• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:バブル崩壊直後って本当に景気悪かったんですか?)

90年代のバブル崩壊直後の経済情勢とエンタメ業界について

このQ&Aのポイント
  • 90年代初頭のバブル崩壊直後の経済情勢は、金融関係者などにとって血のにじむようなキツい仕事環境がありましたが、一方でエンタメ業界は活気がありました。
  • 当時のJ-POPシーンでは、ミスチル、B'z、サザンなどのアーティストが次々と熱い名曲をリリースし、街じゅうに明るくノリノリなムードが広がっていました。
  • 90年代の経済全体が沈み込んだとは言え、製造業はまだ元気であり、製造業が稼いでくるお金がマスコミにも流れ込んでいました。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
noname#188107
noname#188107
回答No.1

>バブル崩壊直後って本当に景気悪かったんですか? 崩壊直後の景況感は決して悪いものではありませんでした。 バブル崩壊を1990年とすると、 第三次産業の各業種の売上高推移は 1992年くらいをピークに減少の一途を 辿るようになっています。 その頃は、バブル景気はなくなったものの、 企業努力で売り上げは回復できる。 という意識がまだ支配していました。 で、実際に景況感が極端に悪化したのは 1997年ころで、これは自殺者数の推移を 統計で見てみると如実にあらわれています。 http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenjisatsu これを解説すると、バブル崩壊で金融機関が 大手中小を問わず、損切りを始めた時期に合致します。 この頃の少し前くらいの新聞記事を読めば分かりますが、 「貸しはがし」といって、一旦、貸金を回収した後、 新たな条件で貸し付けするといっておいて、 その話は無理になった。。と一方的に貸金を回収する 手法が横行したわけです。 ちょうど山一証券や北海道拓殖銀行の破たんという 都銀は潰れないという神話が崩れ、 金融機関が国際規格(BIS)に合致させるために http://www.findai.com/yogo/0103.htm 強引な貸金の回収とさまざまな合併に奔走していたわけです。 ここで中小零細の倒産と経営者の自殺が激増したり、 大手企業でも例外ではないと、リストラと呼ばれる 正社員の首切りが横行して、その代替労働力として、 派遣業法の改正でいわゆる非正規労働者が激増したため、 一気に景況感が冷え込み、企業業績の悪化が さらなる労働配分を押し下げていわゆる デフレスパイラルの端緒となりました。 少々時期的なずれや勘違いがあるかもしれませんが、 その辺は、詳しく上のキーワードを統計資料などを 丹念に洗っていくと、だいたいの姿が見えてくると思います。

kgat0769
質問者

お礼

なるほど!大変詳しいご解説をいただき、ありがとうございます!やはり他の方の回答を見ても、目に見えて表れたのは97年ころからだったんですね~ 勉強になりました、ありがとうございました!

その他の回答 (3)

  • dragon-man
  • ベストアンサー率19% (2711/13692)
回答No.4

そんなことありませんでしたよ。インフレ率も落ち着いていて(3%ぐらい)、世の中や日々の生活にほとんど影響ありませんでした。普通の生活で生活水準が下がることもありませんでした。給与水準も安定していました。テレビも普通に放送していましたし、遊んでいる連中は、変わらず遊んでいました。旅行にも行ったし、ブランド品も買っていました。 最も変化が大きかったのは、会社の接待費やタクシーチケット、ゴルフ場です。接待ゴルフが激減し、予約が取りやすくなりました。それまでは予約も取れないほど混んでいたのです。あの頃のゴルファーはどこへ消えたのでしょうね。 接待費が出なくなり、銀座の高級クラブが潰れました。バブルの頃は夜10時過ぎに銀座や新宿でタクシーを捕まえるのが大変でしたが、崩壊後はタクシーの方が並んでいましたよ。 最も深刻な被害を受けたのは銀行など金融機関です。不動産価格が激減し、それを担保に貸し付けていた資金が焦げ付きました。いわゆる不良債権です。日本全体で数百兆円に達しました。やがて金が廻らなくなり、企業業績が落ち、給料も下がりはじめました。今のような状態になったのはバブル崩壊(1990年)の10年ぐらい後です。その後今まではじり貧です。 サムスンに負けたのはバブルのせいではありません。企業人が無気力になって、新たな製品を作らなかったからです。サムスンでも作れるような低技術製品(テレビがその代表)にしがみついていたからです。バブルがはじけて接待費が出なくなり、元気をなくしたからかも知れません。 まあバブルの頃までのハイテンションが一気に醒めたのかも知れませんね。人間、気の動物ですから。 今ではバブルが生んだ銀行の不良債権はあらかた始末しました。国民の血税を投じたことと、政府と日銀が銀行の預金金利を大幅に下げさせたことに依ります。本来預金者に入るべき金利分を銀行に取らせたのです。預金者の懐にはいるはずだった数百兆円が銀行の懐に入りました。それで借金(不良債権)を返しました。まるで強盗です。よその国なら暴動が起こったでしょう。日本人はつくづく穏健です。政治家もさぞやりやすいでしょう。 ですから、今ではバブルの後遺症はないはずです。今の日本の景気が悪いのはほかの要因です。経営者を含め、日本人のやる気、元気がなくなっているでしょう。いろいろ言われるアベノミクスは、その元気をもう一度取り戻そうという政策です。うまく行くかどうか分かりませんが、民主党のようにあれこれケチを付けて頓挫させると、元気が取り戻せず、失われた20年が、失われた40年になるでしょう。その間に日本は沈没するでしょう。元気を出すラストチャンスです。そう言うつもりで投票しましょう。

kgat0769
質問者

お礼

なるほど!やはりしばらくは変わらず、徐々に貧相な世相になっていき、本当の不況感にさらされるようになったのはここ10年くらい、ということですか。 長大なご意見をいただき、ありがとうございました!

  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.3

崩壊直後ってのは、影響を受ける人や業界などは限定的だった 「影響を受けているらしい」という情報だけが一人歩きして実際に誰がどの程度の影響がと言うのもハッキリとしなかった 当時は、株価や地価の下落は一時的な調整過程であって、暫くすればまた以前の様な好調が戻ってくると根拠の無い楽観論を持っていた <- そうあって欲しいという願望とも言える でも、調整などでは無く崩壊であるとの認識が、ハッキリと現れたのが「金融危機」 住専問題とか三洋証券、山一証券、拓銀の破綻などによって、今まで絶対に大丈夫と思っていた事が実際には幻想だったと言うのが明らかになった 崩壊直後の時点では、金融部門であってもその実情を知る人と知らされてない人とが居た だから業界に関係のない人に取っては、金持ちが株価下落で損をしても自分達は関係無いし「ざまあみろ」ぐらいの感覚だったように記憶している

kgat0769
質問者

お礼

業界違えば関係ない、ですか…ドライですね^_^; やはりそのくらいのご時世だったんですね~興味深かったです、ありがとうございました!

  • goo2408
  • ベストアンサー率15% (18/114)
回答No.2

バブル崩壊後、みんな甘く見ていたのです。そもそもバブル崩壊という言葉が経済の異常事態を社会に伝えようとマスコミで頻繁に使われるようになったのが92~94年頃からと言われています。 またバブル景気の象徴的映像としてジュリアナ東京で踊っている女性の映像や写真が使われますが、ジュリアナ東京というのは91年に開店しています。 また甘く見ていたと同時に日本企業もまだまだ元気で、トヨタプリウスというハイブリッド自動車の市場投入と普及開始、プレイステーションの世界的大ヒット、ポケモンの世界的大ヒットなどを始め企業もまだまだ元気でした。 デフレが本格化しはじめ、また同時に政府の自殺点的なデフレ促進政策など、日本の産業が本格的に弱体化したのは90年代の後半から2000年代突入後となります。また2000年代半ば一時は景気回復かとマスコミが騒いだ時期もありましたが、米国バブルの泡銭が日本の株式や不動産にも流れこんでいただけという事態で、日本はまた大きな付けを支払わさせられるハメになりました。パナソニックなどはこの時期に大改革を行ったとしてマスコミでももてはやされていましたが、大きく経済状況を見誤って実は大失敗をしていたという状態でした。これが昨今のパナソニック低迷の土台となります。 ざっくりですが、こんな感じでしょうか。

kgat0769
質問者

お礼

ジュリアナ東京は91年開店だったんですか!しれっとビックリしました。 当たり前かもしれませんが、個々の業界、企業の動向をみなければその時その時の社会動態は分からない、ということですね。 大変興味深かったです、ありがとうございました!

関連するQ&A