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「それ絶対言い足りない」言葉の行方、在り方
少し気になったので質問させてください。 例えば、 「人は、過去は過ぎたもの故に囚われれば今が見えなくなり、今を変えていくには今の世界から学び、今を今で生きるしかない(だが当然過去を十分悔いて悲しんで、過去を見直した上で生きていけばいい)」、 「人が今間違いなのは、その今が間違っているからであるので、当然今を評価し、今を叩くしかない。お前は叩かれて怒られて当たり前(しかしそれは、その人が過去を十分見直した上で失敗しているならばとする)」 というようなやり取りを、この前しました。 恐らくこういった内容なんだろうとは思います。 しかし、僕は括弧のみの言葉を言われ、丸い括弧の部分は言われませんでした。 としたならば、丸い括弧以外の文字で僕は捉えなければいけませんよね。 そしたら、何とも強引な言葉に思えてしまいます。言葉、僕が想像して補足しなければ足りてませんよね。 まるで、過去は関係なく、人は今を見なければ、生きなければならないので、過去何があろうとも今が間違ってるなら配慮なく叩いてもOKみたいな。わかりますか? この世界って、言葉足りないことで、伝えたい真実、過去から伝わっている真実が人の感性で異質なものとして出回っている気がします。 僕はこの補足の文字を考えることで、省略されてる真実を見れた気がします。 僕はアスペルガーなので、常識が分かりません。だから、きちんと全部言ってくれないと、それでもわかり辛いのに、もっと分からなくなってしまいます。 でもアスペルガー関係なく、言葉足りなかったら相手が伝えたい言葉はこっちも変に捉えちゃいますよね。 それでお前はおかしいとか、それが言いたかったのにやっと伝わったのか馬鹿が、とか言われても、言われたこっちが悔しいだけだと思います。そっちにも責任あるだろうにと思います。 どう質問したらいいのか。ただこの記述を言いたいだけなんでしょうか。 皆さんの反応を見たいです。ご回答願います。
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No.8,9です。お礼をありがとうございます。 >最初に伝えたさ。俺は紙に書かなければ説明できないと。俺は病気だと。許可も貰った。許されたんだ。 No.9で触れたこの件も伝えていたんですよね? ↓ “「激しい叱責は心の傷として残りやすくパニックを引き起こしやすい」という特徴、これがコミュニケーション上の障害となっているということを特にしっかりと相手に伝え、理解してもらうことだと思います。” 上記の件ですが、アスペルガーは自閉症スペクトラムなので自閉症特有の上記の特徴があるのに、もしも所長が不勉強で「知らなかった」としたら…と思い、本当に当たり前のことなのですが、「先方には絶対に忘れてもらっては困ること」として敢えて書きました。アスペルガーだと伝えても、「敢えて伝えないと先方には分ってはもらえないことがあるのかもしれない」と。 けれども、「伝えていたのに我儘で片づけられてしまった」ということだったのでしょうかね…。 >だが、それが長の限度を超えた、という名の、長だけの怒りに触れただけだそうだ。 向こうは認めないかもしれませんが、社会福祉施設でこの対応では、契約違反と言っても良いと思います。 >ふざけるな。俺は一方的に悪い存在として終わったんだ。 「ふざけるな」は所長に向かって言っているセリフですよね。 一応訊ねます、ふざけているつもりはないのですが、もしかして私も込みなんでしょうか? 私が何かを言っても気休めにしかならないと思いますが、契約違反をしたのは先方ですから、ご質問者が一方的に悪いというのは成立しないと思います。 No.8の参考リンク先の別のご質問者が、あなたと同じように所長から酷く叱られている先輩のことをとても気の毒に思っているように、同僚の方々や、職員さんたちも、ご質問者のことを気の毒がっていたと思いますよ。 というか、参考リンクの質問を見たとき、一緒に働いている人は叱られている仲間を見れば、心を痛めるものだよなって強く思いました。 同じ立場なんだから、それが自然なことだと思います。 誰も心を痛めていないなんてことはきっとないし、所長が厳し過ぎたと思っている人もきっといると思います。 A型就労という福祉施設の所長が、そこで社会復帰を目指す就労者の希望の芽を摘むこと、このことが異常だし、所長の度量が狭いんだと思います。 障害者だと分って受け入れたはずなのに、「相手が一方的に悪いと思わせるような叱り方しかできない」というのは酷い話です。 所長は、ご質問者にどうしても直して欲しいことがあったのなら、ご質問者からは会話が不得手だと伝えられていたのですから、ケースワーカーを間に挟むなりして、静かな場所で諭すようにする、それで充分だったはずです。 そういう話し合いの場を設けようともせずに、一方的に叱り飛ばす所長は、決して良い上司とも正しい上司とも言えなかったと思います。 福祉という視点で考えると、とても残念な終わり方ですよね。 福祉だからこそ、弱い立場の人たちの人権を考えた対処と思いやりが欲しかったですよね。 「ご質問者が一方的に悪いなんてことはない」、ここだけは現場をみていなくてもハッキリ言えることだと思います。
何度もすみません、No.6~8です。 どうしてご質問のような遣り取りになったのか、過去質問を読んでもまだまだ解らない部分がありますが、仕事をする上で、ご質問者は所長に自分の病状や成育歴のことを知って欲しくて話したってことですよね? そのときの所長の返答とは、 「どんな過去があろうとも、それは過ぎ去ったことであり、そこにしがみついている限り心の病は治らない。ここ(就労所)は過去を振り返る場ではない。ここにいる瞬間は過去のことは忘れて、今、目の前にあること(仕事)に集中しなさい。集中できないならば、私はあなたを叱るよりない」と、こういうことなのではないですか。 >精神の病気はお前の心で決めるもの。お前が病気だと思ったら病気だ。 >医者は薬渡して病名つけて通院させて金稼ぐだけの場所だ。 これがあるから、所長の発言は底意地が悪く聞こえますが、「ご質問での発言だけなら、おかしなことは言っていない」と思います。 これが仕事中のことであるのなら、やはり、過去の振り返りより目の前の作業を優先して欲しいというのが実情でしょう。 ただ拙かったのは、引用文にあるように所長がカウンセラーのような発言をしてしまったことですね。 精神科医療、特に投薬に関して否定的な立場の人は、カウンセリングこそが大事と考えますよね。ご質問者が病気の話をしたので、カウンセリングを求められていると所長は解釈したのではないでしょうか。 それが、ご質問者には余計なことであり、ご質問者は所長には病を治してもらいたかったのではなく、現状を知って欲しかっただけだし、その現状を知ってもらうには過去のことを話さざるを得なかった。 なのに、いつのまにか根性論の話にすり替えられ、我儘だ、甘えていると罵られ、決裂してしまったと、こういうことですよね。 >ただこの記述を言いたいだけなんでしょうか。 これまでの情報を加味すると所長が言いたかったのは、 「精神病というのは甘えで、過去にしがみつき今を見ないから患うものなんだ。今を生きていれば自分で治せるものなんだ」 と、こういうことだと思います。 でもこれは、精神疾患に罹ったことがない人や、克服した人が言えることであって、今、渦中にある人に対しては不適切な発言だったと思います。 過去の苦しみを克服し今を生きることが出来れば充実した明日を迎えることだって出来る、それが分っていても出来ないから精神疾患なのに、ちゃんと治療に通ってカウンセリングも受けている人に対して言うことではなかったですよね。 いま患っている他の精神疾患が治っても、アスペルガーだけは残りますから、今後もこれを隠さずに就職することを考えているのであれば、「激しい叱責は心の傷として残りやすくパニックを引き起こしやすい」という特徴、これがコミュニケーション上の障害となっているということを特にしっかりと相手に伝え、理解してもらうことだと思います。 困難ではありますが、最初にしっかりと伝えておくこと、これが肝心だと思います。
お礼
最初に伝えたさ。俺は紙に書かなければ説明できないと。俺は病気だと。許可も貰った。許されたんだ。 だが、それが長の限度を超えた、という名の、長だけの怒りに触れただけだそうだ。 ふざけるな。俺は一方的に悪い存在として終わったんだ。
ご返信ありがとうございます。No.6、7です。 いきなり注文を付けてすみません。 お礼でご質問の追記をいただいておりますが、これは最初から質問文中に明記していただければ、良かったなと思います。 背景が分かりにくいと、いろんな背景を推理しながら書くことになるので、予め判断材料を書き込んでいただければなと思います。 しかし、このやり取りがあったればこそ、質問文が完成したのですよね。 >別にこの世の中、酷い奴がいても自然であります。 残念ですが、そうですよね。 >ただ、僕の怒りのままに言うならば、A型就労という障害者、病人を雇い入れる社会的にとても僕にとって安心できる場所の長を、あんな奴が仕切ってたとなると、怒りが収まりません。まぁ、怒り特化で話したならばですが。 そうですよね、まるで詐欺に遭ったようなものですね。 でも詐欺に遭えば警察に届け出ることができるし、詐欺師は捕まれば犯罪者で牢屋行きです。 でも、この件に関しては、ご質問者ばかりが裁かれて、向こうはのうのうとして…そう思ったら、なんとも腹の虫が治まらない話だと思います。 それに、その上司が就労所にそのまま長として収まっていたら、第二、第三の被害者が出るかもしれず、今も被害を受けている人がいるのではないかという懸念もあり、理不尽な話ですよね。 今度、そういう人に遭ったのなら、「人の心にトラウマを負わせるものは、何も地震や津波だけではない。天災の他に人災というものがある。人災は当人の心構えだけで避けられるものではない。特に子供の頃はそうだ。それが家という密室で起きていたら、どこにも逃げ場がない。それは、考えようによっては地震や津波よりも恐ろしいことだ。子供は身内を訴えることが出来ない。誰にも救いを求められない。そういう恐怖を、その心の傷の深さを考えてみてくれ。分れとは言わない。せめてその苦しみを想像してくれ。津波や地震は確かに恐怖だ。でも僕の恐怖は家や学校という密室で起きた。だから、同じ恐怖を分かり合える人、相談したり励まし合える人がずっといなかったんだ。その恐怖を想像してくれ」と。 それでも理解が得られなかったら、それはご質問者の所為ではありません。 本当に想像力もなければ、人の痛みを知らない冷血漢か極度の理想主義者なんですよね、そういう人は。 やっと解りました。以前、ご質問者が言っていたテンプレや九官鳥とは、そういう人のことだったんですね。人の言葉を解しても心を解さない人のことを言っていたんですね。 心無い人の心を探そうとして悲しむよりも、自分に心があるということが、人としてどれだけ誇らしことなのか実感してください。 心があるから悲しみと怒りがあるんですけれどね。 でも、だからこそ正義とは何なんだろうって真剣に考えることも出来るんですよね。 訳の分からない正義を振りかざし、正義の意味を勘違いしていたその所長が、いつか本当の正義に気が付けば良いのですが、そんな日は果たしてくるのか…。所長による、第二、第三の犠牲者が現れる日の方が早い気がして、空恐ろしいですね。 >死ねとは言いません。それよりも僕と同じ生き地獄を患って欲しい。 気持ちは解りますが、所長のような人は周りの人を病に追い込むだけで、自分は鈍いのでケロッとしているのではないかなと思います。 下で働いている職員さんや家族からの激しい突き上げがない限り、責任転嫁して逃げるんじゃないでしょうか。 こんな質問もありますよ。 【就労支援A型 所長の考え】http://okwave.jp/qa/q8350563.html 所長になるのが人格者とは限らないし、現場のことを不勉強なまま職に就くとは障害支援の現状は厳しいです…。 所長だって、年を取れば認知症になってどこかの施設のお世話になるかもしれないし、身内だって同じような施設のお世話になるかもしれない、なのに明日は我が身という立場に立てないでいるのが長として致命的ですよね。
お礼
ご回答有り難うございます。
ご返信ありがとうございます。No.6です。 今回のは直接の回答ではありませんが、アドバイスとして受け取って頂けたらと思います。 >精神の病気はお前の心で決めるもの。お前が病気だと思ったら病気だ。 >医者は薬渡して病名つけて通院させて金稼ぐだけの場所だ。 では、偏見で凝り固まっていたのは先方だということですね。 だから、解釈として( )の文面が成り立つと。 相手の人が、そこまでバッサリな人だったのなら、 >そんなこといった糞野郎に、そこまでの優しさがあったとは思えません。 という考えで良いのではないですか。 だって、その人に比べたら、あとは善人ばかりじゃないですか。。 偏見で凝り固まっている人に言われたのでなければ、叱咤激励になり得たし素直に聴けたけれど、でも「相手が偏見の塊だったから憤慨していた」し「悪意に満ちた発言としか思えなかった」ということですよね。 ご返信で追記されていたことが、ご質問の会話の前にあったことだったのか、後にあったことだったのかは解らないけれど、ついぞ相手が共感を示すことはなかったし、普段から攻撃的な態度だったということなのだろうと解釈しました。 ______ 昔、働いていた職場の先輩が私にアドバイスしてくれた言葉があります。 「何処の職場に行っても、“こいつさえいなければ” っていう人はいるものなんだよ」と。 温和な先輩でさえ嫌ったその上司。 人生経験豊富な先輩でさえ、酷い奴だと言わしめた人。 信頼している先輩がそう言うのだから、やはり、私が感じていた不条理は勘違いじゃなかったと思えたし、私は “最悪な上司” を知ったからこそ、転職したとしても先輩のアドバイス通り“こいつさえいなければ”という酷い人がいても、最悪を知った以上は余所へ行ってもきっと耐えられると思いました。 先輩がいたその職場では1年間頑張りましたが、私は結局その職場を辞め、転職しました。転職先にもそりの合わない人はいたけれど、先輩のアドバイスがあったから最初から覚悟できていたのも良かったし、前の職場の“最悪な上司”を知っていたから耐え抜くことが出来ました。 その“最悪な上司”に比べたら、転職先の他の人の欠点なんか本当に小さく見えて、「私って、心が広くなったな」って思えました。 そして、その最悪な上司が毒舌の極みの人だったので、他の人から言われる叱責は「叱咤激励」や「良薬口に苦し」に聞こえました。 不思議と、どんな言葉も温かい言葉に聞こえたんです。 退職後も、その“最悪な上司”を許そうとか理解しようとは一切思いませんでした。それが良かったんだと思います。 無理して理解しようとしたら、何度も思い出して余計に腹が立ったと思いますので。 そこで働いていた時は、その上司を少しでも理解しようと思って頑張ったり、立場を思いやって詫びたりすると、その上司は増長するばかりでした。 後半頃には、その上司は自分の仕事を放棄し、部下たちに仕事も責任も平気で押し付けて来たんです。だから、退職を決めたときには、その上司を理解したい気持ちは全くなくなっていました。 私は退職を決めて間もなくに、その上司に対して何も尊敬できるところが見つけられなかった以上は、何かこの経験を活かせることはないかと思案しました。 「ああそうか、この上司を最悪の基準にすれば良いんだ。そうすれば、あとは善人ばかりじゃないか。世の中はあの人より良い人ばかりで溢れているじゃないか。あそこまで皮肉屋で毒舌な人はそうそういないし、あんな人のもとで1年耐えたんだから、私は他でもやっていけるんじゃないか?」と、そういう結論に達しました。 そして、転職先では、ちゃんと耐えることが出来ました。 バッサリな表現ですが、「最悪な人は最悪な人で、他の人の良さを際立たせることもできるし、他の人の欠点を許せるまでになる効能がある」ということを知りました。 ご質問者も、その人のことは「他の人たちの良さを発見できたり、他の人に対する自分の心を広くするための存在であり、出会いであった」と捉えたらどうでしょうか。 私は今でもその上司のことは全く尊敬できませんが、憎いとまでは思いません(正直な話、退職を決めたときは憎らしかったですが、思い出すということ自体が負けのように思えたし、もう関わりたくなかったので思い出す必要を全く感じなくなり、存在感が薄れていったので今では憎いとすら思わないということです)。 その上司のことを思い出すのは本当に久しぶりのことで、この回答を書くまで忘れていました。 すっかり忘れ去っていましたが、その最悪な人がいたから、当時は他の人たちの良さや温かさが身に染みて分かったし、転職先では新たな出会いがあり、今の家族があるのですから「あの上司との出会いも人生の役に立ったし、意味のある出来事であった」と思えます。
お礼
別にこの世の中、酷い奴がいても自然であります。 ただ、僕の怒りのままに言うならば、A型就労という障害者、病人を雇い入れる社会的にとても僕にとって安心できる場所の長を、あんな奴が仕切ってたとなると、怒りが収まりません。まぁ、怒り特化で話したならばですが。 死ねとは言いません。それよりも僕と同じ生き地獄を患って欲しい。
長文で失礼します。 >この世界って、言葉足りないことで、伝えたい真実、過去から伝わっている真実が人の感性で異質なものとして出回っている気がします。 当事者の言葉を正確に理解できるのは、兄弟姉妹や幼なじみやのように、ずっと一緒にいて、その人の生活背景や感性を深く理解できている人と考えたら良いと思います。 自分のことを振り返ると、両親と話すと逐一説明しないと正確に話が伝わらないことがあったけれど、姉たちには手短に話してもちゃんと伝わっていることが多かったですね。一緒に住んでいた頃は、同時に同じことを考えていたり、同じことを言ったりという場面も度々ありました。 生まれた時代と環境といった点で、感性や物の感じ方は親よりもきょうだいの方が近いんだなとよく思いました。 結婚後の家庭では、娘は文系が得意なのと同性だからか省略して話しても(複雑に文章を組み立てるでもなく、頭に浮かんだことをそのまま話すことをしても)、こちらの言いたいことがすぐに話が伝わります。 逆に私の話が一番伝わらないのは夫です。こちらが言葉を慎重に選び正確に話さなければ違う意味に受け取られてしまうし、曖昧な表現は特に意味が解らないし、意味がないと言います(でも、そういう夫も自分では使っているので、“自分が使う分には構わない”ということなんでしょう)。 そして、「こちらで補わなければならないような話は振らないでくれ」とハッキリいう人です。「男はみんなそういうものだ」というけれど、しかし、自分が知る限りの男性と比べても夫のは極端だと思います。でも、本人は普通だと言い張ります。娘は一瞬にして理解できることでも、夫に話すとなると3、4倍の言葉と時間を要します。他の男性と話すときは、そこまで説明しなくても通じるのですが、夫曰く「おまえがおかしい」で完結しています。 言葉の感性が全く違う両親の言葉をよく理解できている娘を見て、私が「まるでバイリンガルだね」と言ったら、娘は「だって、生まれたときから一緒にいるからね。お父さんとお母さんは、それぞれ違う環境に育ったから理解できない部分があると思うけど、私は最初から二人と一緒に暮らしているからね」と言いました。 娘は、興奮気味の時はあやしい日本語になってしまう息子の話も、よく理解しています。そんな娘に「すごいね、(文法もめちゃくちゃで省略しまくりなのに)よく分るね」と思わず感心したら、「でも、2、3年別居したら分らなくなると思う。今はリアルタイムで(弟が)何に関心を持っていて、どんな行動をしているか知ってるから、判断材料が充分なので理解できるけれど、2、3年離れて、あの話し方だったら分らないよ」と言っていました。 長くなりましたが、ここまでの話をまとめますと、 【結局、相手の話を正確に理解できるか否かは、どれだけ近い環境にいて、近い感覚を備えることができ、どれだけ判断材料を揃えることができるのか、これに尽きると思います。想像力も必要だけれど、どれだけの時間と空間を共有し、どれだけ心の交流が出来ていたのかと、そういう話になります。】 ______ 友達も、事細かに言わなくても直ぐに気持ちを察してくれる人、話せば話すほど距離が開く人、いろいろです。 会話で意思疎通が上手く行くか行かないかは、感性や受容力、洞察力など様々な問題が複雑に絡んでいると思います。 感性が近い人、受容力のある人、洞察力のある人と話した方が共感は得られやすいです。 しかし、喧嘩みたいになったときも、相手の洞察力が必ずしも低いとは言えないことがあります。こちらとの価値観の違いを向こうは向こうで見抜いていて、「そこにしがみついているようにしか見えない あなたは間違っている」と言いたくなるのでしょう。 過去のことに ご質問者は拘りたくとも、その人にとっては「自分とご質問者との接点は“今しかない”ということ」だったのではないですか。 過去を理解できるほど交流がなかったから、その場面で過去がどう絡んでくるのかが理解できないということでしょう。 その人には、ご質問者の心の中が見えないから「今に拘った」のでしょう。 >それでお前はおかしいとか、それが言いたかったのにやっと伝わったのか馬鹿が、とか言われても、言われたこっちが悔しいだけだと思います。そっちにも責任あるだろうにと思います。 これが感想ではなくて、相手が本当に「馬鹿」とか「おかしい」と言ったのなら余計な言葉ですよね。「どう話せば伝わるのか解らない」と現象のことだけを言えば良いのに、「こちらも困っているのに、感情ばかりをぶつけられても…」という話ですよね。 話題に関しては向き不向きがありますので、こういう会話はこの人に相談して、こちらの話はこの人に話して、この人と話す時はあの人に間に入ってもらってと「相手がどういうタイプの人か知ること・話題を振る相手を選ぶこと」これだけで嫌な思いは随分減ります。 誰とでも分け隔てなく同じように話せたら一番ですが、それで同じように話が通じるかと言えば、そうではないというのが現実です。 例えばご質問のこの箇所ですが、 >(だが当然過去を十分悔いて悲しんで、過去を見直した上で生きていけばいい) >(しかしそれは、その人が過去を十分見直した上で失敗しているならばとする これには、ご質問者の悔しさが滲み出ているけれど、その場に別の人が居合せたら、この箇所にはまた別の解釈が生まれると思います。 同じ本を読んでも一人一人の感想が違うようにです。 ご質問者は、相手の言葉をそう解釈したけれど、他の人なら別の解釈をするでしょう。ですから( )の言葉は、ご質問者がその人に対して持った印象であり、学んだことになります。 しかし、私はその場にいなかったから、相手の人がどれだけ感情的になっていたのか解らないし、本当にそんな風に難解な表現で話していたのかと疑問に思います。だから、そのときの話は、実際はこんな風だったのではないかという考えが浮かびます。 「過ぎたことに囚われれば今が見えなくなる。よって、今、目の前にあることを見つめ、今を生きるべきである。(過去とは視野を狭くするためにあるのではない。過去に縛られるということは、目の前にあることを色眼鏡で見ているのと同じだ。偏見で凝り固まっていては、今を生きることを放棄しているのと同じだ。)」 「現在、過ちを犯している人がいるならば、周囲は現状を把握することに努め、その人の間違いを正すよりない。よって、今、自分のミスに気が付けないでいるあなたは、周囲から正されてしかるべきだ。(自分の間違いとは自分では気が付けないものだ。周囲の意見に対し、素直に聞く耳を持って欲しい。)」 でも、これを読んでご質問者が納得できるとは思いません。 ご質問者には、そのときのその人が、とても意地悪で傲慢に思えたのでしょうし、険しい表情をした般若のように見えたのでしょうから。 でも第三者が聞いたら、そこまで攻撃的には聞こえず、上記のように聞こえているということはあると思います。 賛同するのは簡単ですが、文章という形で自分が実際に居合わせなかった事柄が語られているとき、読み手としては一歩引いた距離から見ないことには、公平な視点からは遠ざかると思い、このような回答となりました。 納得させたいということではなく、こういう意見もあるんだよという話です。
お礼
精神の病気はお前の心で決めるもの。お前が病気だと思ったら病気だ。 医者は薬渡して病名つけて通院させて金稼ぐだけの場所だ。 そんなこといった糞野郎に、そこまでの優しさがあったとは思えません。
- kamikami30
- ベストアンサー率24% (812/3335)
>周りくどいって僕ですか? もちろん違います。 あなたに対して質問の「」の内容をいった相手に対して私ならそうするということです。
お礼
ご回答有り難うございます。
それってあたりまえなんじゃないですか。 誰だって自分は実感としてわかってますから、どうしても言葉が足りなくなります。 わからなかったら、聞けばいい。 そうすれば、補足はできます。 あるいは、「こういうもんだ」とわかったが、それが伝える側の意図とは違ったとしましょう。 その場合は、相手に「伝わった内容」、つまり誤解した内容がすべてです。 あなたが何か言われた場合、わからかったら聞く。 理解したなら、その自己流の解釈でけっこうです。
お礼
まるで相手の言ったもん勝ちな感じですね。 僕はこう言われて、後にあなたの回答を見て、なんて相手に便利な言葉なんだろうと悔しくなりました。 どう動こうが僕が悪いに繋がる会話の流れ。悔しすぎる。 僕はこの時、精神が不安定で、聞けなかったのです。ただ怖くて困ってました。 僕が正しいといえば、相手はそう思うならそんなんだろうとかで僕を異端分子にすることが可能。 過去関係ないと言いながら過去は必要と隠して主張する。 悔しいです。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
>それでお前はおかしいとか、それが言いたかったのにやっと伝わったのか馬鹿が、とか言われても、言われたこっちが悔しいだけだと思います。そっちにも責任あるだろうにと思います。 …そういうものなのでしょうね。 それで「そういうものだからこそ」出来ることならば、互いが気遣いして行くべきだと思うのですが…なかなか難しいところがあります。 「互いが欠けている」ということを、どう認めていくか?というのが、心安らかでいるには必要なのでしょうね。 欠けているものを必死に補填しようとする生活は、ものすごく疲弊すると思います。 それを互いに求め合うなら、尚更の事大変で、人生やっていたくなくなっちゃいますよね?。 ですから「欠けている部分」を見たならば、それを「許す」ことが必要なのです。 質問の場合は、確かに相手側にもそういった態度はありましたけど、それを折角理解できているのに「許せない」と思う「あなた」も、もう少し譲歩できれば良かったかもしれません。 互いに「わからないことが多い」のが現実ですから、その現実を「どちらか一方が認めるだけでも」関係性は悪化しないで済むのですから。 出来ることならば、自分が一歩下がったほうが、良い結果に繋がりやすいと思うのです。 悔しい気持ちはあるのでしょうけれど…。 どうでしょうか?。
お礼
ご回答有り難うございます。 分かるというか予測です。しかも、結構後になって予測したものです。 というか、なぜ僕が一歩譲歩しなければならないのです? 間違ってるのは相手なのに。
- nobu1717
- ベストアンサー率17% (218/1217)
おっしゃる通り言葉だけでは足りないことだらけですよ。 ですから直接話すことによって表情や目線、声のトーン、身ぶり手振りを交えて相手に伝えようとするのです。それも一種の言葉ですから。 最近はメールやラインなどが多くなり、言葉だけでは伝わりにくいことまで書いてしまう方が増えたので、真意を伝えられずトラブルになることが多いのも一例ですよね。
お礼
ご回答有り難うございます。それで悔しい思いをしたので、とても悲しいです。
- kamikami30
- ベストアンサー率24% (812/3335)
質問のように言われた経験もなく、言われるまでの状況がわからないので、意に反した回答となってしまうかもしれませんが、 『回りくどい』 これに尽きます。 言いたいことがあるならハッキリ言え。 言えないなら黙れ 以上、その相手と私なら二度と話すことはないでしょう。
お礼
ご回答有り難うございます。 周りくどいって僕ですか?
お礼
貴方は入ってない。長に言ったんです。ごめんなさい。 思い出せなくなっていく。僕の記憶が飛んで行く。そばに居てくれたケースワーカーさんも記憶が忘れていく。 僕は落ち着いていく。それは記憶を忘れていくから。 とても、とても悔しい。落ち着くことすら僕には害なんだ。