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40代の自己否定と自信喪失、どうすれば自信を取り戻せるか
- 40代の既婚女性が自己否定と自信喪失に悩んでいます。若い頃は自信に溢れていたが、最近は自分を評価できなくなっている。家族や友人にも肯定的に評価されているが、自信を持てない理由が分からない。完璧主義や他者との比較による卑屈さが原因であり、この考え方を改める必要がある。自分を褒めてくれる人や頼みごとをする人は自分を必要としていると信じることが大切であり、自分自身への信頼を育むことで自信を取り戻せる。
- 40代の既婚女性が自己否定と自信喪失に悩んでいます。若い頃は勉強もできて友人も多く、外見も褒められるタイプでしたが、最近は自分に自信が持てなくなっている。家族や友人からの評価は高いが、自分に自信がないため信じられず、他者との比較や完璧主義によって自己評価を下げてしまう。自分の考え方を変え、自分を肯定することが必要であり、自分自身への信頼を築くことが自信を取り戻すための鍵となる。
- 40代の既婚女性が自己否定と自信喪失に苦しんでいます。以前は勉強もできて友人も多く、外見も褒められるタイプでしたが、最近は自分に自信が持てなくなっています。家族や友人からの評価は高いのにも関わらず、自分自身を評価できないでいます。この問題の原因は完璧主義や他者との比較にあり、自己評価を下げてしまっています。自分自身を褒めたり、信じたりすることが自信を取り戻すための第一歩となります。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは! 質問文を読ませて頂きました。 羨ましいほどお幸せな生活のように感じました。 容姿端麗で、仕事も充実、真面目で優しいご主人、お子さんもいる。 素敵な生活ではないですか。 それでも何か気持ちが晴れないのは、日常生活に感動がないからでしょうか。 どんなに良い条件(仕事、経済力、家族、愛情面)が揃っていても、 心から楽しい!と笑うこと、 何かをやり遂げた達成感で胸がいっぱいになること、 心が揺さぶられるような出来事に触れること、 要は「感動」するようなことが少ないと、味気ない気持ちになるのではないでしょうか。 >また器用貧乏なところがあり、何でも人並みかそれ以上に出来るけど・・・ 実は私もそうです。 そこまで努力しなくても、ある程度のことをこなせます。 そして、昔は完璧主義でした。 頑張ってもどうせ極められる訳じゃないし・・・、何も秀でていない自分はつまらない人間だなぁなんて思ったことも。 だからこそ、どこか気持ちが冷めてしまい、何をしていてもそこまで楽しくないし夢中になれなかったのです。 あと、質問者様は自分でほとんどのことが出来るから、人に頼まれごとされてもその人の分まで何かをしてあげられる。 その分、人に甘えるのが上手ではないのでしょう。 だから、ご主人がご飯作ってくれても「あ、私いなくても大丈夫なんだ・・・」と思ってしまうのでしょう。 あなたが他の人に必要とされたいように、他の人だって誰かに必要とされ感謝されたいって思っていますよ。 まず、周りの人(特にご家族)に甘えてみたらどうでしょう。 ご主人がご飯作ってくれたり家事を手伝ってくれたら、 「あ、私や家族のためにこの人も頑張ってくれてるんだな、優しくしてくれてるんだな」って思えば良い。 するとだんだん、「ありがとう」って気持ちになるでしょう。 あなたのことが必要ないから、ご主人が家事をするのではなく、 あなたのことを大事にしたいから家庭生活に協力しているのですよ。 毎日一つでも、すごく嬉しいことや楽しいことがあると、心が穏やかになります。 そういうのって待つものでもなく、誰かにもらうのでもなく、 自分の心次第だと思います。 私事ですが、生活は不自由ないのにどうしても気持ちが冴えないときがありました。 自分なんてつまらないなぁって。 その時にたまたま友人と話していたら、会話が盛り上がっていっぱい笑いました。 びっくりするくらい気持ちがすっきりして、少しずつ自信を取り戻しました。 まだまだ楽しいこといっぱいあるなって。 それからは、出来るだけ楽しいことを探し、いっぱい笑えるような生活を心がけています。 日常に、小さな喜びを見出せるといいですね。 天気が良いだけで最高に幸せな気分になれたら、きっとまた自信を持って素敵な生活ができますよ!
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- sunsowl
- ベストアンサー率22% (1025/4491)
複合的な悩みを抱えておられるようですが、結局、 >じゃぁ何か一つ頑張って飛び抜けたものを作ればいいじゃないかとも思うのですが >今度は自分が何をしたいのかすら分かりません。 ここに尽きるのではないかと思いますが。 料理も仕事もとどのつまり、質問者以外の誰かがやっても結果は同じになりますよね。 それにどうしても納得できないのだとしたら、仕事や料理など誰でもできることではなく、自分にしかできない何かを今から探して取り組む。 自信を取り戻すには、それしかないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分にしかない何かってなんでしょうね。 結婚したことでさえ、私じゃなくても良かったのではないかと思っています。 私くらいのレベルの女性なんか腐るほどいますから。 どうして私を選んだのかさえ私には理解できません。 何度聞いても納得できないのです。 仕事も代わりがいると言えばいるのですが、それでも私にやってほしいと言われることもあるので、まだ自信が持てます。 ずっと仕事をしていたいほどです。 余計なことも考えずに済みますから。
40代既婚女性です。 ホルモンの数値を測られたことありますか? 正常かどうか一度産婦人科へ行ってみられてくださいね。 私も、これから年数と共にもっと自信がなくなり 必要とされることも無くなっていくことでしょう。 それに老化に伴い自分で今まで出来ていた様に 物事が上手く出来なくなるでしょう。 それを受け入れる大きな器を心に持とうと努力しています。 どうあがいても人生折り返し地点を越した事実は変わりません。 自分に残されていることは、周りの方々に愛情を示すだけ だと思っております♪
お礼
ご回答ありがとうございます。 婦人科の疾患で病院にはかかってましたが、ホルモン値は測ったことないです。 元々PMSで鬱状態が酷く出るタイプで、過去に心療内科でお薬を頂いてたこともありました。 確かにこれから年々出来ることが少なくなって、万が一寝たきりにでもなれば大変だろうなと感じます。 他人に愛するには、まず自分を愛することだと聞いたことがあります。 まずこんな自分を愛せるようになりたいです。
- HeyXey
- ベストアンサー率26% (134/497)
こんばんは。50代男性です。 「何を当たり前とするか」で捉え方は違ってきます。今の貴女の捉え方を文面から察すると、「自信を持って平安に過ごすのが当たり前」なのに、今はそうできていないと悩んでいるのです。これをひっくり返して、人生に悩みは付き物である、とすれば投稿もしないのです。 みんなから認められる、なんてことはあり得ません。好きという感情があるのなら、反対の嫌いという感情があるのは避けられないことなのです。「嫌われてはいけない」「自分の成し遂げたことを語ってはいけない」「ひとを優先し自分を後回しにすることは美徳だ」「他者を喜ばせるには自分を抑えないといけない」「不安があってはいけない」・・・言葉にすれば、いろいろ言い方があるでしょう。そういう言葉にすらならない貴方が“当たり前”としていることに気付き、見直す時機です。“思い込み”と言ってもいいでしょう。 もう絶版になりました『あなたを縛る「思い込み」から脱け出す方法』ー信じてはいけない40の教えー、の中の「人に合わせ過ぎていませんか?」の目次だけ紹介します。32やさしさは暴力に勝つ 33人の気持ちを傷つけるようなことは言うべきではない 34感情は自分の中にしまっておくべきだ 35両親を悲しませないことがいちばん大切なことだ 36一度ひどい扱いを受けた人は、ずっと立ち直ることができない 37謙虚であれ。自慢してはいけない 38自分勝手はいけない。ほかの人たちを第一にしなさい 39侮辱で心は傷つけられる 40みんなに好かれることが大切だ これらすべては間違っている信念だというのです。どういう理由かは記しませんがいちど想像してみてください。論理療法の専門家の共著です。 “エッセイ(2005年7月)努力って何?”参照のこと
お礼
ご回答ありがとうございます。 人というか、世間の平均に合わせなきゃいけないという思いはあります。 私は結局、ママ友というものが1人も出来ないまま今に至ります。 周りのママと同じような格好、同じような趣味…色々やってみました。 役員なども経験し、ランチ会なるものも参加しました。 でも何も楽しくなかったんです。 きっと色々な思い込みで自分をしばっている気がします。 その思い込みが何かというところから探っていきたいと思います。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
「自己評価が低い」もしくは「評価が低く設定されている」んでしょうね。 その「理由」についてはわかりません。 何らかの「きっかけ」はあるはずですが。 幼児期の体験かもしれないし、成長してからの「ロスト」…喪失感かもしれないのですが。 その辺はわかりません。 自分への評価が低いから「成功した」という実感が湧きづらいのです。 考えてみてください…何らかの他人からの行動に対して、本来ならば「必要がないはずの」自己評価、というものが挟まってきて、それでその人の行動を喜べないということがあるのでは?。 自分、という「フィルター」を通さないと、他人の行動が評価できない、ということはないはずです。 通りすがりの人に「こんにちは」と挨拶されて「この人は何か含むものがあるから挨拶するんだ」とは、通常は思いませんね?。 自分に対して相手が挨拶をしてきた、という「事実」だけを見つめていたなら、普通に挨拶を交わしていたし、そのことで幸せでもいられたでしょう。 自分の中の「疑心暗鬼」は、自分自身への評価が低いからこそ、自分を「守ろうとして」発動するものなのです。 とりあえずは「自分を通さないで、考えないで」相手の行為だけを考えましょう。 反射的に行動しましょう。 料理が美味しいと言われれば、反射的に「ありがとう」と口にする。 挨拶をされたなら、反射的に「こんにちは」と返す。 あなたに必要なのは、深く考えることじゃありません。 ありがたいものにありがたい、と言い、嬉しい事に「うれしい」とつぶやくことです。 頭で考えて、考え方を変えることではありません。 物事に感謝を大切にしてください。 そして口にすることです。 ありがとう、ごちそうさま、いただきます、こんにちは…子どもと一緒ですよ。 口にすることで「こころ」に効くのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 原因に思い当たる節はありますが、それは置いておくとして。 通りすがりの人に挨拶されても 「あの人何?何で見ず知らずの私に挨拶するの?」 などと考えてしまいそうです。 いわゆる認知療法というものに近いのでしょうか。 フィルターをかけずに感じたことを口にする練習をしてみます。
- troml
- ベストアンサー率17% (561/3166)
あなたにとっての外見の理想が、20代の綺麗な人なら、40代の子持ちの主婦が、それ以上になるのは難しいでしょうし、この先の人生、どんどん年をとり、いろいろ衰えていく自分を嫌悪し、自信を失い続けて生きるしかないんじゃないですか。 頭も良くて、何でもできて、周りにも尊敬されて、頼りにされて、あなたがいないと世の中が成り立たないみたいなのじゃないと納得いかないなら、この先もずっと落ち込み続けるしかないですよね。 そもそもどうして、そんなに自信満々でいなきゃいけないと思うんでしょうか。あなたみたいな考え方の人がもし自信満々だったら、傲慢すぎて誰も付き合えませんよね。 「自分はたいしたことないんだ」と認めたらいいんじゃないですか。たいしたことない人間だけど、何ができるかを考え、できることを精一杯やって、老人になったときに、自分はこれをやったと誇れればそれでいいんじゃないですか。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自信満々じゃなくてもいいですが、少なくとも褒めてくれる人に対して疑心暗鬼になるのではなく、ありがとう嬉しいな!と心から思えるようになりたいんです。 こんな風にしか考えられなければ、周りからどんどん人がいなくなってしまうでしょう。 自分を信じられないと他人も信じられませんから。 そういう意味で自信が欲しいです。
- kuranosuika
- ベストアンサー率25% (4/16)
そんなに偏ってないようにおもいますよ。 皆口には出さないけど色々思ってるし、同じような考えの人多いでしょう。 今まで自信がない…と考えなかったのなら良かったじゃないですか。 人に必要とされたいのも当たり前の感情ですし。 うちの母親はよく、「人生は波があるけど、皆平らになるんだよ」と言います。 山あり谷ありで、人によって浮き沈みも色々だけど、平らにすれば皆一緒…という事です。 だから、悩むのが今なだけであって、普通の事だと思いますよ。 自分がどれだけ恵まれてるかを述べることはちょっとどーかと思いますけどね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 同じことでもう長いこと悩み続けています。 一時期は自殺したいとまで思いつめていたこともあります(さすがに怖くて無理でした)。 若い頃はそこまで頭が回りませんでしたが、自分を粗末に扱ってきたことも多々あります。 みんなそんなもんなのでしょうか…。
お礼
ご回答ありがとうございます。 感動するような事、そういえばあまりない気がします。 でも、妻であり母である以上、その楽しみが家庭内にない限り、家族に迷惑がかかってしまいます。 どうもそこが1つの足枷になっているのは事実のようです。 少しヒントが見出だせた気がします。 楽しいこと、見つけてみます。
補足
回答いただいたように最近本当にやりたいことんをやって、楽しく過ごしてるかと言われたら疑問で、やりたかったことに挑戦することにしました。 そしたら不思議とワクワクして、あれだけ不安だった気持ちがスーッと晴れていきました。 どれだけ日頃自分を抑えていたのかが分かりました。 これからはもう少し自分を出してもいいのかなと思いました。 ありがとうございます。