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人間には「救済」が必要なのか

無宗教者です。 様々な宗教、特にアブラハムの宗教を学ぶにつれ、 「そもそも救済は必要なのだろうか?」 という疑問を抱きました。 例えば、パウロは、私は惨めな人間であり、誰が私を救ってくださるかといっていますね。 しかし私は、なぜ人間が惨めであってはいけないのか分かりません。 人間は惨めなまま死ねばよいのであり、神による救済など不要ではないかと思うのです。 私はニーチェの永遠回帰を信じているので、人間は無意味に生き、無意味に死んでゆく人生を無限に繰り返し続けるだけだと信じています。 私の人生も無意味ですし、今生きているのも無意味であり、死ぬのも無意味、今ここで自殺するのも無意味です。 したがって、宗教がなぜ「救済」を求めるのか分かりません。 仮に神がいたとして(私は神を信じていませんが、実際にはいるかもしれませんし、それは証明できないことです)、私は神から救済されることなど望まないと思います。 質問ですが、「救済」はなぜ必要なのですか? なぜ人間が惨めであってはいけないのですか?

みんなの回答

回答No.1

貴方は絶望を感じたことはありますか? 私も戦時中に生まれた人間ではありません、ですから本当の意味ではわかりませんが、無慈悲や絶望たという言葉が相応しいと感じられる著者は沢山ありました。 実感のない机上の空論だけで、論ずる事が可能な問題ではないのでしょうか。

selfless
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「絶望」を感じたまま死んでゆくのではいけないのでしょうか。