「厠」を居住する建物の中に設けるというのは、相当に大きな家屋の場合でした。
或は市街地のように土地に余裕がない商家のような場合でした。
居住する建物とは別に建てられているのが普通でした。
1970年代位までは、農村地帯へ行けば幾らでもこのようなレイアウトのお宅はありました。
落語でよく出て来る長屋も各戸別のトイレではなく、共同のトイレが一か所でした。
理由は色々考えられますが、
先ずは臭気の問題でしょう。
次は建物としての耐久性の問題でしょう。
「厠」は使用目的からして、木造の建物としては腐り易かったでしょう。
簡単にリホームできる方法が選ばれたかと思います。
江戸時代の農家にとっては、糞尿は貴重な肥料です。
日本の農家は家畜の飼育頭数が少ないことから、人糞が貴重な窒素元でした。
糞尿は商品として売買されていました。
金で手に入れる肥料ということで金肥と呼ばれていました。
厠はこの貴重な肥料の貯蔵所としての役割も担っていました。
別な建物のほうが管理はし易かったでしょう。
旅の人が置いて行く糞尿は貴重なものでした。
街道筋の茶店は宿場町から離れた農山村地帯に設けられていました。
旅の人が立ち寄る茶店には、当然厠は設けられていました。
現在の排泄物、廃棄物という考え方とは価値観が違います。
第二次世界大戦後進駐してきた米軍が人糞を肥料として使うことを徹底的に嫌い、化学肥料への転換を強要しました。
確かに伝染病の予防には効果がありました。
結果として今日の生活習慣があります。
今後リサイクル社会を目指すのであれば、有効利用を考えても良いのではないかと思います。