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少年期のトラウマを解消したいです。
少年期に様々なトラウマがあります。 色々ありすぎて頭の中が整理できていませんので、まとまりの無い文章になりますが、お許しください。 私は30代中盤 妻子もちの男性です。 結婚する前までの家族構成は、父・母・兄・弟の5人家族です。 兄は3つ上、弟は5つ下です。 今回は数あるトラウマの中でも、代表的なものを2つ上げます。 1.母親の浮気 2.兄の暴力 1.母親の浮気について 私が小学低学年のときに母親が浮気をしていました。私の目の前で浮気相手とセックスしている事はしょっちゅうありました。その当時は男女はある程度仲がよければ誰とでもセックスするのだと理解しました。(当時はセックスが何なのかは詳しく理解していませんでしたが、近所のチンピラ風のお兄さん達に良くそういった類の話を聞かされていました。) ただ、この問題については、次の問題に比べればたいした事ないかと思います。 2.兄の暴力について 私が幼少の頃から、中学生に上がる頃まで、兄の暴力を受け続けてきました。 体格の違いと、兄は柔道場に通っていたため、柔道技を持ってして、徹底的にやっつけられました。 私が泣こうが叫ぼうが兄の力には到底およばず、殺されるのではないかと思っていました。 親に助けを求めますが、親は殆どスルーしています。 兄は柔道の寝技が得意だったので、柔道知識の無い親からみれば、じゃれあっているように見えていたのでしょう。まぁ兄が打撃してくる事もしょっちゅうありましたが、親の目が届いている事は少なかったので。 当時私は、心底殺意に満ちていました。兄が寝ているときに包丁で刺し殺そうと思っていました。ただ、しとめ損ねたら、兄に殺されると思い怖くて出来ませんでした。自分が罪を犯す事よりも兄に殺される事が怖くて実行できませんでした。 中学生に上がってからは、兄の暴力はあまりなくなったのですが、中学生のクラスメイトにイジメられたりしました。 それは、兄の様な徹底的な暴力ではなかったため、恐怖心程度で済みました。(実際に体を傷つけられる事はあまり無かった) 私は怒りとか暴力とかに極端におびえる性格になってしまいました。 その他も私の人格(性格)に影響を及ぼしている事と思います。 未だに少年期の事に抑えきれない感情を抱きます。 いまさら兄や母に謝ってほしいとも思いませんし、そんなことで兄や母との関係を悪化させたくないです。 それに、親は私をきちんと育て上げてくれたので、感謝しています。 そんな昔の事は忘れれば良いだけの話でしょうが、腑に落ちません。(文書を書いている今も手が震えてしまいます。) これは恐らく私の解釈のしようによって、トラウマは和らぐものだと思います。 例えば、そんなことは世間一般的な話だよというデータなどあれば、私の気持ちも静まるのではないかと思います。 どのように、心の整理をしたら良いでしょうか。 何か良いアドバイスをいただけないでしょうか。 読みづらい文章を最後まで読んでいただきありがとうございました。
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私は幼少の頃のトラウマではありませんが、子どもが悪質な交通事故の被害者になったことによるトラウマがあります。 いわゆる犯罪被害者の遺族になった経験です。 それが未だにトラウマとなっています。 その当時の記憶がよみがえって来る度に苦しい思いをしています。 質問者様の場合、トラウマとなった原因が他人によるものではなく、身内の方によるものなので、尚一層お辛いことでしょう。 私は無理に忘れようとしない方が良いと思います。 記憶喪失にでもならない限り、良いこと、悪いことを含めて、人間の記憶をなくすことなど不可能ではないでしょうか。 それに、質問者様のような経験をしたら、誰でもそういう感情を抱くのは当然だと思います。それが自然な感情だと思います。 お母様、お兄様を反面教師とし、質問者様はそうならないように、ご自身の新たな家庭を、幸せな家庭を築いていかれたら、もうそれだけで十分立派なことだと私には思えます。 過去の出来事を思い出したら手が震えるのは当然のことです。 それだけ辛く苦しい経験をされてきたのですから。 思い出して平然としていられるのなら、その方が私には不思議です。 >それに、親は私をきちんと育て上げてくれたので、感謝しています。 質問者様は、親御さんの良い部分に目を向け、マイナス部分への感情は、大方払拭されているようにお見受けしました。 これは中々出来ることではありません。 普通であれば、プラス部分に目を背け、マイナスの感情にとらわれてしまうものではないでしょうか。 ですから、質問者様の心の中は、すでに気持ちの整理ができているのでは…とお察ししました。 私も今でも悩んでいます。 今後どう生きていくべきかと。 どんな生き方をすれば、亡くなった我が子のため、自分のためになるのだろうか、と。 私はドラマはあまり観ないのですが、偶々観たドラマの台詞をご紹介します。 「製パン王キムタック」という韓国ドラマの中の台詞です。 主人公・キムタックがパンの師匠に言われた言葉です。 【待つんだ。パンがうまくやけるまで。おいしくなるまで待て。恨みや怒りや憎しみをなくすことが正しく生きることだ。お母さんが言ったのは、そういう意味だったはずだ。人を憎むことなく、怒りをしずめ、理解し、許しながら生きろ。それでこそ勝てるのだ。そろそろ、このパンと仲直りしたらどうだ?パンのおかげで幸せだった時もあるだろう。幸せな記憶を思い出すようにしろ。それから、心の中にある恨みや辛い記憶とも仲直りしろ】 以上です。 私は特に、この言葉が好きです。 『人を憎むことなく、怒りをしずめ、理解し、許しながら生きろ。心の中にある恨みや辛い記憶とも仲直りしろ』 実際にこんな心境に至るのは難しいことなんですが、「本当にそうかもしれない」と思いました。 心の中にある恨みや辛い記憶を、「忘れる」のではなく、「仲直り」するんです。 仲直りするということは、その記憶を、感情を、あるがままに受け止めて自分らしく生きていく、そういうことではないでしょうか。 繰り返しになりますが、質問者様は、すでに、「仲直り」できているんですよ、きっと。 忘れようとするから、腑に落ちないんだと思います。 何か少しでもご参考になればと思い回答しましたが、もしも的外れで不快に思われたら申し訳ありません。 長文、失礼しました。
- marginate
- ベストアンサー率50% (13/26)
幼少期の自分自身を、今の自分の知識をもってうまく振り返って、自分を癒し受け入れることが助けになるかもしれません。 少し時間がかかるかとは思いますが、やってみたらどうでしょうか。 http://yukitachi.cool.ne.jp/psystory/ 馬鹿にせず、取り組んでみることをお勧めしたいです。 おかしな理論ではないと思いますよ。 最後に、私の支えになった言葉があります。 「過去はあなたを縛れません。縛っているのはあなたのこだわり。あなたは自由なのです」
お礼
時間があるときにゆっくりみてみます。 ここまでの回答に対するコメントをまとめて書かせていただきます。 (marginateさんすみません。) そんなことはよくある話だとか、その程度のことを気にしているなんて甘すぎだよという様な回答は1つもありませんでした。 私が子供時代つらかったと思う出来事は一般的に考えてもつらい事だということがわかりました。 今すぐにどう対応したら良い方向へいけるかということはわかりませんが、幼少期に問題があったということが判明したため、次のアクションを考える事ができます。 とても助かりました。 ありがとうございます。
- speako
- ベストアンサー率33% (13/39)
日本では家族を憎まないことや、許すことが美徳とされています。 よく仏教の教えが引用されますが、仏教では何でもかんでも許してしまいなさいということは言っていないと思います。 傷つけた側が、悪いことをしたと反省の意思表示をしないのに、無条件に許しなさいということではありません。 傷つけて反省もしていない相手を無条件に許すということは、自分を傷つけることになると思います。 自分で、傷つけられたことを許容していることになるからです。 私は傷つけられましたが、許します。 と、何をされても許してしまうような人は、自分の気持ちを過小にとらえる考え方が定着しているので、いつも自信がないのだと思います。自分を主張するということを諦めているのです。 自分を大事にする気持ちがあれば、自分を傷つける人やものに対して、厳しい態度を取ります。 それは嫌だ、それはされたくない、それは好きだ、これをしたい。 そういう自分の意思をねじ曲げずに表現することが自信や自尊心なのだと思います。自分を大事にすることです。 思い出して嫌な気分になるのは、不満があるからです。心から許せているならば、嫌な気分になることはないし、苦い思い出として冷静に捉えることができます。笑い話にすらできるでしょう。 日本人は特に宗教的、文化的な価値観を誤解し、自分を型に押し込み、自分の気持をないがしろにしてしまう人が多いと思います。 虐待されたり家族に蔑ろにされた多くの人が社会的な価値観に左右され、一人で抱え込み(他人にそのようなことを話すことは社会的に批判されると考えるから)解決できず辛い気持ちを隠し生きていて、「私は家族を憎んでいません」と言います。 しかしことあるごとにそのことを思い出し辛い気持ちになっていることも事実です。そういった気持ちにとらわれることで、自由に行動できなくなります。要するにトラウマです。 無条件に許し、心が澄み切らせることができれば素敵なことですが、人間も動物であり、自己が傷付けられることに対しては強い不快感を持ってしまうことが自然なことです。動物として当然の反応です。仏様も生前にはそうでした。 この気持ちを隠し、自尊心を育むことは難しいと思います。 もし、あなたを傷つけた人が、そのことを反省したり謝っているのであれば、思い出したときにそのことを考えてみてください。 何度も繰り返しているうちに、自然と許せるようになり、嫌な気分にもならなくなると思います。 反省したり、謝ったりせず、あなたに対する態度が変わらないと思うなら(あなたがどう思うかを重視してください)、嫌なことは嫌だと言わなければなりません。過去のことであっても、嫌だったと言うことで変わります。本当の自分を表現することが大事です。一人では困難かもしれません。 何をされても許し憎まないと表現することは、自分を傷つけることを許すことです。苦しいことです。
お礼
>何をされても許し憎まないと表現することは、自分を傷つけることを許すことです。 逃げているということかもしれませんが、争いを避けられるなら、あまんじて自分が傷つく事をゆるしたいと思います。 心が広いわけではなくて、争う勇気が無いからです。 傷つけられるのは苦しいですが、争えば徹底的に傷つけれらてしまう、ですので何をされても許し憎まない事にしています。 争うのは怖いです。本当に怖いです。 ありがとうございました。
- kuronekolecca
- ベストアンサー率14% (2/14)
一つ自分に自信の持てるようなことを極めるのが秘訣です。完成しきらなくとも、そのプロセスを誇れるように。なにかで秀でると、あとの弱い部分も追いついてくるようです。なんでも良いです。好きなことで、自分はここまでできるようになったと、自分で自分を褒めたくなるような何かを見つけてください。それは世間の物差しではなくあなた自身が評価するものです。闇が薄れていくまで、その誇れるなにかに集中することです。
お礼
ここ数年、自己研鑽を怠っておりました。人間たるもの、常に自己研鑽ですね。 ありがとうございます。
- ni_si_ki
- ベストアンサー率19% (302/1586)
私は去年の11月、離婚後10年ぶりに次男と会った母親です。 どんな理由にせよ離婚は親の責任であり、次男から何を言われようとも私は真摯に受け止めるつもりでおりました。 次男は父親からの理不尽な扱いと長男からの度重なる暴力に耐え切れないと私に訴えてきました。 お母さんが側にいてくれたら僕はこんなに辛い思いをせずに済んだと思うと。 お母さんにはこうなるかも知れないと分かっていたはずなのに、どうして一人家を出たのだ。 どうして我慢してくれなかったんだと問われた時、私はただただ謝るしか出来ませんでした。 今直ぐにでもどうにかして欲しいと言わなかった次男でしたが、思いの丈を私にぶつけられて少しホッとしたと言い、別れ際は笑顔で「また会いに来るね」と手を振ってくれました。 私は、次男が胸を内を語ってくれたことに感謝しています。 今更などと仰らず機会を設けお気持ちを伝えられてはどうでしょうか。 言わなければ良かったと後悔するかも知れません。 しかしそうすることであなたは次に進める様な気がします。
お礼
私の心がけとして、罪を憎んで人を憎まずということがあります。 ですので、兄や母を憎んではいません。 怒り・暴力に対して過剰反応がありますし、性に関しても影響があると思います。 脳にしみこんでしまった、おかしな感覚をぬぐいたいということのほうが強いと思います。 ぬぐうところまでは簡単に到達できなかったとしても、少年期のトラウマにより、自分の人格(性格)に対して、どの様な影響を与えていて、どうして行けばそれを振り払えるのかということを知りたいです。 つまり、出来事、感情、思考、一般論等を整理整頓し、トラウマにとらわれず素の自分を見つけたいという感じでしょうか。(素の自分を作りたいともいえます。) ありがとうございます。
- borg121
- ベストアンサー率6% (363/5466)
落とし前を付ける
お礼
家族を恨む気持ちはありませんので、落とし前を付けても、私の心は整理されないかもしれません。 自己中だと思いますが、自分の心の問題は自分で解決したいです。 ありがとうございます。
- toto77japa
- ベストアンサー率54% (59/109)
72歳男性です。 貴方の文章を読んでいて、貴方はとてもしっかりした、立派な人間だと思います。 確かに、幼少期に受けた嫌な思いがトラウマになることは、よくある事だと思います。 そう言う私にも、大変なトラウマがあり、長年それが尾を引いていました。 何とかしたいと思っても、どうする事も出来ませんでした。 しかし、今、振り返って考えると、結局は、そのトラウマに、今現在の人生を影響されない様に心がけるしかないように思います。 忘れることが出来れば一番良いのでしょうが、なかなかそう簡単には忘れる事が出来ないでしょう。 せめて、思い出しそうになったら、思い出さないように、気持ちを他の喜ばしい事柄に振り向けなおすことぐらいでしょうか。 それと、もし出来れば、トラウマの原因になった相手を『赦す』ことが出来れば、トラウマの解消に役立つと思います。 例えばお兄さんの暴力についても、確かに、暴力を受けた方からすると、大変な心の傷を負ったことにはなりますが、お兄さんにも、その当時は、そうせざるを得なかった何らかの事情(精神的なストレスや精神的な未熟さ、等)があったのだろう、と考えてあげれば、「赦してあげても良い」と思えるかも知れません。 キリストが磔(はりつけ)の刑を受けた時、両側に盗賊が同じ様に磔にされましたが、その内の一人が、『もし、お前が本当に神の子なら、自分を救って見せてみろ』と罵詈雑言を浴びせますが、その時キリストは、そんな罪人に対して、『父よ、この人を赦したまえ。何故なら、彼は、自分が何をしているか分かっていないのですから。』と神に祈ったそうです。 赦しとは、自分の事より、他人の事を気にかけるからこそ出来ることなのでしょう。 自分が受けた被害だけに目を凝らしている間は、相手を赦す気にはなれませんが、自分が受けた被害は、もう遠い過去の出来事で、済んでしまった事と割り切って、かわりに、そうせざるを得なかった相手の事情に目を向ければ、相手を赦してあげても良い、という考え方も出来るようになると思います。 また、別の角度から考えると、自分が受けた被害は、もう既に遠い過去の出来事として、済んでしまった事、現在再び起こっているわけではない事を考えると、いつまでもそれを思い出すという事は、ある意味で、何回も「自分で自分を、新たに傷つけている」ことに他なりませんので、とても馬鹿げたことと言えなくもないと思います。 そんな訳で、もし、赦してあげることが出来れば、貴方のトラウマは、きっと、スッキリと解消すると思います。 『赦す』と言うことは、自分にとっても、心の平安をもたらす、素晴らしい行為なのだと思います。 そうして、心の平安を実現して戴ければ、と思います。 なかなか、言うは易く行なうは難し、だとは思いますが、いろいろ考えると、これしか方法はない様に思えるのです。 そういう意味では、座禅などを組んでみるのも良いかも知れません。 座禅を組めば、雑念を払うことが出来るので、トラウマも消えて行くかも知れません。 一度、試してみられては如何でしょうか? 心の平安と、お幸せを祈ります。
お礼
素晴らしい回答をありがとうございます。 嫌なことは思い出さないようにする。思い出しそうになったら良いことを思い出すようにする。それって、人生の基本行動かもしれませんね。 (4歳の子供にもその様に教えています。) 私自身もその様に気をつけます。 少年期や青年期の話題が出るたびに心の中で思い出してしまいます。 周りの人々は少年期・青年期が楽しそうな人ばかりで、不思議に思います。 遠い昔の事など思い出さないように気をつけます。 ありがとうございました。
- speako
- ベストアンサー率33% (13/39)
複雑な気持ちだと思います。 他人であれば、許すこともなく関係を絶ってそれで落ち着くということが簡単にできます。 ただ家族のようにいろいろな関係を持った人に対してはそう簡単にいかない。憎む気持ちも感謝の気持ちも不安なきもちも楽しかったこともいろいろ混ざったものであるかと思います。 そういった感情をすべて受け入れること(友好的とはいえない感情も含めて)でしか整理できないと思います。 すべて自分が感じていることだと受け入れて、その上で試行錯誤する上で混乱がなくなって平然と見れるようになるのだと思います。 他人がどう解釈するか分かれば、自分の考え方が変われば、忘れてしまえ、と無理に思っているうちは、自分で自分を否定して いることになるので、腑に落ちない感じが続くと思います。 そういう感情をもった自分を受け入れて、必要ならば家族との接し方も考えなおして(絶縁するとか極端なことをせずとも)自分なりに考え生きるということになるのではと思います。 無理にどうにか考え方を変えようとしたり、本心を隠すようなことをすれば、それ自体がストレスになりますし、周りにも歪んで伝わるので、整理して自分を取り戻し生きることからは遠ざかると思います。 苦しい時は苦しんで、自分が感じたことをそのまま感じることが大事だとおもいます。
お礼
とても参考になります。自分を受け入れられていないということなんでしょうか。 自分が感じたことをそのまま感じることが随分苦手になってしまいました。 精進せねば。 ありがとうございます。
お礼
少年期の出来事はどうしても腑に落ちません。 また、その事が人格形成に悪影響を与えたと思っています。 なぜ腑に落ちないかと考えましたが、 そのマイナス分を消化していないのに忘れるというのは 向上的ではないからです。 例えばテストで0点を取った事は嫌なことだから忘れてしまおう ということではいつまでたっても成長しません。 私は少年期の出来事が色々と悪い影響を与えてしまったということを 認めて、それを改善する方法を探したいと思います。 原因がわかれば、あとはどうやって原因を解消していくかです。 私の方こそ、的外れな返答をしてしまったかもしれません。 ありがとうございました。