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エホバの証人の方に質問します
エホバの証人の方に質問します 楽園になった地上では、亡くなられた方が記念の墓から出てきて再会するとありますが、例えば10歳で亡くなった子供は10歳当時のままの姿で生き返るのですか?また私達は、かなり若返ってくるとあるので 再開した時は、死別した時と、ほぼ変わらない状態なんでしょうか? 不思議で仕方がありません。 抽象的に表現されているのですか?比喩的に?? それとも、現実 本当にそんな不思議な事が起こるのですか? なんだか信じられなくて… 教えていただけますか?
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私は、「エボバの証人」の信仰者ではありませんが、貴方のこの文面からしてエボバの教えにのめり込もうとする姿が見えけられます。私は仏教徒ですがエボバの教えには欠点が多々あり、今の時代には合ってはいません。その一例として、「旧約聖書の『血を食してはいけない』を根拠として輸血を拒否するように教えています。これは人命を尊重するので医療は受けるが血は命を表す故に神聖なものと解釈するからです。この他選挙もエボバ以外の統治を認める事となるので棄権し、町内会の役員、公務員になる事を禁止するなど現代社会に合致しない面が多くあります」、この「輸血拒否」についてもう少し詳しく言いますと、この根拠となるのは聖書の「生きている動く生き物はすべてあなた方のための食物としてよい、緑の草木の場合のように、わたしはそれをすべてあなた方に与える。但しその魂すなわちその血を伴う肉を食べてはならない」との教えです。しかし、輸血拒否が最初からの教えか、というとそうではないのです。教団発行の「もみの塔」1927年12月5日号にはこの聖書の文がありますが、この時点では「輸血拒否」は決定していません。1940年12月25日号同誌には950ccを輸血した婦人の体験が掲載されています。1945年7月1日号の同誌上で輸血拒否がはじめて発表されました。これは「もみの塔」誌発行後66年後の事であり、もし現在のエボバの証人の主張が正しいとするならば、それ以前の聖書の解釈には誤りがあった事になります。また、「輸血拒否」は血だけを神聖視する偏頗な考え方と言えましょう。