- ベストアンサー
鉄道院時代の略称は
汽笛一声新橋から鉄道国有化までは「官鉄」、その後鉄道院を経て鉄道省の時代は「省線」、戦後は「国鉄」から「JR」と略称も変遷しましたが、鉄道院時代はなんと呼ばれていたのでしょうか。 また、現代史の記述として2文字で済ませるには、なんと表記するのが適切でしょうか。 山手線や京浜線などを「院電」と称したのは知っていますが、この時代に電車は都市部のごく限られた線区にしかなく、SLしか走っていない全国の大部分を「院電」と呼ぶには無理があると思います。 識者の皆様、どうかお教えください。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 日頃鉄道資料(実はほとんどが切符ですが)をオークションで買っています。以前「播州鉄道」の資料が数点まとまって出て、その中に時刻表が含まれていました。発行日時の記載はありませんが、加古川駅統合後、釣橋駅開業以前のものです。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E5%8F%A4%E5%B7%9D%E7%B7%9A#.E6.92.AD.E5.B7.9E.E9.89.84.E9.81.93.E3.83.BB.E6.92.AD.E4.B8.B9.E9.89.84.E9.81.93 時期としては大正4年5月14日から同5年10月21日となります。 この時刻表には社線内の時刻だけでなく、「院線接続」として山陽線の上下方面の列車時刻も併載されています(驚くことにこの中に新潟行き列車があります)。 ただし鉄道関係者だから殊更に院線と呼んでいるのだろうと反論する意見も出そうです。ですが先の回答には漱石ほかの作品中に院線の形容があると記されています。私もはっきりとは思い出せませんが、永六輔さんか小沢昭一さんだったかがその著作の中で、親か近所の年配の人が 「鉄道を省線ではなく、院線と呼んでいた」というようなことを書いていました。 ですから院線というのがごく一部の者しか使用しなかった言葉ではないと考えます。もちろんその辺は既に回答で言及されているように、官営鉄道以外の路線がどの程度普及しているかという条件にもよるかもしれません。
その他の回答 (5)
- gsmy5
- ベストアンサー率58% (1457/2504)
普通に「院線」でいいと思います。 鉄道員は1908~1920年の短期間しか存在しなかったようですし、一般の人の通称というのは正式名称と完全にリンクしていません。 いまだにJRのことを油断すれば国鉄、省線(さすがに相当の高齢者)と言う人もいるぐらいですし、官製はがきという言い方もかなり通用します。 ですので、実際には院線と言っている人はいたとしてもごくわずか、多くはその前の時代に定着した「官鉄」という言い方をした人が主流派で、院線という言い方になれないうちに省線という言い方に変わったと推測します。 なお、一般的には過去の通称を時期別に厳密に区別して書くことはあまり意味がないと考えるようで(正式名称の場合は、時期ごとに正式名称を言い換えることが多い)、鉄道歴史関係の一般書では、冒頭に注記したうえでJR以前は一括して「国鉄」と書くケースが多く見受けられます。 小説等で当時の人が発言するというのなら、逆に「官鉄」「汽車」あたりの方がリアリティがあるかもしれません。 汽車では区別がつかないとお思いかもしれませんが、当時も今も多くの人は、鉄道のことを指すとき身近な鉄道だけを指すことが多いので、私鉄であっても国の物であっても「汽車」(今なら電車)で通用するわけです。 厳密な区別を必要としたのはその業界の人などごくわずか、事業者の多かった首都圏の方は電車を院電と呼べば区別ができるので、多くの人はあえて国の鉄道を区別する言葉を必要としなかったと言えます。
お礼
「院線・・・ごくわずか、多くはその前の時代に定着した「官鉄」という・・・」 ですか。 なるほど、確かにそうかもしれません。 ありがとうございます。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
鉄道院は 明治末から大正九年まで、十数年しかないので、 省線や国鉄ほどの高い認識度は、なかったかもしれませんが、 当時の文芸作品、 例えば、岡本綺堂、泉鏡花、夏目漱石などの小説や随筆にも 「院線」と書かれているので、 まー、院線という表現でも、当時 通用したのでは? すくなくともE電よりは、普及してたでしょう\(^^;)...
お礼
文芸作品にありましたか。 重ねてのご回答をありがとうございます。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7995/21380)
いえいえ。推論に基づいた反論は歓迎するところですよ。 ですが、この問題は「交通」カテで論じるよりも、「社会学」の 分野の話じゃないか、と思うんですよね。要は「新聞の過去版 を調べてみる」とかの方が、鉄道部内の話より正しいかと。 少なくとも「部内用語」として記録はされてないと思いますので。
お礼
質問のカテ選びが違うということですね。 ありがとうございます。
- FEX2053
- ベストアンサー率37% (7995/21380)
この辺は鉄道史ではなく、社会史の問題だと思いますが。 知る限りで、鉄道院時代には鉄道を区別する必要はなかったと 思いますし、そもそも「電車が頻発するような路線」はほとんど なかった筈なので、「汽車」だけで通用したと思いますよ。 「電車」という言葉も、出てきたのはかなり後の筈ですから。 いわゆる「省線」という言葉が定着する背景としては、「地下鉄」 や「都電」、「東横線」「小田急線」などの「区別する対象」がある ことが前提ですから、やはり「鉄道省」になってからだと思います。
お礼
ありがとうございます。 鉄道院時代の明治末に「軽便鉄道法」が施行されたことをきっかけとし、大正初期にかけて全国各地で私設鉄道ブームが起きました。 その中には電灯会社の主導で、最初から電化していた私鉄あるいは公営鉄道も多々ありました。 いま手元にマイクロフィルムからコピーした大正3年の新聞があるのですが、ふつうに「電車」の言葉を使っています。 東横線や小田急線は大正末期以降の開業ですが、それより10年以上前の話です。 したがって、当時から国営か民営かの区別はしていましたし、現代こそ気動車も客車も「電車」と称する人が大半ですが、当時の人々は電車と汽車は違うものと認識していたはずです。 せっかくのご回答に反論して申し訳ありません。
- kusirosi
- ベストアンサー率32% (2838/8859)
電車は院線電車、院電 鉄道院線は院線と称されてましたので、 二文字なら院線 ですね\(^^;)... zzzzzzzzzzzzzzzzzzzz
お礼
早速ありがとうございます。 でも、省線はしばしば目にしますが院線という言葉を聞いたことがありません。 鉄道史として定着した言葉なのでしょうか。
お礼
当時の私鉄から見た国営鉄道はやはり「院線」でしたか。 参考になる情報をありがとうございます。