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元小結の板井さんは横綱大乃国と 互角の成績を残すほどガチンコでは 強かったですが、当時は人気がどの力 士と同レベルくらいの人気があったの でしょうか?
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- uniquepro
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相撲ファンと好角家を厳密に分ければ、人気も分かれます。 当時の力士としての一般的な人気は、当時同格の力士として幕内にいた斉須(何度か解明していますがこれが一番馴染み、現協会世話人)・逆鉾(現井筒親方)・板井の3人で同じような人気でした。 むしろ板井の名が広まったのは、引退後の数々の八百長暴露(話半分8割眉唾の話ばかりですが)からだと思います。 ガチで強かったという評判も、八百長を公表したという立場上、本人は八百長や無気力相撲はしていないと主張しているからで、実際当時の相撲内容を見る限り、命がけで土俵を務めていたタイプではなかったですね。本人も公言していますが、相撲は仕事だと。実はそういう思想の力士が一番危険なのですが。 大乃国についても、たまに大きな勝ち星をあげることはありますが(千代の富士の連勝記録阻止だけでなく、実際大乃国の持ち味は取組相手が優勝争いをしている終盤戦での対戦にめっぽう強いため(結果的に相手の足を引っ張る)、勝ち星的にたいした数字ではないはずがやたら印象が強い。そのため、大一番に弱かった次代横綱の旭富士とは通算成績・幕内成績共にほぼ互角に関わらず横綱としての印象は大乃国の方が強い)、時代が違えば関脇止まりの力士。たまたま上も下も空白だった(はっきり言えば千代の富士・保志(北勝海)の九重の二枚看板が同年代前後の成長株(小錦・北尾・霧島など)をあらかた蹴散らした間隙を縫って横綱に昇進)タイミングの良さもありましたし。板井との比較ならちょうどいい相手でしょうが、比べてどうこう言えるような存在とも言い難い。今や部屋での暴力疑惑か、甘いもん食ってニコニコしてる、そればかりで名前が上がる親方ですし。 ただ前述の好角家から見れば、板井は角界の仕組みそのものを全否定した存在として忌み嫌われる人物です。八百長云々は別にして、本場所さえ出場して勝てば地方巡業も花相撲も一切いらないだろう?と言い放った人ですし。稽古嫌いで後代の模範にならなかったのも、角界を去る要因の1つではあったのですが。 個人的にはキライな元力士の1人です。