戦争というものが外交の手段の一つでしかないという基本の基本を忘れて、外交のチャンネルをほぼ総て絶った状態で開戦した時点で日本は負けていたわけです。
つまり、完璧な勝利というヒロイックなおはなしでもまず滅多にお目にかかれない条件を奇跡的にクリアしても得られる成果は現状維持程度。もちろんのこと、現実の戦争においてそんなことなどないわけですから、戦場でどれほどの勝利を勝ち得たとしても、戦争の継続によって確実に国力は損耗し、国家は衰亡へと向かってゆく訳です。
そして、さらに重要なのは戦争の目的は勝つことではないことです。…もちろん、負けるよりは気分的にマシですが。戦争をどの時点で終結させれば自国の利益が最大化されるかという算段ができねば、戦争に勝利して国家が衰退するという逆説も生まれるわけです(そこらヘンは世界史を勉強してね)。
で、困った話で、始めた時点で戦略的な負けが確定していたにも関わらず、日本人の現場における不幸なまでの小器用さが仇なして戦術的な勝利を次々と勝ち得てしまったが故に、戦術的な勝利と戦略的な勝利がごっちゃになり、戦争を終えて利益をどこで確定させるかという最も重要なことを誰一人として考えず戦争の継続のみに注力する、というか、どの時点で戦争を終えても結果は負けなので、責任をとらされる日を先延ばしするために戦争の継続を選びつづけたわけです(生き残った軍幹部たちの証言をざっくりとまとめるとこんな感じ)。──なんだか、サラリーマン経営者をトップに据えた日本企業の没落のプロセスのようで心と頭が痛みます(*)が、日本の政治に携わる人々もまた戦術的勝利の総和が戦略的勝利なんだと勘違いしてる向きが少なくないのには暗澹とした気分に…。
ああ、回答じゃなく愚痴になっちゃった。
* ソニーはiPod(以上の製品)をそのとき創れたなんて話をあちこちで目にするけど、仮にそれが発売されていたとしても、その商品がソニーの企業価値を飛躍的に向上させたか、って想像しても、ま、そりゃないよな、って誰でも想像できちゃったりするのが、戦術と戦略の違い。