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自分がよくわかりません
19歳、知的障害を抱える弟がいる男です。自分のことがわからず悩んでいます。 僕は3月に、それまで通っていた福祉系の専門学校を退学しました。原因は学力不振と人間関係でのつまづき、それに伴うストレスに耐えきれなかったからです。 学校が始まった頃は同じ目標を志す仲間と上手くやっていました。ですが、後期に入った頃から、友達の輪に入りにくくなり、次第に自分から遠ざかるようになってしまいました。担任の先生は僕が悩みを抱えていたことに気づいていられたようで、勉強、人間関係のアドバイスをして下さりました。しかし、期末テストでボーダーラインを超えることが出来ず、進級出来ないことが決定してしまって以来、自身を喪失している状態です。 僕は弟のためとか言いながら、本当は弟のことを言い訳に進路を決定してしまったのではないか? 福祉は自分が本当にしたいことだったのか? そのような疑問が渦を巻いて、ネガティブ思考に陥るばかりです。 僕はどうしたら良いでしょうか? アドバイスをお願いします。 拙い文章で申し訳ありません。
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- tomban
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>僕は弟のためとか言いながら、本当は弟のことを言い訳に進路を決定してしまったのではないか? 福祉は自分が本当にしたいことだったのか? そのような疑問が渦を巻いて、ネガティブ思考に陥るばかりです それについては、早急に結論を出さなくていい。 というのは、動機にしてもそうだけど、人間の思考は「いっぺんに複数のことが同時進行している」ものだから。 無意識のうちに足し引きをして、その中で無難そうな答を出すように出来てる。 もっと言えば「答えは最初から決まっている」ようなもの。 その答えに一番近そうな「計算式」を、自分で自動的に作って行動するのが、普通の人の行動パターンだから。 しかし、それに気づいたからといって、それが過ちなのか、間違っているのかについては、結果を待つしか無い。 そうしないと、十分な検討が出来ないから、いざ進路変更しようと思っても「検討材料」が足りなくなるよね?。 経験数が足りないってことだから、確実性も足りなくなってしまう。 それを繰り返しているうちに、何がなんだかわからなくなってしまうんだ。 だから今は「…かもしれない」にとどめておけばいいよ。 「かもしれないけど、とりあえず」ということで行けば、自然と経験も積みやすくなるし、ストレスもあまり感じないで済む。 気に入れば継続すればいいだけだし、違うと思うならば変更すればいいだけのこと。 福祉の世界は、ハッキリ言って広い。 仕事で、特に日本国内に限定するなら、それは狭くなってくるけれど、仕事以外や世界的な視点に立って見るならば、それは自分自身の生き様とか、生き方にまで波及してくるほどのおおきな「問い」になってくる。 決して小さな、隔絶された世界ではない。 世界を自分で限定しなければ、何でもそうだけど、世界は本当に広大だよ。 「知る」を、もっと行っていって下さい。
やめたことはいいと思います。 人間誰だって失敗はあります。 ただ、勉強はともかく人間関係を持ち出すってどうなんでしょう? 集中力が全然ありません。 あなたのおっしゃる通り、やりたくないことなのでしょう。 ほんとうに叶えたいことに関する勉強なら、他人とつるんでる余裕などないはずです。 ずっと勉強勉強ですから。 輪に入るなどという小学生みたいな発想は捨てましょう。 ひとりでもずっと続けたい勉強や仕事はなんなのか? それを考えてみましょう。
- caciow
- ベストアンサー率15% (17/107)
仕事と人間関係の問題を分けて考えると良いと思います。 あなたは福祉の勉強について行けなかったのですから福祉の仕事は向いていないのでしょう。今後の進路としてはこのまま就職するか高校の勉強をやり直して大学に入るかですね。退学理由を聞かれたら就職のときは「家庭の事情」と答え、進学のときは「進学の動機」を答えれば問題は起きません。 人間関係の問題は心理学の本が参考になります。人間とはどういうものかを知れば辛い思いをすることもなくなるでしょう。