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自殺したいという思いは絶ちきれるのか

私は今24ですが、17ぐらいの頃から「自殺したい」という考えをし始めるようになりました。 一体いつどこでそんな考えを習得してきたのか分かりませんが…。 最近は、これまでの経験がつもり積もってしまい、今度こそその日のちょっとした気分などがきっかけで実行に移してしまうのかも、と思ったりもします。 具体的な方法を決めてみたりもします。 しかし、とはいえ、おそらく自分の行動力を考えてみても、自殺することはないと思うのです。 ですが、ずっと自殺したいとは思っているのです。 今までずっとずっと、こうなのです。 なので、自殺したいと思い始めてから、惰性で生きている感覚があります。 このまま自殺したいと思いながら20代、30代、40、50、60、70、80…と生きるのは嫌です。 自殺しないなら、自殺したいと思わないで生きる自分になりたいです。 ですが、自殺したいとずっと思ってしまうのです。 自殺したいと思い始めると人生マイナスにしかならないのも分かっています。 ですがやめられないのです。 どうしたら良いのか分かりません。 自殺したいという考え方を絶ちきる方法を教えてください。

みんなの回答

  • pct10968
  • ベストアンサー率21% (641/2971)
回答No.12

じじいです。 自殺などしなくとも、いずれ嫌でも死は訪れます。 死ぬことよりも、自分の中で喜びを見つけていく事が自分の救いになります。 若い時に私も自分の死を考え続けていましたが、仕事で入った山の頂で見た紅葉の美しさに感動で動けなくなってしまいました。 何事にも無気力で、無感動だった自分がその風景の中に佇みただ泣いていました。 こんな美しい世界が存在するなら、生き直してみよう!! と思った瞬間でした。 私を変えた瞬間があるのなら、あなたにも変われる瞬間がきっとあるはずです。 人生捨てたもんじゃない探しを続け、今までささやかだけれど幸せを一杯持てる人間になれましたよ。 いつか死が訪れる日まで、楽しい日々を送って行きたいと思っています。 >自殺したいという考え方を絶ちきる方法を教えてください。 ご自分の幸せ探しを始めてみて下さい。 人生捨てたもんじゃありません。 自殺したいという考えは、あなたの中の曇りです。 曇りをぬぐえば、そこには暖かい光があり喜びがあります。 曇りの隙間から少しでも光が見えたなら、それがあなたの生きる希望になるでしょう。

noname#184837
noname#184837
回答No.11

 ♯6です。過分なお礼コメントをいただき、ありがとうございます。  シュルツ博士のサルの実験はほんとうですが、右脳と左脳の協調作業である工夫が幸福感を生み出すというのは僕の解釈です。自殺した人の脳梁は平均的な太さより15%細かった、というようなデータがあれば裏付けられるのでしょうが、それは確証バイアスに過ぎるというものでしょう。  幸福って何だ?と思いますか。24歳ということで、今までの人生で「無意味感」も体験されたことでしょう。ドーパミンうんぬんでは説明できない、社会的な動物である人間が持つ、ある種の願いがあるように僕は思います。それは「自己重要感に対する欲求」です。    http://www2s.biglobe.ne.jp/~musimusi/coach18.html  数年前にネットではやった♪家に帰ると妻が必ず死んだふりをしています♪ご存知ですか。いろんなバージョンがあり、笑えます。でも歌詞をよく調べると、感動的な涙ものであることに気付きます。ここまで人の気持ちを理解しようとする伴侶がいて、彼女は幸せです。また、部下を持つと仕事が楽しくなるという件(くだり)も理解できます。無意味感からの解放は、誰にとってもむつかしい難問です。誰かから認められることはできなくても、誰かを認めることはできるのではないか。たとえば貴方は質問者ですが、回答者の方が偉いというわけではなく、そのお礼コメントによって回答者に自己重要感を与えているのです。「共に」ということが大切ではないでしょうか。    http://www4.plala.or.jp/k-k/komoku214.html

  • ni_si_ki
  • ベストアンサー率19% (302/1586)
回答No.10

NO.9の回答者さんとダブりますが。 私もこんなことなら死んだ方がマシだと思ったことがありました。 朝起きたら首から下が麻痺していました。 入院している三ヶ月間、身体の痛みは激烈といえるほどで、明けても暮れても何故助けたんだ、どうして放って置いてくれなかったんだと、家族や医師を恨み続けました。 考えるのは死ぬことばかり。 呼吸器を外そう 点滴の管を引きちぎろう 色々頭で計画しても、悲しいかな体はピクリとも動かせません。 でも不思議なもので、痛みが消えると今度は生きたいと願うようになりました。 あなたにはご自身でも自覚されていない痛みを抱えていらっしゃるのではないですか? それは心の痛みかも知れません。 本当の意味であなたが自分の意志で生きていると実感出来た時に、死にたい欲求は消えると思いますが如何でしょうか。

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.9

死にたいという思考は魅力的なのですね。 何かあったら「ああもう死のうか」となるから、 その事についてそれ以上考えずに済む。 もっと具体的に調べてみましょう。 私はその手の本を読んで 他人に迷惑をかけずに死ぬ方法がどうしても見つからないので 諦めました。 何をどうやっても土地建物の所有者に迷惑がかかる。 どこかに土地を買ってそこで死ねば良いのだが 私は貧乏過ぎたのが死にたくなった原因の一つだったので そんな金があったらそもそも死なずに済む という・・・ 死ぬのを諦める為に調べろと言ってるのではありません。 結果的にそうなってしまうのだが、本気で真剣にやれば その点でも気が済むってもんです。

  • atti1228
  • ベストアンサー率15% (111/711)
回答No.8

私から言えることは、自分自身をあきらめること。人間って自分に何かを求めていることがあって、それにそぐえないと死にたくなります。自分なんて生きる価値がないと。でも、そんなに死にたいって続きません。青年期によくある症状だって本に書いてありました。30歳ぐらいにはおさまる気がします。私は、20から22まで死にたいって思っていました。もう、昔の私は、こころの中にいません。全部あきらめましたから。空しさは、その次です。何のために生きてきたんだろうっていう空しさが次の敵になります。それが晴れるのは、自分のことを本当に理解してくれる人を見つけたときです。 そのうち、彼が貴女のことを見つけてくれると思います。人生ってそんなものです。そう簡単に幸せになれるのなら男は、18で女は16で結婚しています。みんな、もがき苦しんでるのです。 離婚する人は、私にはわかりません。見ればわかると思うんですけどね。相手がどういう人か。 私は、寂しさを表せない人には、全く興味がありません。強がっていても仕方がないと思いますから。 這い上がってきなよ。ゆっくりでいいから。

  • nagaineko
  • ベストアンサー率28% (563/1990)
回答No.7

自殺したいという考え方を断ち切らねばならない!そう思うと、 それも執着になってしまいます。 そういう考え方があってもいいし、なくてもいいではありませんか? こうであらねばならない、という考え方は、自分を苦しめてしまいます。 あなたは自由なのです。 ポジに自由でもあり、ネガに自由でもある。 それでいいではありませんか? ポジがよくて、ネガは悪い。 そうきめてしまうと、ネガに傾いた自分を否定することに なります。 人間は、ポジに傾いたり、ネガに傾いたりしながら生きていくものだと 思うのです。 どれがいいとか、悪いとかの話じゃない。 自殺したいと思うのは、自分で自分を否定的にとらえているかでは ありませんか? であれば、自分の中の素敵な部分に目を向けてください。 今のあなたは、どうしても、ダメな部分を探してしまっているんだと思います。 あー、自分にもこんないい部分があったんだー。 捨てたもんじゃないなー。 否定的な見方ばかりではなく、肯定的な見方もしなくては フェアーじゃないですよね。 両方あっての人間ですよ。 否定的に傾きすぎたら、肯定側に戻しつつ、まっすぐ進んでいけばいいのです。 慌てないことが大切だと思います。

kdkdkdd
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 こうであればならない、という考え方をしがちなので参考になりました。 少しずつ自分を肯定的に見られるようになろうと思います。

noname#184837
noname#184837
回答No.6

 幸福感を物質的に説明すると、ドーパミンです。ドーパミンがどのような状況で放出されるかというと、右脳と左脳の協調作業です。脳梁を通して右脳と左脳が情報をやり取りする状況が幸福感を産みます。右脳は直感・新奇性を扱い、左脳は理論・慣例を扱います。新しい思考対象は最初は右脳が取り扱いますが、慣れてくると左脳が担当します。担当のバトンタッチが起こるのです。ついにはマンネリとなり、面白くなくなります。何かの作業で脳にとってエキサイティングなのは、最初のドギマギと慣れてマンネリとなった中間のタイミングです。恋愛とかもそうですね。  03年ケンブリッジ大シュルツ博士のサルの実験です。まずボタンを押すとジュースが出ることを学習(オペラント条件付け)させます。つぎに、ボタンを押してもジュースが出ないように、確率をさまざまに変えて、その時のドーパミンニューロンの活性度を観察します。100%なら必ずジュースが出て、0%ならボタンを押すとジュースは出ないことを意味します。はたして実験の結果は、50%の時にドーパミンニューロンの活動が最大になりました。どっちに転ぶかわからないという状況がいちばんエキサイティングだ、ということでしょうか。たしかにそうですよね。パチンコで大当たりが出るかどうか、リーチがかかるとドキドキさせられます。こうなれば必ずこうなるという“慣例”だけでは面白くなく、そこに適度な意外性を混ぜると右脳と左脳が頻繁に情報をやりとりするからでしょう。  日常生活にこの性質を利用するのです。それは「工夫」です。片づけの工夫、人間関係を改善する工夫、健康でいるための工夫、節約の工夫…。貧乏でも楽しそうに生きている人は、「どうやって節約しようか」と頭を使って絶えず工夫しているからです。お金があるから幸せとか、結果で幸せなのではなく、「工夫していこう」という過程の中に幸せの要因が含まれているのです。  「努力即幸福」という言葉を紹介します。神経症の森田療法で有名な森田正馬先生の言葉です。「努力即幸福」という言葉を聞くと、「努力していけば、いずれきっと幸福になれる」という意味だと予想される方が多いと思いますが、「努力する姿そのものが幸福である」という意味です。この言葉には、「人生の目的は幸福である。」、「幸福とは、本性の発揮、個体の機能発揮である」という森田正馬先生のもつ人間観が含まれています。

kdkdkdd
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なんだか具体的で、とても感激いたしました。 「それによって物事が良くなるか悪くなるかは分からないような何らかの工夫」を、日々の生活に加えるということをやれば、そのこと自体が幸福感を生み出すということですよね。 とても素晴らしいデータですね。 私はこの回答を読んだ後、気持ちがリラックスできるかも、と考え、ハーブティーを飲みました。飲まないよりは飲んだほうがよいかな、と、工夫してみました。確かに、この過程、すごく幸福な気がします。 明日は、出掛ける時、いつもと違う化粧品を使う予定です。それによって綺麗になるかどうかは、分かりません。ですがそんな工夫が、確かになんだかすごい幸せを生み出してる気がします。 素晴らしい考え方をありがとうございました。

  • yama891
  • ベストアンサー率13% (191/1368)
回答No.4

私にも、自暴自棄とやりきれなさで、そういう思いになりました経験が、あります。 それは、自己の才能・能力絶望・知人への嫉妬・裏切りにあう・失恋等の否応なく・”もう、時間よ止まれ。此の儘、どこかへ逃げ出したい。等など・・⇒でも、うつうつとした思いはあるけれど、”日々の暮らしは、やってくる。ふて寝をしても・絶食をしても・お酒を飲みながら考えても・やりきれなさと・これからどうなるかと、考えこんでも。*** 結局、心の葛藤と安寧な安らぎは訪れづ、なすがまま・なるようになるかと、自分で自分に言い含める事で、新しい”世界へ希望を見つけてみようかしら。・・・そうさ、きっと又誰かに出会い誰かと苦労を、重ねながら_自分自信を見つめ直して、やり直すかしら。! 断ち切る・心は、断ち切れないのだろうと・思いつつ、先の事を考える・前進させるだけの事でしょうか、誰を頼る事無く・誰にすがる事無く・”自分を、いとうしむ_自分があれば”乗り切れるでしょう。 

kdkdkdd
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 そのような経験がありましたか。 先のことを考え、自分をいとおしめばそういう思いが少しずつなくなる気がします。

  • k_mutou
  • ベストアンサー率12% (101/783)
回答No.3

『自殺したいと思いながら20代30代…80と生きるのは嫌です』と書いてますが、“そんなに長生きしなくとも、途中で事故や病気や災害や事件で死ぬかもしれない”と考えた事はありませんか? 考えたり、夢想するのは一向に構わないと思いますが、もし、実行に移される時は一旦、『待っていれば必ずいつかは死ぬ』と思ってみては。 いつ、如何なる形で『死』が訪れるか解りません。

kdkdkdd
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 待っていればいつかは死ぬ、そう考えれば何もわざわざ自分で死ななくても良いかも、と思えますね。

回答No.2

視点を変えるしかないでしょうね。 死にたい感情ってつまり開放されたい。 自由になりたい。って感情なんだと思います。 以下は私の考え方です。 しがらみから開放されるには、 「死」はとても魅力的ですけれど、そこに喜びは無い。 あるのは悲しみと無だけかな?と思うんですよ。 だから死ぬのはいつでも出来る。って言うのが私の基本です。 もう一つの問題 もし死を覚悟した時 実際問題死ぬのは意外と難しい。 もし死に損なったら目も当てられない生涯しかないわけですよね? それはとても恐ろしくて、恐らく生き続けるよりもずっと強い意志が無いと死ねない。 と思うんですよ。 なので、自身が自由だと感じられる環境を作っていければ良いなと思っています。 たぶんそれが私の幸せなんじゃないかな?と思ってます。 こんな回答で参考になるかは分からないですが、もっと気楽に生きてみませんか?

kdkdkdd
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 確かに、よく考えればそこにあるのは「悲しみと無」かもしれませんね…。 死に損なったらもっと大変ですし。 私は死に対して幻想を抱いていたのかもしれません。 よく考えれば、恐ろしいものですよね。 はっとさせられました。

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