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エホバの証人の実父と同居
長文になります。 私が幼稚園児の頃、母は突然私を連れて家を出て、離婚の裁判をおこしました。その後小さい頃より色々と父親の悪口を聞かされ、父親の事も当時父親が住んでいた町の名で呼ぶようになりました。(例 ○○町から電話が来た) まだ幼く自己判断ができないうちから、父親の悪口を色々聞かされて育ちましたので、小学校の頃、学校の前で父親に待ち伏せされたり、母親の知り合いなどに私たちの消息を訪ねて回ったりしていた事を母親から聞かされた時には、今で言うストーカーのようだと、本気で薄気味悪く恐怖心がありました。けれども今、私は結婚していて、当時の自分と同じ年頃の子供がいてもおかしくない年齢になり、改めて当時の父親の行動を振り返ると、もし自分だったら、やはり同じ事をしたのではないかと思います。 母親と離婚後、父親の住んでいた家が地上げにあい、父は数千万の大金をてにしました。結婚していた時に買った家なのに、分け前をよこさないのはおかしいと憤慨していた母親は、父親に会ってたかって来いと、今まで拒否していた、もしくは私が嫌悪感で拒否していた父親との面会を奨励するようになりました。高価な玩具から衣類、果ては学費の全額など、毎月の養育費などの他に、今思えば父親にはずいぶんと散財させてしまいました。今思うと、離婚も母親の身勝手な性格によるものではないかと思っています。その母親とは、その後私自身もいざこざが絶えず、もう五年以上音信普通です。(こちらから連絡をしても、連絡がつかない状態です) 現在70歳近くになる父親は当時得たお金で購入した土地でのわずかな駐車場代と年金で郊外のアパートで一人で生活しています。知り合いが善意で仕事をさせてくれていて、その収入も月数万円ほどあるようなのですが、その仕事も近いうちになくなってしまうそうです。(収入的に)どうするのか尋ねると、考えないようにしていると笑っていました。 それでは今もっている土地を売って生活費にあてたらどうだと言うと、その土地は私の為に残したいのだと言っていました。 当時の母親のマインドコントロールの名残で、私は自身の近況を父親には何も話していません。結婚してもう数年になる事、自営でお店をはじめて、収入的にも余裕が出てきたことなどです。 そこで今まで30年近くも、突然家族と引き離され、孤独に生きてきた父親を、引き取ってまだ父が元気なうちに家族との生活という経験をさせてあげたいと考えています。(父は実の両親とも早くに死別しています。)妻は優しい性格なので、まだ一度もあった事のない父親との同居に、不安はありつつも前向きに考えてくれています。 ひとつだけネックなのは、父親がエホバの証人だと言う事です。もともとは結婚していた時、母親がはじめたものなのですが、離婚後、両親もなく、地方から東京にでてきて身の回りに友人知人もいなかった父は宗教にのめり込んでいったようです。私と話すときもすぐに宗教観に結びつけた話になってしまいます。自分自身元2世で、母からのガスホースやムチでの虐待?(笑)を受けた事もある私は、正直、宗教そのものには嫌悪感を持っていますが、現在に至るまで、自分にかわり、日々の父の心の支えとなってくれた宗教上の兄弟姉妹にはひとまず感謝していますし、今の年老いた父のギリギリの生活も、信仰からくる清貧なのだと自分に言い聞かせなくてはやってられないだろうとも思います。 それでも、同居が実現した際に、父親のみさかいない勧誘や信仰心の押し付けなどで、私や妻がそれが負担になってしまえば、同居解消ということにもなりかねません。それではかえって父親に対しても可哀想だし、なかなか同居という話を持ちかけられません。妻は一度会ってみたいと言ってくれていますが、眠っている子を起こすなという気持ちもあります。 以前に父にいっしょに住まないかと冗談めかして言われた時に、どっちをとるかだと答えたことがあります。その時、もし一緒にすむなら宗教はやめないといけないという私の言葉に、小さな声でそれでもいいと答えたことがあります。 それでも脱会は難しいという話も聞きます。専門家の力を借りた方が良いのでしょうか?それとも宗教を続けたまま、日常生活でそれをある程度自制させることは可能でしょうか? 父は、例えばエホバという言葉のヘブライ語での意味を、不意に聞いても即答できませんでした。他にも教義についての質問をしても、理路整然とした回答がすぐに返ってきません。教義を追求するというよりも、人恋しさから宗教にはまっているのではないかとも感じています。 詳しい方のご意見アドバイスをお待ちしています。 よろしくお願い致します。
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質問者が選んだベストアンサー
No.12,13です。 ご丁寧な、しかも、私のことまで気遣った返信をありがとうございました。 > 例えば、ひとまず私がいくらかの仕送りをしたとします。私はそのお金を、いつもより豪華な食事をするとか、何か新しい洋服を買うとか、自分の楽しみに使ってほしいと思うのですが、 では、あなたが時々豪華なレストランに家族で招待したり、 集会用の立派なスーツを仕立ててあげたり、 一緒に旅行に連れて行ったりしてあげればよいのではないでしょうか。 そうすれば、お父様も家族団欒と、経済的なゆとりの 両方を得ることが出来ますよね。 貴方と貴方の家族にも、負担が少ないのではないでしょうか。 ちなみに。 多くの兄弟姉妹は、いろんな方法で生活を楽しんでいます。 経済的な余裕のない方は、ないなりの方法で、 余裕のある方はあるなりの方法で、 現在の人生をも、豊かに過ごしています。 自分の趣味やこだわりを持っている方も大変多いですよ。 お父様は、貴方が思うのとは違う方法で人生を楽しんでいるのかもしれません。 誰もが、ブランドバッグを喜ぶとは限らないように。 人生の中で何を大切にしているかは、本当にその方それぞれです。 相手の喜ぶことをしてあげることが、「愛」ではないでしょうか。 お父様と貴方との両方にとって、最善の方法が見つかりますように。
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- a_fine_day
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再びNo.1の者です。色々な回答やそれに対するお礼の内容を読んで、私も色々勉強になりました。 最後に私が感じたことは、 ・お父様がどれだけ質問者様のご家族と一緒に暮らしたいのか(宗教やその仲間との交流があっても何か心寂しいものがあるのか) ・もしお父様が明確にそう望まれていたと仮定して、質問者さまが宗教への不安があって結果として現状のままにした場合、ずっと後になってその事を後悔することになるかどうか。 ・それとも別々に住んでいても、お互いが充分交流して満足出来る方法があるかどうか、 というような点を考えてみて結論を出されといいのではないか、ということです。特に2番目は一番重要な検討事項ではないかと思います。 そこで、エホバの証人という宗教がどれほど自由を束縛する、あるいは他人を無理やり勧誘しようとする宗教かどうか、という最初の疑問に戻ってしまうわけですが、 同じ宗教でも受け取り方によって、ものすごい威圧感を感じたり、みんな結局はいい人たちなのね、と思えたり、様々なのだと思います。そして結局唯一確かなものは、親と子の愛情と信頼関係なのではないでしょうか。 質問者様のおっしゃるように、安易に同居して色々気まずい状態になってしまうかもしれないという不安はもっともなことだと思います。(私の返答はあまりにも安易でした。)例え宗教が関係していなくても、それぞれのペースで生活していた家庭が一緒になるということは、色々大変なことも多いと思いますし。 ですから事前に、自宅では集会などしないで欲しい、とか、親類関係には布教活動は控えて欲しいとか、生活上のルールをよくよく話し合って、お父様に納得してもらう、ということも大事なことだと思います。 そして実際に一緒に生活なさるようになったら、その決め事に関しては毅然とした態度で対応する。その代わり、お父様の何事にも「宗教=正解」というような話・話し方に対しては、フリーハンドで受け入れて対応してあげる(これも一つの人生の勉強ではないかな、と思うのです)。 そして、一緒に住むか否かの結論を最後に出す前にもう一つ大事なことは、色々検討した末に奥様がどう考えるかということだと思います。ご夫婦が一つの考えにまとまれば、どちらにしても必ずうまく行くと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・ もうすぐ質問を締め切られるとのこと、私を含め沢山の回答者の方に誠実に返答下さって大変だったと思います。どうぞくれぐれもこれに対する「お礼」の文章はお気になさらないで下さいね。Good Luck!
お礼
どうもありがとうございます。色々と一緒になって考えて頂けて本当に嬉しいです。ほかの皆様にも改めて感謝します。 その後、妻をともなって父とも会いました。 話し合って決めた事は 手持ちの土地を処分して私たち夫婦の側に越してくる事。 まずは近場で家族の交流をしていくこと。 今後子供ができた際に同居の話を具体的に進めていく事。 宗教に関しては 長年独り身だった父の心の支えになっていた事は事実なため、 今までそういった意味でお世話になった兄弟姉妹との交流を 今後とも続けて行く為に、活動や勉強を否定はしない。 夫婦、それに関係する人たちへ、宗教に関係する話はしない。 同居の予定がある新居へは兄弟姉妹の出入りは遠慮してもらう。 奉仕活動は自粛してもらい、趣味をつくって土いじりや絵を描くなど の時間にあててもらう。 新しい生活に充実感、満足感が得られれば、その時、もう一度 宗教との関わり、会衆との関わりについて考えてみてもらう。 気持ち的に固着するか、依存心が以前より薄れるかです。 最後の一文に関しては、エホバの証人の中でも現世での 生活を有意義に送っている人は、ほどほどにバランスが とれた生活を送っているらしい点や、会衆の中でも 人間関係の上で一般社会と変らないような面倒くささが あるらしい点から、今の時点では父にとっての心の拠り所 は宗教しかなくても、新しい生活の中で、新たな幸福感が 得られれば、自然に宗教に固着する必然性が薄れていくような 気がします。 こちらで事前に念を押したわけでもないですが、妻の前では 一切宗教がかった話もせず、食事前の祈りもしませんでした。 食事前の祈りについては、しないのを初めて見てちょっと こちらが驚いたくらいでした。 この掲示板で皆様から色々とアドバイスを頂いて 私自身、広い視野で考える事ができました。 今後、全く問題がないと言う事はないと思います。 その時も柔軟に考えて対応していければと思います。 ありがとうございました。
- maneater
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たびたび書き込み申し訳ありません。 現役2世さんが回答してくださっていれば、私の出る幕などないのですが、質問者様の疑問がかなり問題(?)の核心を突いているように思われてついしつこく書き込んでおります。 私の結論を端的に言えと言われれば、申し訳ありませんが私にも辞めさせるか続けてもらうかの白黒をはっきり着けられません。しかし正直、ものみの塔の信仰には少々否定的です。 しかし2世の方から、「続けさせてあげたほうがいいのではないか」という意見が出てきたことで、私も少々戸惑っています。というのは、古い世代の研究生だったからかも知れませんが、2世の方こそ親御さんから信仰を強要され、ゴムホースなどで折檻されながら(聖句に、愛の鞭を与えるように書かれているからです)育ってきて、内心では協会を否定する立場かと思っていたからです。 >同時に私自身考えの整理がついてきたのですが、私が、父が宗教から距離を置いてほしいと思うのは、私自身のエホバの証人(信者の方一人ひとりではなくて教義を発信している人たちです)への嫌悪感や、妻や周囲へのストレスだけではないようです。それらはほんの些細な事で、理由の大半を占めるのは、父が宗教にのめり込みすぎているように感じるからです。 >例えば、ひとまず私がいくらかの仕送りをしたとします。私はそのお金を、いつもより豪華な食事をするとか、何か新しい洋服を買うとか、自分の楽しみに使ってほしいと思うのですが、きっと父は、いましているわずかな収入の仕事をやめて奉仕活動の日を増やすだけなのではないかと思います。極端な推測ですが、実際に似たような事になると思います。 質問者様の危惧は、私も実際にそうなることが多分にあるだろうという気がします。 「父が宗教にのめり込みすぎている」とありますが、それこそがお父様を信仰から離したほうがいいのか、逆に続けてもらうほうがいいのか、迷ってしまう理由です。 信仰にのめりこみすぎてしまうのは、2つのケースがあると思います。 ひとつは単純に、教義に洗脳されている場合です。何かのきっかけで聖書を勉強するようになると、ハルマゲドンの恐怖を繰り返し刷り込まれ、ノアの箱舟の逸話のように神権組織に残ることこそ唯一の救われる道なのだと教えられます。これだけでは大の大人がそんなことで染まるわけがないと思われると思いますが、世俗に交わってはいけないという教えは多面的な価値観を見聞きして協会を客観的に考える力を奪います。また皆さんが仰るように信仰からの会衆内の兄弟愛は本当に心に染みますから、情緒的にも「この人達と一緒にいたい」と思います。そして、一旦背教すれば排斥されてどのような目に合うか、これも組織から落ちていく者に対する仕打ちを見て、その恐ろしさを学習するでしょう。 こうなれば、「信仰にのめりこみすぎる」ように信者自らの力でなっていきます。 もうひとつは、元来は宗教とは関係なくその方ご自身に何かしら理由があり、嗜癖や依存の傾向があったところに、エホバの証人の教えがたまたま現れた場合です。 私の例で言えば、生育歴のなかで「うちの子は人並み以上に出来るにちがいない」という期待を受けることが「出来なければいけない」と内在化されプレッシャーになり、自覚はなかったのですが無意識に自己否定の意識があったようです。そこへきて、ものみの塔の教義は「世界はエホバかサタンか、白か黒か」「信仰とは、神の言葉である聖書に徹底的に字義通りに忠実であること。人間の解釈を入れることは妥協である」といったような完全主義を追求するものですから、自分に自信はないくせに常に向上すること、追及することが無意識に刷り込まれている人間にとっては、協会が理想化され依存の対象になりやすかったのだろうと思います。 これはものみの塔の教義だから起こったことではなく、実際その後私は協会から離れた後は、仕事にのめり込み、今思うと仕事に逃げていたし依存していたと言ってもいいと思います。 お父様は、どちらのケースに近いと思われるでしょうか? 言うまでもなく、前者のケースであればお父様が信仰にのめりこむのは、言わば協会が「マッチポンプ」に煽っている結果ですから、組織から離れることで(時間はかかるかもしれませんが)質問者様の仰るような人間としての素朴な生活の喜びに戻れる可能性も高いと思います。 しかしもし後者の色合いが濃い場合、基本的に依存なり嗜癖の対象をお父様が無意識にですがご自分で求めています。漠然と不安で、何かにのめりこんでいる時だけがその不安を忘れていられるのです。 もしそうなら、お父様が信仰を捨てた後、ご自分のそうした無意識を意識化してそれに立ち向かっていかれるか、あるいはそれが出来なければ次の新しい依存先を見つけて構築する時間とエネルギーが必要になると思います。ご高齢の方にそれが現実的なのか?それを考えると、今の依存先は必要なのかも知れません。 長文になり失礼しました。 また、協会に対しては私の先入観や偏見もそのまま書かせていただきましたので、認識の異なる方や事実誤認がありましたら申し訳ありません。
お礼
丁寧に書き込み頂きありがとうございます。 私の父の場合は、孤独感の穴埋めだと思います。 親を早くに亡くし、家族とも離婚で疎遠になり独りでの 生活をずっと続けてきました。 エホバの導きは、親の温もりの擬似的なもの。 兄弟愛は、疎遠になった家族に代わる絆でしょうか。。。 家族との交流があれば、擬似的なものは必要ないではないか というのが私の考えなのですが、 父の立場にとってみれば、本物の家族+兄弟姉妹 なら最高だとは思います。 ささやかな趣味、楽しみも、父は楽園にいってから するつもりみたいです。 だから現世をもっとポジティブに楽しもうという姿勢では ないようです。このあたりも父を信仰から切り離したい 理由です。 土に還ってからささやかな趣味に生きるなんて物理的に 無理なのに、だって死んでいるのですから。 そう思うからこそ もっと俗世的な楽しみを今のうちに=脱会 という考えになってしまいます。 でも現在では、信仰=父の人格そのもののようにも思います。 他の方も仰っていたように、逃げ道として残しておく方が良いのか。 そんな思いも一瞬頭をよぎります。 これが宗教などではなく、もっと普通の友達の輪的存在のもの だったらなと思います。 長々と皆様にお付き合いさせてしまって申し訳ありません。 たくさんの有意義なお答えを頂きありがとうございます。 私の葛藤というか優柔不断さでだいぶ長々とした話に なってきてしまいました。 ですのでもうそのうち一度回答を締め切ってしまおうと思います。
- aBd33
- ベストアンサー率60% (3/5)
追伸です。 私は2世の現信者でありながら、 信者ではない人との将来を真剣に考えている者です。 そうなれば、私も排斥、親との断絶という哀しい結末を見ることは 覚悟しています。 とはいえ、排斥後も、最低限の肉親としての交流を保つことは、 その人の信仰次第ではありますが、ありえないことではありません。 (私の親の場合は、難しいと覚悟しています) なので、貴方が妻に対して勧誘されたり、宗教的な話をされることを 嫌がるというか、嫌悪感を感じる 妻が負担に思ってはかわいそうだ、ということには、 大変共感いたします。 私のパートナーも、受け入れられないかもしれない、と思いますので。 でも。 私は自分のパートナーを信じてみることにしました。 もちろん余計な負担はかけたくありませんし、 こんな重荷を背負わせて申し訳ないとは思いますが…。 しかし、これも私が生きてきた人生の一部であり、 私を大切に育ててくれた親の信念であるのだから、 宗教自体には共感できなくとも、 今の私がその親から作られたことは、受け入れてもらえるのではないか、 と考えるようになった次第です。 何が言いたかったのかよく分からなくなってしまいましたが、 貴方の不安はよく分かります、ということと、 貴方の選んだパートナーをもっと信じてみませんか、ということを補足したいと思いました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 海外旅行やブランド品、驚きました。 信仰上の兄弟姉妹には私も感謝しています。本当の家族になりかわり、これまでの父の心の支えになってくれたことは事実だからです。 同時に私自身考えの整理がついてきたのですが、私が、父が宗教から距離を置いてほしいと思うのは、私自身のエホバの証人(信者の方一人ひとりではなくて教義を発信している人たちです)への嫌悪感や、妻や周囲へのストレスだけではないようです。それらはほんの些細な事で、理由の大半を占めるのは、父が宗教にのめり込みすぎているように感じるからです。 例えば、ひとまず私がいくらかの仕送りをしたとします。私はそのお金を、いつもより豪華な食事をするとか、何か新しい洋服を買うとか、自分の楽しみに使ってほしいと思うのですが、きっと父は、いましているわずかな収入の仕事をやめて奉仕活動の日を増やすだけなのではないかと思います。極端な推測ですが、実際に似たような事になると思います。 これは証人ではない私の中の考えなので、議論を吹っかけるような気持ちはないのですが、私は協会の言う終わりの日は、以前と同じように来ないと思っています。 父は、いつ病気になって死んでもおかしくない年齢になってきました。死ねば、私の考えでは土に還るだけです。だから父には今をもっと違う形で大切に生きてほしいと思います。 それでも、会衆という社会が父のよりどころになっているのであれば、それを尊重しなくてはならない気持ちもどこかにはあります。 追伸ありがとうございます。 好きな人と一緒になるのに親に祝福されないは悲しいことですね。食事、衣類、医療、交通手段等、証人の方たちは、証人ではない人達と関わって生活していると思います。証人でない人と結婚したっていいじゃないかと思います。 もし仮にエホバが存在したとして、証人以外と結婚したやつは排斥だ~断絶だ~!口も聞くな~!なんて言っているとしたら、大人げない神様で残念です。まるで小学生のいじめっ子集団の親玉みたいです。 自分が相談させていただいている身なのに、余計なお世話ですが、幸せになっていただけたらと思います。
- aBd33
- ベストアンサー率60% (3/5)
2世で、現信者です。ただし、現在は少し疎遠気味ではあります。 私の親も、必ず「教訓」がついた話しかたをします(笑) また、「終わりの日」だったり、すべての創造物は「創造主のおかげ」だったり 多少説教がましいときもありますが、 イソップ童話と同じと思って軽く聞き流しています。 別にエホバの証人でなくとも親は説教がましいものですから。 基本的に、エホバの証人は危険な存在ではありません。 非常に友好的で誠実であり、また他者の信仰心にも寛容でありたいと願っている場合が多いと思います。 少なくとも、相手が嫌がるにも関わらず、強制的に改宗や入信を迫るようなことはありません。 ただ、自分の信じていることは良いことだと思っているので、 その点ではネズミ講のように、粘り強く「真理」を伝え続けるでしょう。 その上で、私はお父様に信仰を捨てることを迫らないで欲しい、と思います。 信仰を捨てるということは、今までの自分の人生を否定するということです。 今まで信じていた価値観をすべて自分で否定するということです。 たとえば、戦後の天皇制の否定のような、 現在の民主主義や資本主義や自由主義の否定のような、 長年のパートナーの愛情に裏切られるような、 今まで正しいと信じてきた、全面的に頼って当たり前に信じてすがってきたものを 自分の自身の手で否定するのはあまりに非情な決断になると思います。 エホバの証人は、高齢者に対して特に親切です。 年長者を敬うように訓練されています。 たぶん、集会に参加できるように車の手配をしたり、 ときには食事の準備をしたり、 小さな子供が気遣いや感謝の手紙をくれたり、 頻繁に誰かが感謝や尊敬の言葉をかけてくれたり 体調などを心配して時折長老が家を訪ねたりしてくれていることでしょう。 私は、会衆に属していることが、お父様の幸せではないのか、と思います。 もちろん、お父様が自分の意思で会衆を離れたい、と主張された場合には別です。 人恋しさから宗教にはまってはいけませんか? 少なくとも寄付を強いられることも、財産を奪われることも絶対にありません。 お父様が清貧に甘んじていらっしゃることは立派だと思いますが、 お父様がそれを望まれていないのに経済的にかなわないのであれば、 あなたが援助してあげればよいことなのではないでしょうか。 ちなみに、私も、私の家族も、 海外旅行も大好きですし、お買い物も大好きです。 ブランド物だって持っています。 それらをすべて禁じているわけではありません。 また、私も『ムチ』された世代ですが、多くの親は反省と後悔をし 統治体も大きく軌道修正しています。 ただ、肉親ではない貴方の妻に、 説教がましい話や 頻繁に人がたずねてくることに(もちろん断れます) 耐えられるかどうか、現時的ではあまりにも判断要素が少なすぎます。 同居という形をとらなくとも、親に『愛』を示すことは出来ます。 (エホバの証人らしい言い回しでしょ(笑)) 近くにいることだけが愛ではありません。 お父様の希望を中心に据えて、考えられてはいかがでしょうか。
- Ayumi777
- ベストアンサー率19% (104/529)
詳しいわけではありません。 ただ、似たような悩みから、エホバの証人関係の本を読んだことがありますので、読んでみることをおすすめします。 デイビッド・フランズ著『良心の危機』 このひとはひいおじいさんの代からのエホバの証人の生まれで、 しかも、ここのなかでは良い家系だったうえ、『統治体』という 全世界で7人くらいしかいない中枢部にいたのですが、 勢力争いに負けて追い出された(村八分)ひとです。 なんというのか、日本の伝統的大企業(たとえば、JRとか)のなかの ような超ムラ社会的な世界です。 仕事も人間関係もすべて、エホバの証人なくしては生きられないようになっています。 お父様を引き受けるのなら、相当の覚悟が必要だと思います。 いちど、この本を読んでみてください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 初めてしりました。さっそくどんな本なのか探してみたいと思います。 わたしもエホバの証人の世界については、純粋な心の人たちが、教義の名の下に、がんじがらめにされているように感じています。 普通に親との同居を考える時にも、きっと問題は山積みだとは思いますので、私の場合のちょっとした+αの事情はそれよりも少し労力をつかいそうですね。 どうもありがとうございます。
何人か知り合いが居ます。 そのご家庭とも深い付き合いをしていて、信者ではない御家族の話も聞いています。 人にもよるのかもしれませんが、私は強引に勧める方とは会った事がありません。軽く勧められますが、私が頑なに自分の考えを持っている事を伝えると、それ以上しつこく言って来る事はありませんし、他の方が仰るように、助けられた事があり感謝しています。 スープの冷めない距離が一番良いと思いますが、万一同居となったとしても誰も強制して来る事はないと思いますよ。 お父様にしても、あなたの考えをしっかり伝え、宗教の話はしないと約束してもらえば良いんじゃないでしょうか。 お父様に御自分の友達?が居る方が、あなた方御夫婦に依存しなくて済むので、結局は『楽』だと思いますよ。 私は無宗教ですが、子供を育てる時にエホバの証人から教えてもらった事を教えた事があります。良い事もいっぱい教えてくれるんですよね。 部分的に取り入れる事は、自分達家族にとってもプラスとなる事はあると思いますよ。 やめてもらわなくても、家に集まる事や、家に泊める事などをやめてもらい、自分達を勧誘するような事は一切しないと約束してもらえば、あとは自由に自分の世界を持ってくれてる方が、奥様にとっても楽な気がしますよ。 お父様の色んなフォローもしてくれたりしますしね。 脱会は簡単です。 専門家の力は必要ありません。 でも、脱会させる必要はないように思います。優しく真面目な方が多い世界なので、お父様にとって、あなた方家族のみの世界になってしまうより、御自分の世界がある方が、お互い依存しなくて良いように思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >お父様に御自分の友達?が居る方が、あなた方御夫婦に依存しなくて済むので、結局は『楽』だと思いますよ。 確かに四六時中いっしょにいてあげられるわけでもありません。単なる父親の人間関係だと割り切ってしまえれば、本当は気持ちも楽になると思います。 ここで皆様に相談させていただいて我ながら気づいてきたことがあります。それは父親の信仰心を捨てさせたいという気持ちですが、周りにとっての迷惑という考えよりも、父親自身にとって、奉仕活動や信仰を共にする事が大前提の兄弟姉妹愛よりも、もっと普通の幸せを幸せだと感じられるようになってほしいという気持ちが強いようです。 何が幸せの正解なのかは人それぞれの価値観を尊重しなくてはならないとはわかっているのですが。。。 どうもありがとうございます。
私は先に回答したように別居がよいと思いますけど、宗教は切り離して考えてもよいのではないでしょうか。 私の知人ですけど、40歳で離婚して老母と二人暮らしをしていました。 自分では何もできない人間で、母親が亡くなったらどうなるんだろうか、幸いお金はあるので、家政婦さんでも雇ってと覚悟していたのですけど、45歳で再婚し、すぐに子供も生まれました。 母親も結婚当初は喜んでおり、知人もこれで母親を安心させられてよかったとほっとしましたが、段々お互いが息が詰まってきて、嫁さんはもちろん、実の息子まで敵意をむき出しにするところまで来て、相談を受けた私も当初はそこまでとは思わなかったのですけど、これは駄目だと考え、別居を勧めました。 不思議な物で、お互い距離を置くと元の仲の良い親子になり、嫁さんも陽気な性格なので姑を大切にしますし、週に数回夫婦で母親宅を訪れ、母親も孫を可愛がりますし、どうやら正解でした。 確かに親孝行したいという気持ちは分りますし、親子関係のブランクを双方で埋めたいと考えるのは当然です。 しかしながら、普通でも嫁と舅夫婦(今回はお父さんですけど)の軋轢はあり、お父さんと同居した後、お母さんが耄碌して頼ってきたら、また面倒な問題になります。 それよりは多少の距離を置いた方が、お互い微妙な心地よい緊張感が持てますし、お父さんも息子夫婦の愛情と自分のプライバシーが両立でき、双方にとってよい関係と思います。 遠くに離れるのは気の毒ですから、電車で1駅、或いは自転車で数分といった、ご近所で離れて暮らし、週末はお互いの家を行き来して夕食を一緒にしたりすれば、十分お父さんも家庭を味わえます。 いわば、娘を嫁に出した父親と同じ感覚で、家の娘ならこの野郎とむっと来ることも、嫁に出した娘なら何をやっても可愛いと思う心境、その方がよいと思いますよ、あなたの奥さんもその方が舅を大切に考えると思います。
お礼
続けてのアドバイスどうもありがとうございます。 現時点で同居というのは私の独善的な考えなので、Kindon98様のおっしゃるような方法も、考えてみた方が良いとも思います。 私の気持ちとしては、信仰に身を捧げて貧乏を清貧なのだと言い聞かせて、己を抑圧して生きるよりも、もっとポジティブに人生を送ってほしいとの思いがあり、それが長じて信仰を捨てて普通の年老いた父親として同居という考えに飛んでしまいます。 まだ本人に聞いてはいませんが、もし父親が奉仕活動や信仰上の兄弟愛に心のそこから幸せを感じているのなら、何が幸せの正解なのか、わからなくなってしまいます。 私が父の信仰心に固着してしまうのは、信仰にのめり込みすぎて自分自身の人生の意義という物が、全て宗教になってしまっている点です。 自分の人生を豊にするための、ツールのひとつとしての宗教というバランス感覚が欠けているように思います。 >ご近所で離れて暮らし、週末はお互いの家を行き来して夕食を一緒にしたりすれば、十分お父さんも家庭を味わえます 確かに仰るとおりの気もします。まずはこれだけでも家族としてのつながりは経験させてあげられるかもしれません。 どうもありがとうございます。
- hkinntoki7
- ベストアンサー率15% (1046/6801)
自分は信仰している宗教はないのですが自分が質問者様の立場ならどうするか考えてみました。 推測ですが精神的に辛いときに人は宗教を信仰し始めるような気がします。親から受け継ぐというのもありますけど。質問者様のお父さんもそのタイプではないでしょうか? 優しい真面目な方のようなので家族の前で宗教の話しはしない、集会に家族を連れて行かないという約束の下、同居されてみてはいかがでしょうか?問題が発生したら同居を解消すればよいですし。 同居となると他人が一つ屋根の下で暮らすことになり問題が発生する可能性もあります。そのときにお父さんの逃げ道として宗教を残しておくのも思いやりのような気がします。 自分にも家族がいますが家族がいるからこそ現世を楽しみたいし、一日でも長く家族と過ごしたいと思います。過去、経済的にお世話になったわけで、質問者様は経済的に余裕があるということですから悔いの残らないように親孝行していただければと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そのときにお父さんの逃げ道として宗教を残しておくのも思いやりのような気がします。 ありがとうございます。そのような考え方もあるのですね。 今まで親の面倒を見るなんて、あったとしてもずっと先のことだと、宗教の問題には、臭いものにはフタをとの気持ちもあり、見てみぬふりをしてきました。 ここ何日か、頭フル回転で考えこんでいたので、少し視野が狭くなっている自分に気づかされました。ありがとうございます。
- maneater
- ベストアンサー率31% (36/113)
#6で回答したものです。 排斥は、すさまじいものです。一旦バプテスマを受けたら、それは全面的に教義に納得したと協会に宣言するようなものですから、バプテスマを受けてから信仰を捨てたとなると、エホバの証人の世界から完全に抹殺されます。 具体的には、一切無視されるということです。すさまじいと思ったのは、神権一家(家族全員がエホバの証人である家)の中で、仮に未成年の子供が排斥となると、家族ですら口をきくことを禁止されるそうです。相手は仕事もできない未成年で、口もきかないでどうやって同居するのか私には想像つきませんが、仰る通り真面目を通り越して聖書の教えを全て字義通りに実践する人たちですから、あり得るかも知れません。 私がお父さんなら、同じ町に住んでいたくないですね。道ですれ違っても、エホバの証人が仕事をしているお店に行っても、徹底的に無視される。自分にはそれ以外の知り合いはいないのですから、孤独の局地だと思います。
お礼
詳しく教えて頂いてありがとうございます。排斥とはそのようなことなのですね。 私のイメージの中の証人の人たちは、人当たりの良い優しい人たちです。 ただこのような側面を見ると、それは本当の愛なのか?虚しい義理の上での愛なのか?悩んでしまいます。 このように抵抗を感じるような一面がなければ、ここまで悩む事もないのですが... どうもありがとうございます。
- maneater
- ベストアンサー率31% (36/113)
昔、エホバの証人と聖書の勉強をしていました。 信仰から離れる際に一番怖いのは、排斥に合うことではないでしょうか?(お父様はバプテスマは受けられているのですよね?)特に、あなたが仰るように教義自体に確固とした信仰というよりも人恋しさから会衆に入り込んでいるような場合ですと、おつらいと想像します。今は特にお仕事もされておらず一人暮らしで、決して趣味の世界などを持っていらっしゃらなそうであれば、お父様の世界は全てエホバの証人との人間関係かも知れませんね。 そこから排斥に合ったら、高齢のお父様の精神衛生にはかなり堪えるのではないでしょうか。 ですので、私もスープの冷めない距離でお父様の信仰を尊重しつつあなたのご家族の生活も守るという形がいいのではないかと思います。 しかし、 >その時、もし一緒にすむなら宗教はやめないといけないという私の言葉に、小さな声でそれでもいいと答えたことがあります。 というお返事だったとのこと。 そのリアクションから想像するに、お父様ご自身も今の生活に少々疲れていらっしゃるのではないかと思います。 ご存知の通り、エホバの証人は信者同士の兄弟愛をとても重要視するので、精神面では確かに満たされる反面、世俗を一切受け入れないので閉鎖的になりがちです。また(最近では方針転換したとの話ですが)高等教育を薦めないので高齢になっても生活が苦しい方が多く、狭い会衆内での本音と建前の苦しさなどもあり、鬱病にまで悪化する人が多いということも言われています。 もしかしたら今のお父様は、お金も家族も何もない状態で、信仰を捨てて次に移りたくても移る対象を持っていないため、今の会衆の人間関係があるのだから幸せだとご自分を納得させていらっしゃるのかも知れませんね。 あなたという家族を得られるなら、また安定した仕事のあるあなたからの金銭的援助を得られるなら、兄弟愛しかない今の生活を捨てて乗り移りたいと思っているのかも知れません。 お父様が信仰というよりは協会の人間関係をどう思っているのか、本音が聞ければ、どうするのがいいか見えてくるのではないかと思います。
補足
ご回答ありがとうございます。 父はバプテスマは受けています。私も排斥については父の心情を察すると辛いであろうなと思います。排斥の問題がどこまで徹底されているのか、協会の事をあまりしらないわたしには想像できませんが、今まで仲良くしていた人たちから拒絶されるのは、宗教でなくても辛い事です。それを排斥と言う言葉で予言宣言しているのですから、戒律の一環とは言え、もっとおおらかな気持ちで考えて頂けないものかとは思います。 >もしかしたら今のお父様は、お金も家族も何もない状態で、信仰を捨てて次に移りたくても移る対象を持っていないため、今の会衆の人間関係があるのだから幸せだとご自分を納得させていらっしゃるのかも知れませんね。 私が今一番感じているのはmaneater様の仰る通り、この部分の事です。今までも、やめてほしいという事は伝えてきたのですが、じゃあその後どうするのか?やめたらどうなるのか?という問題に対しては何も考えていませんでしたし、手を差し伸べるような事も考えていませんでした。 お金も家族もない状態、信仰というよりどころを失えば、そういった悲惨な現実を直視して、独りで向き合わなくてはなりません。 なぜのめり込み今もそれが続いているのか、それを考えてみた時、出てきた一つの答えが、上記の理由もあり、妄信せざるを得ないのではないかと言う事です。 そのような現実逃避が核になった信仰だとしても、きっと本人も自分自身でも気づいていないのではないかとも思います。自分に嘘をついているうちに、それが嘘だと言う事を、自分でも忘れてしまっている場合、なかなか本音を聞きだすのは難しいかもしれませんが、やってみたいと思います。 貴重なご意見ありがとうございます。協会についての話もお聞きできてとても参考になりました。
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お礼
最初にこちらで相談させて頂いてから、たくさんの皆様にご助言頂き本当に感謝しています。長々と申し訳ありません。aBd33様も親切にお付き合い下さって本当にありがとうございます。 aBd33様のアドバイスはとても冷静で合理的だと思います。仰るとおりの方法ならバランスも取れていると思います。 他の兄弟姉妹の方たちのように、バランスの取れた宗教との関わり方ができていれば、本人の自由だと突き放して考える事もできるのですが。 双方にとっての最善の方法。ありがとうございます。 考えれば考えるほど答えをだすのが難しくなってしまいますが 色々と模索していきたいと思います。