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親切とおせっかいの境界線について
- 親切とおせっかいの境界線についてモヤモヤしている
- 自動車で車椅子をこいでいるお年寄りを見かけたが、手伝えるか悩んだ
- 「○○してあげよう」という上から目線に反省している
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質問者が選んだベストアンサー
>何か手伝いたいけどどうしたら良いか分からない時、その判断をどうしたらよいか 自分の存在を相手にアピールしてみて、相手から援助要請が無ければ放置で構わない。 相手が貴方を認識して、何かして欲しいなら、向こうから「なんとかして」ってアピールして来るでしょう。 あと、貴方がモヤモヤしている理由は「偽善を行えず、自己満足できなかったから」に過ぎません。つまり「単なる欲求不満」です。
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- rokometto
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親切とおせっかいの境界線は相手のニーズをリサーチ、マネジメントするかどうかです。 自分の価値観だけで手を出すと大体おせっかいです。 「よかったら押しましょうか?」と相手に選択権を渡すことでだいたい回避できると私は思います。 NOと回答されたらあっさり引き下がるのも大切なことです。
- Mokuzo100nenn
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親切な行動、おせっかいな発言。 寡黙に行動だけを実践するのがよろしい。 ただし、挨拶を禁止して居るわけではないので誤解なきようお願い申し上げます。
- kawagutinozomi
- ベストアンサー率35% (112/314)
「よろしかったらお手伝いします」と声をかけて、「いいのよ、リハビリだから」と言うなら、「そうだったんですね。お気をつけて頑張ってください」と引き下がる。それで良いんじゃないでしょうか。 親切とおせっかいは、受け取る側の気持ちひとつで判断されてしまう気がします。 おせっかいになるのを避けるには、相手の置かれた立場や気持ちを推察することでおせっかいをしてしまうのを減らすことができますが、全くなくすというのは難しいでしょう。中にはひねくれた方もいますから。 親切だけをして、おせっかいはゼロという人はなかなか少ないです。 小さな親切、大きなお世話という言葉もありますし。 でも、もしあなたの心遣いが相手にとっても「親切」になったら、すごく素敵なことだと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 まず声をかけてみたら良かったですね。その時はあまりに必死に車椅子をこいでいたので少したじろいでしまいました。 私が偽善でも構わないと感じるのは、日頃から何も行動できない人は緊急事態にも何もできない思うからです。そんな人間になるくらいなら偽善でも構わないというのが私の考えです。 確かにおせっかいかどうかは相手次第になりますが、それが親切になった時の喜びは何にも変えがたい満足感が得られますね、自己満足ですが。 些細な事でも人のためにできることがあれば、積極的に手助け(おせっかい)したいと思います。 私はそんなおせっかいが日常的に合っても良い環境が好きです。
お礼
回答ありがとうございます。 まさに核心を付いた回答がいただけて本当に良かったです。 学生の頃は偽善でも構わないから何でも積極的に働きかけていたのですが、段々気持ちが薄れていました。 迷惑がられても構わないので、声をかけてみることから始めたいと思います。