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周辺国を近所付き合いと同じようにいう人
周辺国とは「近所の人とは仲良くすべき」と言って近所付き合いと同じように言う人もおりますが、そのような人たちは下記のようなことをする人や団体とも「近所なんだら仲良くすべき」と言っているのでしょうか? ・「気づいたら地下鉄サリン事件を起こした宗教団体の流れをくむ宗教団体が近所にやってきていた」・・・寛容に迎え入れなければならないのでしょうか? ・「某棋士のように野良猫に餌付けをしている」・・・裁判に訴えないで仲良くすべきだというのでしょうか? 他にもあるのですが、とりあえず上記の2つのケースについてのスタンスを教えてください。
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- phantom1
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隣家の住人が、順法精神を持つ普通の人なら、徒に争うような真似をするのは愚かです。 ですが、明らかに反社会的な活動や、迷惑行為(場合によっては法令違反)をしている人、あるいは、そのような人と組織的に関係のある人である場合、話が別になります。 例に挙げられた二つケースは、後者のケースです。 「仲良くする」という事は、決して「相手の行為を全て容認する」という意味ではないでしょう。 裁判によって法的に決着を付ける、法律の専門家を通して交渉する等、適切な強制力の援用によって、双方妥協できる落とし処を探る事も、双方の破滅を防ぐ、と言う意味においては「仲良くする」の範疇だと思います。 この時に大事なのは、「相手の立場に立って考える」事です。これは、相手に阿る、と言う意味ではありません。相手の価値観や思考の基準をトレースし、情報化する事です。これがないと、落とし処が探れないので、適切な交渉ができません。 国家と国家の関係も、必要な強制力を自弁しなければならない点を除けば、基本構造は同じです。相手の言う事を全部受け入れたら侵略されますし、全部拒否したら戦争になります。 何れにせよ、見た目に分かりやすい一つの教義を絶対視し、これを一方的に相手に押し付けるのは思考停止であり、愚者のする事でしょう。これは、思想の左右を問わず指摘できる懸念です。
- yonesan
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総論賛成各論反対というやつでしょう。 自分に被害や負担が及ばない限りは、都合の良い部分のみを見て発言しているのだと思います。 「宗教団体が移転しようとしている」 ↓ 「問題を起こした団体とは別だし心も入れ替えているはず。寛容になるべき」 ↓ 「ただし、うちの近所に引っ越すのは駄目」 「野良猫に餌付けをしている人がいる」 ↓ 「多少問題があるにしても、猫を可愛がるのを責めるのはおかしい」 ↓ 「ただし、うちの近所で餌付けするのは駄目」 周辺国との関係も同じようなものかと。 「平和のために周辺国とは仲良くすべき」 ↓ 「そのために国は行動を起こすべき。場合によっては譲歩も必要」 ↓ 「ただし、自分の税負担が増えたり、給料が減るのは駄目」