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亡くなった祖母へ
先日祖母が亡くなりました。もうすぐ四十九日の法要があります。事情があって、私は祖母のお葬式には行けなかったのですが、今回の法要は子供+配偶者のみで行なうということなので、孫の私は行くことが出来ません。今後、お墓参りも遠方なことと、様々な理由から行くことは難しいです。 祖母には幼い頃からかわいがってもらったので、何かしたいのですが、伯父や伯母には孫からは何もしなくてよい、と言われています。 みなさんが、私のような立場でしたら、どの様にするかをお聞きしたくて、質問しました。 よろしければ、おしえて下さい。
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こんにちは、harumikanさん。 「一番の供養は何だろうか?」と、私も亡くなった近親者を思い、時折考え込んでしまうことがあります。それは形ばかりのお墓参りや(勿論、お墓参りを否定しているのではありませんよ。私も月に一度は命日にお墓参りをしますし・・・(^-^;)、仏壇に手を合わせることじゃあないだろうと思うのです(勿論、心を込めて仏壇に手を合わせるのならそれも大切ですよ。・・・何だか弁解ばかりしているな(汗))。 やはり一番の供養は孫子たちが明るく、幸せに、そして元気に仲良く過ごすことじゃないかと思います。それだけのことだとなかなか(亡くなった近親者のために何か特別のことをしたいという)気は治まらないのも事実ですが、今回のような事情で参列できない場合には、私であればやはり亡くなった方との対話を始めます。昔の心温まる思い出をより深く思い起こしながら、心静かに対話を始めるでしょう。そして、現実には喪主に気を遣わせない程度の線香代をお送りします。 harumikanさんのお幸せがおばあちゃまのお幸せでもあります。彼女は現実には亡くなられたかもしれませんが、harumikanさんの心の中では永遠に生き続けます。ですから人は「死なない」んです。肉体が滅びるだけで、その魂は生きている人の心の中に永遠に生き続けるんです。 「あの世のあるなし」を少しなさっていたようですが、おばあちゃまがharumikanさんの心の中に生き続ける限り、「あの世」はあるに決まっているじゃありませんか。harumikanさんが心の中のおばあちゃまに向かってニコッと微笑めば、おばあちゃまも必ずニコッと微笑み返されます。ね? これでも「あの世がない」と言い張りますか?(笑) おばあちゃまはこんなにも生き生きと、harumikanさんの心の中で生きていらっしゃるのに・・・ お線香を焚いて、おばあちゃまの家の方角へ向かって心静かに瞑目合掌なさるのもいいでしょう。きっと心が落ち着かれると思います。 harumikanさんのその優しい思いを体全体で受け止められて、おばあちゃまはきっと満ち足りた思いであの世に旅立たれるでしょう。 改めておばあちゃまのご冥福をお祈り致します。
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- hirosu
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こんばんわ。 私も先日祖母を亡くし葬儀に参列したばかりです。 私が嫁いだ先がたまたま親の実家(つまり祖母の家)の近くだったこともあり、ついでの用事があった時にお線香をあげに行きました。 亡くなった祖母の為に手を合わせたのは勿論なのですが、その時に祖父が「おばあちゃんも喜んでるよ、ありがとう」と嬉しそうに言ったのです。 祖母の為にしたことは、祖父にも喜ばれることなんだと感じました。 ご両親が法要へ出かけられるのなら、お花やお供え物を持っていってもらうのはどうでしょう。 おばあちゃんの好きだった食べ物を。 後は祖父宛になってしまうのだけど、おばあちゃんについての事を手紙に書いてみては。 私は葬儀で弔辞を読んだのですが、その弔辞は位牌の隣に置かれています。 祖母に対しての気持ちは祖父への気持ちでもあると思います。 一番気を落とされてるのは祖父だと思いますので、祖父を励ます意味も込めてなにかしてあげてはいかがですか。 なにかしてあげたいと思う孫がいる、それだけでおばあちゃんは幸せだと思いますよ。
お礼
そうですね、両親に何かお願いをしてもいいかもしれませんね。金銭的なものが絡んでくると、伯父や伯母も気にしますし、手紙などはいいかもしれません。 質問文中には書きませんでしたが、祖父はもう20年以上も前に亡くなっているのです。死後の世界があるかは私にはわかりませし、元々そういうものは信じたりはしていないのですが、でも、もしも死後の世界があるならば、祖父はそこで祖母のことを何年も待っていたことでしょう・・・ 祖母もまたきっと祖父の元へ行っているのではないか、と思うこともあります。 祖母の死後、一番落ち込んでいたのは、母なのかもしれません。兄弟の中で母だけが祖母の元から遠く離れたところに住んでいて、いつもそのことを気にしていていました。祖母もまた母を気にかけていたのか、命が危険な状態でも、必死に生きようと頑張っていたようです。母が来るまでは、と思っていたのかもしれません。母が病院に駆けつけた晩に亡くなりました。祖母が喜ぶことは母を大事にすることなのかもしれません。 祖母と母と私の想い出を綴った手紙でも書いてみようかな・・・と思いました。 回答、ありがとうございました。
- mak0chan
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>伯父や伯母には孫からは何もしなくてよい… 通夜、葬儀は突然訪れる者であり、風の便りにでも耳に入ったらお参りに駆けつけるものですが、事情があって出られなかったことは、いた仕方ありません。 しかし、法事は心あれば誰でもというわけではありません。施主が事前に人数を数え、会席と引き出物を用意しておくのです。 ビラミッドの頂点であるお年寄りが亡くなられた場合、血縁者全員を呼んでいたら、かなりの費用が掛かります。どこかで区切らねばきりがありません。そこで子どもと孫の間に線を引いたのでしょう。 遠方とのことですが、命日ににこだわらず 3年に 1度、5年に 1度でもよいですから、お仏壇に線香を上げるなり、お墓に花を手向けるのがよろしいかと思います。 それだけでは気が収まらないなら、49日に間に合うように、菓子箱の一つでも贈っておくのもよいでしょう。この場合、お返しの気遣いが要らない程度の金額ですましておくことが必要です。具体的には、2~3千円のものでしょうか。
お礼
そうですね。法事の場合は誰でも出席できるというわけではないので、今回の件は残念であると共に、何も出来ないもどかしさに頭を悩ませています。私たち孫は大人数でありますし、また孫は皆結婚しているために、更に人数が増えてしまうこと、様々な理由から、孫全てが呼ばれたからといって参加できる状況にないこと等から、四十九日の法要は子供達だけでと決めたのだと思います。 命日に拘らず、いつの日か、祖母の元へお線香をあげに行きたいですね。 お返しの気遣いがいらない程度の何かを贈っても、どうしても伯父や伯母が気にかけてしまうので、お金をかけずに何か祖母に出来たらいいなと思います。 回答、ありがとうございました。
- kunbow
- ベストアンサー率18% (6/33)
harumikanさん今晩は。 私は60歳になりますが、 祖父母は大好きでした。 父が戦争に徴兵されましたので、そんな私を見て不憫に思ったのでしょう。 幼少の私に、船に乗って帰ってくると、口癖の様に 励ましてくれました。祖父母はもう二十年前に 亡くなってしまいましたが、想い出は 鮮やかですし、楽しかった想い出は、今でも心の中に 生きています。 祖父母を思うと今でも胸が痛みます。 先日、私の父が亡くなりましたが、孫である、甥たちは 線香をあげに良く来て呉れます。 遠方に就職した甥は 先日、花を贈って呉れましたが、とても嬉しかったです harumikanさんの叔父様や叔母様は、あなたに負担を かけまいとして、<孫からは何もしなくてよい、と言われています。>と言われているそうですが、あなたの 気持ちであれば何でも良いと思います。 御祖母様もきっと喜んでくれると思います。 御祖母様の御冥福をお祈りいたします、 合掌。
お礼
私も祖母との20年以上も前の幼い頃の出来事でも鮮明に思い出すことができますね。祖母が亡くなってからも私の名を呼ぶ祖母の声が忘れられません。 伯父や伯母は若い私たちが金銭的にも時間的にも負担をかけないように気遣ってくれているのはとてもよくわかります。また、何もしなくていいというのも孫の多い祖母でしたから、皆が平等になるよう、という伯父の気持ちもあるのだと思います。 花を贈ることも考えたのですが、本当に何もしなくていいと言われ、悩んでしまっていたのです。でもいつか祖母のお墓参りはしたいと思ってますし、そのときにでもお花を贈ることが出来たらいいなと思います。 大切なのは私の気持ちですね。 アドバイス、ありがとうございました。
- babydoll
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本当に死後の世界があっておばあ様が見守ってくれているのかは誰にもわかりません。 宗教があるのは人間が生きていくのに心のよりどころが必要だからだと思います。 お墓参りにいくのが一番だと思うのですが、それが無理なら部屋におばあ様の写真を飾って時々お茶やお菓子をお供えしてはいかがでしょうか? もちろんお仏壇は本家にあると思うので気持ちのみになります。 あとは、おばあ様の大切な子供・・・つまりharumikanさんの両親を大切にすることです。 もちろん大切なお孫さん・・・harumikanさん自身も、ご自分を大切になさって日々生活を送ることだと思います。
お礼
そうですね。祖母が見守ってくれていたらいいのにと思うことはありますが、それは私の願いであって、本当のところは誰にもわかりませんよね。お墓参りには行けたら行きたいです。ですが遠方であることと、様々な事情から、すぐにいける状況ではないのです・・・ お部屋に写真をということですが、そうですよね。そういえば、私がまだ実家にいた頃、亡き祖父の写真を母は部屋に飾っていました。私の実家と祖父母宅もまた距離が離れているため、母は母の父(私の祖父)に何かしてあげたくてもすぐに出来なかったから、そのようにしていたのかもしれません。 私の両親を大切にする、ですか。それは祖母もきっと喜んでくれるでしょうね。母は病気を患っているのですが、生前、祖母はそれを心配していましたし、家族がお互いを思いやり、仲良く元気に暮らすことは祖母にとっても嬉しいことだと思います。 アドバイス、ありがとうございました。
お礼
そうですね、私も一番の供養とは何だろう?と思うと、考え込んでしまいますね。私は祖父は幼い頃に亡くしているのですが、そのときのことは殆どといっていいほど覚えていません。ですから祖母の死が初めての近親者の死といってもいいぐらいなので、余計に悲しくなり、また深く考えてしまうのかもしれません。 祖母の家にはいつも親戚が集まり、賑やかに楽しく過ごしてました。祖母はいつもニコニコしてみんなの様子を見ていました。それを思うと、祖母が一番望んでいることは、やはり私たちが元気に、仲良く、幸せに暮らすことなのかもしれません。 私の幸せですか・・・ 今の自分は幸せだと思っています。祖母をなくした悲しみはありますが、沢山の素敵な人たちに出会え、その人達に支えられ今日の自分があるということは幸せだなと思います。祖母がいなければ、私はこの世に生まれてくることはなかったわけですし、その人達とめぐり逢わなかったということになるので、本当に祖母には感謝しなければならないなと思っています。 祖母に最後に出会ったのは、祖母が危篤状態の時で、私は祖母に何もしてあげることが出来ませんでした。とても情けないのですが、何をしたらいいのかわからず、途方に暮れてしまったのです。心の中で「おばあちゃん、何もしてあげられなくて、ごめんね」としか言えませんでした。それが祖母に届いたか・・・ 悔やんでも悔やみきれないのですが・・・ あの世の存在は、今までは信じたいけど信じられないという気持ちでした。でも、今は信じたいですね。祖母の魂は私が生きている限り、一緒に生き続けるでしょう。そう思わないと悲しすぎますから・・・ 上手く気持ちを伝えることが出来ないのですが、masatoshi-mさんからのアドバイスを読ませて頂いて、穏やかな気持ちになれました。祖母にとっての幸せをゆっくりと考えることが出来たような気がします。 アドバイス、ありがとうございました。