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「もといたところに置いていける」の「置く」の意味
- 「もといたところに置いていける」の「置く」の意味について教えてください。
- 日本語を勉強中の中国人です。青山七恵の「出発」を読んでいますが、「もといたところに置いていける」という表現が分かりません。意味を教えてください。
- 質問文に不自然な表現がないかも教えていただけますか?
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質問者が選んだベストアンサー
この人は、自分の中にいやな部分や捨てたい部分を 持っています。 住む場所や仕事を変えることによって、新しい環境では いやな自分を前にいた場所に置いておくことによって、 新しい自分としてやり直せるのではないかと期待しているんです。
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- Nebusoku3
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No2です。 この場合、 No1さんの回答が正しいですね。 文の前後関係から もといたところに置いていけるんじゃないかと。。。 は決意はしたけどなかなか 実行しない(出来ない) 自分を 今の場所においていける 気がするという期待感で書かれているようです。 自分の純粋な部分(中身だけ)をもってどこかに行ければいいのだけどとのことですね。 混乱させてしまったようですみませんでした。
お礼
再びありがとうございます。よくわかりました。
「置く」を別の言葉で言い換えるとしたら、No.1の方がおっしゃっているように「捨てる」です。 そういう(腰が重い=優柔不断な)自分ももといたところに捨てて行ける(捨て去ることができる)のではないかと、・・・ ここ(こんな都心)ではない、どこかほかの場所で働こうと決意したのです。 それは、「秋田にUターン就職したっていい。」から、故郷の秋田に戻る可能性も排除していないけれど、秋田に戻ると決めたわけではありません。 とにかく、ここではない、どこか。 秋田に戻ることを決めたわけじゃないから、「もといたところ」が秋田を指すわけがない。 「環境を変えれば」という未来の仮定があるので、未来からみた「もといたところ」というのは「今いるところ」です。 「置いていける」=「置いて行ける」からも、「もといたところ」は「行く」の出発点=現在地であるとわかります。 都心での仕事と、都心で働くための今の住まいを捨てれば、そこで働き、暮らしていたこれまでの自分(の良くないところ)も一緒に捨て去れるのではないか、と期待しているのです。 不幸せな今の自分の環境と自分自身を変えたい、変わりたいと思っているのであって、身の置き所のあるなしの話ではありません。 「ちょっと期待しているのだが」は、実際には、自分はそう簡単には変われないだろうということわかっていることが「ちょっと」と「が」に表れています。
お礼
ご親切に回答していただきありがとうございます。とても参考になりました。
- Nebusoku3
- ベストアンサー率38% (1465/3824)
この人は秋田県から都会に就職してそこで働くのに限界を感じています。 そのことを内心、 ”身の置き所が無い” つまり、生活する場では無い と感じている為、Uターン就職(出身地へ戻って就職する。 その様がアルファベットの U の字のように見えることから) などを考えています。 「もといたところに置いていける」 とは こんな自分でも、出身地では 身の置き所が有る、 やっていける のではないかと期待している状態です。 質問文は自然です。 この質問内容も自分なら何の気なしに 読み飛ばしているところですが、さすがに細かいところに気が付かれたなと感心している次第です。
お礼
早速のご回答ありがとうございます。参考にさせていただきます。
お礼
ご親切に教えていただきありがとうございます。わかるようになりました。大変参考になりました。