは自分が妻にとって初めての男性であれば、夫婦の結びつきが深くなると思う安堵感です。さらにみそめた女性の価値が高いのでそれ選んだ男性の誇りです。 動物学的に人類のメスの処女性を少し考察してみようと思いました。 動物の婚姻形態はオスとメスの大きさで判るのです。オスが大きいと一夫多妻。同等だと一夫一妻。メスが大きいと多夫一妻です。いろんな動物で想像してみてください。猿類だけで見ると、一夫多妻にはゴリラ、マントヒヒ、ニホンザルなど。一夫一妻はオランウータン、チンパンジー、ヒトです。 オランウータンは完全な一夫一妻で、群れをつくりませんので処女性が高い。ゴリラも一匹のオスの小集団で処女性が高い。ニホンザルやマントヒヒは群れを作るので完全な一夫多妻ではありません。メスはボスの目を盗んで浮気をするのです。ボスだけの子が増えると子同士の近親相姦が問題になるからです。チンパンジーは一夫一妻と言うよりも乱婚状態で、オスが弱いためです。 ヒトはオスの方が少しメスより大きく一夫多妻の歴史を持っている証拠です。また、オスが弱いのでチンパンジーのような乱婚でもあったのです。必然的にメスの処女性は低かったはずです。 哺乳類の性交は基本は後ろですが、オランウータンとチンバンジーとヒトが前からです。この三種類は他の動物と較べても性交の時間が極めて長いのです。ペニスもそれに適した形をしています。また時間の長さはオスとメスとの関係が深くてこまやかなことを表し、お互いの相性が大事になります。 この三種類の中でヒトだけが毎月排卵があるのです。したがって、オスもメスにもはっきりした交尾期がなく四六時中やっています。群れで生活すると処女性が保ちにくいので、その価値も高いのです。こんな動物はヒトしかいません。
お礼
☆猿類だけで見ると、一夫多妻にはゴリラ、マントヒヒ、ニホンザルなど。 ◇ゴリラのパパぶりを見ると、頭が下がります。 ゴリラという生き物そのものが心やさしい生き物で、おそらく、ヒトを含む類人猿でもっとも心やさしく、平和的なんじゃないですかね。 ☆一夫一妻はオランウータン、チンパンジー、ヒトです。 ◇この後にご指摘がありますが、 ヒトは、そもそもは、チンパンジーと同じく乱婚だったのでしょうね。 このことは、チンパンジーの亜種であるボノボを見ると、推測ができるような気がします。 ボノボも、人間と同じく、繁殖を伴わない性行を行ないます。しかも、年がら年中、毎日、のべつ幕(膜か?)なく。 ボノボにとって、この繁殖を伴わない性行は、群れの中での無用な争いを起こさない緊張緩和の行為であるとともに、群れの仲間との絆を強める一種のコミュニケーションらしんですよね。だから、母親と息子、メスとメス、子供同士でも行なわれるそうです。 イルカも繁殖と無関係な性行を行なうようですね。イルカも人間と同様にエッチ好きな哺乳類とされているようです。 で、わたしが推測するに、 ヒトは、男女間で恒常的・継続的なパートナー関係を結べるようにできていない。 たとえば、人間の脳には、 恋愛タイマーというべき仕組みがあり、 恋愛状態は最長でも3年くらいしか続かないようにできている。 この期間は、母親が子供につきっきりで面倒を見る必要があり、そのため、子供を置き去りにして餌を探しに出れない期間。だから、この間は、父親が餌を運んでこなければならず、こうした機能が脳にあるらしい。 また、子孫を残すという戦略の観点から、特定のパートナーとのみ子供を作るというのは、病気などによって子供全滅という可能性が高く、望ましい形ではないんですよ。 おそらく、この観点からは、チンパンジーやネコのように乱婚状態の方が望ましい…。 福岡の猫島での子猫の父親調査(遺伝子調査)の結果によりますと、メス猫は自身の所属するグループのオスの子供を残すことを本能的に嫌うらしく、異なるグループのオスと性行をし、子供を残そうとする傾向があるらしい。 1年前くらいに、このようすの映像を見たことがあるのですが、 メス猫が発情期に入ると、同じグループのオスが何匹もこのメス猫の後を追い回すのですが、 この追い回しで疲れ切ったオス猫たちの追跡を猛ダッシュで振り切り、 そのグループのテリトリー近くにいる他のグループのオスとエッチする。 発情期≠排卵期で、メス猫は自身の排卵期が分かるらしく、それ故に、こうした芸当が出来るのだそうです。 ネコとは違いますけれども、 モンゴルなどの遊牧民族などでは、他所(よそ)からやってきた人に自身の奥さんを提供し、もてなすという風習があったりします。 こうした風習も、異なる遺伝子を外部から取り入れ、近親婚による弊害を取り除くために生まれたんでしょうね。 なお、 一度パートナーとなると、パートナーが死なない限り、その婚姻関係を継続する動物としては、 アホウドリ、ペンギン、カラスなどがいます。 アホウドリとペンギンは、繁殖・子育ての期間だけ夫婦は一緒にいるのですが、 カラスは、人間と同じように、夫婦は一緒にいます。 聞くところによりますと、 カラスの旦那さんは健気らしいですよ~♪ 奥さんが不安になったりパニック状態に陥り、ヘルプの鳴き声をあげると、 旦那さんがすぐにやって来て、奥さんの毛づくろいなどをして、不安を取り除こうと甲斐甲斐しく尽くすそうです。 ☆の三種類は他の動物と較べても性交の時間が極めて長いのです。ペニスもそれに適した形をしています。 ◇樹上生活をする時間が長いチンパンジーやオラウータンはともかく、 私にとって、 ヒトという種は特に謎なんですよ。 ヒトの祖先は、アフリカの地殻変動などにより、樹上生活を諦めざるを得なかった種であり、平原で生活するようになった種ですよね。 草原には大型の肉食獣が多数存在し、これといった武器(速く逃げる・立ち向かって戦う)を持たなかったヒトに至る種は、肉食獣の格好の餌食になったはず。 木に登って逃げようにも、あたりには木らしい木がない。 こんなところで、何故、長時間の性交が許されるのか? 食べられる側だったのだから、多くの食べられる側の動物のように、挿入即射精の方が理にかなっているように思えるんですが、 何故、こんな変な種が存在するのか、存在できたのか、さっぱりわからない。 もちろん、 長時間性交をしても、肉食獣に食べられないような優秀な個体が生き残ったんだ。 そして、この方向で進化した種がヒトという種なのだ、 ともっともらしい理由はつけられるんですが。 ペニスの長さ(身長に対するペニスの長さの割合です)も他の哺乳類に比べて異常に長いし、 しかも、 このペニスの長さの個体差も極めて大きい。 国別の比較で言いますと、最短の韓国9cmと最長のコンゴ18cm。 これは国別平均値の比較であり、個体間の差はもっと大きいはずです。 何なんですかね~、このオカシナ生物は? 長々とよけいなことをくっちゃべってしまいました。 回答、有難うございました。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
あんがいなのか やはりキワドイからなのか 回答が付きませんね。 お早うございます。 からめ手から話をすすめてみます。 ▲ (マルクス:ツイ関係について) ~~~~~~~~~~ 男性の女性にたいする関係は 人間の人間にたいするもっとも自然的な関係である。 だから どの程度まで人間の自然的態度(* あやまちうるスサノヲの自然本性にもとづく人間語)が人間的となったか(* すなわち 自然の素直だけではなくさらに何らかの物差しを見つけてその基準としての品格を重んじるようになるアマテラス人格語 もしくは 《スサノヲ語‐アマテラス語の連関する構造にあってそれらのよき配置による人びとの交通関係論をめぐる綜合的なことば》となったか。つまり 以下につづく説明のごとく) あるいはどの程度まで人間的本質が人間にとって自然的本質となったか どの程度まで人間の人間的自然が人間にとって自然となったかは 男性の女性にたいする関係のなかに示されている。 (マルクス:経済学・哲学草稿 第三草稿〔二〕私有財産とコミュニスム 城塚登訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは おそらくもし人と人との交通について 一般的な二角関係の中にさらに性差にもとづくツイ(対)の関係として議論を立てるのなら 〔おそらく〕端的に言って男の側から 《婦人の霊的な共有》を言っているのではないかと飛躍して解釈されると思っています。 あるいはつまり《人間の 自然的・感性的かつ人間的な 社会関係》のことを言っていると見てよいと思います。そこでは 《むしろ感性が いわゆる人格を形成する核である》とさえ言っているようだと見ます。 その感性の人間的な完成――しゃれのめしていますが―― このような情感の共同性 としての社会のあり方が 飛躍して言えば 男の側からする態度としての・婦人の霊的な共有におよそ収れんしているであろうという捉え方です。 これをめぐっては 特にヨーロッパ人のあいだで人間論かつツイ関係論が広範な議論として培われて来ているのだと見られます。 さらに今度は 『共産党宣言』から引きましょう。 ▲ (共産党宣言におけるツイ関係論)~~~~~~~~~~ そして 共産主義者よ 君たちは婦人の共有を採用しようとするのだろう と全ブルジョア階級は いっせいにわれわれに向かって叫ぶ。 ブルジョアにとっては その妻は単なる生産用具に見える。だから 生産用具は共同に利用させるべきである と聞くと かれらは 当然 共有の運命が同様に婦人を見舞うであろうとしか考えることができない。 ここで問題にしているのは 単なる生産用具としての婦人の地位の廃止だ ということにはブルジョアは思いもおよばない。 何にしても 共産主義者のいわゆる公認の婦人共有におどろきさわくわがブルジョアの道徳家振りほど笑うべきものはまたとない。共産主義者は 婦人の共有をあらたにとりいれる必要はない。それはほとんど常に存在してきたのだ。 わがブルジョアは かれらのプロレタリアの妻や娘を自由にするだけでは満足しない。公娼については論外としても かれらは 自分たちの妻をたがいに誘惑して それを何よりの喜びとしている。 * ☆ ちょっと議論をあらぬところへと導こうとしているの かも知れませんが ひととおり最後まで引いておきます。 ブルジョアの結婚は 実際には妻の共有である。 共産主義者に非難を加えうるとすれば せいぜいで 共産主義者は偽善的に内密にした婦人の共有の代わりに 公認の 公然たる婦人の共有をとり入れようとするという非難ぐらいであろう。 いづれにせよ 現在の生産諸関係の廃止とともに この関係から生ずる婦人の共有もまた すなわち公認および非公認の売淫もまた消滅することは自明である。 (《共産党宣言》第二章 大内兵衛・向坂逸郎訳) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 男の側からするツイ関係論であることにマチガイないのですが この点は エンゲルスがさらに 次のように歴史における見通しを述べつつ《婦人の共有(?)》論を擁護しています。 ▲ (エンゲルス:未来社会におけるツイ関係について) ~~~~~~~ したがって きたるべき資本主義的生産の一掃後の性的関係の秩序について 今日われわれが推測できることは 主として消極的な種類のものであって 大部分は脱落するものにかぎられる。 だが 何が付け加わるだろうか。それは 新しい世代が成長してきたときに決定されるであろう。 この世代は その生涯をつうじて 貨幣(かね)やその他の社会的権勢の手段で女性の肉体提供を買いとる状況に一度も遭遇したことのない男性たちと 真の愛情以外のなんらかの配慮から男性に身をまかせたり 経済的な結果を恐れて恋人に身をまかせるのをこばんだりする状況に一度も遭遇したことのない女性たちとの 世代である。 このような人びとが出てきたばあい 彼らは 今日の人間が彼らのなすべきことだと考えていることなど 意に介さないであろう。彼らは 彼ら自身の実践と それに応じた個々人の実践にかんする世論とを みづからつくるであろう――それでおしまいだ。 (F.エンゲルス:家族・私有財産・国家の起源 第二章 家族) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たたき台には なりますでしょ? 処女は 幕のことではなく そうではなく ツイとなるべき二角のあいだにおける交通関係のあり方や姿勢にかかわっている。これは むしろ人びとそれぞれの自然本性として 自明のことなのである。と言えるのではないでしょうか。 (なお 共産主義社会に必然的に到るという唯物弁証法なる過程を説く歴史観については 摂るところではありません)。
お礼
ソ連を初めに、 旧共産圏諸国では、基本的に男女平等であったにもかかわらず、 性の解放(婦人共有?)には至りませんでしたね。 これは、社会主義や共産主義の前段階である資本主義の発達(資本の独占)の度合いが十分でなく、その段階を経ずして社会主義や共産主義に入ったためなのですかね。 それとも、 結婚(1対1の売春契約)は、共産主義でも覆さないほど根強いものがあると考えるべきなのか…。 マルクス主義の人に、お考えを伺いたいところです。 エンゲルスならばともかく、マルクスがこういうことを主張すると、説得力がないんだよな~。 マルクスは、奥さんや子供がありながら、メイドさん(ヘレーネ・デムート)に手を出し、妊娠・出産させた過去があるんで。しかも、その子供(フレディ)を里子に出している。 ルソーは、生まれてくる子供をかたっぱしから孤児院に預けるという、もっと無茶苦茶なことをやって、世の顰蹙をかったけれど…。 それはそれとしまして、 世の中は、お示しいただきましたエンゲルスの予想の方向に進んでいるようですね。 いやいや、 医学や生物学の発達によって、性行を経ることなく、 女性一人でも、人工授精で妊娠・出産ができるようになり、 アメリカでは、こうした有償サービスを利用する(独身)女性やレズビアンの方もいらっしゃるようです。 精子提供者のIQ(精子提供者の多くはアメリカの名門大学の学生さん)、肌の色、目の色、髪の色、身長などなど、 女性の好みの精子を選ぶことができるらしいです。 確か、精子提供者も精子を提供する度に、数千円から1万円くらいの謝礼をもらえるんじゃなかったかな。 学歴やIQ、目の色や髪の色などの違いによって、その謝礼の金額が違うそうです。 ───これは人種差別などではなく、純粋に、需要と供給の関係によって金額が決まるのだ、とそのサービスを提供している人たちは、言っているらしいです─── こうしたことを考えると、経済と婚姻や家族制度との関係は、私が考える以上に深い関係があるのかもしれませんね。 回答、有難うございました。
- subetenoaruji
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清潔なものは良いということです。 誰かのウンコを入れたコップって消毒しても気持ち悪くて使いたくないですよね? ここのウンコを他の男のチンポ。お皿を女に変えると男が感じてる感覚がわかると思います。 男にとって他の男のチンポって他者のウンコみたいなものです。 男の本能はそう感じるもんなんです。
お礼
なるほど。 それに、新品と中古ならば、 新品の方がいいですものね。 回答、ありがとうございました。
- titelist1
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いやいや、久し振りに回答のように長い質問のようなものを読ませていただきました。妻が処女であったのが安堵と誇りです。
お礼
回答、ありがとうございます。 ☆妻が処女であったのが安堵と誇りです。 ◇ですから、 どうして、安堵と誇りなのかを伺いたいと思いまして、 質問をいたしました。 よろしかったら、 どうして安堵し、誇りに思われるのか、 教えていただけませんでしょうか<m(__)m>
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お礼
様々な文化的視点からの分析、ありがとうございます。 ~~~~~ さて、処女性を考えるときに私が思い浮かぶのは、割礼と宦官です。いずれにしても牧畜文化の考え方を表しているといえます。放牧文化では優秀な種を持たない限り、去勢されたり屠殺されたりして、子孫を残すことができません。つまり「人間も家畜同様、主人の損得勘定によって扱われ方が決まる」というのが文化の基礎になっているのです。 ~~~~~ 宦官は牧畜文化と密接な関係がある、と言われますよね。 また、 原則として、長子相続ではなく、我が子を互いに競わせ、子供の実力や能力によって、親のあとを継ぐ、ということも牧畜文化の特徴の一つとされているようですね。 清朝は、漢民族の長子相続を最後まで受け入れず、こうした実力本位制を採用した、といわれます。たとえ皇帝になったとしても、その実力がないとみなされると、毒殺をされたり、非業な最期を迎えることになる…。 ~~~~~ ○また、処女を善とすることは、婚前交渉を減らすことになりますので「初夜権」を担保するのに十分な理由にもなります。 ○牧畜文化からくる処女の希少性(金銭価値)と一神教における禁欲の発露(姦淫の禁止)が、西洋での「処女の価値」そのものであるといえるでしょう。 ~~~~~ なるほど、なるほど。 ☆実はこれとほぼ同じ文化はエスキモー文化に見ることができますし、ネイティブアメリカンの一部や南米の原住民の一部などにも見られる風習であったと言われています。 ◇ネイティブ・アメリカンは、基本的に母系社会ですしね。 ラコタ・スー族などでは、奥さんが気に入らないと、旦那さんはすぐに追い出されたそうですよ。 また、インディアンの多くの部族では、《ベルダージュ》と呼ばれる第三の性が認められ、同性愛者はその部族の中で子供の名付け親になるなど、重要な役割をはたしたと言います。 日本も、明治以前は、同性愛は半ば公然に行なわれていましたが、これはどちらかというと、少年愛に近かったらしいので、これはまた別なのでしょうね。 こうした性に対する差別意識をなくすために、日本人の多くが《ベルダーシュ》という文化、制度をもっと知るべきなのでしょうね。 ☆古来の日本では処女の価値は無かった(というより処女と言う言葉自体が明治以降の西洋文化の翻訳語)といえます。 ◇処女の価値は無かったとは言えないと思いますが、 今日考えられているように処女や処女性は重視されなかったのは、事実なのでしょうね。 処女や処女性の株が上がったのは、明治以降のことで、極めて人為的で、政策的なものだっと思います。 回答、ありがとうございました。