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センスとは? それを磨くって?
会社から「センス」に関して書かれた某書籍を読むようにとの課題がありました。 センスとは「感性では無い」と定義されており、「数値化出来ない事象を最適化すること」「知識にもとづく予測」とされていました。 センスは生まれ持って備わっているものではなく、知識・経験で作られるものだと。 それをビジネスに生かすべし、と。 どうもしっくり来ず、WIKIで「センス」について調べると「美的感覚や感性のこと」とあり、更に「感性」とは「人間の持つ知覚的な能力のひとつである」とあります。 私はこちらの意味合いの方がしっくりきました。 感性であるならば、水平線に沈む夕日を見て美しいと思うか否かという感覚(思わないことが悪いということでは無く)という感じでしょうか。 なのでいくら知識を増やしても知覚的な能力が磨かれるとは思い難いのです。 加えて、センスがいいだの悪いだのという他人が評価をするようなものでは無く、千差万別個人個人で違って然るべきものでは無いかと。 上も下も無いものだから、磨くも磨かないも無いものだは無いかと。 ですので本の内容云々というよりは「センス」についての定義に?なのです。 皆様の「センス」についてのご意見をお聞かせ下さい。
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- tomiihappy
- ベストアンサー率44% (51/115)
自然に見えてそれでいて大多数が感動するもの だと、思います。 感動とは心が動くということです。 喜怒哀楽です。 センスとは感動を発生させるニュアンスだと思います。 あの人の服装は奇抜だがセンスがある! 意味は奇抜だが自然に見えてそれでいて大多数が感動するって事です。 服装のサイズが合ってなかったら自然に見えないし、色調やデザインもその人に合って無いと駄目です。 合う=自然 です。 センスの有る無しは 評価の事です。 つまり大多数の感動です。 個人の感動では好みの問題になります。 趣味嗜好になるわけです。それではセンスという言葉があてはまりません。 個人の主張が不自然に目立った時 センスが悪い!になるわけです。 センスとは感動があり しかも大多数がそれを認めないといけないわけです。 センスの前に 奇抜な とか 独特の とか付く事からセンス自体に含まれているのはニュートラルな自然な部分の意味も含まれている訳です。 合わせて センスとは 自然に見えてそれでいて大多数が感動するもの と、いうことになります。
- cubetaro
- ベストアンサー率24% (1290/5172)
「良いモノをたくさん見る」という所でしょうか。 アイデアは、意外と記憶の中からピックアップしてる事が多いので、良いモノをたくさん見てる人の方が、良いアイデアを出す確率が高くなります。 料理で言えば、美味しいモノをたくさん食べてる人の方が、(盛り付けも含めて)美味しいモノを作れる可能性が高いかと。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
感性とは、自身の心からこみあげてくるよ。 感性とセンスは同義だが、おそらく西洋での研究で、センスについて外国であなたの読んだ本の様な定義をしながら、科学的で唯物的な研究をしようという研究書法に関する書籍だったんだろう。 著者はおそらく外国人だな。 ここは学術研究のカテゴリーで、題材にする事に問題は無いから、書名を伏せないで公開してくれたまえ。 その方が面白い。 感性やセンスに関しては、あなたの持論が正しい。 あなたが特に他人にとやかく言われる事ではないと言っているのが気に入った そうした西洋の研究手法は、個人に属する感性を、誰もが理解できる形で研究材料とするための仮設だよ。 めちゃくちゃな事を言ってる本なんだが、それが科学文明の良心だ。
- doc_somday
- ベストアンサー率25% (219/861)
その本の「定義」二つとも全く意味をなし居ていない。 だからその本を読ませる企業は「先が見えている」 正直な著者なら「センスは定義不能」各人に各様なセンスがあり文章や説明図などで分るなら、服飾デザイナーなんて誰にでもなれてしまう。 もっとマシな定義がある「固有の創造力」だ。 だから他の方のお答えにもある様に、莫大な作品を見て、○×を付ける。 そうするともしあなたに「強烈な個性」があれば「モノになる」し個性が無いと、お茶汲み(もう居ないな)にしか使えない。 こればっかりは狂った様に(実際狂っても全然オッケー)他人の作品を見て上記の様に自我が呼ぶモノと不愉快なモノに分け続ける。センスがあれば何かが産まれたいと叫ぶからあなたの分野の作品を作ってみる、他分野のモノでもちっとも構わない、通常初めから上手くは行かないが(天才だと第一作目から売り物になるけど)ボスに蹴られてもみんなの意見を聞いて回る。 既に「自分の世界」を持って居る人は、ケチョンケチョンにこき下ろすが、それが第一歩、良くても悪くても批評してくれる人は、あなたの「世界」が起ち上がる手助けをしてくれているのだ。 バンバン造り、見聞きする。まだ若いから泊まり込んでも造る。 そうすると「目の有る人」につかまってまたケチョンケチョンにこき下ろされるが、多分その代物は預かって貰える。 その人はもう「プロ」だ、あなたの作品を仲間のグループで披露する、嫌な批評がたくさん付くが、それを踏み台にする事が出来る様になる。 その人があなたの「師匠だ」狂った様に「を繰り返し」これなら何とかなるかも、になったらあなたのセンスが閾値を越え、「批評に値する」モノになったのだ。 「師匠」が自分の責任であなたに何か造らせる。血の汗を流してこれ以上はムリ、を作って持って行くと、「師匠」は何処かで披露してくれる。もちろんすぐ売り物にはならないが、運が良いと展示して貰える、バイヤーも金にはウルサイがキチガイだ「ひらめく」モノがあれば仮作品を作らせて貰えるからまた死ぬほど頑張る、バイヤーが「商談」に持ち込めば、あなたの勝ちだ。 こんなもんだ。
- gn_drive
- ベストアンサー率22% (175/789)
その本の著者が言いたいセンスとは、たぶん、過去に身に着けた知識や経験に基づく知見やアイデアのことを言いたいのだと思います。またそれを導き出す力のことと言いたいのだと思います。そうなら同感です。 たしかに、感性という面もあるでしょう。でも、たとえば、マウスは、これまでキーボード入力からの発展でしょうし、その間、トラックボールもありましたが、あまり普及しませんでした。そこで最近やっとそれに代わる入力方式として、タッチパネルが現れ、指での指示・拡大縮小操作もその発展でしょう。 人感センサとて同じでしょう。人を認識するのに、昔は人が踏むことで自動ドアが開いたものですが、その重量検出センサを床に埋め込むのは大変ですし、壊れたときに修理も大変です。今は、光電センサ間を人がその光を遮ることで判別したり、人の温度で検知したり、いろいろな方法が出てきています。 でも最初から、今の方法が開発された訳ではないのです。また無知の人が空想でこうしたらいいなと思うこととも違うのです。ある程度の基礎知識のある過去の先人がいろいろな問題点から、いろいろ考えて作られてきたのです。
- nitto3
- ベストアンサー率21% (2656/12205)
まずは読んでみることです。 それでも今の感覚が正しいと思ったら、そのまま書けばいいのです。
- k-a-r-a-p-a-n-a
- ベストアンサー率19% (257/1321)
立川談志の落語について書かれた本を読むと 結局 面白い落語家はどんな人かというと 「センスのいい落語家」という ことを言っているんですね (これは 私が全著作を読んでの 個人的な読後感) これを言われたら もう勉強のしようがないですね センスを磨けと言われても 本人の育ちであり 環境であり つまり 原石なんですね 中にセンスという宝石があることがわかっていて 落語でいえば 話し方 感情表現などで これを磨けば 中のセンスという宝石が 現れてくるわけですね 具体的に どーいうことかと言うと 新作落語で名前を呼ぶとき 「田中クン」「佐藤クン」なんていうのが 談志師匠はダメだったんですね これが気にならない人 気にしない人が センスのない人 ダメな落語家と言っているんですね ここまでくると もう個人的な好みであって 正しいセンスなんてのは ないんですね 「おしゃれ」と言い換えたら どうでしょう いくらお金をかけた家でも なんだか成金風で趣味の悪い 家もあるし 貧しくても 妙に風情のある家もあるし 服装だって同じですね ブランド物でも 趣味の悪い人もいるし 金をかけていなくても これまた 妙におしゃれな人もいる ぜんぶ「センス」の 問題ですね 「知識・経験で作られるものである」 ということは つまり 本人の生まれであり 環境ということと 同じですね これを もう一度やり直せと いうことですね そんな無茶なというわけではなく 談志師匠でいえば じゃあ そこらにいて みんなの様子を見てろと センスを育てるのは いいものを見る 聞くしか ないかもしれませんね 古道具屋の小僧だって いいものを見させて 一人前に育てるといいますからね それが 「知識にもとづく予測」ですか なんでも HOW TO本は 難しい言葉を使いすぎますね
- GPRO999
- ベストアンサー率24% (64/263)
日本語での表現は曖昧なところがあり、センスを唱える人の個性差が加わったりします 「センスが良い」・・・・・基準値が曖昧、対照あっての判断 「センスを磨く」・・・・・基準値は時として主導がわの判断・・他人評価が高くなる方向 個人的な理解ですが「センシテイビテイ」・・・・感度、のことを人に置き換えた言葉でしょう 形容的に多用されますが、時に悪意に派生することがありますね 置き換える言葉は「スマート」でしょう
「人にはない感性を、人が納得できるように表現する事」だと思います。 例えば、元AKBの川崎希のヒモ夫のアレクサンダーが、初めて有吉反省会にTVに出た時・・・・・ バカリズムが「すがすがしいほどのクズだな。」って大うけしました。 この表現は彼にしか出来ないと思いますし、全ての人が納得していたと思います。 これがセンスなんですね。