• ベストアンサー

街道の茶店に厠はあったか?

江戸時代 街道を旅する人々が休む茶店に簡便な厠のような設備はあったのでしょうか。どなたか具体的にわかる方がいましたら教えて下さい。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#224207
noname#224207
回答No.3

「厠」を居住する建物の中に設けるというのは、相当に大きな家屋の場合でした。 或は市街地のように土地に余裕がない商家のような場合でした。 居住する建物とは別に建てられているのが普通でした。 1970年代位までは、農村地帯へ行けば幾らでもこのようなレイアウトのお宅はありました。 落語でよく出て来る長屋も各戸別のトイレではなく、共同のトイレが一か所でした。 理由は色々考えられますが、 先ずは臭気の問題でしょう。 次は建物としての耐久性の問題でしょう。 「厠」は使用目的からして、木造の建物としては腐り易かったでしょう。 簡単にリホームできる方法が選ばれたかと思います。 江戸時代の農家にとっては、糞尿は貴重な肥料です。 日本の農家は家畜の飼育頭数が少ないことから、人糞が貴重な窒素元でした。 糞尿は商品として売買されていました。 金で手に入れる肥料ということで金肥と呼ばれていました。 厠はこの貴重な肥料の貯蔵所としての役割も担っていました。 別な建物のほうが管理はし易かったでしょう。 旅の人が置いて行く糞尿は貴重なものでした。 街道筋の茶店は宿場町から離れた農山村地帯に設けられていました。 旅の人が立ち寄る茶店には、当然厠は設けられていました。 現在の排泄物、廃棄物という考え方とは価値観が違います。 第二次世界大戦後進駐してきた米軍が人糞を肥料として使うことを徹底的に嫌い、化学肥料への転換を強要しました。 確かに伝染病の予防には効果がありました。 結果として今日の生活習慣があります。 今後リサイクル社会を目指すのであれば、有効利用を考えても良いのではないかと思います。

その他の回答 (3)

  • nene-k
  • ベストアンサー率42% (118/279)
回答No.4

滝沢馬琴の書いた『羇旅漫録』に 「京の家々厠の前に小便担桶ありて、女もそれへ小便する…恥じる色なく笑ふ人なし」 とあります。 これは、馬琴が京都に行った時の旅日記ですが、江戸時代は、大体こんな感じで、街道沿いや町中の家の前の道端や庭などにに、大用と小用に分けた桶が置かれていて、そこで用を足してたようです。 昔のトイレと言えば、和式を想像されるかも知れませんが、アレは、ちょいとお金に余裕のある人の自宅に設置するトイレです。 道端の桶にする場合は、現代の様式トイレに便座が無い感じですので、ペタリと座らずに、中腰になって、腰を浮かせて桶に向かってするわけですから、ズボンではなく着物場合、道側の中央に向かってお尻だけ出してすれば、下半身が見える事も無いので、恥ずかしい事もありません(今だと、最中の表情を見られるだけで恥ずかしい気がしますが、「皆が同じ事をしてれば怖く無い」って事でしょうか??)。 先の回答者さんがおっしゃるように、排泄物はお金になる(個人の場合は農家の野菜と交換したりできる)ので、茶店ではもちろんの事、普通の家でも道端に桶を置いて、現在の自動販売機設置の感覚での小づかい稼ぎをやってたって感じじゃないでしょうか? また、家はもちろん、茶店も無いような山奥の街道を旅する時は、水筒のような携帯トイレを持ち歩いていた事が十返舎一九の『旅すずり』に出てきます。

  • fujic-1990
  • ベストアンサー率55% (4505/8062)
回答No.2

 「姫たちのトイレ事情」という本だったか、ほかのか、出典は忘れましたが、茶店を営む理由の一つが「大小便の確保だった」という記事(エッセイ?)を読んだ記憶があります。  もう力仕事ができない近隣のお百姓の爺さん婆さんが、そこで旅人に・・・ させるために茶店を開いたという話。  大小便を近隣の農家が買い集めた、(良い物を食べている、つまり栄養価が高いはずの)大店の大小便は貧乏長屋の大小便よりも高価だった、というような話は時々見かける話です。  その料金は大家の取り分になった(ここまではマジな話)ので、大家は「よそで大小便せず、必ず戻ってからしろ」と長屋の住民に要求したという、真偽不明の話も(同じ本だったかどうかハッキリしませんが)書いてありましたね。  ちなみに、当時「大家」と言えば、家主のことではなく家主から給金をもらう「長屋の差配人」のことですので、お間違いなく。で、農家からもらう糞尿代金は、その大家の大事な余録(収入源)だったとのこと。  それほど大事な大小便ですから、茶を飲ませてカネを取るだけでなく、無料で大小便が確保できるのでありがたかったというようなことが書いてあったと記憶していますので、まあ茶店の裏(母屋の側かわ)に厠はは付いていたと思われます。  水戸黄門漫遊記(テレビバージョン)で、うっかり八兵衛が腹を壊し、茶店の裏でトイレ中、盗賊や光圀たちを追う暗殺集団の密談を聞いてしまうというような展開が時々ありました。  ですから、・・・ 質問者さんがなぜそんなことを質問されたのかわかりませんが、小説にそういう情景を入れても、「史実に反する」とか言われる危険はないものと思います。  

回答No.1

全部の茶屋にあったかは分かりませんが 中にはついてるとこもあったのかも? 1つ面白いのは「厠屋(かわや)」というトイレ専門の店?(いやもはやトイレww)があったことです いまで言う公衆トイレの走りみたいなものですね

関連するQ&A