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本と先生の教えが違う時
こんにちは、最近お稽古を始めまして,時々感じるのですが、本と先生の教えが違う事がよくあります。先生に本と違うのですがとお尋ねしてみたいきもいたしますが,失礼ではないかとためらっております。(一度ならず何度もは) お茶の性格上相伝での伝承や明治ぐらいで統一しようとなされているのか、最近になって本など多数出版されたいますが、とても気になって,前へ進めない状態です。私の先生のみならず,友達同士で話しておりましても,家の先生はこうよ,という事が良くあります。ある程度は仕方ない事と思っておりますが,どこかで統一見解とか出されているのでしょうか?溜飲が下がらない毎日です。宜しくおねがいいたします。
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#5で言葉が足りない部分があったので補足します。 初歩のお点前が同一の流派でその流派の本と違うというのは、ちょっと腑に落ちないのですが・・・ 先生が習得された年齢や地域にによっても、その上の大先生の教えによっても、多少違ってくるかもしれません。 先生なりに編み出したこともあるのかも知れませんし。それも自由。 私は最初は70代の先生、次は50代の先生に師事しましたが、やはり世代の差だったのでしょうか、大筋は同じでも細かい差はあったと思います。 仮に先生の覚え違いか勘違いであったとしても、その先生に師事するならば、#3の方のお言葉のように2本立てで行くのが賢明でしょう。 でなければ時期を選んで、他の先生に就いてもよし。ただ、先生選びは難しいです。 先生にも様々なレベルの方がいます。それはどの習い事の世界にも共通することですが、アマチュアで趣味で教える方から、その道だけで精進するプロの方まで、いろいろな段階の先生がいます。 その先生はどんなタイプの方でしょうか。 お茶は教えながらでも、さらに上の先生に習い、常に研修道場などで研鑽を積む世界でもあります。お茶のお点前だけでなく、花、書、和歌、お香、料理、お道具の焼き物の知識など、奥が深いもの。 研鑽を積まないと、弟子が師を超えるほどの力をつけることもあります。 私の知っている方で、大先生のお稽古のために、 密かに他で習っている方も(つまり私の先生の所で予習するという)何人かいらっしゃいました。それは大先生の方が高度すぎたようです。 なかなか自分に合った先生に出会うのは難しいですね。 先生に関しては、私はお点前の正確さより、お人柄のほうが大事だと思います。 事情がよく分かりませんが、違うと思っていたことも時間が経つと納得できることもあります。 あまり気にせず、アバウトにお茶を楽しんでください。
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- coupdemain
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茶道を習い始められたばかりということで、いろいろ 矛盾に悩まれているようですね。 私は幼い頃よりお茶の稽古をし、お茶名も持っているものです。私の先生もしょっちゅう右を左とおっしゃったりしていましたが、私はその都度可笑しくて、先生のお教えどおりにしておりましたし、楽しんでおりました。私は本を頼りに習ったことはありません。全て先生から教わりました。本になっているのは初歩のお点前のみ。今でも高度になれば、口伝で伝承のみというお点前がほとんど。時代によっても変化しています。本は一応の目安とお考えください たかがお茶を点てるだけのこと。気楽になさって。 お茶の精神は、コミュニケーション、相手を思いやる心です。たとえば、お正客が間違ったお作法をなさっても、それを指摘するのではなく、それに合わせた対応をするのが、お茶の精神です。 お茶の世界は割り切れない矛盾だらけですよ。本と先生の教えが違うというレヴェルより、もっと複雑で不思議なしきたりに遭遇すると思います。 最後に、それほど「溜飲が下がらない」ほど悩まれるなら、また、先生を物足りなく思われるのならば、先生を替えられたらいかがでしょうか?
- Sarah-B
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同じ流派であっても、先生によっても細かいところは違いますし、また手順などは時を経るにつれ変わるもののようです。 そのために、家元で、あるいは地区支部で、研究会などが重ねられていて先生方も日々勉強されています。 先生方の会話で、「この前の研修会で(本部の)先生がこう言われた」「昔はこれこれだったけれども今はこれこれでもいいらしい。」などと時折伺います。 口はばったいようですが、大事なのはどの動作が正確かではなく、身につけようとするあなたのその気持ちだと思いますが。 あともうひとつ、私は昔初心者だったときには時々「この本にはこう書いてありますが?」と質問し、先生はそのつどいろいろと教えてくださって、世界が広がりました。そういう雰囲気ではないのですね、、、。
お礼
アドバイス有難う御座います。 機会があれば先生にお聞きしてみたいと思います。
- ikeda55a
- ベストアンサー率48% (55/113)
「ためらって」おられるのは賢明な態度と存じます。 おそらく「本」の方が正しいと思われますが、「本」と「お稽古」が全く同じ情況かどうかも分かりませんので、にわかに判断出来ないところもあります。 本は本として、お稽古はお稽古として二本立てで行くしかないように思われます。 「先生」もいつも気持ちを新しく、ご自分も更に上の「お稽古」に行っていただきたいものではあります。
お礼
アドバイス有難う御座います。早急に解き明かすのではなく,長い時間をかけていけば,その内自分の中にある謎は解けていくと思います。
- yully
- ベストアンサー率33% (20/60)
そうですね。 私も習っていて、本と違った内容でお稽古される事がありあます。 本が出版されたときから、点前の順序などが変わっていることもありますし、先生の勘違いということも考えられます。 直接、先生に意見申し上げる事はしませんが、気になるようでしたら、他の先生にも確認されてみてはいかがでしょうか?
お礼
アドバイス有難う御座います。他の先生に聞く事は出来ませんが,他の社中さんにお聞きする機会があります。何時も仕方ないよねって,終わります。
- pupupu58
- ベストアンサー率28% (429/1517)
詳しいことはわかりませんが・・・ 流派によって違いがあるのではないでしょうか。 本に載っているのは「○○流家元(?)監修」というように、質問者さんの先生とは違う流派の方だったり、どちらかが「お茶に親しめるように」と略式にしていたりするのではないでしょうか。 素人の考えですが・・・。
お礼
アドバイス有難う御座います。気になって仕方なかったのですが,もう少し柔軟に考えていこうと思います。
お礼
アドバイス有難う御座います。細かい事が気になるという事は、先生に不満があるということなのかもしれません。(心底で、今まで気が付きませんでした)お茶の世界って、世間が狭く先生を変えるということは難しいですよね。あまり気にせず、アバウトに楽しんで・・・・今はもやもやしておりますが、いつか霧もはれると思います。皆様もこういうことを乗り越えお勉強や修行に励まれていると思います。でも、この部分が一番引っかかるところです。「先生なりに編み出したこともあるのかも知れませんし。それも自由」ここまでおおらかには、まだなれません。