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実力と結果について
先日大きな試験がありました。 それは膨大な時間をかけて挑むような試験です。 私は1年という時間をその試験対策の時間にあてました。 そして本番… 今までの血の滲むような努力、 そして全ての結果がその試験に掛かっているということ、 それらが今まで感じた事のないプレッシャーになり、 手が震えてまともに字さえ書けない状態になりました。 思考が停止していることから普段より遅いペースになり時間を見ると当然の如くロスタイムがひどい。 頭ではわかっていても大パニックになってしまい問題数の4割くらいは答えすら書けませんでした。 採点なんかしなくても結果はわかる。家に帰ってからは放心状態で1日中壁を見ていました。 そんなとき親にこう言われました。 「点数どうだったの?」 私はこう答えました。 「実力の半分も出せなかった。こんな点数は言うまでもない。」 親「それがお前の実力だww」 猛烈に腹が立ちました。 悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて涙が溢れ出てきました。 何を言っても言い訳するなと笑われ 挙げ句の果てに、 「頑張りなさいよwwww」 と言われました。 頑張りなさい?は?? 1年間至福の時間が学校の帰りの友達と話す数十分の時間。 それだけ勉強をしてきた自分に頑張りなさい… 部屋に帰って大泣きしてしまいました。 服がビショビショになるくらい泣きました。 泣けば泣くほど「結果が全て」ということを認めているようで本当に悔しくて、おかしくなってしまいそうでした。 私の親は結果が全てで結果の出なかった過程などには価値がない。意味もない。そんな考えを平気で公言します。 私はこんな偏見に満ちた発言を認めなくないのですが確かに世の中は見ず知らずの他人を評価することについて数字などのその人の出した結果をみて判断します。 全ては結果なのでしょうか。 結果も運もコンディションもすべてその人の実力であり、他人に見える形で事実として表れないものは無意味、無価値なのでしょうか。 結果が出せなかったという事実が発覚した瞬間私の努力は無かったもの、そして結果の出せない私は社会のゴミ屑、価値も存在する意味もない無くなってもなんの違和感のないダメ人間でしょうか。 こんなことネットに書いてバカみたいですよね。 自己満足?共感を得たいだけ? そうかもしれません。 でも一つだけ伺いたいです。 (自称)努力しても結果が出せないような私は社会にとって必要でしょうか
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