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自殺はいけないことか? 自殺否定の理由を知りたい
- 「自殺はいけない」と主張する理由を知りたい。まわりの人に迷惑がかかるというのは身勝手ではないか?勇気がいる自殺を否定するのはおかしいのでは?
- 自殺を否定される理由を聞きたい。まわりの人たちは当人を救えないくせに自分の不利益だけを主張しているような気がする。
- 自殺を否定する理由を教えてほしい。希望を自ら潰すのはもったいないからというのは納得できる。
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質問者が選んだベストアンサー
他人が自殺をヤメさせようとする理由は。 [それが人道。道徳的だと思うから]ですね。 では何故 自殺を止める事が、人として正しいと思うのか。と言えば。 [大切な人に死んでほしいと思う人はいない。 だから、あなたを大切に思う人の為に死んではいけない] ↑これが 周りに迷惑をかけるから。 に成るワケですね。。 または [自殺を推称して本当にソイツが自殺したら、自分の責任みたいな気がしてイヤだから]とか。 [自殺が当たり前の世の中になると、今の何十倍も自殺者が増えてしまい 悲観者も比例して増え、そこで起こる様々な問題が確実にマイナスへ働くと想像出来るから]です。 つまり [自殺を否定する事の方が正しいという概念にしておくべきだ]が理由です。 屁理屈を言えばこの世の殆どがそうやって出来ているのです。 何故、信号が赤の時は進んではダメなの?という質問の答えは [そうやって決めておなかいとマイナスが発生するから]です。 本当に自殺をヤメさせるべき方法は [その人の悩みを解決して希望や快楽を与える事]ですよね。 しかし。 そこまで他人が面倒見切れない場合は。 [周りに悲しむ人がいるから]等の無責任な言葉を送っているワケです。 >「希望を自ら潰しては、もったいないから。」 これもその1つです。 希望を持てないから自殺するのであって、勿体無いなどという言葉はナンセンスです。 では。 自殺は本当にイケナイ事なのか。と言えば。。 私的には [状況によってはアリ]だと思っています。
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- a03601891
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3kazeさんと似たような意見ですが、私は自殺は否定しません。質問者様と似ている感じです。しかし何人か間違っている回答をお見受けいたしました。 動物は自殺しない→これは間違いです。理由までは判別出来ませんが、いくつかの種類が確認されています。集団自殺が多いようです。 国の政策の問題→これは微妙な回答です。自殺ならびに安楽死を認めている国もあります。しかも反対している人はいますがその理由は道徳的な問題ではなくただ単に気持ち悪いからだけなのです。オランダなどが当たります。現在としては自殺ならびに安楽死の傾向が世界に広まっています。 自殺が何故いけないのか、の問題は日本特有の道徳観の問題だと考えます。はじめに自殺はいけないありき、なのです。理由は自殺を防ぐために後から考えられたものです。国の現在の施策でもあるし、自殺の手助けは犯罪だからという理由もあるのです。昔は日本ですら自殺を美徳としていたのですから。心中、切腹。これが近年いつの日にか180度変わってしまったので、これについては私も解せません。 ちなみに自殺は死の権利の為に有効で別に悪くないと考えます。自殺はいけないと国や他人が決めるのはナンセンスです。私だって死にたいわ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 日本には「自殺はいけない」という考えが根付いてしまっていますね。 それを前提にして持論を展開する方が多いです。 どうしてこうなってしまったのか、また何故これに疑問を呈する人が少ないのか、私も解せません。
- jaga262
- ベストアンサー率8% (1/12)
たぶん、あなたにはお子さんがいらっしゃらないんだと思います。 想像してみてください。お子さんが生まれて、産声をあげるのを聞いて、抱き上げて。 五体満足に生まれてきてくれたことだけで喜んで。 1歳、2歳と一生懸命育てていって。かわいくてかわいくて仕方なくて。 そうしてその子が10代か20代か、30代か40代か知りませんけど、ある日、自殺してしまう。 逆に質問しますが、そのとき、辛かったんだから仕方なかったねと言えますか。 辛さに気づいてあげられなくて仕方なかったねという気持ちにはなるでしょう。でも、それは悪いことなんです。 さらにその子に子がいて、つまりあなたに孫がいたらと想像してみてください。孫は親に対してどのような気持ちを抱くと思いますか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 お察しの通り、私にはまだ子どもはおりません。 ですが、jaga262様の論点は少しずれているような気がいたします。 「命」はあくまでも自分のものであり、「生きる権利」もまた自分自身が持っているものです。 だとしたら、最終的にそれを手放すかどうかを決めるのは、誰でしょうか? 他人(肉親含む)がどう思うか、ということを重要視するかどうかは当人の価値観によると思います。 もっとも、肉親が自殺を図ったとしたら哀しいというのは当たり前ですが。 長くなってしまい、申し訳ありません。 ありがとうございました。
- e-toshi54
- ベストアンサー率22% (728/3265)
すべての書き込みに目を通してないのですが、まず、自殺に対する興味の高さに驚きました。データでも、20代と30代の死因の一位は自殺なのも頷けます。 小生の場合、10代でショーペンハウエルの「自殺のすすめ」を読んだ時の衝撃は今でも忘れません。自殺はキリスト教などでは教義として禁止されていますが、それより一般的通年として否定的に扱われています。それを敢えて「すすめる」という考え方は、質問者さまの「何故?」という疑問と通じるものがあります。 ショーペンハウエル氏が自殺を薦める理由はこうです; 個々の人間は種の意思として、生きるように仕向けれれているが、個々の人間として生きることは辛いことなのだ。(生きるのが辛いということは既に前提となっている。)その種の意思の反し、自分の個としての意思を貫くのは自殺しかない。 まあ哲学者のいうことですから、実際の自殺の現場とはかけ離れているのは確かですが・・・。 自分にとっては、「種の意思」という言葉がとても印象に残りました。 生きるのが辛いというば、ライオンにしてもしろくまにしても、とても楽に生きているとは思えません。いつも空腹で獲物を狙い、捕らえた獲物も独占する訳ではなく、子供に与え、メスに与え、僅かな残余を口にするだけです。辛く崇高な生き方です。しかし、ライオンが自殺するという話は聞いたことがありません。それは、ライオンにはそのような自由意志は与えられていないからです。 ・・・・しかし、幸か不幸か人間にはこの意思が与えられているのです。 日本では年間3万人が自殺しています。年間死亡者数の3%です。多いと言われる交通事故はたった1万人です。100万人当たりの自殺者数は、先進国中突出しています。言ってよければ、国が悪い、もっと言えば政治が悪いのです。 自分には20代の長男がいます。単なる可能性ですが、交通事故で死ぬ可能性より、自殺で死ぬ可能性の方が高いと思うと、思いすごしとは言え胸苦しくなります。 自殺年代を過ぎたじぶんが見て、国の政治がよくなる見込みのないこの時代に、せいぜいこの拙文を目にした若者に「死なないで頑張ってくれ」と訴えるしかありません。(余りにも微力ですが・・・)
お礼
ご回答ありがとうございます。 色々考えさせられました。 『自殺のすすめ』読んでみたいと思います。 種の意思と自由意思、この二つが相反するようになったとき、人間は苦しむのでしょうね。 また、日本の自殺率が高いのも私たちからしたら嘆かわしい問題です。 その自殺がどこに起因しているかと考えると、結局は政治に行き着くのでしょうか。 私はやっぱり自殺を完全否定することはできません。 ですが、勝手な無理強いだと知りながらもe-toshi54様と同じように「生きていてほしい」と訴えたい気持ちでいっぱいです。
- carob
- ベストアンサー率36% (27/75)
私は自殺について肯定も否定もその理由と方法によると考えているので、 「希望を自ら潰しては、もったいない」という理由は 一部の自殺者にしか当てはまらず質問者さんのように納得はできません。 例えばアルツハイマー等の苦しみや痛みを伴う不治の病、 一生自立できない重度のハンディキャップを抱えた身体障害者の人たちの苦悩による自殺です。 特にアルツハイマーは本人の意志も心も思い出も幸せという感情も最後には全て失います。 生きていてくれるだけで良いと思って介護してくれる家族も中にはいると思いますが、 本人にしてみれば(特に若年性)、一方的に迷惑をかけ、恩返しをする機会も与えられず、 そのうち感謝する感情も失い、ありがとうの一言も笑顔一つできなくなるのは 生きる意味を見失い自殺を図っても、私はその人に「希望を自ら潰しては、もったいない」とは言えないし思えません。 ましてや家族からも見放されたり、家族すら持たない人も中にはいるでしょう。 この先何年も重度の痛みを感じ続けなければいけないような人も、 一生介護が必要で家族から見放された人や虐待を受け続けている人達に対しても同じことが当てはまると思います。 アメリカには自殺幇助が罪にならない州があるのですが(最新の法律はわかりませんが)、 若年性アルツハイマーと診断されたある女性が、医師に頼んで自殺装置を用意してもらい 自分の車の中でそれを使い自殺をしたという事件が実際にありました。 日本では自殺幇助自体罪ですが、私はこの自殺した女性からも幇助した医師からも不健全な感情も罪深さも一切感じません。 最初に自殺の方法とも話しましたが、線路への飛び込みやビルからの飛び降り、 それから賃貸物件の中での自殺は全くの無関係の人たちに大きな実害を与え、 本人は死んでしまえば全ておしまいで済むのに対し、巻き込まれ大けがを負ったり命を失ってしまったり、 その場所やビジネスに一生かかってしまうような借金を背負わせることになるケースもあるわけです。 アパート経営等ローンや維持費を支払いながら細々と生活している人にとっては、 その人自身それがきっかけで自殺しなければけないほどの負担になってしまうこともあることを考えれば、 他人の迷惑になる自殺はそれだけで大きな罪だと私は思います。 例えばリストラされ仕事が見つからず生活できなくなった人が、強盗をして人を殺したとします。 本人は勇気が必要だったと思うし、私たちはお金を与えることもできず 苦しみから救ってあげられなかったのだから責められない、 「その強盗殺人犯を責めること=自分の不利益の主張」となるのでしょうか? 「本人の苦しみを差し置いて、まわりのことだけを考えなければならないというのはおかしい」とも私は思えません。 そういう考えは実行に移すか移さないかの理性の違いだけで、 秋葉原やどこかの駅で無差別殺人をしている人たちと根本は同じ思想に思えてなりません。 自分が辛い時に誰も助けてくれないからといって、関係ない人を巻き込んでも良いという理由にはなり得ないのでは? そのアメリカ人女性の自殺を責められない理由はその方法にもあります。 自分の車の中で合法的に自殺装置を使って死ぬ方法を選んだ彼女は、 極力周りの人に迷惑をかけない方法を選んだことが伝わり、 理由も方法も私には責めることも罪だと決めつけることもできません。 「自殺には尋常でないほどの勇気がいる」という考えにも共感できません。 武士の切腹なら別でしょうが、自殺者にとっては生きる方が勇気はいり、死ぬ方が楽だから自殺を選んだわけです。 それにうつ病等からくる発作的な自殺には“尋常ではないほどの勇気”など必要とは思えません。 理由と言ったのはそこで、多大な損害を出すような自殺の方法を選び、 中には頑張るのがただ面倒だったり、誰かへの当てつけだったり、 自分の「楽」さだけを考えて死を選んだ人は、理由も方法も十分罪だと思います。 そういう理由で自殺を図った人が助かったりすると、 その後そのまま立ち直って普通に生き続けるケースが多いのも事実です。 つまり希望が残されていたのにも関わらず自殺を選んでしまったことになり、 大したことのない理由で自殺を選んだと思われても仕方がないとも言えます。 私の考えは質問者さんの考え方とは異なりますが、全ての自殺がいけないことだとは思えません。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても明快で、わかりやすい説明でした。 私も、すべての自殺を肯定するわけではありません。 解決する可能性がどんなにわずかでも存在するのなら、死ぬのはもったいないですね。 また、人身事故を起こしたり、ビルから飛び降りたりするのは勿論タブーです。 私が言った「迷惑」とは、自殺した人の身内や知り合いが悲しんだり辛い思いをしたりすることを指します。 説明が足らず、申し訳ありませんでした。 ただ、なぜだかわからないが生きる意味を見失った場合や、不治の病を抱えている場合は、「希望を捨てるな」なんて軽々しく言えませんね。 このことを気付かせてくれて、どうもありがとうございました。 自殺の肯定・否定は、「理由」と「方法」による、というのはすごく納得できました。 回答者様としては、自殺わ否定する絶対的な理由はお持ちでないのですね。 私もそうです。 ありがとうございました。
- kaiyukan
- ベストアンサー率15% (482/3140)
悲しいから、かな 私は死んでしまって親を悲しませるのは、絶対嫌です そう思えるってことは、私は良い家庭環境だったのでしょうね (ド貧乏でしたが) 私の子にも、そう思えるように育ってくれたらいいなと思います 命は大切にしてほしいです。 どうにかして自殺は避けてくれと思います。 家族というだけでなく、 全く知らない赤の他人でも死なれるのは悲しいですね… 「希望を自ら潰しては、もったいないから。」 にも繋がるかもしれません 何かしら生きる方法が絶対あっただろうに…と思うと悲しいです
お礼
ご回答ありがとうございます。 「情」と云うのでしょうか、人が自殺したと聞くとやりきれない気持ちになりますね。 もっとも、自殺した方の本心は計り知れないものなのでしょうけど…。 回りの人が悲しむから、といって自殺を否定できるかというと、それはそれで別問題のような気がしてしまいます。 難しいですね。
今、おじいちゃんが生きてたら私の子供を見て、どんな顔するだろう、どんな風に接してくれるだろう、ってよく思います。 私が小さな頃、土曜日によくおじいちゃんが私と兄と弟を赤いワゴンの車で迎えに来てました。 凄い嬉しくて泊まりに行ってた。 小学高学年の時、いじめの影響で親や兄弟と遠ざかってた時があって、祖父母も避けてしまい、泊まりに行くのも少なくなりました。 中学2年の時、年始に祖父に挨拶しに行ったきり、会ってなくて土曜に呼びに来ても弟は行ってたけど私は行くこともなく…。GW明けにおじいちゃんが亡くなったって電話がありました。………自殺です。 飛び降りです。早朝に見つかったそうです。もう少し発見が早ければ助かったそうです。 お葬式で最期の出棺の時。棺桶の中にいるおじいちゃんを見て初めて涙が出ました。母や祖母、弟が泣いてたのに私は何でか我慢してたんです。何故、我慢してたのか分からないけど泣かない!って我慢してた。 大好きなビールを飲ませてあげた時にブワって涙出ました。 もしかしたら、動くかもしれないって……でも、ピクリともしなくて……。 その時の光景、30歳になった今も忘れられないです。 私に子供が産まれてから、その時の祖父の心境を聞いて…誰にも悩み(借金)を相談することもできずに一人、苦しんで飛び降りたんだと分かりました。 もしかしたら、私がもっとおじいちゃんに甘えてたら…そんな事しなかったかもって思うと凄い辛いです。 自殺は、自殺した本人も辛くてそういう道を選んだと思います。でも、残された周りの人達も何で助けて上げられなかったんだろうって辛いです。 死んだら、そこで終わりだけど残された人はその人を助けられなかったっていう苦しみをずっと味わなければならない残酷な事だと私は思います。 おじいちゃんの赤いワゴン。 伯父が『赤い車欲しいって○(私)が言ってたから買ったんやで』って教えてくれました。 覚えてない……十数人いた孫に女の子の孫って私だけだったんです。だから、余計に凄い可愛いがってくれてたそうです。 そう思うと凄い後悔してる。 おじいちゃんを遠ざけなければって。
お礼
辛い体験をなさいましたね。 後悔してもしきれないことって、あると思います。 飛び降りを決断したお祖父様の気持ちは、どの様なものだったのでしょう…。 私が自殺を真っ向から否定できないのは、本当に大切な人が自殺してしまったという経験をしていないからかも知れません。 ただ、kizuna0902様の立場からではなく、お祖父様の立場から自殺を考えると少し違う考え方もできるかなと思いました。 ともかく、心優しいお祖父様が天国で幸せに暮らしていることを願います。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
死ぬのも自分の都合だし 助けるのも自分の都合です。 助けてほしいなら助けてほしいと言え。 そうじゃなくて、死ぬ、というのなら 迷惑が掛からないように死ね。 助けてほしいけど死ぬ、というなら、 どっちかにしろ、と思う。 助けてほしいけど助けられなかった場合は、 悪かった、さようなら、と思う。
お礼
ご回答ありがとうございます。 情に流されがちな意見が多い中、サバサバとした新鮮な主張でした。 私も、結局はその人個人としての問題なのかなと思います。 周りが○○だから、っていうのは少し違うかなと。 やはりいちばんは当人がどうしたいか、でしょうね。
- 葵澄 (男の名前ですが)(@azumin77)
- ベストアンサー率24% (364/1495)
それはね、僕が死ぬほど辛かったのに 死ぬことさえ許されなかったからですよ 母が亡くなり、父は体を壊して仕事をやめ 兄は食うだけで家に金を入れず 弟妹もバイトしてたけどそれだけで 僕がひとりで夜中まで働いても月25万がやっとで 大人5人の食費、家賃、光熱費で、それでも足りず 弟妹の学費は自分で払ってくれてたので しかし僕のこずかいなど1000円もなく どれだけ生命保険でもかけて、事故死しようかと思いましたか でも保険料も払えず、ただ死んでもお金が残せない 何も残せないと、諦めました 死ぬほどの苦しみを味わう人は、その苦しみを相談できないし それを周りが気づくことはありません 「死にたいんです」とココで言える人は、弱さだけで 本当に死にたいと言いませんし、本当に死ぬ人は 「それしきのことで死ぬのか?」と言われるんです 死ぬことすら許されなかった僕と彼女 彼女も色々あって、消えかけてるけど、リストカット痕がありますよ 結局、ふたりとも生きて、地獄から脱し ふたりで出会えて幸せになってます だから言えます「自殺はやめておけ」と あけない夜はない、やまない雨はない 時間がかかっても、絶対に何とかなるし何とかしないとね
お礼
ご回答ありがとうございます。 私が自殺を否定する唯一の理由、「希望を自ら潰しては勿体ないから」というのを、実際の体験をもとに主張してくださり、ありがとうございました。 azumin77様のように幸せになれる可能性がわずかでも残っているならば、自殺はしてほしくないです。 しかし、これすら当人からしたら単なる周囲のワガママに思えてしまうのでしょうか…。
- xingsheng
- ベストアンサー率0% (0/1)
私は生きることに興味がありません、死ぬために生きてます。 今この瞬間に死んでも、私自身は全然かまわないと思っています。生きることに執着もないし、興味もないです。こういう考えを持って産まれたことが悔しい限りです。 私が私として産まれたのは、生態系の義務だと考えています。 産まれたことには、どんな生き物でも意味があると考えています。死ぬほどの苦しみとやらも、義務の一環です。その感情は、周りに何らかの影響を起こしているからです。 死ぬほどの苦しみが同じ重さで1年連続ノンストップで続いた人はいないでしょう。人間は慣れることができるし、どんな状況でも喜びも感じられるように本能がうまいことできています。 多分自殺する人は自殺するタスクを持って産まれてきているのかもしれませんね。 衝動であって、死ぬほどの苦しみが原因ではないでしょう。死ぬほど苦しい人でも死なない人も沢山いますからね。つまり、それがその人の寿命なんでしょう。 しかし、自殺した本人はそれで終わりで幸せですが、周りは関係を強制終了されるので、それこそ答えのない死ぬほどの苦しみを強制的に味わわされます。勝手に罪の意識を押し付けられることになるのです。これは何度か目の当りにしましたが、なかなか大変です。 ですので、自殺はいけないことではないですが、周りには強烈な罪の意識を持たせることになるため、その人と出逢った身近な人にとって、迷惑というか、辛い感情を強制する存在ではあります。それもその周りの人の義務なのかもしれません。人はすべて互いに影響を受け合い、生態系があるので。私は出逢った人に恨みはないし、楽しいし、感謝しているので、このような感情を周りの人に持たせることはしたくないから、死なないでおこうと思います。 ちなみに苦しみとは、誰かが救ってくれてどうにかなるものではなく、自分自身が解決を見いだすしかないものです。幸福と同じです。親に早くに先立たれ、自分の子供は産まれてすぐに失い、借金を抱え、それでも希望を持って日々幸せに生きている人もこの世にはいます。 富豪の家に産まれ、美貌に恵まれ、頭も良いけれど、日々つまらないと感じている人もこの世にはいます。自分を信じ、希望があるかないかの違いでしょうね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 「回りの人間に罪の意識を負わせる」……確かに、そうですね。 自殺は、何も非のない(という設定にしておきましょう)人たちに苦痛を与えることにもなるのですね。 また、xingsheng様の回答を読み、幸も不幸も主観的なものなんだなと改めて思いました。 生と死は不思議ですね。
- under12
- ベストアンサー率12% (202/1670)
民主党のような例外もありますが、人間は責任を果たす社会的生物です。 自殺とは逃避であり、責任を果たす事にはなりません。 >>当人を苦しみから救ってあげられないくせに、自分の不利益だけを主張して~ これは自殺しようとしている当人にも言えますな。自殺するのに必要なのは 勇気ではありません。もう一度辞書を引きましょう。 人は何のために生きるのか。俺の好きな言葉に「衆生所有楽」があります。 要は遊び楽しむためです。人生という長い時間があれば、昼や夜、山や谷が 必ずあります。本人次第ですが、いくらでもやり直しができます。 但し、自殺を選択すると死に直すことはできません。そこで終わってしまいます。 これが、俺の考える自殺を否定するスタンスです。 ちなみに、他人の迷惑になるからと言うのは、いかにも日本人らしい答えだと思いました。 「差別的落書きはいけません。周りで見ている人がいますから」 こんなポスターが 地元の駅にありました。根幹から目を反らし、中途半端に他人の目を気にするところが 同じ感じですね。 まあ、哲学の面では自殺を否定しますが、生態系などにおいては否定しません。 日本に人が多すぎるのは事実です。やりたければ勝手にしろ。それだけです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 詳しくは補足欄をご覧ください。
補足
熱く反論してもよろしいでしょうか? 途中言葉がキツくなってしまうかも知れませんが、決して嫌味ではありません。 まず、人間は社会的義務を負っている、という主張。 これは、必ずしもそうとは言えない気がします。 社会に関わるかどうかは、個人で選択できます。(尼になったり、山奥で自給自足の生活を送ったりすることもできます。) また、社会に関わっていたとしたって、当人がそこから逸脱したいと思えば誰もそれを止められないと思います。 (社会とは、みんなで協力したほうが利益が大きくなると考える人が好きで作ったものであって、別に義務ではないのでは?) 次に、 >「自殺するのに必要なのは勇気ではありません。もう一度辞書を引きましょう。」 確かに、自殺は衝動的に行われることかも知れませんが、では、自殺に必要なものとは具体的に何でしょう? (「何らかの凶器」「動脈をきること」などの物理的なことではなく…) そしてそれはなんという辞書に載っているのですか? また、「衆生所有楽」についてですが…これも頷きがたいです。 確かにつらいよりは楽なほうがいいけれど、この本能をつき動かすものさえこの世には生まれ得るのではないでしょうか。 最後に、死になおすことはできないから自殺を否定する、という見解について。 これは主観的な考えなので自分の自殺を否定する理由にはなりますが、他人の自殺までは否定できないでしょう。 他人様の生き方を無理にとやかく言える権利はありません。 落書きはやめましょう、の件に対する見解には賛成です。 問題はそこじゃないでしょうって感じです。 とにかく、どうもありがとうございました!
お礼
ご回答ありがとうございます。 なるほど、と思いました。 「『そうやって決めておかないとマイナスが発生する』」…当人の苦しみと周囲への迷惑を天秤にかけたとき、一般的には後者のほうが重要視されてくるわけですね。 (私は天秤にかけるべきではないと思いますが。) あと、ひとつ補足を。 「希望を潰しては勿体ない」というのは、正確にいうと、「希望が生まれる可能性を潰しては勿体ない」ということです。 いつか苦しみが和らぐ可能性は決してゼロではないのに、それすら諦めてしまうのは勿体ないんじゃないか、という意味です。 とにかく、ありがとうございました。 この世ってそんなものなのですね。