• 締切済み

人間嫌いのジレンマ

人間が嫌い。 だけど孤立が怖いから、退屈が苦痛だから人に懐いてしまう。 そういう自分が嫌い。 同じ考えの人はいるでしょうか? 僕は常に人間に対する敵愾心・疑心を抱いています。 礼儀・愛想も体裁を保つ為のものだと思っています。 その心とは裏腹に、好きでもない人間と仲良くしようとする等、矛盾した行動を起こしてしまいます。 必要と決めた他人以外には話したくもないのに、退屈を持て余しては話し掛けてしまい、度々苛ついてしまいます。 常に余裕がなく、何をするにも迷走している状態です。 その為、周囲の人間を種類分けしています。 (1)関わりを避けられない人間(仕事上のパートナー等) (2)関わっても問題ない人間(味方に付けたら有利な人間) (3)関わる必要のない人間(味方に付けても有利にならない人間) (4)関わるべきではない人間(場合によっては足引っ張りになる人間) 一方、有力な人間と関わる事で縄張りを作りたいと思っています。 或いは、自分が有力な人間となる事で、柵を潰したいとも思っています。 常に物事を打算し、「必要かどうか」でドツボに嵌って動けなくなる事もあります。 現世における自分の在り方とは何なのでしょうか? 答えを教えて下さい。

みんなの回答

  • doorakanai
  • ベストアンサー率27% (758/2746)
回答No.5

自分をラッピングするのに必死で、周りにあるパーツのどれが リボン等の装飾になるかどうか判断をいつも焦っていて、 打算が浅く、 ラッピングがバラされる恐怖が大きく臆病に過ぎ、 人間が嫌いなのではなく、多分怖い、 こんな感じではないかな と。 自分の上っ面を取り繕う為に、どんな方法を取るかは人それぞれです。 誰が悪いそれが悪いと毎日言い訳をする(先制攻撃) ビビっているのをごまかす為にすぐ怒る(先制攻撃) ああやったったのにこうやったったのに と恩着せがましい(後出しジャンケン) 媚びる、卑屈になる(強い物に巻かれろ的な隷属) 別に何もないのに同情してみせる(懐柔) 等。 これらは見え透いているのですぐ分かります。 多分あなたも分かっている?で、取り繕う方法を選べずにいる? 打算が浅いというのは 不要と決めたはずの人間に寄っていく、 >「必要かどうか」でドツボに嵌って動けなくなる 自分の判断に自信がないところです。 要不要を決めるのが早計なのでは と思います。 不要と判断した者が後で有用な人間になったらどうする? >有力な人間と関わる事で縄張りを作りたい 寄らば大樹の陰?大樹が枯れたら共倒れ? 必要な人間がいつまでも自分の側にいるという保証はある? この辺が曖昧なのを分かっているから、何だかグチャグチャになるのでは。 ゴミでも使い倒すつもりでいたら、とりあえず平等に深入りする事なく接するだろう。 要不要の判断にもっと時間をかけて、もっと遠大な打算をしてみましょう。

puremiyaland
質問者

お礼

回答有難うございました。

noname#205097
noname#205097
回答No.4

人間は健全か不健全かで分類されると思いました。 健全な人間と付き合う方が確かだと思います。 健全な人達と付き合っている人達は、ありのままの自分自身の事も受け入れられると思います。 一緒にいても心が休まる人達は健全な方達だと思います。

puremiyaland
質問者

お礼

回答有難うございました。

  • r-y1984
  • ベストアンサー率25% (14/54)
回答No.3

あなたはきちんと関わる必要がある相手とそうでない相手を種類分けされているので損をする事がないと思います。どうしても避ける事ができないのは同じ職場に居る人間ですから、その中で適当に付き合っていれば良い相手とそうでない相手を区別できているなら問題はないと思います。考え方が自己中心的となり、私利私欲の為に感情を左右されると自分が分からなくなり、気が付いた時にはあなたの言うとおりドツボに嵌っていたということになりますので冷静に自分に必要かどうかを考える事ができるようになれば気持ちは楽になると思います。頭の中で深く考え込んだところで何の解決にもなりませんから適当に考えておけば良いと思います。

puremiyaland
質問者

お礼

私利私欲ですか…。 僕の場合は、それが本質的に悪い事なのか、それ以前に「利」とか「欲」とかの存在がどう繋がっているのか分からない状態です。 他の方の言うように、自然界での孤立は死を意味します。 あまり利己的に生きれば孤立を招くので、必然的に偽善を通して生きるしか術はなくなるのです。 自意識と隷従、自由と安全のバランスが分からない状態です。 また、善意も自然に生じるものではなく、必ずと言って「贖罪」だとか「代価」だとか、一々打算して考えてからじゃないと上手く動けません。 回答有難うございました。

  • Glory_777
  • ベストアンサー率50% (105/208)
回答No.2

凄い正直ですね。 ここまで自己分析し、 それを見つめられるなら、相当立派な人物になると思いますよ。 こうした部分で悩みがない人は魅力的じゃないですから。 しっくり来ないかもしれませんが、 人間には成長段階があるので、その過程で苦しくても我慢するしかないです。 私が思うに、 自分以外の人間を好きに成らなければいけないわけじゃないです。 と言うか、無理のようですね。 仏教でもこれは無理だと思っているらしく(私も無理だろうと思う)、 自分と他人の識別を広げるか、壊すかするかで、自他を同一視する手法を推奨しています。 自他の区別がつかない状態で、論理的な思考を維持できれば、欠点を伴わずにストレス から開放されると説いています。 かなり効果があると思います。 がしかし、物理的、社会的に他人との関わりを減らすことで平安を得ても効果は同じです。 大人に成ると、どちらか一方で効果を出そうとすると大変そうだと分かります。 両方併用すると、あんまり努力をしないでも実利を得られそうですよね。 そこで、以下のように相手を分けて対応します。 (1)関わりを避けられない人間(仕事上のパートナー等) (2)関わっても問題ない人間(味方に付けたら有利な人間) (3)関わる必要のない人間(味方に付けても有利にならない人間) (4)関わるべきではない人間(場合によっては足を引っ張る人間) あまり正直に(1)~(4)を分けて対応すると、時々寂しくなります。 そこで、 どうでも良い話で他人に声をかけたりするのが知恵です。 さきほど挙げた人間の成長段階とは、 質問者さんがあげたように、(1)~(4)が本当に出来ているか? と言うあたりであり、言うほど出来ていたら相当立派ですよ。 意識して(1)~(4)を分けて人と付き合い、これに熟練したころに、 別のことに気がつけば、悩みは解決します。 「イライラしたり、不快な想いをする以上、何か必要なものが足りていない」 これを囚われず考えられれば、対処できるはずですし、消えるはずです。 殆どの場合は、睡眠や栄養が足りていません。 次は、運動や思考などのウォーミングアップが足りていません。 これらが足りないと、健康を阻害します。 しかし、認知力が低下すると、不快感の原因が分からず、違う答えを出します。 例で挙げると、 「ニンジンが嫌い」 これは認知が低いわけです。 「ニンジンの苦味が嫌い」 と精度を上げれば、苦味を弱くして、甘みを味わう手間をかける事が出来ます。 しかし、実際はその手間が面倒に思えます。 そこで、ニンジンが嫌いとしてしまえば楽ですね。 他にも、 「女が嫌い」 これを、 「自分を馬鹿にする女が嫌い」 と精度を上げれば、馬鹿にする部分を弱くし、尊敬して貰えるように手間をかける事が出来ます。 しかし、実際はその手間が面倒に思えます。 そこで、女が嫌いとしてしまえば楽ですね。 質問者さんは、自分が嫌いなのではなく、 手間を考えると面倒になって、対象そのものを嫌いと言って嘘をつく、自分の卑怯さが嫌い。 そんな自分を自覚させるシーンを作り出す他人が嫌い。 なのであって、 手間が掛かるものほど面白いと感じられれば、何かを嫌いになる理由が無くなるでしょう。 そして、何かが面倒に感じるときは、メンタルが不健康な状態であり、 この場合は睡眠や栄養、運動、適度な思考、社会への貢献が足りてない場合が多いです。 これで健康を害してしまい、いろんなことが面倒になり、 これらを他人が強制しているように思えてしまい、 最後は人が嫌いになり、 自分を嫌いに成ります。 そこで、大事なきづきが生まれます。 自分を嫌いに成らないで済むために、必要なものが幾つかありそうだ? これを先ほどの関数にインプットします。 (1)関わりを避けられない人間(仕事上のパートナー等)   ⇒仕事で貢献すれば、自分を嫌いにならないで済む   ⇒実は役にたってないと自覚があるのに、気づかないふりをし、    その上で気がついてしまいそうになるので、相手のパートナーが嫌い。   ⇒仕事で貢献する力が必要です (2)関わっても問題ない人間(味方に付けたら有利な人間)   ⇒仕事で貢献するために有利に働く味方でないといけません (3)関わる必要のない人間(味方に付けても有利にならない人間)   ⇒仕事で貢献できる力が無い人は意味がありません (4)関わるべきではない人間(場合によっては足を引っ張る人間)   ⇒(1)~(3)に気がついておらず、他の人間が悪いと思っている人   ⇒いずれはそこに気がついて成長しますが、今は関わるべきではないです と言う事で、全ての人は(1)~(4)で人を評価しています。 自分が相手にとっての(2)を維持していれば良いだけです。 そうじゃない場合は、必ず人が嫌いになり、自分が嫌いに成ります。 わたしも、他人を嫌いになって自分が嫌いになったりします。 好い加減何度も繰り返してますから、原因が分かっています。 「そういえば、最近は実力不足で人にありがとうと言われてないな」 でまあ、自分が得意としていることを再度点検し、それをあり難がってくれる 人にサービスをし、「ありがとうビタミン」を補給します。 心から他人を好きになるとか、嫌いな気持ちを抑えるとか、幻想でしょう。 適度に他人に感謝されないと、心が苦しくなると言う性質があるため、 そうならない程度には、誰かに感謝されておくだけです。 つまり、 人に感謝されると言うのは、精神の安定のために必要なのであり、 これを得るために、他人の力を利用するのです。 私に利用される相手の人も、 同じ人間なので、少しは人に感謝されないと精神が参ってしまうのを知っています。 また、 利用されることで、私が少しは感謝することを知っているので、 ありがたいと思って、面倒にならない程度に利用されてくれます。 こうして私は力を得て、誰かに感謝され、精神の苦痛から逃れられます。 実利として得られる経済的な部分や、これを為す為の環境等も必要ですが、 メンタルがおかしくならない程度の、誰かの感謝も必要なのです。 後者に対して「そんなの必要ない」と意地をはれば、苦しくなり、 最後は「自分は消えたほうがよい」と感じます。 さすがにこの仕組みを知らないと、大人にはなれません。 以上、ご参考になれば。

puremiyaland
質問者

お礼

回答有難うございました。

noname#202167
noname#202167
回答No.1

自然界では孤立する事は死のリスクを高めます。 自分より弱い動物でも、群れに攻撃され続ければ疲弊します。 同属の群れに住処や財産を奪われ泣き寝入りも増えます。 孤立を恐れる個体が淘汰され難く残り今に至るのでしょう。 利害だけの関係は、時と共に利に慣れて満たされなくなりやすく より多くの利を望み負担が増し、負担から怠惰が増し、 双方が不利益な関係と認識するに至りやすくなります。 不快な経験を短いサイクルで繰り返す恐れが高いでしょう。 いくら頭で考え理屈で心身を守ろうとしても、 人は心で動くものです。 >人間に対する敵愾心・疑心 あなたはその心があなたの現状を生んでいる様に見えます。 とても容易ではない苦痛の多い道のりとなりますが、 あなたが 敵愾心・疑心 を抱いた経験の解釈を変える事が 根本的な解決になるでしょう。 経験にどんな結論を付けるかで生まれる感情(心)は変わる。 感情は表現(言葉や態度)を選ばせ、 他者は表現(言葉や態度)から自分の感情を汲み取る。 そして相手も感情から表現(言葉や態度)を選ぶ。 他者は自分の心(感情)を介す自分の鏡に過ぎないとも言える。 自分が変わらなければ、この循環は変わらないでしょう。 自分の抱く感情がどんな循環を生んでいるのか? 自分の感情が選ばせた表現(言葉や態度)は自分ならどう感じるか? 同じ失敗を繰り返し何も学ばない事は悲しい事と思えます。 自分の感情に抗えず屈すれば、 感情は受け入れやすい言葉や情報を安易に信じさせ、もっと欲させ 感情が受け入れがたい言葉や情報は疑い信じず、耳を傾けなくさせ 自分の知識、自分の視点を偏らせる。 偏った知識を根拠に、偏った視点で物事を熱弁する人が あなたの目の前にいたらあなたはどう感じるか? 自分が知らぬ間にそうなっていたら自分はどう扱われるか? 感情に屈する事は巡り巡ってそうなる危険を増やす事。 自分が尊敬されようが、自分が軽蔑されようが、 それは自分の一面に過ぎない。 自分が尊敬する者も、自分が軽蔑する者も、 それは相手の一面に過ぎない。 あなたの目の前に、 あなたの一面だけを見てあなたを語る人が居たら あなたはその人にどんな印象を抱くか? 自分の、強い感情を抱く事になった経験に、 自分はどんな面を見て、どんな結論を導き出しているのか? この世界で起こった事には、矛盾なく至るだけの過程がある。 感情に阻まれ、受け入れる言葉や情報が歪めば現実は見えなくなる。 この世界は感情など関係なしに現実を刻み残すもの。 この世界は何かを願ったりただ否定しさえすれば 理想的に変わる様な世界ではない。 受け入れ難い現実でも、許し難い経験でも、現実を直視し、 自分の心がなぜ今こう至ったのかの現実も直視し振り返れば、 今自分が抱いている感情を生み出している結論に、 今の自分とは少し違う結論を導き出せる様になる。 その結論が今までの自分とは少し違う感情を生み出す。 感情が選ばせる表現(言葉や態度)の少しの変化は、 人との間に循環する感情を変え、 新たな経験と結論となり自分を少しずつ変える。 感情に屈さず、不都合な現実にも目を向け、 時々自分の過去を見つめ直すだけで、 人は少しずつだが変わって行ける。 自分の表現(言葉や態度)が相手にどう受け取られ、 自分にどんな感情が返るのかを、 様々な立場、自分が言われた場合などを考えてみる事。 あなたの心の中に降り積もっている無数の悲しみの経験。 悲しみから生まれる様々な想い。 自分の嵌まっている循環に気付き、 ただ様々な視点立場言葉情報を受け入れる努力をするだけで、 人は変わって行けるものです。 時間がかかり苦しみ葛藤も伴い、 意味があるのか疑いたくもなるかもしれませんが。 私に出来る助言は以上です。 様々な人のご意見に耳をお傾け下さい。 あなたの未来に幸せが多くなる事を祈ります。

puremiyaland
質問者

お礼

回答有難うございました。

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