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量刑見直しの効率的な方法は?
寝屋川市 の女児虐待事件などで、裁判員裁判での量刑を最高裁が「先例に合わないから・感情で裁いてはいけないから」という理由で減刑した件がありますが、これは寧ろ子供虐待や女性への暴力などへの厳罰化を求める市民感覚が無視されている(先例はともかく、以後を変えるべき)というように考えるべきだと思いました。 刑法で量刑は決まっているそうですが、司法立法行政のうち裁判官の仕事は既に決まっている法律の範囲内での司法だけだし、先例云々は法が改正されれば消失する理屈なので、市民感覚をスピーディに現場反映させるには、司法もともかく立法(法改正)が市民感覚に沿って素早く行われる必要があると思います。法治国家でも法がダメなら放置国家になってしまう。 法を早く改正させるために、市民として出来ることってなんなんでしょうか? 国会議員選挙にしっかり投票することみたいなぬるい話でなく、より直接的効率的速攻的な。
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- Erdbeerkegels
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>子供の権利(適切な世話と愛情と注意や安全の確保、教育を受ける権利)を軽視し迫害したことへの罪の重さをより重く見るべきだと、 社会から潜在的加害者へのメッセージとして、量刑を再考慮すべきだと私はやはり考えてしまいます。 その点に関しては アメリカの方が徹底しています。でも、アメリカは 福祉が遅れているので、加害者の制裁ばかりに重点が置かれ、子供の福祉は なおざりにされています。そして、虐待を受けた子供が大きくなると ギャングになったりします。
- Erdbeerkegels
- ベストアンサー率33% (155/468)
お礼ありがとうございます。 私の意見もご理解いただき光栄です。 >寝屋川市の話は、虐待というよりも暴行殺人です。それも、幼児にたいする。 これも 衝動的・突発的なものではないと思います。私が 子供の時経験したようなことが 頻繁に起きれば これは黄色信号だと思いますので、社会がそうした 前兆を見逃さないことも重要なのではないでしょうか? >厳罰化することでその犯罪内容が社会的に許されないものであるという事実をより強く 厳罰を否定するわけではありませんが、普通は親にとって子供はかけがえのない存在です。 みんな、育児を放棄すると罰を受けるから 子供を育てているのではありません。 たとえ自分が罪を被っても、さらには自分が死んでも 子供を守るというのが 親心でしょ。 仮に 順法精神だけで子供を育てても、そこには親子の愛情は 芽生えないし、親子の絆もできません。 そういう家庭は 今度は子供が親を殺したりすることもありますが。
- Dieci_Quattro
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更に追加です。 厳罰化は よりよい社会を作る為の手段であって、目標ではありません。 丁度 薬のように。薬は病気を治すための 有効な手段です。でも、副作用もあります。そして、その副作用を抑える為に 別の薬を服用し、さらに、その薬で副作用が出てしまう・・・・ あと、私が福祉を学んだ時に、教わったんですが、福祉とは 同情することではなく、共感することです。同情と共感の違い、分かりますか? 同情は上から目線で、共感は その人の身になって考えることです。寝屋川市 の女児虐待事件で あんたは誰に同情していますか? 亡くなった子供ですか? 両親に求刑より重い判決を下したところで、亡くなった子供たちは報われるだろうか? たしかに、この事件の両親は 子供たちに酷いことをしたし、事件を隠蔽しようとして悪質な要素もあります。でも、その 両親も社会的弱者だし、かなり追い詰められて 赤信号の状態だったんですよ。 赤信号の家庭は他にも沢山あるはずです。でも、その両親を厳罰することで、赤信号の家庭は救えるでしょうか? そして、そういった 犯罪は減らせるでしょうか? 私が小さい時も、ごく普通の幸せな家庭に育ちました。でも、今考えると 虐待と思えるものもあります。夜中に、家から締め出されたこともありました。しかし、もし、そのまま町を徘徊して 誘拐されたらどうなっていたでしょう。それから、丁度 父親が出張中に、母親の帰りが遅くなり、夜の 10時過ぎに パン1個だけという日もありました。 いつもは 7時ころには夕食を食べて 9時には寝ていた 私にとって、非常につらいものでした。こういうことって、母子家庭では もっと頻繁に起こるでしょうね。 もし、子供の虐待を厳しく取り締まるんだったら、そういう小さな虐待も 罰金とかを取るんですか? そうしたら、貧乏な家庭は 余計に家計が苦しくなるでしょうね。そして、結局は 小遣いも減らされたりしてね.... 以上、無駄話 失礼しました。
補足
大阪府社会福祉審議会児童福祉専門分科会 児童措置審査部会 点検・検証チームによる、寝屋川市の女児虐待事件の概要です↓ http://www.pref.osaka.lg.jp/kateishien/jidougyakutaitaisaku/houkokusyo.html Dieci Quattroさんには何度もご意見頂いて有難いのですが、あなたの経験されたご両親多忙の折の貧しい食事や叱られて夜に外に出された話は(幼かったあなたにとっては辛い思い出でしょうが)、上記をご覧いただいて比較すれば分かるように、虐待とは言えない話です。両親も色々大変だったねと言える話です。お子さんいらっしゃればこの辺の感覚は分かると思いますが。またはご両親自身に、子育ての大変だった思い出を伺えば分かるかと思いますが。 寝屋川市の話は、虐待というよりも暴行殺人です。それも、幼児にたいする。 ちなみに私はこの事件の関係者ではないので個別の人間への同情はありませんが、この事件の加害者である父親が社会的弱者かどうかは全く無意味で論点すり替えな指摘だと思います。 なお、シングル親や貧困家庭などでの養育困難の問題、またあなたが呈示された介護者負担の問題は、当然ながら社会的な問題として各関連機関での適切な介入が必要ですし、実はこの辺もスピーディに改善すべきなのにニーズにサービスや公費配分が間に合っていないという点で、これまた「市民として出来ることってなんなんでしょうか?国会議員選挙にしっかり投票することみたいなぬるい話でなく、より直接的効率的速攻的な。」と伺いたい位です。私の今の仕事内容には「赤信号家庭」を見つける役割も含まれているので、なおさらそう思っています。罰金刑が相当とは普通考えませんが。 >司法に市民感覚を取り入れるのは、これまでの司法の在り方を修正するものであって、根本から覆すものではありません。 「これまでの司法の在り方の修正」の中には、「先例に習いすぎて時代のニーズを汲み取れない在り方の修正」はないんでしょうかね。 厳罰化で個別の加害者を痛めつけることが目的ではなく、厳罰化することでその犯罪内容が社会的に許されないものであるという事実をより強く、潜在的加害者達に知らしめることは出来るのではないでしょうか?飲酒運転が厳罰化したように。
- Dieci_Quattro
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追加です。 寝屋川市 の女児虐待事件は 検察の求刑より重い判決が下った いわゆる 尻上がり判決ですね。これは 不自然な流れですし、本来 司法のバランスからは好ましくないんです。 ちょっと、分かりにくい喩かもしれませんが、店で売っている商品は本来 売価より安い値段で仕入れます。ですから、仕入れ値より安い値段で商品を売ったら店は潰れます。しかし、どうしても 仕入れ値より安い値段で売らざるをえない場合もあります。司法も 求刑より重い判決ばかりが出ていたら、司法制度の意義も揺らいでしまいます。 でも、日本人は尻上がり判決に疑問を感じる人は少数です。日本は勧善懲悪が大好きなので、司法とは 悪人を厳しく懲らしめる 大岡越前のイメージなのかもしれません。 もう一度、裁判の話に戻るとして、検察だって 先例に倣って求刑を出したので、とりわけ 軽い刑ではないはずです。子供虐待が15年なら、高齢者虐待も同じでしょう。 あんたは 現在 親と暮らしていますか? しかし、その親が認知症になって、下の世話も必要になったら、あんたは責任をもって最後まで面倒を見れますか? 介護の放棄も 立派な高齢者虐待です。そうしたら、あんたは 15年も喜んで刑務所に行きますか? 育児も介護も社会全体で支えるのが福祉です。 でも、今の社会、育児も介護 も 困難者に 十分に手を差し伸べられている状況とは言えず、育児は 保護者が虐待すると容赦なく 関係のない人間も その保護者を吊し上げ、介護は介護者が虐待しても 知らんぷりでしょ。 >法を早く改正させるために、市民として出来ることってなんなんでしょうか? 先ずは、しっかり働いて、あんたも ちゃんと税金を納めることです。 厚生年金を滞納しないで払うこと。やることやらないで、偉そうなことばかり言っていても社会は良い方向に変わりません。
- Dieci_Quattro
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再度失礼します。 司法に市民感覚を取り入れるのは、これまでの司法の在り方を修正するものであって、根本から覆すものではありません。 >規則がなくてその場その場の人間関係などで場当たり的に対処すると嫌味や言い訳や不公平感が生じるわけですよね。 分かってるじゃないですか? #1さんも示唆していますが、まさしく、それなんです。市民感覚と言いながら、刑法の知らない人間が感情の赴くまま 裁いていたら、それこそ、場当たり的になって 不公平感が増大するんですよ。いいですか、不公平感というのは、あんたが決めるんじゃなくて、当事者が感じるものです。そして、あんまり 市民感覚に流されてしまうと、それこそ、あんたの言う 「単純罰則」から大きく逸脱してしまうんですよ。会社の話に戻すと、先輩から好かれている後輩と嫌われている後輩では、遅刻しても 扱いが違いますよね。あんたの理論だと、先輩の好き嫌いで ペナルティが左右したら不公平なわけです。これと同じで、同じ罪状の人間が、裁判員の印象の良しあしで 片や死刑で、片や 懲役10年では不公平なわけです。
- Dieci_Quattro
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あんたも青臭いですね。 市民感覚と言えば、聞こえがいいけど、要するに 素人の感情論ですよ。 あんまり、市民感覚に委ねすぎると、司法としての公平性がなくなってしまいます。むしろ、そっちの方が 放置国家になってしまいますよ。 例えば、同じ殺人でも 加害者の人相で 刑が大きく左右したりします。でも、これは刑に反映すべきではありません。 それに、なんでもかんでも厳罰すれば いいというものではありません。 私が小学生の時、クラスで 決まりを作り、決まりを破った人には 罰を与えるみたいなことを クラスで話しあったことを思い出しました。それで、やたら、厳しい罰を考える生徒もいました。 それから、私が昔、勤めていた会社で ある社員が 遅刻すると、先輩の社員が厳しく、しかもしつこく 怒っていました。でも、しばらくすると、今度は その先輩の社員が遅刻して 見苦しい言い訳をしていました。 あんたも、法律、福祉、教育について もっと勉強してください。
補足
青臭くて済みませんが、でもありがとうございます。 裁判員裁判の目的は、市民感覚を司法の実際に反映させる意味もあると思っていましたが、先例にそぐわないからとか単純に感情論だから?とかで却下するのも問題なのではないか、そうならば寧ろ司法でなく立法に反映させるべきじゃないか?と考えたまでです。 青臭いというなら、法治国家という概念自体も青臭いのかも。 ちなみにあなたの経験された仕事場での話は、それこそ遅刻した場合の罰則を決めておいて皆がそれを守れば(司法に相当する力が先輩後輩関係なくその場を支配できていれば)いちいち嫌味や言い訳をする必要もなくなり単純罰則に乗っとって先輩後輩関係なく対処するだけなので一番効率的だったと思いますが。規則がなくてその場その場の人間関係などで場当たり的に対処すると嫌味や言い訳や不公平感が生じるわけですよね。
- hekiyu
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市民感情で裁いてよいのなら、裁判官という 専門家など不要になります。 裁判官が第三者の立場で、冷静に裁くから 公平だ、ということになるのです。 公平は司法の命です。 それを市民感情で左右したのでは、それこそ 司法の崩壊です。 そもそも論ですが、なぜ、立法や行政の他に 司法があるのか、考えたことがあるでしょうか。 民主制なんですから、裁判だって国民の代表が やれば良いはずです。 どうしてやらないのか。 それは、民主制には欠点があるからです。 多数決という欠点です。 何だカンダ、といっても民主制は多数決で決まります。 そうすると少数者の利益が不当に害されることが あります。 それでは公平ではありません。 それを阻止するために、非民主的な司法があるのです。 それなのに市民感情で決めてしまったら、それは 所詮多数の感情ですから、少数の利益を不当に 害することになりかねません。 つまり、司法の存在意義そのものを失わせます。 ”法を早く改正させるために、市民として出来ることってなんなんでしょうか?” ↑ 民主制というのは手続きの制度、と言われています。 つまり時間が掛かるのが民主制の宿命です。 だから、表現の自由と投票箱以外で、そんな方法は 有りませんし、有ってもイケマセン。
補足
非民主的な司法という言葉はとても勉強になりました。ありがとうございました。 でも、今回のような場合は、司法の、少数の人達の多数派に対する公平というより、単に先例との公平という意味に感じてしまうのですが、例えば尊属殺人での量刑が見直された時を考えれば(父母などを殺した場合に、通常の殺人よりも量刑が重かった・今は違憲とされた)、単に先例との公平を重要視することが結構問題かもしれないとおもうんですけど。 >民主制というのは手続きの制度、と言われています。つまり時間が掛かるのが民主制の宿命です。 だから、表現の自由と投票箱以外で、そんな方法は有りませんし、有ってもイケマセン。 そうですか…。残念。時間かかっている間(最悪そのままかもしれない!?)間は法を守っている方が馬鹿を見るかもしれないのも法治国家の宿命なのかも??各市町村議会議員や都議会議員や国会議員の言動見ていると、放置国家はシャレじゃないかもしれないですね。
補足
Erdbeerkegelsさんには初めてご意見頂いたような気がしますが、見落としていたら失礼しました。 子供虐待家庭では確かに色々前兆があるので、見落とさないように注意が必要ですね。 また、育児は罰則が嫌だから行うものでもないのは当然のことと私も思います。 しかし、自分で色々法的も含めて訴えることができない子供の権利を軽んじてしまう親がいることも事実です。 子供の権利(適切な世話と愛情と注意や安全の確保、教育を受ける権利)を軽視し迫害したことへの罪の重さをより重く見るべきだと、 社会から潜在的加害者へのメッセージとして、量刑を再考慮すべきだと私はやはり考えてしまいます。 例えば、何らかの圧力団体とか(例えが悪いかもですが、ある種の患者団体とか被害者団体とかありますよね?彼らの権益を守ろうとする。子供にはこういう団体を作って自分たちの法的な権利を守ったり出来るわけがないので、子供達の代わりに法的な意味で立法や司法への圧力(もちろん合法な範囲)をかける仕事をしている団体など教えてほしいなと思っていました。 いかがでしょうか?