• 締切済み

自信をつぶされすぎたかもしれません

私は小さい頃からまわりの人たちに何もかも「これじゃダメ、ダメ、ダメ」と言われすぎてきた気がします。 「なにくそ!」と思える人もいるようですが、私はこの「なにくそ!」という感情が湧き上がりません。意思で出せるものではないみたいです。 小さい頃から遊ぶこともおやつを食べることもテレビを見ることも漫画を読むことも許されず、勉強、スポーツ、ピアノ、歌…色々なことをスパルタのようにやらされました。その日の課題ができるまで、親も先生も怒鳴り、怒り、そのときの恐怖は今でもトラウマです。 上手くできたのであろうときや成績がよかったときは、「私が育てたからこうなりましたのよ」とまわりに自慢はするのですが、ふたりきりになると「この程度じゃダメ」「自信過剰になるんじゃないよ」と怒られてばかりで、毎日怖くて自分の中に閉じこもるようになりました。 それでも努力をすれば、きっと怒られないで済むとでも思ったのでしょう。毎日逆らうことはなく、努力をし続けました。しかし、努力して結果を残すことが目的だったのではなく、単に私を怒鳴りつけたりすることが楽しかったんだと思います。 それから私は全然成長していません。今でも「この程度じゃダメ、もっと努力しなさいよ、あんたができそこないだからいけないの、何もかもあんたが悪いの、完璧になれないなら生きてる価値ない」という親や先生の声が聞こえるようで、自信を持つことができず、「これをやりたいな…」「こんな趣味を極めたいな…」と思っても、「どうせ自分にはだめなんだ」という考えにとらわれます。 振り返ると、努力は人並み以上にしていました。遊ぶこともなく、あらゆるジャンルのことを一生懸命やってきました。そんな自分を誉めることができません。毎日が楽しくないし、卑屈な性格が周りを嫌な空気にしてしまいます。 親たちの言っていることは、「もっともっと努力して完璧になれ!」ではなく、私の自我を潰すことが目的だったと思います。でも今となっては親に何かと潰されることより、「完璧じゃないなら存在する価値もないわ!」という「完璧でなければ存在価値はない」という刷り込みのほうが苦しいです。 もっと柔軟になり、自分を許したり自分のいいところを見つけたり…もっと楽に楽しく生きたいです。どうしたら刷り込みは変えられますか?

みんなの回答

回答No.5

質問者様はどのような人間が完璧だと思われますか。 勉強もできて、 ピアノもできて、 スポーツもできて、 性格もよくて・・・ですか? それらがすべてできたとして、だから何?と私は思います。 話は変わりますが、まず、完璧な人間は存在しません。 すべての人間がそれぞれに得意不得意、長所短所(短所も見方によっては長所である。)があるからこそ、面白い世の中なのではないでしょうか。また、支えあっていけるのではないでしょうか。 そして、私はなれたとしても完璧な人間にはなりたくありません。 理由はいくつかあります。 1.人の痛みを知ることができない 短所や不得意があるからこそ、失敗します。失敗すると痛いこともあるでしょう。 しかし、月並みですが、痛さを知ると、他人の立場に立って考えることができるようになると思います。 2.失敗も楽しい 失敗はしたくないですよね。でも、失敗なしの人生って面白いと思いますか? 「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である」というチャップリンの言葉があります。 命にかかわらない失敗なら、人生のスパイスになるのではないでしょうか。 自分の嫌な部分を無理に認めなくてもいいですが、そんな嫌な部分を認めようとして苦労している自分を認めてやると、随分気持ちが楽になると思います。 ちなみに、嫌な部分というのも、チャームポイントになったりすると思いますよ。 ちょっと話からそれた感じはしますが、一番になるためにレースに参加するのも、そこから降りて周りの景色を楽しみながら歩くのもあなた次第ということではないでしょうか。

  • cyrus-kun
  • ベストアンサー率25% (46/183)
回答No.4

実際に質問者様がダメ人間なわけではないと思いますよ~。 きっとね、お母様や周りの大人の人たちから見ると 質問者様がダメなだけなんですよ。(苦笑) 自身の体験になりますが、 私も常々母親から「ダメ人間」扱いされてきました。 本当に殺してやりたい!!って思うほど、 人前で罵倒されるようなことを言われたり恥をかかされたり、 何だか生きた心地がしませんでしたよ。 でも、結婚をして離婚をして良くも悪くも自分自身で 生きていかなければならなくなったときから、 高校を卒業してからの自分の人生の歩み方について考えてみました。 一体、何がいけなかったんだろう?って。 良く考えてみると、私自身、いろいろな面で、 恵まれているなという部分も多くありました。 それは取り柄がないと言われ続けたからこそ、 父親が武器を増やせ!!と言って熱心に進学を勧めてくれたことや、 お稽古事やお作法をの勉強をさせてくれたこと。 そんな武器があるにも関わらず、私はずっと母親の言葉に惑わされて、 自分自身がなんだかわからなくなっていたことに気が付きました。 結局、早い話、私の母も含めて一般的に女性は視野が狭く狭量なんだと 感じています。 たとえば、これは明らかに知らないだろうな~と思うような、 ことを持ち出して話をすると歯もたたず不機嫌そうな顔をしているのが 手に取るようにわかるんです。 (ジャンルは何でも構いませんが、私の場合、政治や歴史、そのほか学問的なこと) 一番、恥ずかしいな~と思ったのが、 大学まで出ているのに世界地理もわからず、 お肉屋さんで「どこ産の肉?」とか聞いているのに、 お肉屋さんが「カナダ産ですよ」と言っているときに、 カナダってヨーロッパですよね??と言ったこと。 この時はドン引きしました!! そのほかにもいっぱいあるけれど、 質問者様にも周りの方にはできない特技とか必ずあるはずです。 まずはそれを見つけること。 そして、彼女たちのほうが自分よりも勝ってる部分があるなと思ったら、 それは、真っ直ぐにとらえて自分も学ぶこと。 そういった狭量な人間を抑え込むには自分の視野というか、 キャパを広げていくしかありません。 今の状況を○にたとえて言うならば、 彼らが二重丸程度で質問者様はただの丸なのです。 でも、質問者様の○を何重にも増やせば相手に飲み込まれることも なくなるわけでしょう? もっと自信を持って自分だけにエネルギーを注いでみてはいかがでしょうか??

noname#209756
noname#209756
回答No.3

いわゆる進歩史観なんでは。 進歩、革新すればするほどいいという価値観ですよね。 政治イデオロギー的ですけど、現実にもあてはまるように最近思ってます。 絶えず、今の自分を破ることを求める。 自分をラディカルに変えていく。 そして何か統制的。強迫的ですよね。完全にとらわれてます。 反対は守ることと自由なこと。 武士道で「守破離」という言葉があります。 最近は破が良しとされているように思えます。 これでは破壊主義と同じです。 完璧なんて幻想。人間の知性ってそこまで完璧にはならないでしょうし。ある程度行きつくことがあってもそんな急って絶対問題あります。 とらわれているって硬直的な人生しか待ってないでしょうし。 急激で不安な社会なので統制的、ストイック、完璧に努力すればいいというのは美学ではあります。 おっしゃる通り、人が生きている目的は極めるためではありません。 正直、それでは不幸です。 不安など重しから自由になればいいのはないですか。他の回答者さんもおっしゃる通り、自分を守りましょう。

noname#191343
noname#191343
回答No.2

文面拝見させて頂きました。色んな事をダメと言われ続けたり、スパルタのように 色々言われるのは本当にしんどい事だと思います。私も似たような刷り込みをされた時期が あるのでよくわかります。 私自身、なんてダメに人間なのだと自分を自分で責め続けていました 本人がいなくても自分の中で「何でこんな事も出来ないのか」など 自分が自分でというかんじでありました。いつもなにか、怯えたり諦めていたかんじが ありましたが最近ようやくそういう部分から抜け出せたようなきがします。 刷り込みを変えるのは、そうですね、自分の本当にやりたいと思う気持ちに素直になって 自分の思う事、やりたいと思う事を諦めずに少しずつ行動する事かと自分はそう思います それと結果で評価するのでなく、自分のやってきた事の過程を評価するといったことも必要かもしれませんね 結果でものをみるととても出来なかった時つらいですから、過程をこれだけやれたんだなと 自分が自分で良い評価を少しずつできると、段々元気とか自信がわいてくるものがあるかとおもいます。 色んな事をいわれてとても辛かったと思いますが そういった中でされた体験もあなたの大切な糧になっているとおもいますよ これまでやってきた中にもどうか自信を持ってください そうして諦めないであなたのしたい本当の事を少しずつ思い出して、 沢山自分の為に時間を使ってくださいね

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.1

だったら、 新しい自分を擦り込み「直して」いったら? それも、 人から刷り込まれるのではなくて、 自分のペースで丁寧に刷り込んでいけるんだよ。 自分を優しくマッサージするような気持ちで。 確かに親(環境)の刷り込みの影響はあるんだろう。 でも、 それを言い訳にしていたら、 まさに刷り込まれたままの自分を放置してしまうだけだ。 刷り込みがある「から」、 今の私は何をやっても上手くいかないんですよ!! そう声高に他者にアピールしたって、 そうなんだね?と思われる「だけ」なんだよ。 だったら、 今からでも良いなと思える自分自身を大切にしてみたら?と。 「今日」という日を、 貴方にとって素敵な「過去」にする事から始めてみたら? そう言われてしまうんだよね? 貴方のしんどさを過小評価するつもりはない。 むしろ、 自分を大事にしたいと思っているのに・・・ 悪魔のささやきのように貴方の中に「残照」があるんだよ。 それが、 貴方の前向きになりたい気持ち自体をぼんやりさせてしまう。 自分の中の格闘に疲れてしまって、 実際に手ごたえのある日々を積み重ねていく。 具体的な作業にまで行き付かない事もある。 そういう自分を何度も経験する事もしんどい事なんだよ。 でも、 貴方は貴方なりに格闘し続けるうちに、 自分がどうなりたいのか? どういう自分を良いなと思えるのか? その部分は既に「明確」になっているんだよ、実は。 それが、 貴方が文末に書いている「自分」。 =もっと柔軟な私。 =自分を多面で受け入れてあげられる私。 =多面である以上、 駄目な部分ばかりをピックアップするのではなくて、 丁寧に良いなと思える一面も見つけていきたい。 =もっともっと、楽な感覚で楽しく生きたい。 貴方には既に、 「なりたい」自分、「目指したい」自分が見つかったんだよ。 たとえどんな刷り込みがあっても、 先に目指したい自分を発見している貴方は、 自分自身を丁寧に導いてあげる事が出来るんだと思う。 直ぐに刷り込まれた自分は変わらないよ。 でも、 「今」の貴方が、 丁寧に良いなと思える自分を目指していく日々。 それが貴方自身に浸透していくなら。 昔の刷り込みって自然と後退(交代)を余儀なくされるんだよ。 刷り込みは刷り込みであるとしても、 貴方も「今」をかき乱すほど大きくは浮上しなくなるんだよ。 その「上」に、 これから大切にしたい自分を擦り込んでいく作業があるからこそね? 自分は直ぐには変わらない。 そして、 刷り込みを「変える」事よりも、 自分が大切にしたいものに対して、 丁寧に光を当て続けていく事が大事。 直ぐに逆向きの刷り込みが生まれる訳でも無い。 ある意味貴方の刷り込みって、 貴方の人生を表すような部分もあるんだよ。 それを急に取っ払ったら、 貴方は過去にも今にも属さないような、 自分のルーツ自体を失ってしまうようなアンバランスになるんだよ。 過去自体は変えられない。 でも、 「今」という時間を、 少しでも貴方にとって納得が出来るモノしていく事。 それは「出来る」事。 刷り込みが与える影響自体は「ある」。 でも、 それだけで貴方の今が停滞する事は無い。 動き難くなる事はあるけれど、 それでも、 貴方はやっていけるんだよ。 やっていける貴方だからこそ、 既に「こうなりたい」という自分を見つける事が出来ているんだからね? 実は貴方は成長しているんだよ。 そういう自分を「認める」事から丁寧に始めてみたら? 刷り込みに囚われがちの自分位許してあげる。 ゆくゆくは、 刷り込みを与えた存在(親)も許してあげる。 そこまで辿り着かなくても良いから、 今の自分を少しでも良いなと思えるように、 そう思える自分、そう思える感覚を「増やして」いけるように。 改めて、 深呼吸を忘れないで。 「これから」の貴方の日々を、積み重ねを大切にね☆

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