- ベストアンサー
やられたらやり返すと常に考えている
のは、疑いというマイナスエネルギーを常に発しているということになるんですか? 私は男なんですが、やさしい性格でボーとしているような人なんですが、他人に侮辱されたりされると、とっさに反応出来ず周りの人間に舐められるということが多々あります。 もう怖いので常に身構えて、やられたらやり返すと常に思い込みながら生きようかと思うのですが、冒頭で書いたように、これは疑いというマイナスエネルギーを飛ばしていることになるのでしょうか?例えば仏教の指導者などは、このようなことに関してどのような助言をしていたのでしょうか?指導者ともなれば足を引っ張ってくる人間も居るだろうと思います。
- みんなの回答 (8)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
ぼくもいじめられた時期があるからわかるんですけど。 たぶん、あなたってやり返すことしないですよ。 「いざおなったら、やり返してやる」と考えることで、 自分を安心させたいのです。 で、やり返していいかってことですけど。 いいんじゃないですか。 仏教の指導者だって、悪を許せなんて甘いことは言いません。 権力の横暴とも戦いました。 悪をはびこらせてはならないのです。 一発ぶん殴ってみると、周囲の反応が変わるかもしれません。 ある本に いじめられていた時、田んぼで使うカマを壁に投げつけた後、 周囲がいじめてこなくなった というのが、ありましたね。 危ないヤツと思わせるのは、いい手です。 無関係の人を巻き込まなければ、暴力を否定しませんよ。 チェゲバラの時みたいに、弱い人を助けるのに、 武力が必要な場合もありますから。
その他の回答 (7)
- blackmind
- ベストアンサー率38% (37/97)
あまりやり返すということに固執しすぎると、 相手に悪意がなくても(冗談であった時など)反応してしまう精神になってしまうかもしれません。 それが相手からは、 近寄りがたい、怖い、不機嫌、などのマイナスエネルギー?を飛ばしているように、 感じられるかもしれません。 (そう思われたくなかったとしても) もちろん本当に悪意があってそうされたのなら、 やり返す気持ちを持って接するのは、正しいと思います。 ただ最初は舐められないように、身構えていたことが、 いつしかそれがアイデンティティーになって、 人を信用しなくなってしまっては本末転倒。 (そうなると本人では気づきようがなくなります。) 単にからかわれたりするくらいでしたら、 むしろそれは質問者様に愛嬌があって喜ばしいことだと思います。 たまに調子に乗ってくる無神経な人もいますが、 その少数派のために全員の評価を落とすというのも悲しい話。 一度、相手がどういう意図で言っているのかを考えてから、 対応を決める方が良いのではないでしょうか。 良ければ参考にしてください。
- iism2343
- ベストアンサー率42% (82/191)
目には目を、ですか? ちょっと昔の冷戦時代、MADというのがありましたね。 互いに核ミサイルを用意し「打ったら打ち返すぞ」と脅し合う。 勝ち目がない、と相手に諭す事で戦争回避。 これって決してマイナスエネルギーなんかじゃなく 例えばインターネットなんかこの冷戦の産物だし むしろ開発という観点からはプラスでしたね。 常に弾を込めたピストルを相手に向かって構えていたので いろいろ事故も起きたようですが、 やってやれないことはないでしょうよ。 個人レベルでも、安っぽいチンピラのお兄さん方はこれやってますよね。 疑いと言うより、「怖いから構えている」と言ったほうがいいですが。 指導者の足を引っ張る、と言う時点で即に俗世なんですけど まあそういう宗教界はどこの宗教でもあるようですね。 なので、そういう派閥のなかった古代宗教を見ると・・・ 古代仏教では、教えを広めるためには一人で旅をし 行った先で迫害を受けたらそこにとどまり、 殴られても蹴られても逃げてはいけない、とされてました。 最初はみんな面白かって殴る蹴る。 異教の教えは邪道だと言ってね。 でも、 殴られても蹴られても仏法を唱えていると みんな「こいつの言ってること本当では?」って 思ってくる。 そこで教えを語る。 このような修行僧の場合、やられたとは解釈せず 教えを広めるための土壌の掘り起こしをしたに過ぎない と考えているようです。 だから、やり返す、もなければ、逃げる事もない。 今の時代、そこまで深く関わる時間がないので 古代のこういったやり方はナンセンスですが 何か得るものがあるんじゃないかと思い紹介しました。 相手を徹底的に打ちのめすチカラを得るか まったく次元の違う位置から「相手を救うために」 殴られ続けて改心させるかの、どちらかと思います。
- taka-aki
- ベストアンサー率12% (748/6126)
やり返さないのも常にやり返すのもアホなのは変わらない。 どのようにどれくらいやり返すのがベストか知るのが知恵。 だいたいどれくらいやり返せばいいか分かれば 常に考えてる必要もない。 常に怖がって生きてるということだから、 周りの人間だって居心地悪いわ。 周りを居心地悪くさせ続けるなら、そりゃマイナスでしょうが。
正論にこだわり過ぎると、人間関係で失敗します。たいていの場合は、「お前のこと嫌い」というのが伝わるだけで、肝心な事は伝わらないのです。コミュニケーションで大事なのはノンバーバルな部分です。ノンバーバル・コミュニケーション(検索)を計算することです。 賢い人ならどうするだろう?。 他人に期待しすぎていないか、他人を変えようとして無駄に消耗していないか、言いたいことは批判や要求ばかりで相手を認める発言を普段からしていないから言いにくいのではないか、、、僕ならそういうことも考えます。 人それぞれ考え方も違うのですから、馬が合わない人がいても当然です。人にバカにされたからといって、あなたの人間としての価値が下がるわけではないのです。 逆に、あなたが誰かのことをバカにしたからといって、その人の価値を下げることができるでしょうか。そんなことは、不可能です。それと同じことです。
- anndoromeda
- ベストアンサー率15% (279/1846)
>>もう怖いので常に身構えて、やられたらやり返すと常に思い込みながら生きようかと思うのですが その様な事が出来るわけがない。 また、考えていても、その時にやり返す・・など、とっさに反応など出来たら、この様な所に書き込む事もない。 出来ないからこその、願望に過ぎません。 脳は一度に一つの事しか考えられない様に出来ています。 やられたら、やり返す・・どの様な事を考えるか想像も出来ませんが・・と何時も考えていたなら、必要な事も考える事が出来なくなります。 それでも良いのなら、是非どうぞ。 そもそも、 >>他人に侮辱されたりされると、とっさに反応出来ず周りの人間に舐められるということが多々あります とっさに反応したからと言って、舐められなくなる訳ではないです。 舐められるのは、反応の早さとかではなく、別の問題です。
- obrigadissimo
- ベストアンサー率23% (1613/7000)
やり返すのは、リベンジ(=復讐)ですので 疑いのエネルギーを飛ばしているというのでは ないですよね。 もしかしたら、質問者さまは、 自己評価が低いのかもしれませんね。 〈ふろく〉 最も崇高な復讐は許すこと(=The noblest vengeance is to forgive.) 幸福に暮らすことが最高の復讐である。 (スペインの諺) 弱者は決して許すことができない。 許しとは強者の態度である。 (Mahatma Gandhi) Gandhiさんは仏教ではなくヒンドゥー教ですが 《許し》を説いていますね。 人は軽蔑されたと感じたときによく怒る。 だから自信のあるものはあまり怒らない。 (三木清『人生論ノート』) 猜疑心や被害妄想っぽい状態が継続するようでしたら、 お早めに、精神科のある病院で診察をうけられることを おススメします。 幻聴、幻覚、自傷行為、希死念慮などがないのは 大いなる救いですね。 お大事に!
- ange45
- ベストアンサー率26% (118/443)
マイナス。。。というかはよくわかりませんが、男性のプライドから、なめられる感じ は自分にもいやかと思いますが、 他人と比べない事。なめられてもいいんじゃないですか? 舐めている方 としてもそこしか強く押せない ああ小さいやつだ。聞いてあげよう という内側の強い気持ちのほうが大事か と。先手攻撃で、今はすべて責任逃れや、攻撃が多いです 質問者さんの年齢がわからないのですが、怖くて身構える・・・との事 何にそんなに、おびえているのでしょう。 やられたら、やり返す なんていうよりも 自分はこういう人間にはならない という感じのほうが素敵ですよ4