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通夜というのものは

通夜というものは故人の為にするのですか? それとも、故人を送りたい人の為にするのですか? また、それほど面識のない人の通夜に参列しないというのは失礼なのでしょうか?

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.5

今では逆に通夜がメインになって、通夜だけに出て葬儀に出ないという人もいますね。それが慣例になっている場合もあります。 これは葬儀の後、焼き場に行って更に初七日を同じ日にしてしまうという日程から始まっているようです。初七日の法要後に食事会をするという地域もあるためでしょう。 しかし本来は葬儀がメインでした。 元々通夜は釈迦の入滅時に弟子が集まり釈迦の説法を話し合った事に由来します。 その後、遺族が集まり僧の講話を聴くようになり、さらに親しい人が最後の別れをする時間となりました。 従って親しい人が故人を送るための時間というのが正しいと考えます。 但し、チベット仏教など一部には僧が死者に対して一晩中今日を唱える習慣があるようです。 「仏教は生きている人のためのもの」という人もいますけど、仏教には人間という区別はないんです。人の本質は魂であり、生の期間も死後も人の本質である「魂」は普遍と考えます。なのでコレから浄土に赴く魂に対し仏法を説くということになります。 つまり生きている人も亡くなった人も肉体の有無の違いだけで本質に違いはないので、故人も遺族も含めて仏法を聞くことに意味があるということになります。

回答No.4

通夜はどちらかと言うと親しかった人が来るか、都合で葬儀に出られない人が来るものではないでしょうか、ですから、失礼には当たりません。 どちらかと言うと葬儀の方がメインですので、それほど面識のない人で礼を尽くすなら、葬儀に出席するべきだと思います。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11113)
回答No.3

亡くなった人というよりその家族の世間体のため、というのが実像に近いのではないでしょうか。仕事関係とか、ご近所づきあいとか。 >それほど面識のない人の通夜に参列しないというのは失礼なのでしょうか? 仕事で大変お世話になっている社長の奥さんが亡くなった、なんて場合は、奥さんとの面識はまったくない場合もあるでしょうが、顔も見せないのは地方によっては村八分にされてもおかしかないほどの失礼になるケースもあるでしょう。 私は昔働いていた職場で、私自身はほとんど接点がなかったのですが急逝された方がいて、同じ職場のあるバカ女が「私あの人にものすごく可愛がられていたのにこんなことになってしまって、すごいショックでー」とかいってまわっていたので、さすがにカチンときて「そんなにお世話になったなら通夜くらい行くのが礼儀でしょう」といってやったことがあります。

回答No.2

本来的な意味からは現在の通夜は外れて来ていると思います。 昔は親族が夜通しで故人の枕元で見守ったものでしたが、現在は葬儀の前夜祭的なものになっていますよね。 葬儀に出席出来ない場合はお通夜にでも出ておこう、と言うことになると思います。 会社の同僚や取引先関係の親の通夜、葬儀に出席する場合がありますが、面識がない場合がほとんどです。 ですから面識はなくても、遺族との社会的な繋がりから出席する事もあります。

noname#235638
noname#235638
回答No.1

両方の為にする・・・と思います。 通夜とは、もともとは故人と親しかった人たちが葬儀の前夜、 一晩中故人に付き添い、邪霊 の進入を防ぎ、 故人との別れを惜しむ儀式ですから、面識のない人の 通夜に参列しないのは、失礼では、ありません。

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