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キリスト教
キリスト教について無知なんですが質問させてください。 1.キリスト教に入ると神社など行けないのでしょうか? 拝んではだめとかの決まりがあるんでしょうか。 2.土曜日と言う言葉をよく聞きますが土曜日は何か特別な日なんでしょうか? 日曜日でもだめなんでしょうか? 3.キリスト教に入るのと入らないの違いを簡単に教えて下さい。
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- michael-m
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1)これは会派によって違います。キリスト教系新宗教は山ほどあり、米国では一牧師一会派と言えるほど同じ会派でも考え方が違ったりします。もちろん統一されている会派もあります。 私(カトリックマリア会)は信者になるための勉強会で次のように習いました。他宗派の葬儀や施設に入ることは問題ではない。あくまでも私達の主を心に置くことが大切です。 寺社で外国人をよく見かけます。彼らがすべてクリスチャンとは限らない。でも彼らの多くは観光としてみているに過ぎない。また祈る姿もはたしてその施設の宗派の神に祈っているのかは判りませんね。だからキリスト教以外の施設に外人がいるからと言ってた施設には入れるとも限りません。 2)私はさほど土曜日を重視してるとは思いませんけど・・。もし宋感じるならそうかもしれません。 理由として考えられるのは「この世は土曜日を持って完成した」ということでしょう。日曜日は安息日、つまり全てを成し遂げて休んだ日です。 これはユダヤ教の教えです。キリストはキリスト教を作ったわけではありません。ローマと結託してすべての権限を独占していたユダヤ司祭に対し晋のユダヤ教に戻そうと運動した一人です。だから解釈の多くはユダヤ教が基盤となっています。結局ユダヤ教に迫害されたからキリスト教になっただけです。 ユダヤ教では安息日の活動を厳しく制限していますが、キリスト教では緩やかな縛りになっています。 もし土曜日を多用しているとすれば、この二つの考えが影響しているんでしょう。 3)洗礼を受けるか受けないかの差は原罪の有無といえます アダムとイブが犯してしまった罪、神の言いつけを忘れて知恵のみを食べた。これを「原罪」といいます。 すべての人類は根本的にこの原罪を背負っています。これは非常に大きな罪であり、このために人間は天国(エデン)に帰れません。しかしイエズスはわが身を十字架かけて原罪の許しを得ました。彼を信じる者も許されるのです。 洗礼は洗礼者ヨハネが救世主(キリスト)を迎えるために、自分の人生において犯したすべての罪を流すために行っていた儀式です。当時は川に身を沈めていました。今では一部会派だけで教会に設えた水槽で行ったりしています。カトリックでは額に水を流すだけです。(油もかな?私の頃で、その後立ち会ったことが無いのでわかりません。聖油はイエズスが貼り付けになる前、或いは十字架から降ろされたときに聖油で清められたということが由来です。) つまり洗礼を受けるということは水でそれまでの人生における罪を洗い清め、聖油でイエズスの苦難を背負い、キリストに帰依する事によって原罪を許されるという意味です。 では洗礼を受けなければ天国に入れないかといえば、私達の会では今ではかなり緩やかに解釈されていて、ある程度の罪は煉獄の火で焼かれて許されるといわれます。しかし煉獄の日の辛さは地獄の苦しみをも凌ぐとも言われています。 地獄が永遠の苦しみであるのに対し、煉獄では罪の重さに比例して有限だと習いました。
- osakajapan2001
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簡単な凡例を挙げて説明しましょう (1)ですが わたくしはよく奈良県の大仏殿に行きます ここでは外国人が非常に多く観光目的で訪問されます その殆どは白人ですが この者達の多くはクリスチャンでしょうね 神社や仏閣に行く事と畏敬の念から拝礼する事とは信教とは全く違う立場です (2)土曜日は土曜日ですが何か問題でしょうか 西欧では多くのクリスチャンが休息日としているのは信心から来ています 土曜日の何が問題か書いて下さい (3)キリスト教に入るとは洗礼を受けて信者になることを意味します 信者になると言う事はキリスト教の場合には仏教とは違い イエスを信じる事に通じます 仏教の場合には仏教徒と仏陀を信じる事とは全く別の概念です 日本では宗教は選択可能ですが 欧米でも宗教は選択可能です 何も違いませんが 日本では家と個人の宗派が別ですが これも欧米でも同様です ※宗教とは個人の意思で個人が信仰するものの事です ※日本はキリスト教宗派の信者数が外国と比べて極端に少ない国です(約0.6パーセントです) ※中国や朝鮮では国民の数十パーセントがキリスト教信者です ※チョット設問が幼稚過ぎるために回答が出来にくい側面があります
- WhatisLOVE
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個人的に宗教や哲学を考えている暇人です。よろしくお願いします。 一応自分ではキリシタンを名乗っておりますが、洗礼も受けていませんし日曜礼拝もほとんど行った事はありません。 ご質問の件ですが、宗教といってもあまり堅苦しく考えない方がよろしいかと思います。 1.ですが、別段そのような決まりはありません。現にアメリカ人やフランス人が観光で日光東照宮に参拝に来ていますから。 拝むにしても、自分は本来はキリスト教徒だと考えているという信仰があれば、一時他の神にお願いをしても大して問題にはならないと思います。 2.ですが、土曜日ですか。旧約聖書では、神は6日間で世界を創り、7日目に休息に入ったとされています。すなわち月曜に世界を創り始め、日曜日にお休みしたんです。だから日曜日はキリスト世界ではお休みの日になっていて、フランスでは教えを守って日曜日は仕事をしない人が多いそうです。そして教会では日曜礼拝が行われ、神父さんや牧師さんの話を聞いたり聖歌を歌ったりします。ついでに募金も集めたりします。 ご質問の土曜日ですが、確かアダムとイヴを創ったのが6日目だったのではないでしょうか。あまり大きな意味はなかったような・・・。 3.ですが、カトリックの場合、入る際にはプールのような水の中に入り身を清めます。これが洗礼です。それとお葬式が仏教よりかなり短く、予算も低くできます。 その他はさほど変わらないと思います。教会に行きたければいけばいいし、募金も余裕があればしたらいい。酒も飲みたければ破滅しない程度に飲んでいい。 そうそう、有名な戒律では子供の堕胎に関しては絶対禁止しています。ただ、それを守っている信者がどれほど居るのかは疑問です。 あとは神父さんは結婚できないが、牧師さんはできるとかでしょうか。これはカトリックとプロテスタントの宗派の違いです。