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合格祈願で教室に神棚をおいたことについて

gooのトップページニュースにこの問題が出ていたので質問させていただきます。宗教と教育との問題だと思いますが、この先生の気持ちよく分かります。 しかし、小学校時代、クリスマス会とか、初詣とか学校でやった気がしますが、これらはすべて違法になるのでしょうか?逆に、今日、TBS系で放送されていた、国家(君が代)を強制させることの方が宗教がかっていると思うのですが…。あまりにも勉強していないので、教えて下さい。

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回答No.5

中学校の教員をしています。こんにちは。 日本人の宗教を統計上の分類で見たとき、「神道」と「仏教」を足してみると100%は優に超えます。これは、厳格な信仰を持つ他国の人から見れば、異常な現象です。 また、「100%は優に超える」と言っても、現代の日本人は、「特に自分は信仰を持っていない」と考えている人がかなり大多数に上ると思われます。 合格祈願で教室に神棚を置いた先生が国家神道を広めようという意図を持っていないことは明白だと思います。質問者さんはこの「実感」の部分と、「違法」という大げさな言葉のズレが気になるのではないかと思います。その点について説明したいと思います。 いわゆる「宗教」には二種類あります。 一つは「普遍宗教」、もう一つは「民族宗教」です。 特定の民族の中で、自然発生的に徐々に慣習として定着してきた「民族宗教」に対し、仏陀なりキリストなりの絶対者への信仰と実践の体系を成立させた「普遍宗教」には、布教という信者を拡大しようという側面があるのが大きな特徴です。 日本の神道は、「民族宗教」です(明治以降、廃仏毀釈の時代には、国家神道という普遍宗教的な展開をしたことは否めませんが…)。 「神」や「神話」を持たない古代の共同体は、世界のどこにもありませんでした。今でも日本の農村では、朝起きたときに太陽(お天道様)に向かって拝む老人の姿が見られます。こうした習慣は天照大神を礼拝しているというより、純粋にアニミズム的動機からの行動だと解するべきだと思います。 花祭りを祝う人は少ないと思いますが、七夕であれ、節分の豆まきであれ、全てにおいて宗教的背景を持っています。しかし、現代の日本人にとってこれらは、宗教的行為というより慣習の部類に入ると私は思います。 以上のような理由から、合格祈願の神棚に関し、咎め立てする必要を私自身はあまり感じません。 しかし、合格を祈願する際の形式として、「神棚」というスタイルを採用したことに関しては、不適切な側面がないとは言えません。「神棚」というスタイルが「国家神道」を想起させるものであることは事実です。 例えば、12月24日ごろの公立学校の給食には、宗教色の無いデコレーションを配したケーキが献立のメニューになっています。 「みんなでみんなの合格を祈る」という行為の教育的意義は十分理解できます。したがって、公教育の現場において教師は、現行の宗教のスタイルを採用しないよう注意するだけの宗教的素養をもって教育実践すべきだと思います。

kubrick
質問者

お礼

大変お詳しいご回答にもかかわらず、お礼が遅れて大変申し訳ありません。本当にありがとうございました。公教育の現場は気を使うものですね。給食ケーキ…そういえばクリスマスケーキなどとは表示されていないですね。もし、表示されていたら問題になるのでしょう。本当にありがとうございました。

その他の回答 (4)

noname#21649
noname#21649
回答No.4

>違法になるのでしょうか? キリスト教を含めて神仏混交に徹すれば違法性はないでしょう。 主要宗教行事1つづつ行うという雰囲気で洗濯されていたと記憶しています。ただ.具体的内容は学校が主催せず子供界・育英会まかせとなります。また.子供界等の行事ですから.教員は関係せず.父兄任せです。ただ.子供たちが集まれる広い場所が学校しかないので.学校で行っていました。 社寺仏閣の参詣は特に強制せず.文化財としての施設紹介に徹するのが原則です。 >宗教がかっていると思うのですが… ご指摘の通りです。しかし政界関係者押し切って.法令を改正し押し付けたけっかです。

kubrick
質問者

お礼

お礼が遅れて申し訳ありません。ありがとうございました。文化財としての施設紹介に徹する なるほど、いろいろ配慮する必要があるとも感じましたし、説明責任が大事だと感じました。ありがとうございました。

回答No.3

教育基本法第9条に反しているはず、です(「国及び地方公共団体が設置する学校は、特定の宗教のための宗教教育その他宗教的活動をしてはならない」)。 ただし、その第1項には 「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とあり、クリスマス会、初詣などは慣習として認められている場合があるかも知れません。 自分自身は中学時代にクリスマス会に反対した経緯があり、学校に神棚を置くのは認めるべきではないと思います。神棚は日本の慣習であり、宗教は低いという考え方や、日本の国教にも等しい神道の神棚を撤去したことはGHQの神道指令云々というような考え方もできるのでしょうが、慣習、とするならば、いっそ神道が国教である、としていただいたほうが、せいせいするのでは、と思います(建前はともかく、夏の永田町ではそうなっているように見えますね)。 ただ、教室ではタブー視されている、神棚ですが、弓道や柔道の道場がある学校(警察でも!)では道場内に置いているケースが多いようです。精神性云々という主張から祀ってあるようです(健全な肉体には健全な精神、というような理屈でしょうが、体育会系学生のレイプ事件などの多発を見ると真偽を疑うのですが)。

kubrick
質問者

お礼

回答ありがとうございました。クリスマスについてはNO.2の方にもありました。私的には、かなり違和感があります。子どもの頃、クリスマスにいい思い出がなかったからでしょうか?昔と違って、今の日本には外国籍の子が多いはず、公教育では、慣習といえども、敏感にならないといけないのではないのでしょうか?神棚の件は、確かに認めるべきではありませんが、こんなに大げさになることなのでしょうか?私にとっては、神棚もクリスマスも同等なのですが…。偏屈ですね。私自身の価値観に問題があることに気づきました。まだまだ、分かりません。勉強します。

回答No.2

受験生の立場としてはありがたいようなちょっと邪魔なような、でもやっぱりその心遣いに涙できる先生だと思います。 神棚自体は問題ないでしょう。むしろ私はそれより、神棚を教室に置くことを学校が認めたことがすごいな~と思います。普通、認めませんよ。うちの公立高校がいい例でした。 クリスマスも、日本人は一種のイベントとして楽しむものと捉えていると思うので、これを否定する人はよっぽどの宗教家、または偏屈な人かなと(笑)企業も稼ぎ時ですしね~・・・矛盾していると思っても、多数が批判しない限りいいもんですよ。 初詣も、法律で参ることを決められているわけではないですし、決められてたらそれこそ自由の侵害と大問題になります。 今、世間を騒がせているのは、おっしゃられている通り、強制ですね。このことで減給やら停職等になった先生方がニュースで流れますよね。まぁ 「君が代」は以前国会で議論されて、結果として「国歌」になったと記憶しておりますが、たとえ国歌だろうと何だろうと、ある人が「歌いたくないから歌わない」と思っているなら、教師側にそれを強制する権利はないということをその事は示しています。自由権の前に国歌がひれ伏すんですかね・・・それもそれでどうかと思いますが、私は歌うという行動自体が嫌いなので、賛成ですね(笑) とにかく、「強制」ということ自体がいけないのであると解釈しております。 でも、ありきたりですが、一番大事なのは自主的に国歌を歌ってくれるようにすることですよね。淡い愛国心を持たせるとか・・・度を過ぎるといけないので、あわ~い愛国心。国歌の歌詞に問題がある、と言う人もいますけど。

kubrick
質問者

お礼

ありがとうございました。やっぱ強制ですね。引っかかる部分は…。国家(歌詞)の歴史的背景を考えると、やはりどうかと思います。国家のマイナスイメージを教えようとせず、強制ばかりが先走っているような気がします。なんか怖い感じがします。

  • myeyesonly
  • ベストアンサー率36% (3818/10368)
回答No.1

こんにちは。 これがニュースになるような事なんですかね?? 本当に、これが違法なら、クリスマス会なんかはもってのほかでしょうね。(笑) 本当にわけの判らない世の中になってきたものです。

kubrick
質問者

お礼

ありがとうございました。もってのほかなのですね。勉強します。

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