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創価学会員の方に質問です
学会員の皆様に、題目についての質問です。 題目を唱えるのが義務と存じますが、唱えていて、幸せな気分になったり、何らかの現象を体験したことはありますか? 唱える時に、何を想念していらっしゃいますか? (私自身は学会員ではありません)
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- hyakkinman
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回答No.1
題目(寄付金も)は、義務じゃありません。 義務感であげる題目は、ただの発声練習にしかなりえませんし、苦痛の極みです。 完璧に洗脳されていれば、自分の身の回りで起きるすべての出来事が「信仰のおかげで、良い方向へ向かう」と信じ込んでいますから、題目をあげたくてしかたがなくなります。 鼻歌気分ですから、『ようこそ、悪い出来事さん。私の成長のために来てくれてありがとう。』って、不治の病でも、大切な人の死でも、大怪我でも、喜んで題目をあげます。 ですから、洗脳されていなければ、なんの意味もない行為です。 「先祖供養」「日蓮さんへの感謝」「世界平和」「全人類の幸福」「自分の願い事」をこめて唱えますが… 【平和と幸福】を祈っているにも関わらず、反逆者への悪口雑言を公然と言い放ち笑ってる… 排他的洗脳型宗教団体の矛盾の極みであり、人間の愚かさの象徴でもあります。 「お題目のおかげでよいことがあった」…古典的洗脳手法ですね。 【やりたいことに向かって、あらゆる努力をすれば、良い結果は出ずとも報われる。】というのは、当たり前のことです。 【信は力なり】です。 なにも、お題目に限ったことではありません。 私は、洗脳されませんでしたので、題目は苦痛でしかありませんでした。
お礼
ご回答ありがとうございました。題目や寄付は義務ではないのですね。義務かと、思っていました。 信仰心がなければほとんど無駄な行為かもしれません。 信仰を持って、唱えている方の話を聞きたいです。