- ベストアンサー
幼少期の暴力体験を思い出し悲しむことは愚か?
- 幼少期に受けた暴力を思い出し悲しむことは愚かなのか、その理由を考えます。
- 過去の暴力体験を思い出して悲しむことは愚かでしょうか。その答えと対処法を探ります。
- 幼少期に受けた暴力の思い出が心を凹ませるとき、愚かなのか考えてみましょう。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
愚か? すいませんが、どこら辺が愚かなのでしょうかね。 あなたは、それを「忘れる事が出来ない」からこそ、我が子に対し「仲良くする」事の本当の大切さを、ご自分の経験を通して教える事が出来るのではないですか? どうしても、どうやっても「忘れる事の出来ない記憶」には、必ず「忘れる以外の答え」があるものです。 それは、悲しんだり苦しんだりする事のみにあらず。 その答えを、今にどう生かすかは、あなた次第と言える事でもありますね。 例えば、逆にとっくに忘れてしまっているような事、覚えてもいないような事は、今まで生きてきた人生、あなたの中にも確実に存在しているはずです。 そしてその多くは、実は自分自身に取ってあまり意味が無かった事、都合の悪かった事の方が多かったりします。 その証拠に、あなたに暴力をふるっていた当事者は、今もそのことを鮮明に覚えているのですかね? 構造上、人の脳とはそのように出来ており、一見、人の心と異なっているもののように感じるかも知れませんが、実は、しっかり協調していたりもするのです。 つまり、良くも悪くも、覚えている事、忘れられない事と言うのは、今の自分が「そうある為に」存在しているという事ですね。 さて、そうだとすれば、あなたをずっと縛り付けている過去の記憶は、今のあなたを苦しめる為だけに存在していると言い切れるのでしょうか? 「暴力はいけない」「仲良くしなくてはいけない」 当たり前の事のようでいて、それがなぜ当たり前なのかまでを、切実に教える事の出来る人は、実は少ないのだと思います。 忘れる事にも意味があるように、忘れない事にも、ちゃんとした意味はあるのです。 「経験」が形を変えて、しっかり次に繋がって行く事にも、確実に意味はあるのではないでしょうか。 果たして、本当に「愚か」な事は何なのか。 あなたの「これから」の人生の中で、その答えを見つけて行って欲しいと思います。
その他の回答 (4)
- BC81
- ベストアンサー率25% (687/2673)
それも一つのレクリエーションなのでしょう。であれば愚かではない。
お礼
気晴らしや楽しみではありませんので、レクリエーションではないです。 レクリエーションに出来るくらい過去の笑い話にしたいと思っています。 ありがとうございます。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
子供と一緒に空手でも習ってみたらどうですかね。 あなたはそんなにナイーブな人間じゃないように思いますよ
お礼
若い頃に柔道を習っていたときがあります。 日常のルールがハッキリしない中での喧嘩はどちらが武力的に強いかという部分よりも、ずる賢こかったり後先考えずに無謀・無茶なことをした方が有利な気がします。 やるならきちんとしたルールの上で、正々堂々と勝負したいものですね。 まぁ、そうなると暴力とはいわないんですけどf^^ 柔道(や他の武道)をしても心が晴れるわけではありませんし、暴力への悲しみが消えるわけでもありませんが、スポーツに取り組むことは(心と体に)良いことですね。 ありがとうございます。
愚かではありませんよ、愚かと思ってもいいんですよ 苦しかったでしょうね、ずっとずっと苦しくて一人泣いたこともあったと思います でもその苦しさから逃げることなく、逃げられないものと思い、質問者様はずっと向き合い続けた 誰にでもできることではないと私は思います、そうした自分が残したもの、守ったものは「優しさ」「愛」だと思います 思い出したときは、そっと目を閉じて、質問者様が子供を思う心で今まで耐え抜いてきた自分を包んであげてください 一緒に泣いてあげてください 辛かったよね、でももう泣かなくていいんだよ 質問者様は自分の中の「愛」を守ってきた、だからもう何も求めなくていい、何もいらない 何も否定するものはない、一人じゃない そう感じることができた時、自分の人生が初めてスタートすると思います。 悲しいときは悲しい、それでいいんですよ 思うままに泣けばいい、大人とか、性別とか何も関係ない、愚かでもない、愚かと思ってしまってもいい、思うままに泣き、笑い、怒り、自分らしく生きたらいいです。 大丈夫ですよ
お礼
>思うままに泣き、笑い、怒り、自分らしく生きたらいいです。 思うままに出来たら良いのですが、 大分変な癖がついてしまったとおもいます。 人が怒ることは恐怖であり、自分が怒ることも人に恐怖を与える。 人が怒るかもしれないことも恐怖になってしまい、萎縮してしまったり、 家族や仲間とも距離をとってしまったり。 怒ることに恐怖を感じなくて良いはずなのですが、 物心つく前から、暴力を受けていたため、暴力的なことや 暴力的になるかもしれないことに過剰に反応してしまうのです。 もちろん、責任転嫁するつもりはありません。この人格を形成したのは私自身ですので、私の責任です。(暴力の影響は大きいですが、万の事柄は本人次第と考えます。) 「優しさ」「愛」なんてカッコいいものではなくて、極端に臆病なだけかもしれません。 しかし、私は断固として暴力や暴力的なことに反対しますし、 弱者のためになるようなことをしていきたいと思っています。 変な癖がついてしまっているかも知れませんが、本心の自分に寄り添うことが出来るように頑張ります。 ありがとうございます。
- KoalaGold
- ベストアンサー率20% (2539/12475)
すでに成長した自分を「よく生き延びて来た、偉い」と褒めてあげましょう。 今の自分を認めることで嫌な経験も過去になります。 現在の自分の言い訳に過去を持ち出す限り、過去に取り殺されかねません。
お礼
>嫌な経験も過去になります。 そうですね。過去にする必要がありますね。 何かしらのキッカケで暴力のことを思い出してしまうと、暴力を受けたことにはまだ決着がついていないというような悔しい気持ちでいっぱいになってしまいます。 しかし、とっくの昔に終わった話ですよね。 >「よく生き延びて来た、偉い」 ということで、心の中の決着をつけておくべきですね。 別に復讐しなくたって、生き延びて、幸せになれば良いわけですからね。 過去を過去にするべく頑張ります。 ありがとうございます。
お礼
>「暴力はいけない」「仲良くしなくてはいけない」 > >当たり前の事のようでいて、それがなぜ当たり前なのかまでを、切実に教える事の出来る人は、実は少ないのだと思います。 そうですね。 暴力を受けた記憶は、悲しみ苦しむためだけにあるのではなく、子供に教えたりと役に立つこともありますね。 私は失業者を支援する仕事をしていますが、この仕事を選び・続けられているのも過去の辛い経験があるからかもしれません。 良い面もあるということですね。 他人には出来ない貴重な経験を持っていると前向きな考えも持つようにします。 ありがとうございます。