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幼少期のいじめはパーソナリティ障害の原因?
- 幼少期のいじめはパーソナリティ障害の原因となる可能性があります。
- 幼少期に受けたいじめが、自己評価や人間関係に大きな影響を与えることがあります。
- 現在鬱状態で地元で働いているが、コミュニケーションに苦労している状況です。
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No.5です。ご返信拝読しました。 私は精神科医でも作家でもありませんが、身内が発達障害当事者なので勉強せざるを得ませんし、通院先でも、やはり発達障害のお子さんを持つご家族からお話を聞く機会がi幾度かありましたので、このことに関してはいい加減な情報は書いていないつもりです。医療現場からの生の声だと受け取っていただきたいです。 パーソナリティ障害については、アダルトチルドレンの原義を読んだときの環境要因がスッポリ実家の環境に当て嵌まっていて、アダルトチルドレンのことを調べると、必ずといって良いほどパーソナリティ障害の記述が出てくるので、概略が自然と頭の中に入ってしまったといったところです。 悩んでいる方に対し長々と蘊蓄めいたことを書くのは失礼なことだと思いましたが、この場をお借りして発達障害に関する誤解を解かせていただきたいと考え、誠に勝手ながら当事者と家族の悩みを吐露させていただきました。 「地味目」の件ですが、誰もが普段何気なく使う言葉だし、さほど差別意識のない言葉だと思いますが、でも、「おとなしめ」ではなく「地味目」という表現を選択したところに、ご質問者の性格やものの考え方を考察するヒントがあると感じたのです。 ご質問者は、その子に否定されたことが今も悔しくて、許し難い侮蔑の感情を持っているから、「おとなしめ」だなんて可愛らしい表現は使いたくなかったんだろうな…と。 見ず知らずの者から深読みされても鬱陶しいものと思いますが、実際に口頭で人と会話するときは、ちょっとしたニュアンスに気をつけて会話をすれば、本質的に伝えたかったことを訴えつつ、誤解を受けたり敵を作ったりは、かなり避けられると思い、先の回答の時は、その辺りのことも繋げて話して行きたいと考えていたのですが、もう充分に長く説教臭かったので割愛させていただきました。 しかし、ご質問者が補足で、 >地味目」って相手に失礼まで考えていませんでした。そこらへんがずれているのかも知れません。 と返答なさったので、私が言いたかったことは大まかなりとも伝わったのだと思います。実際にその子からは失礼な発言をされたのだから、ご質問者がムッとしたり今もって許せなくとも当然だと思います。ですから、「地味目」という表現自体が、ずれているということではないのです。 しかし、日記なら別(自分が感じたことを正直に書くものだから、感情面で見た場合「地味目」で正しい)ですが、こういった他人に読ませる文章を書く場では、普段から人と会話をするときに言葉のニュアンスに気をつける習慣が身についていれば、相手や自分のイメージが悪くなる言葉は選ばないものと思います。 本当に些細なことだけれど、ご質問者はそういうことが上手くできていないから、小さな誤解が積み重なって、今、苦しい立場にあるのではないか? そういう問を投げかける意味で先の回答をしたのです。 >私は発達障害でパーソナリティ障害のある精神障害者なのでしょうか。 この発言についても、必ずしも、ご質問者に発達障害やパーソナリティ障害に差別意識あってのことだとは思いませんでしたが、実際、ネットでも実社会でも「発達障害=精神障害者」と誤解している方が多く、一読目で私にはグッサリと来たのは事実だったので、必ずしもイコールではないということをここで述べておかないと、幾ら先のご回答者が誤解を解いてくださっていても、ここを自らスルーすることは私にとっては容認してしまうことと同じ意味だったので、どうしても無視できないことだったのです。 ご質問者は自身のことを「発達障害とパーソナリティー障害をこじらせて、精神障害を負ってしまったのでしょうか?」そう言いたかったんだろう、そう思おう…と私はしたのだけれど、もしも発達障害について誤解しているのなら、ちゃんとこの場で自分の言葉で伝えたいし、ネットでこれ以上誤解が広がるのは嫌だなと、ご質問者を傷つけてしまうかもしれない、ただのエゴと言われたら反論は出来ないけれど、障害者や家族側の気持ちも知って欲しいと考えたのです。 >「わざと負けてあげる」のは実は、周りの友達の期待に応えてあげることでもありました。~でも、もう嫌だなと思って5年生の終わりくらいからマラソンや陸上は本気でやり始めました。遠慮なく勝ち始めたのです。すると周囲の態度も少し変わってきたのを覚えています。何より自分の1位でゴールするのは気持ちいい。そう思ってました。 以前、明石家さんまさんがテレビで話していたのですが、スターが総出演しているテレビ放送の運動会で(観たのがずっと前だったので、その競技は長距離走だったのか短距離走だったのか記憶は定かではありませんが…)トップを走っていたら、局のディレクターだかから、「さんま、転べ! さんま、転べ!」と指示が入ったそうです。局の方針としてはアイドルが一位じゃなければ不味いし、良い画にならないということだったのですね。その話を思い出しました。 結果はどうだったんだろう…さんまさんは局の方針に応えて転んだんだろうか? それともトップでゴールしたんだろうか。結末を覚えていないけれど、コメディアンとしては転ぶのが正しい仕事なんでしょうね。 でも、私はアイドルがトップでゴールを切るより、コメディアンがテープを切る瞬間の方がドラマチックで良いと思いますし、その人のことを見直すと思います。 皆が皆アイドルを応援しているんじゃないのに、やらせまでさせようとして、テレビ局って感覚がずれてるし勝手に押しつけまでして!…とちょっと腹立たしく感じていたことも思い出しました。 ご質問者は子供心に余興をしなければいけないと、仕事でもないのに自尊心を犠牲にサービス精神を振るってしまった。 でも、それって楽しくはないですよね。周りが喜んだってあなたが喜べなければ…。 ご質問者は道化師的な立場を演じていて、自分の人生を生きていなかったのですね。でも、ある日を境に一念発起して自分の人生を勝ち取りに行った。 そうしたら、周りの目も変わった。――自己実現が出来ていたということですね。 周りも自己実現に励むご質問者を認めたということですね。 誰だって頑張っている人には好感を持つし、口には出さなくとも努力をちゃんと見ていて応援もしているものだと思います。 最初はやっかむ人もいるかもしれないけれど、段々とそういう人はいなくなるものですよね。 成人の発達障害の場合、診断が下っても子供のように、手取り足取り指導して貰えるでもなく、また指導できるような専門病院も少ないと言います。 実際には自分で専門書を読んだり、当事者のブログを見たり、家族会のようなところを利用して意見を参考にしたり…ということになると思います。 暗い幼少期を送るとパーソナリティー障害者っぽくなったり、発達障害者っぽくなると巷ではよく言われていますが、素人が言うことではないかもしれませんが、ご質問者の場合はどちらであろうと重いということはないのでは…。 ただ、自己否定感が強かったり、会話の基礎を磨くべき時期に会話が少なかったので言葉の選択が上手くなかったりで、能力値の全てが出し切れていないのではないのか、そんな印象を受けました。 パーソナリティー診断を受けてみようとお考えになったのは、もう一度、自己実現をしたいとお考えになったからですよね。 診断結果によっては、更に辛い思いをするかもしれないし、期待通りには物事は運んでいかないかもしれませんが、挫折を乗り越えたという過去の経験が、今のあなたを突き動かしているのなら、それは正しい選択なんだと思います。 これを切っ掛けに、もう一度自己実現に向けてスタートを切る、大変な道のりだと思いますが陰ながら応援いたします。
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>>ご質問者の場合はどちらであろうと重いということはないのでは…。 自分でもよくわかりませんが鬱症状についてはかなり重篤だと思います。自殺念慮が何度も反芻するのでとてもつらい状況です。 >医師からは入院を勧められています。入院してパーソナリティ診断もということです。 そうでしたか。今更ですが、知らぬとは言え不用意な発言で傷つけてしまい申し訳ありません。ここは、入院してゆっくり心と体を休めてくださいね。 >発達障害は上席の方が社長への報告文書で「幣課より鬱および発達障害で休職者を出したことは・・・申し訳ございませんでした。」という書面を提出されているのをみて、明らかに自分のことですから発達障害を自分で疑い始めた次第です。 その報告書の記述が、ご質問者のことだと確定できる根拠を私は持ち合わせていないので何とも言えませんが、発達障害に関しては知能テストだけでは判断できません。発達に関する勉強をした専門医(精神科医。但し大人の発達障害に関しては、小児神経科医や児童精神科医のように専門に勉強した医師は少なく、正確な診断を下せる医師もまた少ない)と診断の基となる検査をする臨床心理士や作業療法士ら、そして出生前から幼児期までの生育歴の参考となる母子手帳、さらには幼児期のことを詳しく知っている養育者、そして検査を受ける当事者が揃わなければ正確な診断は出来ません。その報告文は、便宜上どうしても理由がいるので取って付けて書かれたものだったのでは…。 しかし、本当にご質問者のことについて書かれた書類だったのだとしたら、本人の目に付くところに出しておくだなんて、酷い職場です。更に追い打ちとは、これも一種のパワハラですね。 >最後の日を迎えたらどれだけの叱責と罵倒が待っているのかと思うと怖くて仕方ありません。 >元とは私にとってとても怖くてつらい場所です。 悲しいですよね…私もそんな恐ろしい職場は嫌です。 そんな処にいたら、誰だって自信を無くして心も体も壊れてしまいます。 本当に、入院先ではゆっくり心と体を休めて欲しいです。 >地元とは私にとってとても怖くてつらい場所です。そう思っているから周りも私を嫌うのでしょう。これ以上嫌われながら毎日を過ごすのはつらいものです。 これからのことは、入院中・退院後を含め主治医とゆっくり相談して行くと良いと思います。 ご質問者は、先のご回答者へのお礼の中で転地療法の話をしていらっしゃいましたが、このことも視野に入れて良いと思います。地元に愛着が湧かないのなら、愛着の地を、故郷と呼べる場所を、元気になったら ゆっくり探していけば良いと思うのです。 私は長らく、ここが故郷だ、郷里だと呼べるような地がありませんでした。 転入先の学校で自己紹介する時も、何処を挙げても嘘になる気がして、絶句してしまったほどでした。 子供の頃から成人してからも、引っ越し引っ越しのまた繰り返しで、やっと仲の良い友人が出来ても土地に馴染んでも、その度、一からやり直しで…。 私にとっては、出生地や学童期に過ごした土地は故郷ではなく、今、住んでいるところが故郷です。 30過ぎてからやっと、「ここが故郷なんだ」と実感が湧くようになり、現在に至ります。 鬱状態が重いということですが、もしも、私からの返信を読むのが辛かったら、どうか無理はしないでください。 お礼は気が向いたとき、元気になったと思えたときで結構です。 もちろん退院後でも構いません。 極端な話、お礼はなくてもいいんです。 こちらが勝手に書いているだけなので、読んでいただけたのなら、少しでも参考にしていただけたのなら、それで充分なんです。
お礼
お気遣い有難うございます。 私は親が転勤属ではなかったので大学入学まで地元で過ごしてきました。 このたび意を決してUターン就職したのですが思いのほかうまくいきませんでした。 かれこれ1年ちょっとが経過していますが、成果は残せていません。 その一因が幼少期のいじめの記憶や実際入社してから社内いじめにあってしまったことがあるのかと思います。解決力があれば良かったのですが、そこまでのスキルがなかったのです。 会社は悪い会社ではないと思うのですが、メンタルヘルスという概念が私が前に居た会社に比べるとかなり遅れているなと感じています。鬱病はずる休みとかさぼりとか思ってしまう方も多いようです。そういう職場の雰囲気があります。社風はみんな健康的に元気に仲良く一緒にみたいな社風です。 次の職は前の勤務地あたりに戻って探そうかと思っています。 入院してゆっくり文字を読めるようになったら、余っているお礼を返信させて頂きます。 鬱病になると本や文章をなかなかうまくスラスラと読めないことが結構つらいです。 いろいろとアドバイスありがとうございました。
何度もすみません、No.5,6です。 No.6の回答で不適切な表現があったので訂正します。 >ご質問者は自身のことを「発達障害とパーソナリティー障害をこじらせて、精神障害を負ってしまったのでしょうか?」そう言いたかったんだろう、… この箇所ですが、パーソナリティー障害については私は不勉強なので詳しい言及は出来ませんが、発達障害に関しては、それこそNo.5で回答したように、病気や怪我で脳に直接ダメージが加わるようなことがなければ障害が重くなるということはなく、「こじらせて」とするのは不適切なので、これを「下地があるので」に訂正させていただきます。 よって、次の『 』の文章に差し替えてください。 『ご質問者は自身のことを「発達障害とパーソナリティー障害が下地にあるから、精神障害を負ってしまったのでしょうか?」そう言いたかったんだろう、…』 これは子供の主治医に直接訊いたことですが、子供の頃、特に発達障害らしき所見が見られなくとも、大人になって鬱状態が長期にわたって続くと、ADHDのような症状が現れることがあるそうです。 また、全くADHDの傾向が見られなかった人よりも、もともとその傾向が強かった人の方が、鬱状態が続くと、よりADHDのようになってしまうことがあるということでした。 また発達障害の傾向が見られる人(傾向は認められても障害とまでは言えない人)は、定型発達者の中にもいるということです。 ここからは全くの私見ですが、発達障害やパーソナリティー障害は、その人の個性と強く結びついているので、(特に発達障害に関しては、脳の器質が直接関係しているので)消し去ることは出来ないと思います。 しかし、環境を整えたり、コミュニケーション力を身につけたりと、直接のストレスとなることを軽減して行くことで、情緒が安定し、本来の持てる力を発揮して行くことが出来ると思います。 何度も引用して申し訳ないけれど、 >番狂わせを期待しながらも最後に勝つのは常連校だとどこかで思っている。最近でいうところの空気を読むとでもいいましょうか、そんな思いが当時はあったのです。 という、ご質問者の心配りに気が付いた人はいったい何人いたんだろう…と思うと寂しいですね。でも、 >もう嫌だなと思って5年生の終わりくらいからマラソンや陸上は本気でやり始めました。遠慮なく勝ち始めたのです。すると周囲の態度も少し変わってきたのを覚えています。何より自分の1位でゴールするのは気持ちいい。そう思ってました。 この言葉が聞けたので私はホッとしたんです。こちらが本来のご質問者なんだろうなって。 パーソナリティー診断を受けるという ご決断は、とても勇気がいることだと思いますが、ひと山超えられると良いですね。
カウンセリングも善し悪しがあると思いますが、そんなに苦しいのなら、受けてみたら良いと思います。 >ひとつ地元で父親と祖母と同居がしっくりこないことは確かでこれを解消したいと思っています。母が早くに他界しておりなぜか虚しさばかりこみあげてくるのです。 お母さんがいない実家は居心地悪く、まるで自分の家ではないように思えるからではありませんか。 お母さんが亡くなったこと、これはあなたにとって今までの人生で一番の大事件だったし、最大の喪失体験だったのだと思います。子供の頃、どんなに同級生達から蔑まれても、家庭の中に影があっても、お母さんはあなたにとって最後の安らぎの場であったし、希望の光だったから、お母さんがいらっしゃることで心の安定を保っていられたんだと思います。 >長らく地元を離れて一人暮らしをしていたことが、知らず知らずのうちに転地療法になっていいたのかもしれません。 >幼少期の食卓は常に母が祖母にいびられている食卓でした。ですからいまだに母が先に亡くなって祖母が元気なことに複雑な思いを持っています。 ご質問者は、お父さんがお母さんを守ってあげられなかったんだ、幸せにしてあげられなかったんだという思いがあり、また、お母さんを不幸にしたお祖母さんを憎く思ったりと、そんな肉親で家族である二人を心の中で責めている自分に嫌気が差したり…というのはありませんか? そして、もっとお母さんの心の支えになりたかった、もっともっと優しくしてあげたかった、そう思って繰り返し自分を責めてはいませんか? ――実家にいると、どうしてもお母さんのことが思い出され、また、お母さんを苦しめた人を愛せない自分に苦しまずにはいられないのでしょう。 でも、これらの感情は人として当たり前で、あなたが非情だからとか、ひねくれているからだとか、そんなことではないです。 外でいじめに遭っている子供が一番に救いを求めるのは母親であり、その血肉を分けた愛する母を苛む人がいたら、その人を責めたり疎ましく思うのは当たり前です。お母さんを愛していればこその思いです。 子供時代にどんなに辛いいじめに遭おうとも、お母さんが生きながらえてくれて、お母さんを守り幸せにしてあげられたのなら、あなたの心の傷は癒えたのかも知れない。でも、あなたを家庭につなぎ止めていてくれた人はもういない…だから、今、何もかもが辛い。 そういうことだと思いました。 震災で目の前で家族が、救いを求める見知らぬ人が、死んで行くのを救えなかったことで、「なぜ、自分は生き残ってしまったんだろう?」 そう思い、苦しむ人がいます。 今のあなたは、まさにそんな感じだと思います。 “いまだに母が先に亡くなって祖母が元気なことに複雑な思いを持っています。” というのも、「どうして、生きながらえるべき人が、幸せになって良いはずの人が先に亡くならなければならないのか?」という思いが拭えず、人生の不条理が耐え難く思えたからでしょう。 でも、これって精神異常なんですか? 深く悲しむことは、それだけお母さんを愛していたからでしょう? 今も健在なお祖母さんを見て、お母さんのことを思い出し、複雑な気持ちになるのは、あなたが人の人らしい気持ちを失わず、お祖母さんのことを疎ましく思う自分を恥じたり責めたりしてしまうからでしょう。 お祖母さんは、お母さんを苦しめたり、家庭に暗い影を作り出した人だけれど、あなたの肉親には変わりない、だからお祖母さんを愛せない自分が辛いし、かといって心から愛することは出来ない。 だからって、それは罪深いことなんですか? そんなことないでしょう。 例え肉親であっても愛せないのは、あなたの責任じゃないです。 お祖母さんは、あなたに心から愛されるだけのことをしていないんだもの。 疎ましく思う心は不健全? そんなことはないと思います。 愛せない人を無理矢理愛そうとすること、そちらのほうが不健全です。 清らかな人間でいようとしなくて良い。 人なんだから、例え肉親であろうと、怨んだこと、憎んだことがあって当然だし、どうしても、なんとしても、心から愛せない人がいても当然なんです。 ただ、誰かの不幸を心から望み、いつまでも呪い続け、手を下す。 そんな人間に成り下がらなければそれで良い。 そうは思いませんか? >私は発達障害でパーソナリティ障害のある精神障害者なのでしょうか。 発達障害やパーソナリティー障害があると、健常者よりもコミュニケーションが上手く行かず、ストレスから精神疾患になりやすいというのはあります。 パーソナリティー障害は、人格が極端で社会に適合しづらいが病気ではないという人もいれば、正常と精神病の間だという人もいます。 「病気じゃないから自分でなおせるはずだ」とパーソナリティ障害当事者に向けて発言する人もいます。脳機能の問題ではない、心の習慣病だということなのでしょう。「自我の在り方の問題だ」と突きつけられている分、発達障害者よりもパーソナリティ障害がある人の方が孤立しやすく、悩みが深い傾向にあると思います。 発達障害に関しては最初のご回答者の仰るとおりです。 ただ、脳疾患に罹った後遺症や脳に負った怪我がもとで、知能に問題はなくとも、多動症やアスペルガーといった発達障害になってしまう人もいるということです。これは希なケースだと思いますが、医者からも、当事者のご家族からも聞いた話なので間違いではないでしょう。子供に病気や怪我を負わせてしまったことで、子供が発達障害になってしまった場合は、本人が一番辛いのだと解っているから、余計に家族は辛いです。 いずれにしろ、「発達障害者=精神障害者」ではありませんので、もし、そのような考えがお有りなら、それは間違っていますので頭からすっかり消してください。 能力のバラツキが極端で、あることは得意なのにあることは全く駄目で、これが出来ればこれが出来て当然と、定型発達者からみれば当たり前に思えることが出来ないという、傍から見たら変人や怠け者に見えてしまい誤解を受けやすく、努力が中々実を結ばず悩みを背負い込みやすい人たちなんです。 あなたに悪気はなくとも、そういう言葉で傷つく人もいることを、どうか心にお留め置きください。 更に口うるさくてして申し訳ないのですが、 >ガキ大将にわざと負けてあげていました。 いまさら時間は巻き戻せませんが、わざと負けるなんて相手に失礼です。 つい、その後の報復を考えてしまい負けることを選んでしまったのでしょうが、相手が真剣に闘いを挑んできた以上、あなたも真剣に闘うべきでした。 周りからの野次にも負けずに倒したのなら、ガキ大将からも周りからも一目置かれたかもしれず、ガキ大将もあなたを見直して親友になれたかもしれませんよ。 >キャッチボールの相手もいませんでした。相手を探そうと地味目の子にお願いすると、○○のくせに話しかけるなとあしらわれていました。 先ず言葉が間違っています。 「地味目」ではなく「おとなしめ」という表現で充分です。 「地味目」って相手に失礼でしょう? 「わざと負けてあげる」とか、「地味目」とか、あなた自身がどこかで相手を見下していたことに気付いていますか? 相手が先にあなたを見下してきたのかもしれない。 でも、あなたも相手を見下していた。 それは、あなたが言葉にしなくとも思ったことで相手には伝わっていたと思います。思うことを表すのは言葉だけではなく、態度や目にも現れるもの。 それを先方は見抜いていたと思いますよ。 今からでも間に合います。 相手から見下されるのが嫌なら、あなたも見下しで応戦するのはやめたら良いと思います。 どんなに蔑まれても、心の中にダイヤモンドの原石のような輝きを持っていたい、そう思えば「地味目」とか「わざと」なんて発想は生まれてこないでしょう? 現実はどうあろうと(心の中のダイヤモンドが幻想であろうとなかろうと)、卑屈な方を選ぶ、なんてことだけはやめたらいいと思います。 「許してください」と思うとき、それは悪いことばかりでしょうか。 「辛いけど、生きていく上で大切なことを教えられたんだ」ということもまた、真実なのではないでしょうか。 「誰か助けてください」…どんどん言って良いと思います。 私はそれが素直に言えない人間だから、寧ろ羨ましいです。 「ありがとう」の代わりに「ごめんなさい」と返事する人っています。 でも私は、「許してください、ごめんなさい」より、「ありがとう」の方が嬉しいです。 もし、ご質問者が「ありがとう」というべきところを「ごめんなさい」と謝ってしまう癖がおありなら、それを直して「ありがとう」と言うようにしてください。 「ありがとう」いう言葉は、言った側も受けた側も元気になれる魔法のような言葉だと思います。
お礼
精神科医か作家の方ですか?。心の中を見透かされたようです。本日、体調が悪いので少しずつお礼をさせて頂きますね。
補足
「地味目」って相手に失礼まで考えていませんでした。そこらへんがずれているのかも知れません。 「わざと負けてあげる」のは実は、周りの友達の期待に応えてあげることでもありました。甲子園のスター選手を擁する常連校が勝つことをどこかみんな期待しているし当たり前だと思っている。番狂わせを期待しながらも最後に勝つのは常連校だとどこかで思っている。最近でいうところの空気を読むとでもいいましょうか、そんな思いが当時はあったのです。 でも、もう嫌だなと思って5年生の終わりくらいからマラソンや陸上は本気でやり始めました。遠慮なく勝ち始めたのです。すると周囲の態度も少し変わってきたのを覚えています。何より自分の1位でゴールするのは気持ちいい。そう思ってました。
下記ページをご覧ください。 特に 1「概説」 2「PTSDとの違い」 http://goo.gl/fWyEE
お礼
ありがとうございます。最近鬱状態のせいか文章理解力が落ちてきているので少しずつ繰り返しみてみます。今のところ分かったところとよくわからないところとありました。
身体を鍛えましょう。気の弱さは肉体の頑健さでカバーしましょう。人間はトータル勝負です。 出来れば空手などの武道をやればいいのですが、筋トレでもやりましょう。 身体が大きくて筋肉があれば誰も舐めた真似はしなくなります。見た目って結構大きいですよ。
お礼
ありがとうございます。ある意味あたっているように思います。私は華奢でひ弱そうですから。よく抑圧的に接してこられて困っています。最近は精神的に滅入っています。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
コミュニケーションは、 キチンと挨拶ができれば大丈夫です。 早朝散歩の際などに、 笑顔で挨拶しつづけることを 習慣化しませんか。 質問者さまの幼少時、 夕食の食卓に 話題と笑い声が溢れていたとすれば 十分な基礎ができています。 そうした経験が少なかったとしたら、 いまからでも楽しい夕餉にすれば大丈夫です。 日々、「5W1H」を活用して、 短文を書いて、それを音読していれば、 コミュニケーションの基礎訓練になります。 実技試験のあるマナー検定や 常識力検定をクリアしてみませんか。 人間誰しも、精神的な病ぽかったり、 人格障害ぽいところがあるのですが、 気になるのであれば、精神科の病院を 訪れて診察をうけてみませんか。 〈ふろく〉 良好な人間関係を構築したいのであれば、 ジョハリの窓 で、検索して、丁寧に研究してみませんか。 それと、 自他肯定(I am OK : You are OK.)のスタンスで 人々と接するようにしませんか。 質問者さまは質問文の限りでは、 自己否定(I am not OK.)っぽい印象があるのですが 自己否定・他者肯定にせよ、自他否定にせよ、 メンタルヘルスを損ないかねないスタンスですので、 自他肯定のスタンスをおススメしたいです。 ヒューマン・インタフェースでは想像以上に、 プラスのストロークが必要ですので、日々、 被害者意識や自己攻撃などをせずに、 自他肯定のスタンスで、プラスのストロークを 積み重ねることをおススメしたいです。 リフレッシュ・タイムをとることも大切ですよ。 Good Luck!
お礼
ありがとうございます。 挨拶は硬直した表情でしています。幼少期の食卓は常に母が祖母にいびられている食卓でした。ですからいまだに母が先に亡くなって祖母が元気なことに複雑な思いを持っています。 コミュニケーションの基礎訓練は足りていないのかもしれません。 精神科は受診しており近くパーソナリティー診断を受けてみる予定です。 自己否定(I am not OK.)が根底に根付いてしまって払拭できないでいます。 リフレッシュ・タイムがまったくうまくとれておらずストレスが日々蓄積していっています。なんとかうまくリフレッシュしないといけませんね。
- JqqF
- ベストアンサー率24% (159/656)
発達障害とパーソナリティ障害は、どちらも精神障害ではありません。 発達障害は遺伝する、脳気質と機能の在り方です。質問文内のあなたにはお見受けしません。 パーソナリティ障害は、その人の考え方の固執による、人格障害です。これについては、傾向が感じられます。ですが、精神障害でも精神疾患でも無いので、自分の生きやすさを優先して、生活されることをお勧めします。
お礼
的確なご回答有難うございます。 確かに自分でも歪んだ人格になったなと感じています。 自分の生きやすさが何なのかわからない部分もあります。しかし、ひとつ地元で父親と祖母と同居がしっくりこないことは確かでこれを解消したいと思っています。母が早くに他界しておりなぜか虚しさばかりこみあげてくるのです。長らく地元を離れて一人暮らしをしていたことが、知らず知らずのうちに転地療法になっていいたのかもしれません。
お礼
今日、小さな誤解が積み重なって、今、とてつもなく苦しい立場にある職場がひと段落しました。これから入院生活に入ります。薬の見直しとパーソナリティ診断、グループワークなどが待っているのだと思います。苦しい立場の職場ですから達成感はなく、やっと終焉を迎えたという感じです。満足感はありません。なんだか休むことが申し訳ない気持ちです。まだ辞めたわけではありませんから、最後の挨拶の(禊の)日は待っていますが、ひとまず心を休められそうです。
補足
度々ありがとうございます。 >ご質問者の場合はどちらであろうと重いということはないのでは…。 自分でもよくわかりませんが鬱症状についてはかなり重篤だと思います。自殺念慮が何度も反芻するのでとてもつらい状況です。 発達障害は上席の方が社長への報告文書で「幣課より鬱および発達障害で休職者を出したことは・・・申し訳ございませんでした。」という書面を提出されているのをみて、明らかに自分のことですから発達障害を自分で疑い始めた次第です。 今はデスクワークですが、ほとんど毎日これといってすることはありません。することがあっても結果叱責されたり嫌味をいわれたりといった具合です。お昼は廃屋となった建物の玄関マットのうえに横になって過ごしています。会話をする相手は誰もいません。このような生活の繰り返しですから当然もはや持ちそうにはありません。最後の日を迎えたらどれだけの叱責と罵倒が待っているのかと思うと怖くて仕方ありません。 医師からは入院を勧められています。入院してパーソナリティ診断もということです。 地元とは私にとってとても怖くてつらい場所です。そう思っているから周りも私を嫌うのでしょう。これ以上嫌われながら毎日を過ごすのはつらいものです。