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恋愛とは何ですか?
- 恋愛とは何なのでしょうか。恋がしたいから相手を探すものなのか、日常生活の中で自然発生的に感情が沸き起こるものなのか。
- 若者に多い、出会いを探しまくってる人はただの体目的でしかない気がします。聞こえが悪いから「恋がしたい」と言っているだけで、本音はただ「ヤりたい」のではないでしょうか。
- 恋愛経験など気にせずに自分らしくいたくても少数派でいることに傷口を抉られる思いです。自分もそっち側(ヤりまくり)に行ってみたいと思ってしまいます。
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こんにちは。個人的意見ですが、少しでも助けになれば。 大多数の人は異性に対して「どうしても好きになってしょうがない」ということを体験するのですが、ゲイの話しは別として、本当に色恋が関係無くひょうひょうと生きる人もごくまれにいます。 そして性欲が備わってくるにつれて、性欲という汚いものと恋愛というきれいなものが一致せず、その齟齬に煩悶したりします。 そうした感覚から疎外感を味わって不安になったり、多数派になる必要はありません。 ですが、最後に述べる理由から、異性とは友人感覚での付き合いがあり、そこから恋人っぽいとこまで進んでもいいんじゃないかと思います。 この問題について、一つずつ追っていきましょう。 1.性欲について。 まずは恋と性欲は違うんじゃないの? という疑問から。 質問者さんは男性ですか? それであれば、「とっかえひっかえヤリたいなあ~」というのは動物として自然な反応です。 雄一体がボスとなり、他の雄を淘汰・あるいは排除し、残りの雌を独占する、いわゆるハーレムを作ったり、ひょいひょい付き合う相手を変えるというのは、ライオン、ゴリラ、オットセイ、ゾウアザラシ、アシカなどで見られ、人間の例も歴史を見る限り、トルコのハレムや、日本の大奥、あるいは真偽のほどは分かりませんが、浮名を流しまくったケネディ大統領なんて人もいました。イスラームでは4人の妻が持てるのですが、経済的事情により大体一人の奥さんになるそうなのですが、経済事情が許せば3人までは結婚するのだそうです(そしてイギリスとかにおねーちゃんを買いに行った時、入店時に4人目の妻として結婚、退店時に離婚するそうな(笑))。 この他ヤリヤリだった歴史上の人物は数知れず、豊臣秀吉、チェーザレボルジア、もうみんなとにかくヤリにやってヤリまくってますおらおらみたいな。 与謝野鉄幹の噂もこんなのが。 教員時代:養子に入った実家(宗教法人)のコネで教員になる。しかし女子生徒複数と性的な関係に陥り複数の子供を孕ませて産ませたりしてクビ。 上京後:最初の夫人を離縁して学生時代孕ませた女生徒のうち一人と再婚。のち与謝野晶子と出会いさらに離婚&再婚。 私の職場にも、机が固まっている一つの島があって、そこに座っている人たちを大体食ったというツワモノの女性もいれば(既に退職)、全国各地に女性がいるというツワモノのオトコもおりました。 とにかく「とっかえひっかえヤリたいなあ~」というのは、歴史も洋の東西も、生物の種も超えてとにかくそうした例が多量に存在するのは分かりましたか? 歴史を紐解けば紐解くほど「人間って純粋じゃないな」と思うこの頃です。 2.恋について。 ちょっと真面目な話しをします。 恋ってなんでしょうか? 辞書を引いてみましょう。 < こい〔こひ〕【恋】 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/71244/m0u/ 1 特定の異性に強くひかれること。また、切ないまでに深く思いを寄せること。恋愛。「―に落ちる」「―に破れる」 > 辞書というのは、言葉の意味の入り口まで連れて行く案内人にはなってくれるのですが、その言葉の森の奥深くの神聖な場所まで連れて行ってくれません。 例えば「お前童貞だろ! 」と言う言葉は「性交渉が無い男性ですね。」という意味の他に、侮蔑と侮辱の言葉が必ず入ると思います。あるいは「あなたは白人ですね」というと「人種としてコーカソイドですね。」という意味の他に「この世界でどちらかというと有利な立場の人間だ」という意味合いが必ず付随します。 辞書は、人間のそうした二次的な心情の意味合いには触れにくい傾向があります。つまり恋にも上記の意味合いだけでなく、更に奥の院があるということです。 この恋についても、辞書の説明だけではなく、私から補足しておきます。 いきなり結論を説明してもちょっと分かりにくいので一つずついきましょう。 まず「死」とはなんでしょうか? キリスト教の研究によりますと、「死」の本質とは、関係の喪失であるとのことです。 例えば誰かが死んだとして、お葬式に出席して「あの人が死んで悲しい」という感情が出てきたとします。 これは、その人との関係が恒久的に失われてしまったから、ということに他なりません。 それでは「生」とはなんでしょうか? 「死」から反対の意味に考えてみると、そこには関係が繋がっているという喜びが裏に隠されているのだと私は考えます。 更に私は考えます。 この世の社会を構成している人間が喜んだり悲しんだりする原因というのは、人間同士における関係の強化や承認、あるいは切断や期待、あるいはその実績による安堵ではないのかと。 ひるがえって「恋」とは何でしょうか? 私は考えます。それは特別な人間関係における期待値のことです。 「あの人が好きでしょうがない」という状況は特別な人間関係を築きたいという期待、願望の表れです。 そして「特別な関係」とは最終的にヤリヤリな関係になるということです。 特に男性側は、(ヤリヤリな関係だけでなく)「精神面までも俺に惚れさせたい、そこで到達できるゴール地点として特別な関係が存在する」と考える傾向が強く、女性側は(ヤリヤリな関係になったことによって)「特別な関係にまで達することができる(精神的な面はそこに到達している時点でもうクリアしてるでしょ)」と考える傾向が強いように思われます。 一見、二者同一に見えるのですが微妙な齟齬が存在します。 男性側は「特別な関係」は精神面重視(そしてヤリヤリは別問題と建前で見せているが、本当は心の底からヤリたい)、 女性側は「特別な関係」は全部ひっくるめて男女の仲なんでしょ、と割り切っているフシがあります。 というより私が付き合った女性がこんなんだったのでそう思っているだけなのかもしれませんが・・・。 そして「愛」とは特別な人間関係における実績のことだと私は考えます。 以下の文章は、恋と愛が上記のものであるという作業仮説を基にして書いていってみますね。 3. さて、この「恋」なる期待値と性欲は、期待値は神聖で、性欲は不浄であるということですが、確かにこの二つは一致しません。 ですが「愛」ともなると、性欲との一致が見られます。 女性側は期待値を自分で選定できないのではないかと思います。 期待値の実物や基準などを男性側から提示していく・・・そのようなことが必要なんじゃないでしょうか。 今は期待値と性欲が一致しないでいて煩悶しているのだと思うのですが、まあ何となく仲良くなった女性とまあやってみて共同生活してみて、二人で一つの人生を作っていくと、実績と性欲がまま合致していくと思うので、恋とは別に愛情を探っていく方向へチェンジしていけばいいと思うのです。 まあ男女分け隔てなく友達づきあいをして、仲がいい女性とご飯に行くことからお勧めしますよ。女性とは付き合って損は無いと思います。
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- dogday
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百聞は一見にしかず。 知らないことを憶測で否定したところで、誰にも説得力を持ちません。 自分が自分らしくありたいなら、他人を否定せずに価値観を許容し共生しなきゃ。 他人だって恋愛の形のひとつなのだし、ヤリたいも恋愛。 他人を理解しようとしなきゃ自分に答えがないんだし、自然欲求に正解はない。間違いはいっぱいあるけど。 よく知らないのに、他人を否定するから、自分で傷口えぐって、貶めるのです。 あなたの恋愛論で一番間違っているのは、恋愛には必ず相手がいること。 自分の理想をどれだけ追い求めても、相手の理想に叶わなかったら、恋愛は決して成就しないので、偽りの恋愛です。 貴方の恋愛論もまた理論であって、決して自然発生的な感情ではない、相手不在のよこしまな感情ですし。
お礼
回答ありがとうございます。他人の考えに口を出すことはできないですよね。
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お礼
回答ありがとうございます。 果たして僕は仲の良い女性を作ることができるのか。気長に試行錯誤してみます。
補足
懇切丁寧にありがとうございます。 歴史上の偉人などでもスケベでない男はなかなか存在しないものなのでしょうか…?